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2-9・2 冬の夜の夢



 ……話題を間違えたなとは思った。ただ、私の本音には違いない。くすぐったい妙な空気が漂っているけれどそれが別に嫌ではない自分がいる。


 並んで暖炉に踊る火を見ていたら、もしも今この世界に来たときのようなことが起こったら私はどうするのかと考えた。考えて、考えてみても、結局分からなくなったので黒板に書き込んでスティーブンに訊いてみる。


【もしも今さ、私がここから消えたらどうする?】


 冗談混じりに書き込んだ風を装ってみたものの結構本気なので、これで【別にどうもしない】とでも書き込まれたらショックが大きそうだ。


 でも敢えて訊いてみた。そうでもしないと、きっとスティーブンも私も話し出せないだろうから。


【消えるとは――いなくなるということか?】


 他にどんな意味があるのか訊いてみたい気もする。しかし言ってみた私にも本当のところよく分からない。ここにいる自分が何なのか。そもそもこの人格も私のものか定かではないし、それを言ってしまえば“あちらの世界”なんてものは最初からなくて、頭がおかしい狂人の可能性だってある。


 ここに私を知る人間がいない以上、私を必要としてくれる人間がいないならば、どうして単身ここに来てしまったのか。それとも脚立から落ちたときに植物人間になって病院のベッドの中で長い夢を見ているのかもしれない。


 けど夢ならば結構良い夢だ。一人で眠り続けるよりも、ずっと良い。


【俺や、マーガレット達を置いて……いなくなるのか?】


【もしもだ、もしも。いつそうなるかは私にも分からないし、そうならないかもしれない。どの道オリバーさん達にいつまでもご厄介になるわけにもいかない。私みたいな身元も分からない人間をずっとは置いておけないだろう? お前だって結婚するかもしれない。マーガレットだってそうだ。ほらな、可能性がない訳じゃないだろう?】


 自分で言っていて気付いた。そういう可能性があることに。そしてもしもそうなってしまえば、私は独りになる。こちらの世界で私だけが、その避けようのない可能性に絡め取られてしまうのだ。


 それを考えると正直落ち込むがしかたがない。この状況を楽観視できるほど私はもう若くなく、かといってすぐに死ねるような歳でもない。だったら、答えを先延ばしにしては駄目だ。


【私にとってのお祭りはさ、いつも始まる前が一番楽しくて、いざ始まってしまうともう終わることを哀しく感じるものなんだ】


 ――今日みたいに。今みたいに。


【だからあれだ、もしそうなったら仕事の口利きはしてくれよ?】


 冗談混じりだ。だってもしも本気で聞いて笑われたら堪らない。それを一緒に笑い飛ばせる自信が私にはないのだ。意気地がないと言われればそれまでだけど、私の知っている世の中はこんなに優しい場所じゃなかった。


 明日から“お前の変わりが見つかったから”なんて言われる前に離れてしまう方がずっと良い。


 全然駄目になった時に良かった頃の記憶はとても役に立つ。自分を生かし続けるためにも、馬鹿親父やここで過ごした日々、朧気な母の思い出はきっと最高に役に立つだろう。


【はい、私の話はこれで終わり。ご静聴ありがとうございました】


 今、スティーブンに黒板を向ける私の顔が照れ笑いになっていると良い。そう思っていたのだが、スティーブンの表情を見るにちょっと自信をなくしてしまう。


【そんな顔するなよ。可愛いだろうが】


 そう書き込んで、いつものように手を伸ばす。


 しかしその手がスティーブンの頭を撫でることはなく、私はまたしてもスティーブンの腕の中におさまってしまったのだった。



*******



【お前のそのすぐ人を抱きしめる癖、絶対どうにかした方がいいぞ】


 腕の中で彼女がもう何度目になるか分からない文句を見せてくる。しかしスティーブンは全く聞いてやる気などなかった。


 一方的にこの後の身の振りようを考えていると言われれば、スティーブンでなくとも彼女と交流のある人間であれば誰だって腹を立てただろう。人の機微に聡いように見えておかしなところで鈍い。


 彼女はそういう困った特性を持っているのだ。


【お前も、何か話すことがあるんじゃないのか?】


 文句を消して新たに書かれた文字にスティーブンは息を飲む。ああ、やはり。彼女はそういう特性を持っているのだと。


【ここはお前の中で安全だから連れてきたんだろう?】


 続けざまの文字にスティーブンは溜め息をついた。それを気にしたトモエが上を向こうとするが、バーラムに乗っていた時のように顎で押さえるつける。


 忘れてくれていれば良いものを、彼女はここへ来る前にスティーブンが黒板に殴り書いた言葉を憶えていたのだ。


【言いたくないことなら無理に話せとは言わない。けどな、これだけは言わせてもらうぞ?】


 彼女の頭に顎を載せたまま、チョークが黒板の上をせわしなく走るのを見ている。そうして続く彼女の文章に、スティーブンは抱きしめる腕にさらに力を込めた。腕の中で彼女がバシバシとギブアップ宣言をするが気にしない。


【あんまり見くびるなよ? この先何があったって、私はお前の味方だ。絶対に私からお前を見限ることなんてない。だからさぁ、あんまりため込むなよな?】


 そう書かれた黒板。それを見た途端、そうする以外に心強いと伝えられない気がしたからだ。諦めたように溜め息を吐きながらも、彼女は腕の中から逃れようとはしない。それが彼女なりの意思表示なのだろうが、何とも男らしいことだ。


 彼女の国の女性はみんなこんな男気が強いのだろうか。だとしたら彼女達を相手にする男達はどれだけ頼りがいのある猛者達なのだろうか……?


