2-5 髪飾りの効果のほどは……?
スティーブンとマーガレット、それとあの顔はやたらと整っているのに底が知れない男が一斉にこちらを向くものだから、私は再び逃げ出したい気持ちになった。金色の妖精さんが私を庇うように立ってくれなかったら、間違いなく逃げ出していたに違いない。
それにしてもこの妖精さんはあの男と知り合いなのだろうか。こんなに良い人そうなのに、もしや言葉が通じると残念系か――? 身体がここから逃げられないぶん、精神が現実逃避したがっている。
「トモエェェェ!!」
ぼんやりとしていたところにマーガレットが突っ込んでくるものだから、私は思わず本当に意識をなくしてしまうところだった。
「あ、あ~あ~……。ごめんマーガレット。そんなに心配したのか?」
「あ、あ、当たり前じゃないトモエの、バカァ~!」
せっかくうっすら施して貰っていたお化粧を全部流してしまうくらいにマーガレットが泣いてくれるものだから、思わず私までもらい泣きしそうになる。実際迷子になって怖かったし。
周囲の客はよくしつけられたもので、こういう時に好奇の視線は向けても声はかけないようだ。そのせいかマーガレットは存分に泣いている。でもこれでは祝いに来たと言うよりいじめに来たみたいだ。
居心地の悪さにチラリとスティーブンを盗み見る。こちらは無反応なだけにより怖い。そして何よりも私が怖いのはあの男なのだが……あちらはあちらで何やら妖精さんに怒られているような?
「トモエ、もう、どこにも行かないで。今日は、わたしと、一緒にいるって約束して!」
おぉ、こっちはこっちで大人っぽさをかなぐり捨てていらっしゃる。癇癪を起こしているマーガレットを宥めようと背中をさすっていると、スティーブンが近付いてきた。良かった、さすが元・家庭教師。この場をおさめてくれるのか!
――が、直後に私は“スティーブンお前もか!”と叫びそうになる。
腰元に泣くマーガレットをぶら下げ。そのマーガレットごと上から私を抱きしめるスティーブンに潰され。その横で妖精さんがあの男を怖い顔で叱りつけ。顔立ちだけは優しそうなあの男が許しをこう。
“――何なんだ、コイツらは……”と、そんな表情の来客者からの視線を唯一素面の私が真っ正面から注がれる。はっきり言ってこっちが聞きたいくらいだよ。
それとも年上が一人で逃げ出したせいでこの二人が怖い目にあったのか?だとしたら許せんが。
そんなことを考えていたら無意識に二人を抱きしめていたらしい。スティーブンとマーガレットの視線に、最初にやってきたのはお前等だろうと言いたくなる。しかも妖精さんと優男までもがギャラリーになっていた。
視線が私一人に集中する。カッと頬に血が上った。あれ、これは私がおかしいのか? そもそもいつの間にみんなして素面に戻っているんだ、ズルいじゃないか。色々と言いたいことはあったが逃げ出して心配をかけた手前、ここは一つ私が大人にならなければと思い直す。
「あのな、マーガレット」
「なぁに、トモエ」
ひどい涙声に心が痛みまくる。しかしここは言うしかあるまい、あの言葉を。私はスティーブンを引き剥がし、マーガレットの視線に高さを合わせて言った。
「――ごめん、プレゼントが行方不明なんだ……」
そんな格好が付かない私の言葉に吹き出したのは、言葉の分かる小さな友人だけだった。
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エミリーの後からついてきたのは確かにトモエだった。けれど駆け出して行った彼女とは違う。その瞳の中にさっきまであった翳りはない。ただバツの悪い顔をして周囲を気にしている。
けれど今、大切なのはそこではない。彼女が無事にここへ戻ること。スティーブンとマーガレットにしてみればそれだけでもう充分だった。
直後に彼女に突進していったマーガレットと違い、スティーブンは公の場での醜態をさらして叔父を喜ばせてやる義理はない。困った表情で必死にマーガレットを宥める彼女を見ていると、その視線がスティーブンと絡んだ。
