3-6 お久しぶりです、これでも食らえ。
やはりウィリアムの読み通り、馬車が屋敷の敷地内へと続くゲートをくぐって一番最初に出迎えた人物はあの憎らしいアイザックだった。御者が馬を止めてしばらく待つと、裏手の方から馬丁のジョンが奥から現れる。
背後でトモエが馬車の陰に隠れたのを確認してからウィリアムはアイザックに向かって親しげに歩み寄った。
「やぁ、久しいねアイザック。出迎えご苦労。屋敷の主人はお元気かな?」
「おや、これはこれはアッテンボロー家の御当主様がお見えとは……。生憎と只今当家の主人からは誰ともお会いにならないと言付かっておりますので、どうぞこのままお帰り下さい」
アイザックからのいきなりの先制攻撃に、しかしこんなことでウィリアムも引けを取ったりはしない。
「あぁ、また引きこもって仕事かね? 元々陰気で図体ばかり大きな甥っ子だ。このままでは奥方のなり手もいないのではないか?」
「――ハハハ、これは手厳しいことですな」
見えない言葉の刃が凌ぎを削る。気の毒なのは馬丁のジョンと馬車の御者だ。お互いに雇われの身として心中を察するばかりである。
「いい加減にこちらもあてがってやれそうな相手が尽きそうだ。そろそろ君からも言ってやってくれないか。兄から継いだ家を潰す気かとね」
「いえいえ、ご心配には及びませんよ。そうなりそうな禍根は現在当家にはおりませんので」
「おやおや、これは手厳しいなたかだか使用人風情が」
「勘当ではなく入り婿としてこの家を離れられてようございましたな」
「「ハハハハハハハハ」」
ヒヤヒヤと見守る二人を後目に攻防は激しさを増して行く。こうなるともはや止めることは不可能だと悟ったのか、ジョンと御者はとりあえず馬車をどうするかと話はじめている。
この時それを近くの植え込みから窺う者がいると知っていたのは、ウィリアムと口止めをされていた哀れな御者だけだった。
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『良いか、わたしとアイザックは恐ろしく仲が悪い』
それはまぁ、来る度に金の無心をしていたと聞くし……予め教わらなくとも仲が良好だとは思っていなかった。
『あいつは嫌味なくらい有能だが、わたしと話す間は一切の注意力を総てわたしへの敵意に割り振って対応する。だからわたしがアイザックの目を引きつける間にお前はオリバーの小屋へ走るか、他に内通者を探せ。無事に乗り込めたらスティーブンの執務室前で落ち合おう』
いや、いやいや、いや――いくら何でも無理だろうそれは……実質無策じゃないかと。ウィリアムの話を聞いたときは思っていたのだが、これがまさかの成功をおさめてしまった。
何と言うことでしょう。しかしこのままいつまでも植え込みでぐずつくのはマズイ。すぐにでもオリバーさん達のところへ行きたかったが、生憎そこまで行くにはジョン達のいる場所を通るしかない。
おのれウィリアムめ……そこで立ち話をされたら、もう一つしか頼れる場所がないだろう気が利かない奴だな。しかたなくここは諦めて、次に協力者になってくれそうなジェームズの元へと向かうことにした。
植え込みから植え込みへとほふく前進のような姿勢で裏口の方へと回り込む。言い合う声はまだ続いているからどうやらバレずにすんだようだ。しかし今から向かおうとしているのはトラウマの事故現場である。だがこの非常時だ、本当なら物凄く行きたくないその場所に突っ込むのもやむを得ない。
コソコソと人の気配を探りつつ、使用人用食堂の裏口に辿り着いた。すぐ傍にまだあの日の残骸が転がっていたらどうしようかと心配していたものの、さすがにキレイさっぱり片付けられている。
一月も前と考えれば良いのか、一月しか前でないのか微妙なところだ。そもそもジェームズに会うのもあれ以来初めてなのだ。相手だってトラウマになっている可能性は高い。
しかし、いつまでも裏口で立ち止まっていては昼になってしまう。そうなれば人が集まってきて協力を仰ぐどころではなくなる。すでに心臓が痛いくらいに脈打って吐き気まで感じ始めた私だったが、覚悟を決めて裏口のドアノブをひねった。
そぉっと厨房内をのぞき込むと……いた。すぐ目の前にジェームズの背中がある。まだ他の人間は誰もいないようで、厨房内にはジェームズの姿しかない。緊張のためかカラカラに渇いた咽を震わせて、私はその大きな背中に声をかけた。
「――ジェームズ」
彼に気付いた様子はない。声が小さすぎたようだ。今度はもう少し大きな声で呼んだ。今度こそ振り返ったジェームズの目が驚きに見開かれる。でかい図体のオッサンにそこまで驚かれるとは心外である。
