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3-1   いざ、使用人戦争の幕開け。


このページには鬱な要素があります(>ω<;)

苦手な方は飛ばして読むことをオススメします!

飛ばして読んでも内容は繋がるかと……たぶん。


「久しぶりだ。久しぶりなんだよ、この土の匂い、外の空気、空の青さ! この解放感!!」


 思わず叫んで大きく伸びをする。図書室は好きだ。なんと言っても本が読めある。でもそれだけの場所であってくれればいいのだ。ずっと椅子に座って延々と舌を噛みそうな言語と向き合う場所じゃない。


「あー……肩と腰が痛ぇ……」


 ぐるぐる腕を回して、ついでに屈伸運動もしてみる。関節という関節からしてはいけないような音がした。


 昔は完徹しても現場の仕事が多少きつくてもこんなに疲れなかったような?


「自分で思ってるほど若くないんだよなぁ……」


 アイザックから逃げ切ってオリバーさんからもらった庭園の片隅にある自分のスペースに膝をつく。まだ(ベリメ) 十四日だというのに私の脳みそはすでに一年分の許容量を使い切ってしまった。


 なので今日は息抜きだ。スティーブンが様子を見にくる昼前に図書室に戻ればバレないだろう。オリバーさんにもらった一角はまさに私の理想とする場所だった。黒い土はまだ硬くて触れそうにないものの、肥沃なのがすぐに分かる。


 そう言えば高校の頃に受けた技能検定で、関東地方をモデルにした実習ビデオを見てクラス全員で驚愕したな。関西地方の土は硬くて剣先スコップを使ってもそう易々とは歯が立たないのに、関東地方の映像ときたらサクッと入るのだから。


 あれで何故全国の技能検定は持ち時間を一律にするんだ。どう考えたって関西地方者が不利だろうに――と、それはさておき。


 特別広くもなく特別狭くもない半日陰。これなら坪庭より少し立派なものが出来るだろう。かといってここでは植物も、石材も日本の物は望めない。


 山がないので借景も無理。さらにこの国に竹がないのには困った。石灯籠も竹垣も鹿威しもできない、借景も駄目となると日本庭園としてはなかなか致命的である。


 だが、諦めてなるものか。何としてもアイデンティティを取り戻したい私は必死に頭を捻った。あれ? 結局頭を使っている気が……まぁ、良いか。


 限られた材料で庭を造るのも楽しそうだ。それに作庭は初めての試みであるのだし楽しまなくては勿体ない。早速オリバーさんからもらったここの庭園で株分けしてもらえそうなメモに目を通す。


 ギボウシの仲間や一部の下草などは日本庭園で見たことがあるものがあった。主木には花梨やアーモンドの木が良いだろう。花梨はマルメロと呼ばれていて海外の庭でもよく見るし、香りの良い実は酒に漬け込んで咽の薬にもなる。アーモンドの花は桜に似ているので心が和みそうだ。こちらも実が生れば食せるし。


 他にもブルーベリーは紫式部のように低く仕立ててみるのも良いし、赤いガラス玉のような実をつけるスグリはカランツと呼ばれているらしい。これも庭園内にあるそうなので一度見せてもらおう。


 楓を植えたいけど残念ながらサトウカエデしかないらしい。これは恐ろしく大型化するから却下だな。低木を中心にするならツツジに似ているアザレアや大手鞠の仲間も良い。うん、主木は結構豊富そうだ。


 芝生は草丈が低く冬に枯れる日本芝ではなく、放っておくと三十センチくらいに伸びてしまう西洋芝しかない。芝刈りって嫌いなんだよなぁ。それに日本芝なら一枚ずつはれるから市松模様にできるけど、種子で育てる西洋芝では無理だろうし……。


