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2-4   あなた様は、どちら様。



 こちらに来ようとしたトモエとの間にわざと割って入る人物がいた。トモエもあからさまな進路妨害にこちらを見て戸惑っている。


「叔父上……」


 その人物は濃い色の栗毛と、マーガレットと同じアイスブルーの瞳を持った、一見すると線の細い優しげな優男だ。だがその性格は見た目を裏切る人物であることは、スティーブンが誰よりも知っている。


 よりにもよってこのタイミングで一番会いたくない人間に会ってしまったことに、スティーブンはげんなりした。


「どうした? せっかくマーガレットの誕生会に誘ったというのに、何故こんな所で立ち止まっている?」


 周囲からの好奇の視線が分かっているだろうに、相変わらずイヤミな物言いをするウィリアムをスティーブンは正面から睨む。


「おお、久し振りにその目で見られたな。怖い怖い。何、こんな所で立ち止まっていると他の招待客の方々が入って来られないだろう? もっと奥の方まで来ないか? 良かったら最近の近況でも聞かせてくれ」


 ニコニコと一見愛想が良さそうに接してくるが、そうではない。値踏みする視線に実の叔父も加わるとは。全く呆れ果てた男だが、今では妹の養父である。


 そしてこのウィリアムは妻のエミリー共々マーガレットだけは目に入れても痛くないほど溺愛しているのだ。


「お父さま……皆さんが見ていますわ。ここでは何ですから、奥に参りましょう?」


 心配しているのか、マーガレットも後ろからそれとなく口添えする。


「そうだなマーガレット、そうしよう。ただ――」


 マーガレットとトモエに背中を向けていたウィリアムが、振り向いて放った言葉にその場が凍り付いた。


「お前の兄が連れてきた、そのみっともない使用人は直ちに部屋へ帰さないとな」


 頭に血が上ったスティーブンが詰め寄るよりも前に、言葉が分からないはずの彼女がビクリと肩を震わせた。様子がおかしい。そう思った時にはウィリアムに一礼して走り去る彼女の背中が見えた。


 履き慣れないヒールで走るほどの何かが彼女の内におこったのだろうか?


「トモエ!?」


 横をすり抜けていくモスグリーンのドレスを掴もうとマーガレットが手を伸ばしたが、その指は虚しく空を切る。


「待ってトモエ! 一人で行っちゃダメ!」


 慌てて追いかけようと反転したマーガレットの肩をウィリアムが掴む。


「こらこら、我が家のお姫様。どこへ行くんだ?皆さん今日は君のためにここへいらしてくれているんだ。主役の君がいないと駄目だろう」


「金の無心を止めたかと思えば……叔父上、貴方はつくづく見下げ果てた男だな」


 吐き捨てるようにスティーブンが言うと、ウィリアムは傍目には美しい微笑を浮かべて言った。


「お前のそんな顔を一度でいいから見てみたかったんだよ。ほら、お客様方が奥でお待ちだ。一度くらい妹の為に何かしてやったらどうだ? スティーブン・クロムウェル・セントモーリス伯」


 マーガレットにこの先に起こる事態を見られないよう、案内のものにその身柄を引き渡す。必死に身体をよじって兄の方を見ようとするマーガレットを案内を任された使用人が奥へと導く。


 それを見送った後にスティーブンに向けられたウィリアムの顔は一瞬憎悪に彩られ、すぐにかき消された。


「君の為でもあるんだ。あんな女、お前の肩書きを考えれば侍らせて良いわけがないだろう? もっと当主である自覚を持て。社交界に出す前にお前のせいでマーガレットの評判に傷を付けるな」


 始めの諭すような声音が一変する。一歩ずつスティーブンとの間隔を詰めたウィリアムはスティーブンの肩を引き寄せ、その耳元にソッと囁いた。


「お前や、お前の父が、わたし達にした仕打ちを忘れてのうのうと幸せそうな姿を見せるなど、反吐が出る」


 スティーブンは歯噛みした。自分の浅はかさと叔父のウィリアムの狭量さに。マーガレットはウィリアムに領地でできた友人であるトモエのことも話していたに違いない。


 そして賢いとは言っても、まだ十歳になったばかりのマーガレットはトモエのおかげで兄妹仲を改善できそうであり、それを養父と兄の不仲改善にも一役かってくれるとでも言ったのだろう。


