第3話 ランブリング・スクランブル②
四方を堅牢な城壁に囲まれた、王都グランべニア。マグラニカを代々統治し、終わることのないモンスターたちとの戦いを指揮している王家が住まう、名実ともに大陸一の都市であった。
城下町は異国情緒で溢れており、大陸全土の民族をごちゃ混ぜにしたかのような多種多様な色で染まっている。毎日がパレードのようなお祭り騒ぎ。東京の都心だって、ここまで賑やかではなかったな、とユウキは感嘆とともにその光景を眺めていた。
彼がいるのは、大通りからは少しだけ離れた木造の古い宿だった。寝返りを打つたびに悲鳴のような軋みを上げるベッドは最悪の寝心地であったが、安さゆえか多くの冒険者たちが利用するこの宿は目立たずに潜伏するには格好の隠れ蓑だった。王都に集う中でも飛びぬけて異彩を放つ彼らに紛れれば、ユウキのことなど誰も気にする者はいないだろうからだ。
屋内だというのに、彼はまだ目深にフードを被ったままであった。慎重な男だ、とタガメはユウキを評価していたが、彼に言わせればそれはただ単純に怯えているからに他ならない。少しでも生き抜く可能性をあげるための小細工、付け焼刃だ。そう理解はしているが、それでも彼は素顔を晒す気はなかった。
部屋の中で一人、ベッドに腰掛けながら、ユウキはこれまでのことを整理する。林道で対峙し、殺し合いを演じた女と少年。教会で罪のない人々を皆殺しにした狂信者の少女。それをユウキと一緒に覗き見ていた、腹黒の老人、タガメ。自分自身を合わせると、これで5名の転生者を把握したことになる。
どいつもこいつも、癖のある連中ばかりだとユウキは苦笑する。もちろん、己をその数に含めながら。
ここ数日は王都に留まり、残りの2人について情報を収集していたユウキであったが、彼のか細い連絡網には未だ何も引っかかってはいなかった。ミトラのように転生者としての力をふるい、騒ぎを起こせばたやすく噂は耳にするだろうが、それもないということはおそらく、世間にはまだ露出していないということだ。自らが持つ能力を制御して、息を潜めているのならまだマシだとユウキは考える。だが、これまで出会ってきた面子から、転生者たちを選んだ神の残酷な思考が見え隠れしていた。残りの2人もまともであるはずがない。確信に近い予感が彼にはあった。おそらくはすでに、何らかの形でこの異世界に蔓延っている。
正義心など、刑事というキャリアと共にとうに枯れ果ててしまったとユウキは転生する前に常々思っていたのだが、それでもやはり、ミトラのような転生者が暴虐の限りを尽くしているのだと考えると、胸にチクリと痛みに似た義憤が生じた。どれだけ狂ってしまっても、本質的には変わっていない。やはり俺は警察官なのだと、つくづく呆れてしまった。
コンコン、と。
思考にふけっていたユウキの耳に、扉をノックする音が飛び込んできた。彼は慌てて立ち上がり、枕元に隠しておいた小振りのナイフを手に構える。扉には一応閂が掛けられているが、そんなもの、転生者でなくても容易に蹴破ることができるだろう。
先に、仕掛けるべきか?
扉を睨みながら、ユウキは徐々に冷静さを取り戻していく。たしかに俺のチカラを使えば、扉ごと相手を真っ二つにできるだろうが、他の冒険者たちが多数滞在しているこの宿で事を大きくするのはあまりにも下策だ。それにノックをするということはすなわち、相手に不意を打とうとする気概はないということの証左だった。
「何者だ?」
音の発信源から正確な距離を悟らせないため、彼は横を向きながら声をかけた。争いは起こさないと決めても、あくまで彼は慎重に徹する。
「ユウキさんやね。俺は同じ転生者のナカヤってもんや。ちいと女王討伐の件で、ご協力願いに来たんやけど」
関西弁の混じった、若い男の声。彼の言葉が鼓膜に届くと、胸の鼓動が奇妙に高鳴るのを感じた。転生者どうしの共鳴。自己紹介に嘘はないようだ。
「女王討伐? 下手な例えで煙に巻くのはやめろ」
「そうか。じゃあはっきり言うたるわ。男を操る絶対魅了を持つ転生者シラミネを、殺すお手伝いをしてくれんか?」
「……報酬は?」
「おいおい、あんたもあの女の厄介さ、しっとるんやろ? 随分がめついなぁ。ま、こっちから話持ってきたんやし、協力するんやったら俺のチカラ、教えたってもええで」
願ってもいない男の言葉に、ユウキは更に警戒を強める。それぞれに与えられたチカラとは強力すぎるがゆえに、本来隠しとおさなければいけないものであるはずだ。それをわざわざ交渉のカードにするなど、愚かな行為に他ならない。ナカヤという男はその判断ができないほど馬鹿なのか、あるいはユウキの動揺を誘う蛇なのか。扉越しの会話だけでは判断はつかなかった。
相手は自分の名前はおろか、他の転生者を殺す意思があることも知っている。ユウキが持っている数倍の情報量を得ていることは間違いない。ここで怯えて逃げ出してしまえば、さらなる情報を引き出すことも難しくなるだろう。それはユウキが考える慎重な行動とは呼べなかった。リスクを避けるだけではなく、リターンとの兼ね合いを考えるべきなのだ。ハイリスクハイリターン。あえてそれを選ぶことも「慎重」さだ。
彼は目的の為、「慎重」という名の皮を無理やり被っているだけで、この選択は全くと言っていいほど用心深いものではなかった。しかし、彼も他の転生者同様、自身が狂っていることを根本的には理解していなかったのだ。
ユウキはゆっくりと扉を開ける。出迎えたのは顎鬚が目立つ細目の男だった。服装は地味な皮のジャケットにシルクのハーフパンツと、どこにでもいそうな異世界の一般市民じみてはいたが、纏う雰囲気を隠し切れてはいないとユウキは感じた。仕事柄何度も出会った来た、こいつは根っからの極悪人だ。
「さりとて扉は開かれん。それじゃあ商談といきましょうか、ユウキさん」
断ることもなく部屋へと足を踏み入れるナカヤにユウキは嫌悪感を覚えるが、とりあえず諍いを起こす気はなさそうだと判断すると、いつでもこの場から離れられるように扉を背にして、ナカヤに話を促した。