叔父のウィリアムに花を持たせてやる義理はない。ないはずだ。あってはならない。だというのにその足は勝手に彼女の元へ歩き出してしまう。
近くで見るトモエは明らかに困り果て助けを求めていたが、スティーブンは腰元にしがみついているマーガレットに一瞥をくれると、その上から覆い被さるようにしてマーガレットごとトモエを抱きしめた。
腕の中でトモエが身を固くしたが、知ったことではない。視線がどれだけ自分達に集中しても今だけは絶対に離すまいと思う。だが、意外にも彼女から抱きしめ返されてスティーブンは驚いた。それはマーガレットも同じだったようで下から見上げる目は驚きに見開かれている。
当の彼女はそんな顔をされるのが心外らしい。軽く睨まれた。
いったんマーガレットに向かって何事か話していた彼女の言葉を、当然この会場内の人間が分かるわけもない。興味を掻き立てられるのは分かるが、それにしてもあからさまに周囲のざわめきが一瞬小さくなる。
その直後に泣いていたマーガレットが笑い出すものだから、周囲の人間だけでなく身内のウィリアムやエミリーまでもが不気味なものを見る目になった。
だが当のマーガレットはご機嫌になった様子で、目尻の涙を拭うとエミリーに向き直って説明を始めた。
「――と、いうわけなんです。お母さま、ご存じありませんか?」
マーガレットの説明がすっかり終わると、エミリーは微笑んで……首を横に振る。その素振りで察したのか、トモエははたから一目で分かるくらいに肩を落とす。今日はドレスを着ているせいか、いつもより大人しそうに見えるから気の毒な度合いが増した。
「あらあら、そんなに大切な物だったのね。大丈夫よ、きっとどこかに紛れてるだけだから、ね?」
トモエの頬を両手で包み込むようにして上向かせるエミリーに、マーガレットも力強く頷いた。そう二人に励まされた彼女は曖昧な表情を浮かべるが、その目がウィリアムとスティーブンの間をふらついている。
「ねぇ、それよりもこの子、違う国の言葉を話すのね? 初めて聞いたわ、あんな複雑な発音。しかも女性の園丁さんだなんて」
ふと、エミリーの鳶色に金が混ざった瞳が細められた。それを聞いたスティーブンはエミリーからトモエを引き剥がすと自身の背後に隠す。
「あら、わたくしまだ何も言っていないのに。ヒドいわぁ」
人懐っこそうに微笑んだエミリー。その笑顔を向けられた瞬間、背中に冷たいものが走る。エミリーの変化に気づいたウィリアムは、まだこちらを観察している招待客を会場の中心へと導く。こうなった妻が面倒ごとを言い出すのを一番知っているのは、他でもない夫である彼だけだからだ。
「叔母上の言葉を聞かずとも分かりますよ。彼女は私の屋敷の園丁だ。しかもまだまだ未熟者だ。外にお貸しすることもお譲りすることもままならない状態ですので、その手の話ならばお断りさせて頂きます」
静かに、けれど有無を言わせぬスティーブンの強い言葉に、背後のトモエが不安げな表情で見上げてきた。スティーブンはその視線を受けて、安心させるために“大丈夫だ”と目配せする。
「……ふぅん、そう。その子にリコリアの髪飾りをあげたのはあなただったのね?」
「ええ、こういうこともあるかと思いましたので。念のための保険です」
「あら、そうなの? でも不思議ねぇ、今までいくら誘っても領地から出てこなかったあなたが、妹の為とは言えこんなところに出てくるなんて」
「彼女は妹と私の共通の友人ですので、祝いたいと」
「あら、イイコね? わたくしそういう義理堅い子好きよ」
エミリーとスティーブンの攻防を泣きそうな顔でマーガレットが見守っている。マーガレットにしてみればどっちを応援しても角が立つから援護ができないのだ。
そんな中、空気を読まない人物がたった一人いた。背後から服を引かれたスティーブンがバランスを崩してたたらを踏む。その間少しだけ低くなった姿勢を見逃さずに彼女の手が伸びてきた。
“大丈夫、今度は逃げないからな”そんな意思表示なのか、不自然な姿勢のまま固まっているスティーブンの頭をトモエがガシガシと撫でる。スティーブンが何か言おうと口を開こうとするより早く、それを見ていたエミリーが声を上げて笑い出したのだった……。