「お、お前、トモ……!」
「ちょっ、馬鹿、シーーーーー!! 静かに!!」
名前を叫びそうになったジェームズの後ろわき腹に思わず拳を入れて小声で注意したのだが――。
「あ~……悪い、ジェームズ」
手加減したつもりが思いのほか良いのが入ってしまったらしい。調理台に両手をついて何とか膝から崩れるのを回避したジェームズが痛みに震えているけど……まぁ、これで叫べなくなったのだから結果オーライだ。
「な、んで、ここに、いるんだ――ってか、痛ぇだろうが!」
「いやぁ、何で……何でだと思う?」
「んなこたぁ、俺が知るかよ。あとお前ぇ女なんだからよ、せめてもうチョイと優しく声はかけろや」
「は、女は皆、優しいのかよ? おめでたい奴だなぁ」
「ま、だわな。にしても……お前ぇちょっと会わないうちに随分言葉が上達したな?」
「あ~、まぁその辺は、今度な。実は急ぎの頼みが、あるんだ」
半ば有無を言わせぬ強引さでそうジェームズに切り出す。私の戻ってきた理由に最初は苦笑混じりだったものの、案外気安く頷いてくれる。ひとまず別のトラウマを与えた可能性はあるが、感動の再会を果たした私とジェームズはまだ誰もいない食堂の厨房内でプランを温めることにした。
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執務室のドアをノックする音がして、適当に返事をしながら書類をめくっていたスティーブンは、漂ってきた紅茶の香りから室内に入ってきたのがメイドであると気付いた。
「今は休憩の必要はない。香りで気が散る。持ってきたものを下げてくれ」
スティーブンは我ながら酷い言いぐさだと思ったが、一月前の一件以来メイド達を遠ざけている――というよりも、メイド達が遠ざけてほしがっていると言った方が正しい。
あの日の数日前、彼女を他の者と同じ扱いをするとアイザックに約束した手前、酷い取り乱しようの彼女の話をろくに聞きもしないまま手を上げた。
結果としては当主として下の者達の前で雇用の平等性を守れたが、変わりに彼女を失った。使用人の中で上級の者達は勿論のこと、中級の者達も彼女の恐慌状態の理由を知っていたのでその扱われ方に同情こそしたものの、進んでかばいたてたりする者はおらず、彼女に殴られたメイドは必死に周りの援護を得ようとしたが誰もが口をつぐんだ。
そして翌日、スティーブンは下級メイド達を集めて首謀者を炙り出すと、その者達をことごとくクビにした。表面上は職場に無用の波風をたてたことだったが、それだけでなかったのもまた確かだ。
櫛の歯が抜けるようにして邪な考えでここへ職を求めてきたメイド達が去ると、屋敷の中は彼女がここへやってくる前にも増して張り詰めた空気に包まれた。
そんなわけであの日以来、この執務室にはアイザックを含めて古参の上級使用人しか立ち入らなかったのだが――……スティーブンの不機嫌で不躾な物言いに、そのメイドは退室しない。それどころか戸口からスティーブンの机に真っ直ぐ近付いてくる。
「聞こえなかったのか? 休憩は必要ない。分かったら今すぐ――」
部屋から出ていけと、そう言おうとしたスティーブンの目の前でメイドは立ち止まると乱暴に手にしていた紅茶とサンドイッチの載ったトレーを机に置いた。
大きな音を立てて乱暴に置かれたトレーの上で、ティーポットが跳ねて紅茶を吐き出す。
「な、貴様、何をしている!」
スティーブンは慌てて書類を避難させると、怒りのこもった瞳で無礼なメイドを見上げて、その人物と目が会おうかという瞬間……その頬を拳で殴打された。
書類の束が宙を舞い、何も身構えていなかったスティーブンは椅子ごと後ろに倒れ込んだ。突然の出来事に受け身を取ることもままならない。
急激に熱を持ち始めた頬を押さえて起きあがるが、当然何が起こったのか理解できないでいるスティーブンに、いきなり拳を見舞ったメイドは「よし。これで、おあいこに、そてやるよ」と言い放った。
その声に我に返ったスティーブンが顔を上げると、そこには――。
「ただいま、スティーブン」
そこにいたのはいつものオーバーオール姿ではなく、中級メイドの服に身を包んだトモエの姿だった。呆然としたまま頭の先から爪先までを見つめるスティーブンに、居心地悪そうに身をよじった彼女だったが、気を取り直したのか向き直る。
「何だよ。約束通り、味方が参上、してやったのに。それとも感動して、お帰りの言葉も、出ないのか?」
そう言ってニヤリと不敵に笑うトモエを見て、スティーブンは一月ぶりに声を上げて笑ったのだった。