3-7 グルグル回って元通り。
現在執務室から応接室に移った私と、スティーブンと、ウィリアムの三人は思い思いの来客用の椅子に座って両者の近況報告を簡単にすませる。私がどうしてウィリアムの屋敷に行くことになったか、何故黙って出て行ったのか、世話になっている間なにをしていたのか、などだ。
連絡をしなかった理由についてなどは、また新たな確執をウィリアムとスティーブンの間に生みそうだったので割愛したが。
私の右斜め前には水で濡らした布で頬を冷やしているスティーブンが座っていた。思っていたのとはだいぶ違った形で再会することになってしまったが今日は良しとしよう。そう、良しとしなければなのだが……。
「最初の話とは違うが、まぁ良い」
「執務室の前で、待ち合わせていたはずのお前が、アイザックと本格的に、やり合って、なかなか来なかったから、だろう」
「随分と良い面構えになったじゃないか、スティーブン」
ちゃっかり私の文句を無視したウィリアムは、上機嫌で淹れ直させた紅茶に口をつけながら皮肉な物言いをする。しかしその言葉も耳に入っていないのか、スティーブンは先ほどからずっと私を眺めている。
眺められている私は居心地が悪い。当然だろう。あれだけ強かに殴りつけられたはずなのに怒るどころか笑い出した人間を目の当たりにすれば、不気味に思って当たり前だ。
「……今は何を言っても聞こえんか」
いつもなら忌々しいと互いを嫌い会う仲だというのに、今日は不思議と言い争うでもなく、睨みあうでもない。それは良い。大変結構だ。もっとえげつないトラウマになっているかと心配していたスティーブンも、思っていたよりも元気そうだし。
――しかし、こうなってくると別の心配が私の中で頭をもたげた。
「おい、ウィリアム。コイツおかしな性癖でも、あるのか?」
「ブフッ!?」
「うわ、汚っ! 何やってるんだ、ウィリアム」
私の爆弾発言にウィリアムは口に含んでいた紅茶を吹き出した。まぁ今のは私のタイミングが悪かったよ……。横では正気になったスティーブンが明らかに嫌な顔をしたが、それは見ない振りをして言葉を続ける。
「貴様が急に馬鹿なことを言い出すからだろうが!」
「だって、お前と私の、二人分だぞ。それで笑い出すって、異常だろ?」
「それは、そう、いや違う、はずだ……。そうだなスティーブン!?」
話を振られたスティーブンは今や恐ろしく冷めた目で私達二人を見ていた。でもな、冷静に自分を見直して見ろよと言いたくもなる。
駆けつけたアイザックに物凄く怒られるのは覚悟の上で殴った。けれどまさか爆笑するとは……。何か凄い顔で睨んでくるけれど、決して私がおかしい訳ではない、よな?
「叔父上とトモエは随分と親しくなったようですね?」
「それはまぁ、この品の欠片もない女を置いてやる位には、エミリーとマーガレットが気に入っていたからな。仕方なく……要は慣れだ。別に親しい訳ではない。そうだな?」
訊かれてコクコクと頷く私をスティーブンが怖い顔で睨んでくる。
「そんなに、睨むなよ。何を怒って――」
おっと、これは愚問だったな。また睨まれないうちにオリバーさん達のところへ行こうと立ち上がると、スティーブンまで立ち上がった。まだどこに向かうかも言っていないのに一緒について来る気らしい。
オリバーさん達とは積もる話もあるし、さっさとこの服を着替えたい私としては一人で行きたかったのだが、スティーブンの屋敷の敷地なのだから同行を断れる立場にない。また何よりもいきなり二人きりになるのは気まずい。
そう思ってウィリアムも誘ってみたけれどここに残るという。本人曰く「今日の分の移動範囲は使い切った」らしい。
涼しい顔をして紅茶を飲むウィリアムに、心の中で持ち合わせている悪態の半分ほどをついたところで私達は部屋を出た。
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こうして久し振りに歩く庭園内を見回す彼女は、あの事件の前とさほど変わらないように見える。時々立ち止まっては嬉しそうに木々の梢を引っ張ったりして歩く姿は、それくらいこの景色の中に溶け込んでいた。
前を行くトモエの歩幅に合わせて歩くスティーブンだったが、不意にその足を止めた。芝生を踏む足音が自分の物だけになったことに気付いた彼女が振り返る。
つり気味で勝ち気そうな黒い瞳が、不思議そうにスティーブンを見つめた。
あの日話も聞かずに手を上げてしまったことを謝ろうと、気まずい気持ちを抑えてついてきたは良いが……いざ二人になると言葉が出ない。もどかしさに俯いたスティーブンを見かねた彼女がやってくる足音が聞こえる。
俯いた目の前にある彼女の靴の先を見て顔をあげようと思うのに、たったそれだけのことが出来ないでいると――。
