第1話 ペーパームーン③
霧にふける林道に、並んで歩く二人の姿があった。
「え!? リナって魔法使えるんだ?」
「はい。とは言っても簡単な治癒魔法だけですけど。治せるのはかすり傷程度なんです」
オークを撃退して30分ほど、サカキと村娘――リナはようやく会話らしい会話ができるようになっていた。初めのころはまともに受け答えすらできなかったが、ようやく向こうも慣れてきてくれたようで、それなりに弾みだした会話にサカキはほっと胸をなでおろす。
話の内容は当たり障りのない世間話を選んでいたが、「魔法」といういかにもなワードに反応して、好奇心を抑えられず、サカキは詳しく聞いてみることにした。
「魔法ってさ、どうやって使えるようになるの?」
「……あの、本当にご存じないんですか」
「なんていうかその、俺のいた地域だと魔法を使える人ってほとんどいなくて。全然情報がなかったっていうか」
「山奥の部族の人たちだとそういったこともある、っておじいちゃんから聞いたような気がします。サカキさんのところも都会から遠く離れていたんですか?」
「そうそう! もうめちゃくちゃ僻地! バスも1日2回しか止まらないようなね」
「バス……ってなんです?」
「あ、いや、冗談だから忘れてよ」
怪訝な表情のリナに口笛を吹きながらサカキはそっぽを向いて誤魔化した。我ながら少しわざとらしすぎたか、と反省する。これではまだまだ、異世界転生した勇者らしくはない。
リナはあまり納得していないようだったが、サカキに頼み込まれて「魔法」について「あまり詳しくはないんですけどね」と前置いてから語り出した。いわく、「魔法」には対になる存在として「巻物」が存在し、それを読破できたものがその「巻物」に記された「魔法」を習得する、というのが基本的なシステムのようだ。リナが使えるような簡単な治癒魔法の巻物でも丸ごと1カ月はかかり、大がかりなものになると一生をかけて習得しなければならないような量のものさえあるという。読むスピードによって習得の速さに個人差があるようだが、早くてもせいぜい常人に比べて2倍程度らしい。
ただ、一度習得してしまえば燃費はいいようで、使用すると魔法の威力に応じて体力は消費されるが、それが持つ限りいくらでも連発が可能だという。
あの仮面の男が語った身体能力の強化には、巻物の読解力は含まれているのだろうか。現状では何とも言えない。しかし、習得の手間を考えればあまり魔法は使えないのではないかと、サカキは考える。そもそも他の転生者に効くという保証はないのも大きなマイナス点だ。
剣と魔法のファンタジーには強い憧れがあったが、今は実益を取るべきだった。やはり、手っ取り早く強化できるのは武器や防具だろう。その辺りから情報を収集して、奴らとの差をつけなければいけない。
「サカキさん? 聞いてます」
「あ、ごめん、考え事してたけどちゃんと聞いてたよ。魔法って、思ってたほど便利なものじゃないんだね」
「強力な魔法を使えるようになれば、本当にすごいらしいんですけどね。それこそ、大軍とひとりで渡り合えるような。……実は私、他の人より巻物を読むのが速いので、士官学校に来ないかと誘われてて迷ってるんです。ずっと巻物を読む生活はあんまり楽しそうじゃないですし、やっぱりやめとこうかなとは思うんですけど」
「それ、本当!?」
突然興奮したサカキが声を上げ、リナは驚いて林道の脇へと飛びのいた。やはり、まだ完全に警戒心は解けていないようで、反射的に手に持った籠で身を守るように構える。しかし、サカキはそんな様子などまるで気にする様子もなく、大股でずいずいとリナへ歩み寄った。
「ああ、やっぱり! 俺の直感は間違ってなかったんだ! 運命なんだよ、これは」
「ち、ちょっと、サカキさん? 肩が痛いので離してくれませんか」
「君は誰より優れた魔法の才能を持っているんだ!」
「はい?」
あからさまに嫌がる素振りを見せるリナをしり目に、サカキは彼女の肩を強く掴んだまま更に声を張り上げた。
