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2-3   壁の華とか無理だから。


 高い天井に輝く品の良いシャンデリア、上等そうな毛足の長い絨毯、草花をあしらった美しい壁紙に、これに座って良いのかと迷わせるフカフカのソファー。本来ならば貴人を通すような場違いの部屋に一人残された私は、ソファーに座る気にもなれず姿見の前で深い溜め息をついた。


「分かってたけど……あり得ないくらい似合わんな……。そもそも顔の平面的な日本人がドレスって無理があるだろう」


 もっと根本的なことを言えばガッツリ日焼けした肌に癖の強い黒髪、目つきも悪い私がドレスを着るというのに無理がある。けれどエマさんがあんなにはしゃいでデザインを一緒に考えてくれたのだ。無碍にはできない。


 これでもかなり譲歩して、かなり削って、落とし込んだ。モスグリーンのストンと落ちた形のごくごくシンプルなドレス。


 腰には細い黒のリボンと、首にお揃いの黒いチョーカー。肘の上まである長い手袋。フリルの類もレースの類も一切排除したドレスを見て、若干しまったなと思ったがもう遅い。


 この類のドレスは女優さんやモデルさんが着るから貧相に見えないのだ。一つ賢くなれたぞ。


「一体どうしてこうなった――」


 鏡に向かってガクリとうなだれるが、その答えをくれるあの野郎は今この部屋にはいない。確かにマーガレットの誕生日を祝いたいとは思ったけれど、それはもっと軽い気持ちであって、何もここまで大事になるとは思っていなかった。


 招待状を受け取った日に、ふと前々から気になっていた月の数え方を聞いてみたら【今更すぎる。もっと早く聞け】と怒られたから簡単に説明する。


 例えばベリメは“春”の季節にあたり、順にシュリフ“夏”、オウタ“秋”、ヘクト“冬”と四季を数えるが、この世界にはあちらの世界で共通認識されていた一月という感覚がないらしい。


 したがってそれぞれ一季につきあちらでの三ヶ月、数え方としては九十日あるので“ベリメの四十日”と言った風に数えるのだそうだ。


 そして今日、マーガレットの誕生日は日本でも私が一番好きな季節。オウタの四十五日だ。――と、説明を終えてみたが。


【頼む。俺を助けると思ってついてきてくれ】


 そう言って手を握ってきたあの野郎はもっとも大切なことを伏せていた。


「……今なら窓から逃げられないもんかな」


 大きくとられた窓辺に寄ると、広いバルコニーがある。しかしバルコニーがあるということはここが飛び降りれる場所ではないということだ。


「あり得ない、帰りたい、出たくない――あいつ、ぶん殴りたい」


 呪詛のようにそう呟いているとドアをノックする音。こちらの許可を待つでもなく開けられたドアに殺気立った視線を向けた。しかし現れたスティーブンは涼しい顔でそれを受け流すと、私の頭の先から爪先までを眺める。


【お前に言われなくても分かってるよ、似合わないのは。今からでも遅くないから会場には一人で行ってこい】


 マーガレットはお嬢様。そんなことは私にだって簡単に予想がついた。ただ、まさか――。


【身内だけの小さいパーティーだって言うから来たんだ! この嘘つきめ!】


 あの日、首を縦に振るまで掴んだ手を離さなかった時に考えついても良かったようなものだが……それでも私に比はないはずだ。


【何だよさっきから下につけられてる馬車の数は! あれが全部身内だとでも、】


 【言うつもりか】と書こうとした手を掴まれる。いつの間に目の前に来たんだと思ったが、そういえばさっきから黒板しか見てなかった気もする。改めてスティーブンがしたように私もその頭から爪先までを眺めた。


 立て襟のシャツにスラリとした見るからに仕立ての良いタキシード。ただの黒一色の面白味のない正装なのに……悔しいがとんでもなく似合っている。思わずその姿に黒板に苦情を書き込むことも忘れて魅入っていると、不意打ちを食らった。


【そんなことはない。似合っている】


 人生でこんな二重の意味で恥をかいたことはない。一つは馬子にも衣装なドレスを着せられたこと。もう一つは年下に見え透いたお世辞を言われてすぐに切り返せなかったことだ。