 ただ、まだ十年しか確執を持っていなかったマーガレットと先代からの確執を持っていた叔父とではその感覚に大きなズレが生じたのだ。


「子供ではないのだからさっさと挨拶周りをしてこないか。これ以上叔父さんに恥をかかせないでくれ。それと、お前に相応しいお嬢さん方も奥でお待ちだ」

 

 傍目からは仲の良い甥を諭すようにかけられた言葉はその実、有無を言わせない圧力を持っていた。楽しげに細められた目は、ここからトモエを追いかければさらに彼女の人格を貶める噂を吹聴する気に違いない。


「――承知した……」


 後ろ髪を引かれる思いで、スティーブンは陰謀渦巻く社交の場へと飲み込まれていった。



*******



 気がつくと私はいきなり現れたあの男に背を向けて、一人で廊下を走っていた。違う、逃げたんじゃない、こんなのはただの思い過ごしだ。そう頭の中で何度も情けない言葉を繰り返す。


 誕生日プレゼントを忘れたからだ。忘れたと言うよりも、馬車から下りたときに取り上げられたからだ。“こんなものを持ち込ませてなるものか”そう屋敷の人間の顔に書いてあった。


 でも、今日の私にはあれがいるんだ。


 だってマーガレットに約束したから。本当はまだ今年の分は摘花しなければならないけど、せっかく初めてついた蕾だ。一緒に接ぎ木をした中に、四季咲きの特性を持っているバラがあって良かった。


 あれが、いるんだ。


 場違いなあの場所に、私みたいな人間が踏み込もうとするのなら。


 頭の中で繰り返す。逃げ出した理由を探し出そうと必死に考える。


 そうだ、私は逃げたのだ。あの煌びやかな空間から、あんなに嬉しそうに出迎えてくれたマーガレットから、それに……こんな残念な私をエスコートしてくれたスティーブンからも。


 最後に見たスティーブンの顔を思い出す。年上なのに尻尾を巻いて逃げた私を二人はどう思っただろう?


 そう思いはしても、私の足は止まらない。遅れて到着した招待客の数人が会場と反対に向かって走る私に怪訝な目を向けたが気にしなかった。あれはさっきあの男に向けられた視線とは違う。


 でも――……あの男の目は駄目だ。あれは、私の良く知っている目。命令することに慣れた人間のそれだった。あの目に睨まれるのは嫌いだ。あの目は私をとても臆病な人格に戻してしまう。


《ちょっと、どういうことなのよ。今日の作業員の中に女の人がいるんだけど?》


《女ぁ? ふざけんな、女の職人に金なんか払えるか。どうせ力もないし、すぐに男の職人に泣きつくんだろう?》


《え……お手洗いを貸して下さいって――ねぇ、あなたその格好で家に上がるつもりなの? 男の人の職人さんはそんなこと言ったことないわよ?》

 

《女性がいるのをアピールして仕事を取ろうって、お宅の会社どうなってるの?》


《《《《――ああ、これだから――》》》》


 ――嫌だ、止めろ、止めて、違う――……。


 職人なのだから性別は関係ない。男の人と力に差はあっても、同期入社の男の職人と私の腕に差はない。胸を張ってそう言いたかったあの日々を、私はいつも、唇を噛んでただ謝った。


《気にすんな、職人っていうとお客はみんな男だって思い込むんだから》


 そう言って励ましてくれる同僚の中で、私はいつも惨めだった。


 どうして女だといけないんだ。どうして私だといけないんだ。どうして技能検定の結果は同じなのに、同僚の男ばかり連れて行くんだ。


 ――どうして、どうして、どうして、どうして。


《お前が刈り込んでくれるようになってから家の庭木が嬉しそうだ。見てみろ、去年より梅の花が咲いた。ありがとなぁ、巴。雲の上から母さんがこの庭を見たらびっくりするぞ》


