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2-6   年末の行事って大掃除以外ありました?



 マーガレットからの手紙を外で読むのもだんだん厳しくなってきた私とスティーブンは、最近は専ら図書室で会うことが増えている。


【なぁ、まだ怒ってんのか?】


 手元にあるマーガレットからの手紙には、誕生日パーティーでちょっとした手違いはあったものの、贈ったバラの苗が順調に大きくなっているという内容のものが届いていた。


【恥をかかせたのは悪かったって、何度も謝ったじゃないか】


 本当に悪かったと思う。この歳で迷子になる気はこっちにだってさらさらなかった。開き直るわけではないが、過去のトラウマの一つや二つは誰にでもある。ニンゲンダモノ。


【またその話か……何度も書いたはずだぞ? 俺は別に怒っていない】


【いや、だって何かこの話避けてるじゃないか】


【それはまぁ、そうかも知れんが――別にして楽しい話でもないだろう】


 カッカッ、と静かな図書室にチョークが黒板を叩く乾いた音が響く。暖を取るために背中合わせで座っているので、少し身体を捻ればすぐに相手の黒板がのぞける距離だ。


 以前スティーブンがここにある暖炉に薪を気前よくくべようとしたので止めた。こいつはただの家庭教師のくせに時々驚くほど図々しい。


【ゲッ、】


 私が手応えに違和感を覚えてそれだけ書き込んだ黒板。直後にピシッと微かな音を立てて綺麗に真っ二つになってしまった。


【経年劣化だな】


 私の手元を覗き込んだスティーブンが自分の黒板にそう書き込む。


【そんなことは言われなくても分かってるよ。でもそんな】


【数ヶ月で割れるとは思わ、】


 半分になってしまった黒板に、仕方なく切れ切れに文字を書き込んだ。すぐに自分の黒板が埋まってスティーブンの黒板を借りる。


【ないだろう? 第一、お前のは割れてないじゃないか】


 その不満だらけの文字にスティーブンが頷く。そして私の文字を消すと、考えてみれば当たり前な答えを書き込んでくれた。


【使用頻度と、使用人数、あとはトモエの筆圧じゃないか? 黒板が凹むとはどんな力で書いたんだ】


 眉根に皺を寄せたスティーブンが見せる黒板の文字に、そういえば職場でも同じことを言われた記憶があるなと納得する。パソコンのキーボードも駄目にした指の力だ。子供用の黒板など取るに足らない相手だったらしい。


【思い当たる節があるようだな】


 年下から呆れた表情で指摘されると正論でも妙に腹が立つ。いや、確かに私が悪いんだが。


【あるよ。ありますよ。だってオリバーさんとかジェームズとかにも貸すし、エマさんと食事の支度するのに黒板二枚置く場所ないしさぁ】


 だからしようがないだろうと、スティーブンの黒板を借りて書き込む。それを見ているスティーブンからはさっきまでの拗ねた雰囲気がなくなっている。


 こうなってくるとある意味良いタイミングで割れたと言えなくもない。最後までありがとう、相棒。


【まあ、確かにそうだな。俺の黒板はお前とこうして会う時間以外には使用しない。筆圧を差し引いたとしても割れるのは時間の問題だったんだろう】


 急に物分かりの良いことを書いてくれる。どうしたのかと思って顔を覗き込むと、一瞬ギョッとした顔をしやがった。おい、お姉さんは軽く傷付いたぞ……?


 そんな気持ちが表情に出てしまったのかスティーブンが黒板に何か書き込む。その音が意外と長いのでこれは説教パターンだな、と渋い顔になる。


【前々から言おうと思っていたが、トモエは気を許した相手に無条件に近付きすぎる。そのせいであの日も……いや、あれは不可抗力だな。とにかくこの国の女性はあまり無闇に人の顔を覗き込んだりしない。慎みはお前に似合わないから必要ないが、危機感は持つべきだ】


 うわ、長っ!? しかも文字が細かい! と思ってしまった私は悪くないはず。あまりの文字数に読むのにも時間を多少くいそうだ。眉間に皺を寄せて黒板に顔を近付けると、スティーブンはしまったなという顔をした。内容を読んでその表情を察する。


【慎みの部分は、許そう。けどな、人のこと馬鹿だと思いすぎだろう?】


【この際だからはっきり書くが、私は年上なんだぞ。お前より】


 この場面で格好がつかないなと思うものの、一度消して書き直す作業を繰り返す。面倒だけどスティーブンの黒板を今消すと絶対揉めそうだしなあ。


【人生経験はあるんだから、心配すんな。近付く相手はちゃんと選んでる】


 決まらない。この現状でこの言葉に説得力はあまりなさそうだ。私はそう思ったけれどスティーブンは複雑そうな表情からどこかホッとした表情に変わる。何だ、馬鹿にしてたのではなく純粋に心配してくれていたのか。


 背中合わせのままその頭をくしゃりと撫でると、溜め息混じりの苦笑が返ってきた。笑みを返すと背中にかかる体重が重くなる。


 ――暖炉の火は小さくとも私達の背中は暖かだ。



*******



 全く人の気も知らないで、とスティーブンは思う。


 背中の体温が伝わりあうくらい人と距離を詰めるなんて、この国でなくともそうないはずだ。けれど同時に最初の頃を思い出せば随分と打ち解けたものだと、自身の変わりぶりに驚いてもいた。


 笑みを返されて体重を預ける。こんな簡単なことを今まで誰とも共有したことはなかった。それだけに不安も募る。前回のマーガレットの誕生日パーティーではその心配が大いに的中したのだから。