 好みではないが、スティーブンは整った顔立ちをしている。そんな男に真顔でそう言われたら耐性のない人間は悪態をつくのを忘れるのだ。現に私は忘れた。


【どうした?】


 ニヤリと笑う顔の憎たらしさに頬をつねってやったら、今度は声をたてて笑いやがった。このマゾめ。


【ああ、忘れるところだった。トモエ、今日はこの黒板は置いていく】


 ヒョイと手に持っていた黒板を取り上げられて、思わず不安な表情になったらしい。生意気なスティーブンはそんな私を見てクスリと笑った。


【だから今日は俺から離れるな】


 そう書き込んだ黒板を向けてすぐにそれを手近な小机に伏せると、私に向かって腕を出した。どういうことかと考えていたら手を引かれ、腕に絡ませる。急なことで驚いたが、こういうの見たことがあるな。洋画の中だけだと思っていたが。


 ――ああ、でも困ったな。


 こういうのには慣れていない。だから悪態をつこうにも、黒板がないと何もいえない。グッともう一度しっかり手を絡ませているか確認されて大いに困る。そんな私の反応を楽しんでいるのが一目で分かった。


 クソ、笑うなよな、年下のくせに生意気なんだよ。


 そんな気持ちを込めて睨みつけるだけで精一杯だった。



*******



 部屋に入って真っ先に目に飛び込んだトモエの姿に、スティーブンは悪くないという感想を持った。当のトモエはかなり腹をたてている様子だったが、スティーブンは最近こういう時に有効な方法を知ったのだ。


 現に今、彼女は大人しくスティーブンの腕に掴まって広間までの廊下を歩いていた。その表情が少し心許なさそうなのは彼女から唯一の意思疎通をはかる黒板を取り上げてしまったからだろう。


 それでもオドオドとせずに、好奇心で目を輝かせている姿は年上のはずなのに微笑ましい。そもそも彼女は実年齢よりもかなり幼く見える。彼女曰くそういう国民性で、その分長命なのだという。


 内心マーガレットの方が多少大人っぽく見えると思ってしまったのは、絶対に言えない。いつの間にかジッと見てしまっていたらしく、トモエが居心地悪そうにスティーブンを見上げていた。だが今はスティーブンの手元にも黒板はない。

 

 けれどトモエは何を思ったのか、ググッと爪先立ってスティーブンの頭を撫でた。ポンポン、と。まるで緊張しているのがスティーブンだと言わんばかりの対応に、スティーブンも、周囲にいた他の招待客も一瞬目を見開く。


 しかし彼女は涼しい顔というよりも、あの何を考えているのか分からない表情だ。彼女は一歩踏み出して、驚いたまま固まっているスティーブンに目配せする。


“大丈夫だから、さっさとマーガレットに会いに行こう”


 そう言うような視線につられてスティーブンも一歩踏み出す。これではどちらがエスコートされているのか分からない。けれどしっかりと掴まれた腕はそのままだから頼りにされていない訳ではなさそうだ。まぁ、単に履き慣れないヒールのある靴で歩いているせいかもしれないが。


 入口で執事に招待状を手渡すと彼はスティーブンの傍らのトモエを見て、露骨に表情を曇らせた。しかし当の彼女は全く気にした様子もない。どうやらこういった反応には慣れているようだ。


 そして恐らくこれがマーガレットが手紙に書いていた“シネバイイノニ”の理由だろうと予想がつく。後味の悪いさい先にスティーブンの方が腹を立てたくらいだ。けれど案内されたホールに足を踏み入れた瞬間、トモエが目を見開いた。


 興奮しているのか表情はさほど変わらないが、僅かに頬が上気している。それを見ていたスティーブンはふと大切なことを思い出し、トモエに手を少しだけ離すように促すと、上着のポケットに手を入れた。


 キョトンとした表情で見つめるトモエの髪にスティーブンがポケットから取り出した何かを付けた。


 気付いたトモエが髪に触れようとすると、それに触れるよりも早く今日ここへ来る理由になったマーガレットがホールを横切ってくるのが見える。


『トモエ!!』


『マーガレット!』


 実の兄を放っての感動の再会にスティーブンは苦笑した。


「あ、先生もお久しぶりですわ。それにしてもトモエを連れてきて下さるなら教えて下されば良かったのに!」


 ついでのように挨拶をしたかと思えばこの第一声。どちらが会いたい人物だったか一目瞭然だ。


 今日ここにスティーブンを呼んだのも、トモエの近況を知りたかったからだろう。なのにまさか本人を連れてくるとは思っていなかったようで、興奮のあまりこちらも頬を上気させていた。


 それにマーガレットとはあの気まずい別れの後、初めての再会だ。知らずトモエの言うように緊張していたのか、気付けば肩から力が抜けていた。それに心なしか前よりもはっきりとした印象がある。自信……だろうか。