 だから、今日の私には絶対にあのバラの苗木が必要なんだ。


 心を込めて手入れすれば、花も木も私が女でも認めてくれる。


 いつの間にか私は脱いだ靴を手にしたまま、随分屋敷の奥に来てしまったらしい。右を見ても、左を見ても似たような廊下だ。確か真っ直ぐに走ってはこず、人を避けて来たような……。


 肩で息をしながら身体に張り付いたドレスに風を送り込む。三十一歳の全力疾走程度でそこまであの会場から離れたとも思えない。似たような廊下から脱すべく歩いて、だいぶ冷静になってきた頭で私はここが一種の回廊式になっているのではと気付いた。洋館には多い造りだし。


 と、いうことは……。


「この辺に、小さい、中庭が、あるかも、な」


 回廊式は日本庭園にもあるもので、建物から建物への移動をする間に見られる中庭のようなものだ。


「あのバラ、もしかしたら、ある、かも」


 希望的観測だが、そうそう花のついたバラの木を捨てる人間なんて……いない、はずだ。


 しかし脳裏にあの男の顔がチラつく。マーガレットと同じアイスブルーの瞳に一見すれば柔和な顔立ちの優男。ただのブルーなら外人にも多いがアイスブルーは珍しそうだ。おそらくマーガレットの血縁だと思うが中身は全く似ていなさそうな印象を受けた。


 もしもあの男がこの屋敷の人間で、おまけに主だったとしたら――。


 私は心血を注いだ可愛いバラが無事であることを祈りながら中庭を探す。


「よし、やっぱりな」


 思った通り、そこには本来なら家の人間やごく親しい者しか入れないのであろう見事な中庭があった。サクリと素足で芝を踏む。


 固い廊下を駆けた足の裏を優しく包んでくれる芝に感謝しながら、見つかったら怒られるだろうなと覚悟する。けれど手入れの行き届いた庭園は季節も盛りの秋バラで溢れ、それこそ夢のような光景だ。


 一般的に秋バラは春バラよりも色が濃くて大きなものが多い。イングリッシュガーデンは本来こうあらねば。いつも手入れをさせて貰っている公園を思い出してそう感じてしまう。アーチに連なるバラの花々は重たげに頭をたれて、下を歩く人間にその香気を惜しげもなく振りまいている。


 しかし地面の花々だって負けてはいない。高貴な深紅に清廉な白、奥ゆかしい薄桃に、輝くばかりの黄。ピンと背を伸ばして咲き乱れる様は素晴らしいの一言では言い尽くせない。


「良いな~、こういう庭。憧れるんだよな、日本庭園にはない華やかさで」


 さっきまで沈んでいた気分もいくらか明るくなる。この屋敷の奥さんの趣味だろうか? この庭はバラの花が主役のようだ。それにともなって他の植物の種類がちょっと少ない気がする。


 この国の人達に言いたい。バランスは大事だよと。


 しかしここまでバラを愛している人ならば家人にもそう簡単に処分はさせないだろう。これでまだ捨てられていないのではないかという、一種の祈りじみた淡い希望が持てたその時だ。


『あらあら、貴女こんなところでどうなさったの? マーガレットの誕生日パーティーはもう始まる頃よ?』


 あ~……今日はつくづくツイてない。背後から突然かけられた女性の声に、私は観念して振り向くほかなかった。


 声ののんびりした感じから何となく分かっていたが、振り向いた先にいた人物は、ややふくよかなご婦人だった。女性はさっきの会場内でも絶対に見劣りしない胸元が大きく開いたデザインの金色のドレスを纏っていた。


 ただデザインの割には健全というか、嫌らしさを感じない。どうやらドレスを着こなすのには、内側から溢れるオーラとやらも大きな仕事をしているらしかった。


 可愛いと言っていい顔立ちにドレスと同じ金色のフワフワブロンド。鳶色に少しだけ金を混ぜたような大きな瞳。まるで金色の妖精。第一ドレスのまま庭に出て、しかもその胸元いっぱいに自分で摘んだらしいバラを抱えているのだ。庭をいじる者としては悪印象を持てない。