 うーん、と頭を捻っている私の肩を叩く手が―――。


【おやおやトモエ、こんな所でお会いするとは思いませんでしたよ。わたしが出しておいた課題は片付いたんですか?】


 振り返ったそこにいたのは、全く目の笑っていないアイザックの姿だった。スッと血の気が引く。辺りを見回せばオリバーさんがうなだれている姿が見えた。


【きっと片付いたんですね。それでは今度の課題は倍お出ししましょうか】


 ―――分かっているくせにこの悪魔め。


 心の中で毒づきながら、私はドナドナの仔牛のごとく図書室へ連行されていくのだった。



*******



【お兄さま、トモエの手紙を拝見して気になったことがあります。いきなり会話文から入るのは難しいのではないでしょうか?】


 その日は朝からアイザックが忙しく、トモエとスティーブンは久々に二人だけの図書室でまったりしていた。二人で頭を突き合わせて読んでいたのが冒頭のマーガレットの手紙である。


【ん? これってどういうこと?】


 隣で同じ箇所に注目していたらしいトモエが黒板にそう書き込んだ。スティーブンも首を傾げてその先を読む。


【アイザックの方法は、この国で生まれた人間に途中から教え込むこととしては有効ですが、全く違う言語の国で生まれたトモエには難しいのではないでしょうか? トモエの場合、文字を認識するのは早かったことを考えると、言葉の飲み込みが遅い気がします】


 二人でさらに首を傾げて先を読む。マーガレットの優しい丸みを帯びた文字が高級そうな淡い桜色の便箋に踊る。


【それで思ったのですが、耳が慣れない、聞き慣れないのが言葉の発音の遅れに通じているように感じるのです。であれば、ここはずっと後退してみて絵本の読み聞かせをしてみてはどうでしょう? 小さな子が一番最初に文字と言葉を憶えるのはお母さまに読んでもらう絵本だと思うのです】


 なる程、マーガレットの手紙には一理ある。トモエは言葉を文字として捉えるのは恐ろしく早かった。単語だけでなく、会話文も書ける。なのに言葉として発音してみる機会は少なかった。


【わたしはトモエと話したくてずっと耳を集中させていました。ずっと聞いているうちに何となく意味も憶えていけましたが、変わりにそれを文字におこすことができません。ね? 多少プライドが傷付くかもしれませんが、やってみる価値はありそうだと思いませんか?】


 他にはトモエを連れてどこへ行きたいとか、聖誕祭のプレゼントを褒められたこと、ウィリアムとエミリーの近況報告などが綴られている。


 最後に励ましの言葉と、結果を教えて欲しいという言葉で締めくくられたマーガレットの手紙を前にして、スティーブンとトモエは思わず顔を見合わせた。


【天才じゃないのか、マーガレット】


【こんなに理路整然と説明するのは俺も始めてみたな】


 手紙を読み終えた二人は手を放れた子供の成長を喜ぶ親の気持ちになってしまった。ここ最近行き詰まっていた勉強にほんの少しだが光明を見いだせた気になる。


【やってみる価値はありそうだけど……私がアイザックに読み聞かせてって頼むのか?】


 確かにそれはかなりリスクのあることのように思えた。アイザックの性格からして「では、無理矢理にでも耳から憶えさせればよろしいのでは?」などと言って恐ろしく難解な、それこそ辞典のようなものを読み聞かせてくるに違いない。


 一瞬の光明は一瞬でしかないのか――。そうトモエが思ったときだった。


【なら、俺が読み聞かせよう。やってみたことはないが、アイザックに読み聞かされるよりはマシだろう?】


 本人がいないのを良いことにスティーブンは有能だが融通の利かない執事をさりげなく貶す。


【本当か!?】


【ああ。しかしやるとしても執務の休憩の合間しか無理――そうか、】


 ふと何を思い付いたのかスティーブンがトモエの方をジッと見る。見られたトモエは少し、いや、かなり嫌な予感がして顔を背けかけた。


 その顔を両手で無理矢理自身の方に向けさせたスティーブンが彼にしては珍しい、悪戯を思いついた子供のような表情をして手にした黒板にこう書いた。


【庭の手入れが出来るようになる季節を待つ間、トモエが執務室に来れば良い】


 スティーブンの提案に“やっぱりろくなことではなかった”という顔をした彼女をさらにたたみかける。


【そうすればアイザックの仕事を待つ間の課題も減るんじゃないのか?】


 顔を背けかけていたトモエがスティーブンの持つ黒板を凝視する。それから一瞬悩むような素振りを見せたあと、深い溜め息をついて本型の黒板にこう書いた。


【―――それに乗った】



*******



「あぁ、やっぱり気のせいじゃないよなぁ……」


 さっき勧められて座った椅子がひどく不安定だ。これは脚のネジが足りないんじゃないのか? 空気椅子状態の私は他の椅子を探すが、もう大方埋まっている。


 そう、薄々所ではなく感じていたことだがスティーブンはこの屋敷の若いメイドさん達に奥さんの座を狙われまくっているらしい。何故今更そんな話になるのか? それは決まっている。