 トモエの腰元にまとわりつきながらしきりに今日の装いを褒めているらしく、トモエも満更ではなさそうな表情をしている。トモエの方も久しぶりに母国語を使えて嬉しいのか活き活きとした表情になった。

 

 スティーブンがそれを微笑ましい気持ちで眺めていると、周囲の視線がこちらに注がれているのに気付く。


 ――人を値踏みする人種の嫌な視線だ。不快な気持ちで二人をその視線から庇うように立つ。すると今度はスティーブンも含めた値踏みが始まったようで、さざめく嘲笑と好奇の声が耳に届く。


 公の場に滅多に姿を現さない辺境の領主が訪れただけでなく、言葉も解せないような身分の低い女を伴っているのだ。それだけにこうした周囲の注目も集まるのは道理だ。


 マーガレットと楽しげに会話していたトモエがそんなスティーブンに気付いて怪訝な表情になる。マーガレットも顔には出さないものの、不快に感じているのはその表情から明らかだった。腰元に抱きついていたマーガレットをソッと離したトモエが近付いてくる。


 心配そうに寄せられた眉根がこんな時だというのに嬉しいと感じた。


 その手がスティーブンに伸ばされて、いつものように頭を撫でようとしたその時だった。



*******



 久しぶりに再会したマーガレットは、その可愛らしさにさらに美しさまで加えられ、まだ十歳とはとても思えない成長を遂げていた。 


「トモエ!!」


「マーガレット!」


 ガシッと互いを抱きしめて再会の喜びを表す。少し離れた所でそれを眺めているスティーブンはやや微妙な表情だが、ここへ来るまであった緊張感はもうない。


 それに安心した私はマーガレットとの近況報告に花を咲かせた。ここへ来てから綺麗になった理由をそれとなく訊ねると、どうやら自分にできることを見つけられたという趣旨の話をしてくれた。


 詳しくはまだ言えないとはにかむマーガレットに、別れた時の憂いはない。師弟揃って何かを吹っ切れたようなので喜ばしい限りだ。


「トモエ、今日のその格好とってもお似合いですわ。一瞬先生ったらどこのご令嬢を連れてきたのかと思いました!」


 おっと、この子は家庭教師よりも褒め方がオーバーだ。驚いている私を見て、マーガレットは含みのある笑いを浮かべる。


「ねぇ、トモエ。その髪飾り、とっても似合ってますね?」


 言われてさっきスティーブンに付けられたことを思い出す。どんな形の髪飾りなのか見ていなかった私はそれを取ろうと手をやる。が、その手をマーガレットが止めた。


「ああ、取ってはダメ。先生が付けてくれたのでしょう?」


「そうだけど……何で取っちゃ駄目なんだ?」


 どんな形か見てみたい私はもう一度それを外そうと試みる。しかしそんな私を見たマーガレットは困った表情になって種明かしをした。


「そのリコリアの髪飾りはね“この人は誘っちゃ駄目”っていう印なの。今日みたいなパーティーの席で同伴者が自分といられない時に、誰かに連れて行かれないようにする為の物なのよ」


「リコリアって? 花かなにかなの?」


「う~ん……教え子の私から言わせてもらえば、出来ればそっちじゃなくて意味の方に気を取られて欲しいものですわね」


 妙に大人びた口調だ。これではどちらが年上か分からない。


「そもそもですね、リコリアの花っていうのはバラの花のことなんです」


「じゃあバラでいいんじゃないのか?」


「まぁ、お待ちになって。リコリアは女性の名前なんです。私達の間では有名な話なんですけれど……考えてみればトモエはこの国の人ではないから、知らないのも無理はありませんね」


 そう前置きをしたマーガレットが教えてくれたのは何とも甘酸っぱいものだった。何でもとても異性にモテる彼女を心配した恋人が、彼女の髪に飾ったことが始まりらしい。日本人にはない発想だ。


「ようはそう言うことですわ」


 ニッコリととても魅力的な笑顔でマーガレットは締めくくったが、私は訳が分からない。きっとからかわれたんだろうと思ってスティーブンを見たら、その表情がさっきこの会場に入る前のようになっている。


 どうしたのかとマーガレットを見ると、彼女も顔には出さないが同じような雰囲気だ。仕方なくスティーブンに近付く。


 黒板を持っていない私はたった一言“どうしたの?”と聞いてやることもできない。歯痒い気持ちで手を伸ばすと急に見知らぬ男が私とスティーブンの間に割って入ってきた。


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