プロローグ それはまったく突然に。
どんなに仕事がきつかろうが。
どんなに布団の中にいられる時間が貴重であろうが。
午前様になった風呂の中で溺れようが。
たとえ睡眠時間が三時間を切って寝不足が翌日に響こうが。
週休どころか繁忙期は一月に一日しか休みがなかろうが。
上げ始めればきりがない不満まみれの毎日の中でも、唯一絶対に止められない趣味がある。
私は本が読みたい。本が駄目なら活字。なんなら説明書だってかまわない。朝の六時出勤の六時半始業だとしても、まだガラガラの電車内でだって眠ったりしない。いつでもどこでも暇さえあれば本を開いた。
潰しのきかない専門色の強い高校に入ったせいで就ける職はほぼ一択。就職氷河期にようやく就けた先が一族経営のとんでも企業で半ば季節労働者のような扱いであっても。たとえどんなに薄給でも本屋に行けば諭吉を飛ばす。
なのにこれはあまりな仕打ちではないだろうか本の神様。
その日、高さ四メートルの三点脚立の上から私は落ちた。
手には自慢の刈り込み鋏。腰には自慢の剪定鋏と花鋏。
脚立の足下には大振りの鉈と鋸、それと珍しい小振りの鎌が入った道具袋。
化粧品も洋服も靴にも興味がなかった私が本を買いあさるのと同じくらいに熱をあげた可愛い仕事道具たち。
少し離れた場所にはコンビニ弁当と保冷剤代わりに凍らせたペットボトルの烏龍茶が二本、あとは植木の剪定方法を書き込んだ分厚い本が一冊入った色気のないオッサントートバッグ。まさか死因が寝不足と汗で突っ張った作業ズボンの裾を捌き損ねての転落死とは……。
あまりの情けなさに自分でも驚くがどうしようもない。それでもこの期に及んで良かった探しをするのだとしたら、親より先には死ななかった。だから賽の河原に行くことだけはなさそうだ……。
私こと沢渡巴、享年三十一歳。片田舎の造園会社に入社して十三年。一族経営の最たる職場で過労死しなかったのは偉かった。
こんなに短い生涯なら馬鹿親父に似た骨太の身体に硬い癖毛の剛毛とかではなく華奢な可愛らしい子に産まれたかったな。私はとにかく惨めにそして、どこか妙に冷めた気持ちで地面に向かって落ちて行った。