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1ー1   ハハハ、ご冗談を。

 

 つい先日たった一人で食べたバースデーケーキ。こんなことになるんだったらコンビニで二切れ一パックの見切り品で祝うのではなかった。きっとあれでケチがついたに違いない。

 

 三十と一歳の誕生日は真夏の真っ直中でも寒かった。母親を早くに亡くした父子家庭。前年に亡くしたばかりの飲んだくれの馬鹿親父でもいないよりはいたほうが良かった。少なくとも酒で盛り上がれたはずだ。

 

 そんなことを考えて――考えて?

 

「いや、いや、考えてる時点でおかしいってば」


 むくりと上半身を起こして自分で突っ込みを入れる。幸い身体のどこにも痛みがない。しかし私は確かにあの時頭から落ちた。


「まさか汗止めタオルで命を拾った訳じゃあるまいしなぁ……」


 最近とみに増えてきた独り言がこんな時にまで口をついて出てくる。歳の数イコール独り身の初期症状だ……と、それよりも腑に落ちないのは――。


「何で誰も来ないんだよ。ちょっとは心配しろっての」


 職場仲間が誰も見に来ないのだ。十八歳で入社してから今年で三十一歳になった従業員を。それともこれは労災が受け止めてくれます的な話だろうか。そう思ってからさっきまでと景色が違っているのに気付いた。


「あぁ、一応移動はさせてくれたってことか」


 それにしたってあまりな対応だが、今日は長引いた梅雨のせいでずれ込んでいた得意先を四件回る予定だった。そのせいで朝からみんな殺気立っていたのだし仕方ないと考え直す。


 腹を立てたせいか腹の虫が鳴いた。馬鹿親父がパチンコ屋の景品で貰ってきた安い腕時計を確認すると十二時を少し回ったところだ。成る程、誰も様子を見に来ないのも貴重な昼休みだったからか。


「移動させるなら鞄もさせといてくれたって良いのに……」


 男だらけの職場は気が利かない奴が多い。いや、そんな職場に馴染んでいる私にしたってそれは同じなのだが。

 

 幸いすぐ近くの茂みから目当ての道具袋とオッサントートバッグが見つかった。これは一応直射日光を避けてくれたらしい。


 さすがに最高気温が三十八度の日に炎天下に置いたら駄目なことくらいは察してくれたようだ。この分なら中の弁当も無事だろう。


 汗で絞れそうなくらいに濡れた作業着を脱ぐ。真夏の木々は毒虫の温床。真夏だから半袖とはいかず、むしろ冬場よりも長袖が推奨される。そのせいか現場の人間は大体において夏でも冬のような装備だ。

 

 とはいえさすがにジャンパーの下は半袖のシャツ。身体に大した凹凸のない私は胸の間を流れる汗の感覚が大嫌いなので薄手のバスタオルを半分にしたものをさらし代わりに巻いている。それを取ろうか少しだけ迷ったがその迷いも一瞬だった。


「――くはぁぁぁ、この解放感……」


 歳の数イコール独り身なのは間違いなくこういったがさつなところも関係しているに違いない。同じ職場の男どもは大抵十代で結婚、子持ちの奴までいる。そういった奴らの奥様は大体においてとっても女の子らしい。こんなところで一人、凍らせたペットボトルを抱えている私とは人種が違う。


「……飯、喰うか」


 何だか虚しくなって私はコンビニ弁当の蓋を開けた。



*******



 昼休みも残り十分を切ったところで私は読んでいた造園の手引書を閉じた。これから午後の作業に入るのかと思うと泣きそうになるがひとまずは三時までの我慢だ。気絶していた分みんなよりも長く休憩していたのだし。


「さて、合流して作業状況でも聞きますか」


 それにしてもさっきから少し妙だ。何というかこう――。


「涼しい……」

 

 それ自体が悪いことなど全くないのだけれど。別にマゾではないから真夏日よりも春先の穏やかな日の方が作業だって捗るし。真夏であっても大きな木の下であればだいぶ暑さも和らぐ。それにしても下がりすぎな気もしたが、何とか自分を納得させる。


「やっぱり木陰は偉大だわ」


 そう言って見上げた樹形をみてさらに違和感が募る。


「これって――プラタナス?」


 何度も来た家の庭。全ての樹木を憶えておくのは基本だが……こんな木が植わっていた記憶はない。そもそもここは純日本庭園であったはず。こんな唐突に海外の品種が植わっているのはおかしい。


 プラタナスはかなり大型化するので庭に植えるお客はあまりいない。この木にしても軽く十メートルはある。市から依頼されたりする大型の都市公園ならば話は別だが……。


「この家のシンボルツリーは松だろう――」


 シンボルツリーとはその庭の主役に据える樹木のことだ。これがチグハグであると庭全体のバランスが崩れるため、普通はここまでの冒険はしないはず。やっぱり、やっぱり……何かおかしい。


 まさか会社内に互助組合を作って就業時間を改善するべきだと、仲間内とは言え飲みの席で口走ってしまったのが社長にばれたのだろうか。だとするとどこかの山奥にでも捨てられたのか?


「まずい、まずい、まずい」


 携帯は今時流行らないと笑われたガラケー。確認してみると案の定圏外だ。


「嘘だろ、何処だよここは――」


 さっきまで夢の中であっさり死を受け入れたのが嘘のように取り乱してしまう。だって即死だったら怖いこともないけど山奥はないだろう。熊とか。

 

 丸呑みとかなら良いけど手足をもがれたりとかしたら……考えただけで血の気が引いた。今の時間は涼しかろうが問題ない。けれど夜になったら?山と下の気温差は馬鹿にできない。


 私はいくら着込んでいるといっても下は半袖で、オマケに汗だく。このまま気温が下がっていけば低体温症まっしぐらだ。


「頼むから働け三十一歳、独り身の脳!」


 思わず叫んだ私はそこでふとあることに気づいた。


「この辺、斜面がない……」


 そう、斜面。山には絶対に付き物のあれ。見渡してみてもそれらしいものはない。トートバッグが放置されていた茂みをかき分けて確認して見るも、ただ広い平地というか野原が広がっている。ないだけで言うなら道路だってないのだが、もしかするとここは山ではないのではなかろうか。


「――歩いてみれば案外町に近いのかも知れない、か?」


 果たしてそこまで現実は甘いだろうか。結論から言えば全く甘くなかった。荷物を抱えて歩き出してから約二時間。私は無情な現実に打ちのめされる羽目になる。


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