「スティーブン、あれ、今どこにある?」
何の前触れもなくそう訊ねられたら、自然と顔を上げてしまった。たぶん情けない表情をしていたのだろう。スティーブンの顔を見て苦笑した彼女は溜め息をついてこう言った。
「お前がくれた、黒板だよ。喋るより本音、言いやすいだろ?」
間近にその顔を見て、その声を聞く。ただそれだけのことが、この一月の間ずっとしたかった。視線を合わせようと上を向いていた彼女の手が、まだ熱を持つスティーブン頬に触れる。
「おあいこ、だけど、痛かったよな」
そう言って輪郭をなぞるように撫でる掌は、やはりザラザラした働く手だ。そこにあの日から消えない火傷跡まで加わってしまったその手が、堪らなかった。
彼女はスティーブンを見て一瞬驚いたように目を見張る。両の頬を温かいものが伝っているのは感じるのだが、それを止める術をスティーブンは知らなかった。
「――よしよし、ごめんな」
そう言いながら頬を撫でる彼女の目端にも、光る玉が浮かんでいる。勝ち気な彼女はスティーブンと違って何とかそれをこぼすまいとしているようだが、それも時間の問題だろう。
時間の問題ではあるが、このまま一方的に主導権を取られてしまえば彼女が自分を頼ることがなくなりそうだと感じたスティーブンは、頬に触れるその手を引いて、バランスを崩したトモエを胸に抱き留める。
抵抗されることを覚悟してのことだったが、意外にもあっさりとそれを受け入れた彼女が胸の中で溜め息をつく。震える溜め息は彼女なりの強がりだろう。
――そうして二人、言葉もなく。
――ただ、この安堵が行き来するのを感じていた。
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【私はこれが良いと思う】
【いや、どう考えてもこちらだろう? それでは地味すぎる】
【だから何度も言わせるなよな。私の故郷で侘さびっていうのは目立っちゃ駄目なんだってば】
懐かしい黒板を走るチョークの音が朝から図書室に響いている。再会から一週間が経つが、私とスティーブンはお互いが空いている時間のほとんどを一緒に過ごしていた。
本当ならオリバーさんの庭仕事を手伝う合間に自分の庭を造りたかったのだけれど、何にしても材料がない。日本でなら当たり前に揃うはずの植物も、道具も、石材も、この世界にはない物ばかり。揃えるにしても手探りの状態なのだ。
そんな中、今日はオリバーさんが知り合いの石材店から譲ってもらえそうな石の小さい板のサンプルを貰ってきてくれたので、こうしてスティーブンと選んでいるのだが……。
本当なら御影石などがあればいいのだけれど、残念ながらこの世界というか、この地域にないだけかもしれないが手には入らないのだ。石は日本庭園でも大きな役割を持っているので、あまり妥協のしすぎるのも良くない。全体的に安っぽい庭になってしまう恐れがある。
と、話が逸れた。
【しかしいくら何でも地味すぎては庭の意味がないのではないか? 美しさを演出したいのなら多少赤みがかったこちらの石の方が良いと思う】
「うーん、そうじゃなくて……もっと、こう」
もどかしさのあまり筆談を投げ出して頭を抱える。海外の庭は……取り分けイングリッシュガーデンは、その種類の多さと奔放な配置が確かに美しい。
石も白っぽいものが多く、御影石のように斑なものをわざわざ使ったりせずになるべく花崗岩の白さを強調させたり、逆に赤みの強いレンガを組んでメリハリをつけたりと見た目にも遊びがある。
実際、スティーブンの危惧するようにこの庭園内に急に日本庭園をぶち込んだらわりとカオスになるだろう。
狭い半日陰、色は限りなく地味に、目立たず、奔放な配置もない。きっちりと整えることこそが日本庭園の美学で最近では海外でも人気になってきていたのだが――あくまでもあちらの世界では……である。
残念ながらこちらの世界の人達があの渋さを理解するには、まだもう少しだけ時間がかかりそうだ。
「とはいえトモエ、ここにない物を言っても始まらないだろう」
筆談を投げ出した私にならってスティーブンも黒板を置く。チョークをいじる手元には私のあげたあのチョークケースがある。
――この渋さは理解できるのに謎だ……と、そこで何かを閃いた気がしたんだけれど、まだ形として思いつきそうでない。もうほんの一押し何かが欲しい。
スティーブンのもっともな突っ込みに「……だよなぁ~」と、返事をしながらだらしなくその場に寝転がると、それを見ていたスティーブンが微笑む。その視線が何だか照れ臭くて、思わず私は背中を向けた。
後ろでは未だ石を選別しているスティーブンの気配。カチャカチャという音を聴いていたら眠くなってきた。
「トモエ?」とスティーブンが名前を呼んでくれたような気がしたけれど、眠気に負けた私は瞼を持ち上げることが出来なかった。