「転生して! 魔法使いの少女に出会う! テンプレだけど素晴らしいじゃん!」
「本当にやめてください。おっしゃっている意味がわかりません! それに、痛い……!」
「いいかい、リナ。君は村を出て魔法使いを目指すべきなんだ! だって君には才能があるから。僕と一緒に魔王を倒すための旅に出ようよ!」
キラキラと輝く瞳はまるで絵本を読む子どものようで、抑えきれない興奮を制御しようという意思すらなく、サカキはより強い力でリナの肩を握る。ギリッ、という骨が軋むような音が聞こえ、リナが苦痛に顔を歪めてもサカキにはそれがまるで見えていなかった。彼が見ているのは、己の祝福すべき異世界での夢だけだ。
「見たことのない街で、想像もできない冒険をしよう。強大なモンスターに力を合わせて立ち向かおう。目指すは魔王、その首だ! いざゆかん、我らが勇者だ! あは、あはははははは!」
「ほんとに痛い……! 離してください!」
身体ごと捩るようにしてリナはなんとかサカキの拘束から逃れることができた。指が食い込んでいた部分が熱をもったように痛む。もう少しで、肩の骨が砕かれていたかもしれない、そんな恐怖を覚えさせるには十分すぎる力だった。
「ど、どうしたんだい、リナ?」
「私、別にそこまで才能があるわけじゃありません! 村にだって、私よりも速く巻物を読む子がいるし……。だから、冒険とか魔王とか言われても、正直困ります」
「それは、まだ君が本当の力を目覚めさせていないからなんだよ。大丈夫、僕の力、見たでしょ? どんなに怖い敵からも君を守ってあげるよ」
ふいに、リナの瞳から一筋の涙がこぼれた。我慢していた恐怖心が、感情のダムを突き破り、濁流となって溢れだしてくる。
「それが、そのサカキさんの力が一番怖いんです。お願いです、もうやめてください。約束通り、村までは案内しますから、それで許してください」
サカキは強かった。だが、それはあまりにも不自然だったのだ。大して鍛えた様子もない、不思議な格好をした同い年ぐらいの少年が、オークを蹂躙したその姿。身の丈に合わない強さは、目の当たりにしたものに疑念しか抱かせない。リナは悪人ではないが、決して聖人などではない。ごく一般的な異世界の少女にしてみれば、その反応は当たり前のものだった。
「……え?」
リナから涙ながらに拒絶されて、サカキの動きはピタリと止まった。顔には満面の笑みを張り付けたまま、サカキの思考は理解できない事象でフリーズしてしまっていたのだ。サカキの力が怖い。その言葉の意味を何とか飲み込もうとして、彼は混乱する頭で必死に考える。
俺が、怖い?
何を言っているんだこいつは。
だって、俺は異世界転生した勇者だぜ? 怖い? そんなわけあるはずがない。小説の中の勇者はいつだって、人々に讃えられている。
怖がられるのは、敵に対してだけじゃないか。
思えば、初めから挙動不審だった。助けてやったのに、ああ、助けてやったのにこの態度はなんなのだ。
やっぱり、そういうことだ。こいつもあっち側だ。
俺を渦巻く物語に、ストレス要素はいらないのだ。だって、そんなのいちいち描写してたら、読者が逃げていくだろう?
サカキの顔からは笑みが消え、まるで能面のように冷たい無表情が浮き上がっていた。先ほどまでの軽薄そうな様子とは違う。人殺しの目つきだと、リナは感じた。そしてその直感は虚しいことに的中している。
異世界転生を夢見ていた少年、サカキ。
彼の現実世界での名は榊原晴彦という。その名前は知らなくとも、「少年S」と言えば誰もが彼のことを知っていた。
同級生7名を原型が残らないほどに惨殺。
彼らの血肉で歪な魔方陣を描き上げて、最後にはその中心で自ら命を絶った。
あの少年Sね、と。
史上稀に見る未成年の猟奇殺人犯。世間は彼をそう評したが、もしサカキが生前そのことを聞いていたのならば、困った顔でこう答えただろう。
俺はただ、異世界へと転生したかっただけなんだけどな。
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