 そんなことまで考えてしまうくらいに、スティーブンにとって彼女の言葉は心強かった。


【今から書く内容に耐えられなくなったら、遠慮なく俺を殴ってくれ】


 自身の少し震える文字が黒板に並ぶのを、スティーブンは何とも情けない気分で見つめた。それを目で追っていた彼女が腕の中で頷く。


 こうして暖炉の前に二人して陣取る聖誕祭はこの先もう来ないかもしれない。そう思うとせっかく奮い立たせた心が萎えそうになったが、見くびるなと書いた彼女のことをもうこれ以上だまし続けるのは耐え難かった。


 小刻みに震える手に彼女の手が重ねられる。そこでふと、以前に感じたことが確かであったのだと確信した。


(俺は弱くなったのか……)


 そう思ったスティーブンの手を、彼女の手が握る。マーガレットには後で謝らなければならないだろうし、オリバー達にもだが、その他にも屋敷の使用人達にもこれ以上隠すのは無理だ。


 何よりも、もう彼女を日陰者のように扱いたくはない。叔父のウィリアムに会わせたときのようなことがこの先いつあるか分からないからだ。だが結局そんなものは全て言い訳にしかならない。


 腕の中にいるこの異国の風貌を色濃く感じさせる彼女に――。


(嫌われるのはごめんだ……)


 手の甲しか隠せないその手を見て、そんなことを考えていた。



*******



 “ああ~……確かにこれは、言い辛い話だろうよ”。それがスティーブンの説明を読み進める間に私の感じた感想である。


 かなりの時間とチョークを使って語られた内容は、一般家庭の少し下くらいに位置していた三十一歳の独身女には“ああ、なる程。了解~”とはならない次元の話だった。


 正直、手に余る。余りまくると言って良い。頭はすでに許容量をオーバーしていた。元々あまり難しいことは考えたくない甘えた脳味噌なのだ。しかしさっき黒板に書いたのも本音なので何とか飲み込もうと唸る。


 それにあんなに手が震えていたのだ。きっと相当勇気がいったことだろう。そもそも私がもっと気をつけて周りを見ていれば、とっくに気付いていた事実だって沢山あった。


 年下のスティーブンに全部抱え込ませていたからこそ、私の生活は平穏無事であったのだ。それを考えると申し訳なくなる。


 父親と母親を相次いで亡くし、歳が離れすぎた妹をどう扱ってやれば良いのか分からず、金遣いの荒い身内に金銭をたかられ、残された領地を守らねばならないのに、さらに異世界から訳の分からん女が来た、と――。


 一人の人間にこれだけの仕事量は積んでるだろうよ。これでは確かに誰でも良いから抱きしめたくなるはずだ。まだ二十五歳の若手が背負わされる案件としてはまず間違いなく過労死ラインだもの。

 

 綴りきったスティーブンは疲れたのか、さっきから肩に埋めてジッとしている。私は思わずその頭を撫でた。スティーブンが最後に黒板に書いたのは【騙していて、すまなかった】だ。


 ……そんな意地らしいこと書かれたら怒るに怒れないだろうが。


 撫でている私の手にスティーブンがすりよる気配がして、心持ちいつもより優しく髪を梳くように撫でてやる。うっすらと肩に温かい水が染みてきたけど、今はこのままにしておくか。


 弟分だなんてとんでもない。毎日ギチギチに詰まったスケジュールの合間を縫って私に会いに来ていたのも、誰かにもたれかかって安心してみたかったからなんだろう。そう考えるといよいよ意地らしくなってしまった私は、その頭を自分の頬に抱き寄せた。


 ―――大丈夫だ、守ってやるから。


 そんな想いを胸に、取り敢えずはあの見た目倒れの男を殴ろうと心に決めた。こんなになるまでいびり倒して、挙げ句に妹まで奪っていってしまうとは何事か。うちの奴を泣かせるなんて絶対に許さん。


 こんな時でも女らしくない報復しか考えられない私を知ったら、スティーブンやマーガレットはどんな顔をするだろうか? 世間では今まさに聖なるこの日を祝っている最中だろう。でもそんなの関係ねぇ。


 日付が変わって新年を迎えても、頭の中ではあの男にどうやって土下座させようかと思案する私であった。

 

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