『あら? あらあら! 貴女その髪飾り、やっぱり会場から来たのね? 今頃お相手の方が探しているわよ?』


 それにやたらと友好的――なのかは言葉が分からないから判断できないが、それでも世話焼きな人らしい。やたらと私の髪飾りを気にしている。


『う~ん、貴女、もしかして大きいのに迷子なのかしら? それで恥ずかしくて口をきかないのね?』


 一方的に話し続けた女性は何を思ったのか私の手を掴んだ。


「え? え?」


 首を横に振って分からないとジェスチャーで伝えようにも、もうこちらを見ていない。片手にバラの花束と、もう片手に私の手を掴んだ女性はそのまま元来た方角へ歩き出した。



*******



 トモエが走り去った後の会場は酷く寒々しい。そう感じているのはスティーブンだけではないようで、今日のこのパーティーの主役であるマーガレットも浮かない顔をしている。


 そもそも貴族や商人といった部類の家で執り行われる行事のほとんどは互いの情報交換であったり、流言飛語の類を審議したり、密約を交わしたりが主である。要するにその行事の主役とされている人物は口実で、あまり関係がないことが多い。


 いかにマーガレットが可愛いウィリアムにしてもそういう考えがあるのは確かで、実際不安そうに行き場をなくしているマーガレットを置いて知り合いたちと話し込んでいた。


 マーガレットはマーガレットで、まだ今日十歳になったばかりだというのにしきりに近く話が出るであろう縁談や、五年後に控えた社交界の話を聞かされて涙目になっている。


 スティーブンはウィリアムに用意されたところの“相応しいお嬢さん方”との内容のない会話に適当に相槌を打っていた。そんな面白くもない時間を過ごす間、ずっとトモエの行方ばかりが気になっている。


 いい加減に限界を感じたスティーブンは、近くで涙目になっているマーガレットを口実に二人でこの場を離れようとした、の、だが――。


「遅れてごめんなさい、アナタ! それからこれはわたくし達のカワイイお姫様に。誕生日おめでとう、マーガレット」


 突如人垣が割れたかと思えば、そこにいたのは見知った派手な出で立ちをした女性。誰あろうスティーブンがこの世で最も苦手な人物のツートップの片割れ。無能、浮気者と名高いウィリアム・アッテンボローの妻にして貴族のような浪費家であるエミリー・アッテンボローその人だった。


 ただし叔父のウィリアムとは違い、エミリーこのオーバーな物言いは天然である。それ故に手に負えないのだ。今日も今日とてその浪費癖を遺憾なく発揮したドレスにスティーブンが溜め息をつく。


「やぁ、わたしの王妃様。今日のドレスも素敵だよ」


「あら、素敵なのはドレスだけなの?」


「そんなことはないさ。どうしてドレスだけ褒めたと思うんだい? 君を褒めるにふさわしい言葉がなかったからだよ」


「まぁ、カワイイわたくしの浮気者さん。一体どれだけの女性にそんな口をきいているのかしら?」


 ――ウンザリとその場をあとにする来客者。


 ――ウンザリとその場でそれを見せられる身内。


 どちらがより酷い気分かは別にしても、延々と続きそうなこの頭の悪い会話にスティーブンが別れの挨拶をしてトモエを探しに行こうとした、まさにその時。


「こちらに来るのが遅れたのはバラを摘んでいたからもあるのだけれど、大きな迷子を見つけたからでもあるの。リコリアの髪飾りをしたお嬢さんなのだけれど、どなたかお探しになってはいなかった?」


「「「………………」」」


 小首を傾げて訊ねるエミリー。頬をひきつらせるウィリアム。スティーブンは盛大に安堵の溜め息をついて。マーガレットは祈るように手を組む。四者四様とでもいう反応の後、気まずい表情のトモエがその後ろから現れたのだった。

 

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