「あからさまだよなぁ。高校生かよ。やることが若い……」


 執務室で読み聞かせを始めてまだ五日だ。まだ五日目にして予想通りの事態に陥っている私は、使用人用の食堂で一人溜め息をつく。冷め切った気分でジェームズの作ってくれた味気のないジャガイモのポタージュを飲んでいた。塩気が足りないポタージュはなかなか拷問だ。


 そしてパンがまた堅い。私と二人で作る時はまだまともなのが作れるからアシスタントの問題なのだろうか?


「ジェームズは何でこれで料理長任されてるんだよ……」


 遠巻きにさざめきが聞こえる。チラチラとこちらを伺う視線の多いこと多いこと。


 私は自分の座っている椅子の脚が今にも折れるのではないかと心配しているわけだが、昨日は牛乳を拭いた後の雑巾が頭上から落ちてきたのを考えればまだマシか。


「懐かしい感じだわ。女子はどこ行ってもこんなの多いよな~……」


 全部独り言である。言葉が通じないと言うのはこれはこれで便利だ。


「顔が可愛い性格ブスってこの世界だといくつまでなら許されるんだか」


 どれだけ悪口をたれ流そうが誰も気にしない……訳ではないか。気味悪がっている視線が体中に突き刺さる。スティーブンにも困ったものだ。こうなることは目に見えていたのに。


 とは言え、あの提案を最終的に飲んだのは自分なのでスティーブンを責めるのはお門違いだ。


「――チッ、面倒くさい」


 こんな所で一人昼ご飯を食べているのには理由がある。


 一つにスティーブンの部屋で食べるのがまず無理。執務室には来客があることも多い為に匂いの強い食べ物の持ち込みが禁止されている。


 二つに上下関係に厳しいアイザックがスティーブンと食事をとることを許さない。


 三つにスティーブンが私を“使用人”としてこの屋敷に迎え入れたからだ。


 オリバーさん達のところに戻ろうにも“使用人”は主人の許しなく帰ることは許されないし、現在の私は絵本を読んでもらっているだけな訳だがそれも“仕事”としてカウントされている。これも気に食わない。


 奥の厨房からジェームズのだみ声が聞こえてくる。この屋敷は昼休みが組み分けされているのでそう混雑はしないがかといって暇でもない。あちらの世界にいた時は暇がないと嘆いていたが、正直今はジェームズが羨ましかった。


 そしてこの組み分けがまた――男性の上級使用人が一番最初で、次が女性の上級使用人。男性の中級、下級、女性の中級、下級、と分けられているのだが……争いごとは同じ階級同士でしかないわけで。


 言葉すら話せない私は現在ぶっちぎりの下級使用人だ。給料の発生しない“仕事”。ろくに“仕事を与えられない”もどかしさ。なのに肩書きだけは“使用人”。確かに彼女達にしてみればさぞかし面白くないだろう。


 ――ただな。


「誰がいつお前の屋敷の使用人になるって言ったんだよ!」


 ダンッ!! と力を込めて机を叩く。そうなのだ。我慢がならないのはそこなのだ。アイツは私にそのことを伝えていなかった。そして私はそのことに腹が立っている。


 ふとさっきまでのさざめきが聞こえなくなっていることに気付いて辺りを見回す。そこには異質な人間を見る目が幾つもあった。その目を見て、そうか、異質は私なのかと思い知らされる。この国ではいまだ貴族社会。階級差別や人種差別は当たり前なのだ。


 ――少しずつ、少しずつ何かが捻れていく感覚。


 噛み合わないこの歯車を、どうやって正せばいいのか。


 分からない、分からない、一人だけ分からなくて、私は怖い。

 

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