第1話 ペーパームーン①
「こういうタイプの転生なわけね」
林道の片隅、落ち窪んだ地面の上で目を覚ましたサカキはそう呟きながら感触を確かめるように両手を握ったり開いたりした。袖口が少しだけ泥で汚れてしまったカッターシャツも踵を踏みつぶしたローファーも、そしてグーとパーを繰り返しているこの両手にも、全てに見覚えがある。
「転生には2種類のタイプがある。生きていたままの姿で異世界へ飛ばされるか、異世界で生まれ変わるか。これは前者ってわけだ」
期待していたのは後者の方だったのに。口を尖らせるサカキだったが、まあいいやと気を取り直す。憧れていた異世界転生が実現したのだ。細かいことはこの際、どうでもいいや。サカキは小さく口笛を吹きながら辺りを見回した。
周囲は薄い霧に覆われていた。湿気を含んだ地面を踏み締めながら道の先に目を凝らす。蛇行しながら緩やかに勾配を描いて、道はどこまででも続いているように見えた。その道中にはサカキの他に人はおろか、動くものすら発見することはできない。続いて背後を振り返ると、林道に覆いかぶさるようにしてそこかしこに樹木が生い茂っている。知識のないサカキには種類など到底分からなかったが別段珍しいものではなさそうだった。イチョウの葉に似た、特徴的なとんがった葉っぱを持っているものの木肌の感じや大きさは日本で見たものと大差ない。脇に生えた雑草も巨大な口で襲いかかってくる、なんてことはなく僅かに露で先端を湿らせながら、ゆらゆらと風に揺れていただけであった。
「んー、これじゃあ日本の田舎道と大して変わりないなあ。せっかくの異世界なのに地味すぎないか? いや、落ち込んでいても仕方ない。とりあえず移動するか」
林道に敷かれた砂利の上を、サカキは歩き始めた。悪態をつきながらも、やはり上機嫌に軽くステップを踏みながら。
歩き始めて半刻ほどが過ぎた。相変わらず景色に変わりはなく、林道は黄泉の国へと誘うように果てが見えない。サカキは黙々と足を動かしながらも、言いようの知れない高揚感が胸の奥から湧き上がってくるのを抑えていた。運動は得意ではなく体育の成績も万年「可」だったサカキだったが、もう随分歩くのに疲労を覚えることはなかったのだ。むしろ、ようやくエンジンがかかり出してきたかのように自然と足が前へと運ばれていく。異世界転生した恩恵、驚異的な身体能力。仮面の男に説明されて、なんとなくは理解していたが実感してみて初めてその素晴らしさを噛みしめていた。あぁ、もっと試してみたい。
うずき出した好奇心に呼応したように、霧の向こうからけたたましい叫び声が響いてきた。野良犬が威嚇するときに唸る声を、もっと低く不気味にしたような、聞きなれない獣の声に、サカキはピタリと足を止める。
モンスターか。
姿こそまだ見えないが、サカキにはそこに異形が存在することを気配で察することができた。肌を粟立てるむき出しの殺気が、縦横無尽に霧の中へと放たれている。
どうしよう。やれるのか?
逡巡していたサカキの耳に、別の声が届いた。か細く張り詰めたような悲鳴。女性の声だ。襲われているのだろうか。
「王道展開だな、まったくもう」
迷いを振り切るかのように、サカキは走り出す。自分でも驚くような速度が出て、ますます心が躍りだしそうだった。漂う霧が風圧で裂けて、サカキの脇を渦巻きながら後方へと流れていく。全身で感じるスピードの感触が、とても心地よかった。