(……あれであの叔母上が諦めたとも思えん)


 翌日は長居をせずにウィリアムの屋敷を離れたが、別れ際のエミリーのあの表情が妙に引っかかっていた。


(欲しいものは人でも物でも集めるのが商人だと豪語してやまない人だからな)


 無能なウィリアムとは違い、金遣いが粗い以外はエミリーは有能な商人だ。有能で、ともすれば慈悲もない。柔らかな印象だけのあの二人はとても似合いの夫婦だと言える。


(この温もりだけは渡せない、か)


 考え込んでいたスティーブンの背中が不意に重くなった。顔だけでそちらを伺えば、口を開けて眠っているトモエの顔がある。言った傍からのこの行動に呆れて、けれど彼女らしいと笑ってしまう。


 何日か前に暖炉に薪をくべようとして怒られたことを思い出す。ヘクトの三十九日も過ぎればグッと冷え込みは増すのだが、彼女に言わせれば“その寒い最中に薪を割る人間の身にもなれ”と。


 そんなことを言われたのは初めてだったが、確かに自身が彼女に会いたいが為に使用人の仕事を増やすのもどうかと思えた。


 当たり前であり、当たり前でない。この屋敷内どころか、この辺りの領地内でもそんなことを教えてくれるのは彼女だけだ。領主であり、当主である以上それは仕方のないことだったが最近は以前と違うものも感じる。


 相談をする相手が、誤りを怯えずに指摘してくれる相手がいないのは寂しいと。これまでは何も疑問に感じなかった執務の内容も、屋敷内で働いている使用人への態度も少しずつではあるが変わってきた。


「お前と出会って、私は弱くなったな」


 口を開けて眠るトモエに声が届くとは思っていない。思っていないからこそ言えるのだ。


「そういえば、もうすぐ聖誕祭か……」


 そんなに信仰熱心ではないスティーブンはいつもなら気にも止めない行事をはたと思い出す。手元にある割れた黒板と彼女の寝顔を交互に見つめ、一人頷く。


「友人に物を贈るのにはまたとない行事だな」


 ポソリと漏らした彼の独り言に突っ込む人物は誰もいない。



*******



 うーん、と私が頭を悩ませているとオリバーさんが【どうした】と心配してくれる。今日は以前私が話した冬の手入れ――割れやすい幹に秋の収穫のあと干して乾かしておいた小麦を束ねて作ってみた、コモを巻くというのを実践していた。


 冬の庭仕事は簡単かと思うかもしれないが、意外にも忙しい。特にこの公園はリーフガーデンと呼ばれる緑を中心にした構成だ。春の新芽を芽吹かせる為にはこの季節の剪定が重要な役目を持つ。


 宿根草のキャットミントやまだ残っている西洋ススキと呼ばれるパンパスグラスなどは根元からバッサリ切ってしまう。


 木の中に潜って冬を越す害虫も今日のコモ巻きで捕れる種類と、すでに潜っている害虫では対処に差が出る。特にバラの木などのカミキリ虫は幹の中に薬を流し込んで殺しきらなければ翌春にバラを枯らしてしまう。


 このように、いろいろと気を回さなければならないのだ。


 そういえば落葉し始めたこの頃、この公園の奥に大きな建物が見えるけど、あれは何なのだろうか? マーガレットのいたお屋敷かとも思ったけど個人の邸にしては大きい。それとも日本基準だからそう感じるのだろうか?


 ――ともあれ。


【いえ、大したことじゃないんですけど、】


【さっきジェームズに教えてもらった行事が、】


【私の国であった行事と似てるなぁって話をしてて、】


【だったら何か親しい人に贈り物とかできるかと……】


 まぁ、これはこれで悩みではあるのだが、慣れたら良いかなとそのままにしている。それよりももっと大切なことに、割と重大なことに直面していたのだと知ったのだ。


【――その、お金をかけないで】


 そう、給料。もっというなれば生活費。お小遣いをもらったことはほとんどないので省略できるが――。ようするに私はこっちへ来てからお金を稼いだことがないのだ。それもただの一度も。


 働かざるものに当てはめれば、手伝い程度だが働きはしていたので食べていた。しかし、物を買うという場面に遭遇したことがない。オリバーさんの家と公園、スティーブンと会う以外に外へ出る用事がないからだ。不便がないからすっかり慣れていたが、考えてみれば異常である。


 そんな私の悩みが意外だったのか、オリバーさんは一瞬目を丸くした。


【すっかり忘れていたよ。何せ小遣いをもらったのは随分と昔だから】


 照れ笑いを浮かべて【すまないね】というオリバーさんに私は慌ててそっちじゃないと訂正する。というかこの歳でお小遣いは嫌だ。


【お世話になっている人の筆頭はもちろん、】


【オリバーさんと、エマさんですから!】


 それにたまに昼食を作らせてくれるジェームズに、馬丁のジョン。妹みたいに可愛いマーガレット。あとは……。


【若い男性って何を貰うと嬉しいんでしょう?】


 素朴な疑問のつもりだったのだがオリバーさんは今日一番、というか出会ってから一番の驚いた表情を見せてくれた。確かに歳の数=恋人いない歴の私がこんなことを聞く日が来るとは、自分でも想像していなかったけど……。


 オリバーさんは今日の仕事をあっさりと切り上げて【エマと相談すると良い】と言ったきり、自分はどこかへと出かけてしまった。その夜遅く帰ってきたオリバーさんはご機嫌で、理由を聞いても答えてくれないのだった。


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