第2話:災い転じて?
ロッテングラム子爵を公爵に変更しました。
王立ノートラシア学園の受験シーズンには、農村などの遠方から来た受験生のために、王都にあるいくつかの宿が格安で提供される。試験の開始時間が午前であるため、前日に王都に到着した者は一晩を王都で越す必要があるからだ。全受験生4000人のうち2割ほどが農村民のため、10軒以上の宿屋が彼らのために開放されていることになる。
王都から半日ほどの距離にある農村からの受験生であるアルトレッド達も、例に漏れずセカンドストリートにある質素な宿に宿泊していた。
「いやー、3人とも無事に合格できてよかった、よかった!」
そう言ってノクタールはハハハ、と笑った。今は3人が借りている部屋の内、アルトレッドの宿泊する部屋に集まっている。
ベッドとテーブルと椅子、そして簡素な衣装箪笥。それらが1つずつ備え付けられた小さな部屋である。もう1人来客が増えれば息苦しく感じるであろう程度の広さだ。
「ああ、特にノクティが落ちやしないかとハラハラしたよ」
「流石にそこまで馬鹿じゃねーよ!」
読み書きが出来ず弾かれた受験生もいるというのに、微妙に失礼な事を叫ぶノクタール。彼らは特に頭が悪かったという訳ではなく、単に文字を教わることの出来る環境になかっただけなのだ。ノクタールはそんな深いことを考えて発言した訳ではなく、単に脳天気なだけであるが。
「さて、今日から入学まではこの宿に泊まることになる訳だけど」
彼らの出身地は名もない農村だがそこそこに裕福であるらしく、安宿に3人を宿泊させる程度なら問題ない、と3人は聞かされていた。
ちなみに入学後は学園の寮に入ることになっている。
「……こんな所で2ヶ月も、どうやって過ごせばいいんだろうな?」
アルトレッドが2人に問いかける。朝は剣の稽古に費やすとしても、半日は暇な時間が出来る。
生まれてからずっと農村で過ごしてきた彼らには、王都での娯楽などの知識は全くなかった。女神もそっち方面の知識には疎い。
「部屋でくつろぐか、街を散歩するか、そのくらいしか思いつかないわね」
「うーん、部屋でゴロゴロしてたら体が鈍りそうだし、適当にぶらついてみるか」
漫画のように何か面白い出会いがあるかもしれない、と思いながらアルトレッドは立ち上がった。ちゃっかりルセッティオの手を握って、だ。
「よーし! じゃあ俺は入学前に友達100人目指してくるわ!」
言うが早いか、ノクタールはドタバタと部屋を飛び出して行った。
「……元気な奴だなぁ」
「ふふふ、ノクティらしいわね」
馬鹿みたいに前向きなノクタールだが、それが2人にとっては頼もしくもある。本人の前で口に出すことはないが。
「さ、王都のことは何も知らない俺だけど、できる限りエスコートするよ。お姫様」
ルセッティオとつないだ左手を少しだけ強く握り、おどけて見せるアルトレッド。
「頼もしいわね。お任せするわ、騎士様?」
薄く微笑んで答える女神に、アルトレッドは満足そうにうなずいたのだった。
人が多く集まっている場所を中心に、2人は王都を見物して回った。人が集まっているということは何かしらの娯楽が催されているということであり、分かりやすい指標になるからだ。
大通りでは大道芸人による路上パフォーマンスや簡易なマジックショー。円形闘技場では平時で手の空いた騎士たちによるちょっとした剣闘大会や、王都近辺で捕らえられた魔獣と騎士との戦い。
そういった催し物を見物するのは、農村を離れたことのなかった2人にとっては新鮮だった。
まだ肌寒い季節ではあるが、そういった人々の熱気が集まる場所はむしろ暑いと感じるほどであった。
ピエロに扮したソロ大道芸人のショーが終わり、小規模ではあるが見物人たちが拍手を送った。アルトレッドは彼のトランクケースにチップを投げ入れると、ルセッティオの手を引いて人の輪を離れた。
「なかなか面白かったな、ルセット」
「ええ。こういった催しは天界からなら見た事はあったけれど……現物を目の前で見ると全く違うわね」
微かに頬を上気させ、ルセッティオも満足気だ。
「さあ、空も赤くなってきたしそろそろ戻ろうか」
「そうね」
アルトレッドは再び女神の手を取り帰宅を促した。
「おい、お前!」
その時、前方から大声で彼に呼びかける声があった。
「そこの、女とイチャついてる農民のお前だよ!」
そう言って、2人の前に立ちはだかる子供がいた。
年の頃はアルトレッド達と同じ位だろうか。テカテカの金髪を豪華で奇妙な形に固めており、小奇麗で高価そうな衣服を身に着けている。貴族の子供であろうと見受けられるその少年は、腰に佩いたショートソードの柄頭に左手を乗せ、自らの身分を誇示するように仁王立ちしていた。
「俺のことか?」
アルトレッドは少年を見て肩をすくめた。小汚い格好をしている訳ではないが、安仕立ての服を見れば農村から来た人間であることは容易に分かるのだろう。
貴族らしい金髪の少年は意地の悪い笑みを顔に張り付かせ、殊更に大声で続ける。
「薄汚い農民風情が、女連れでヘラヘラしてるんじゃねえよ!」
突然付けられた難癖にアルトレッドはポカンと口を開け、ルセッティオと顔を見合わせた。
「おい! オレが誰か分からないか! 偉大なる公爵家であるロッテングラムが子息、マーセルス様だぞ!
そこの美しい娘はオレ様がもらってやるから、薄汚い農民は早々に立ち去るが良い!」
なんとまあ分かりやすいイヤミ貴族だ、とアルトレッドは大きく嘆息した。
「農村出身者がダメなら、彼女もここから立ち去ることになる。一人で幻のお嬢様とダンスでも踊っているんだな」
アルトレッドは面倒くさそうに吐き捨てると、ルセッティオの手を取って踵を返した。
しかし貴族の息子は諦めない。背を向けたアルトレッドの肩を掴んで強引に自分の方へと向き直らせた。
「オレを侮辱するな、農民風情が!
今ここで、オレと決闘しろ! オレが勝ったらその娘はもらってやる!」
気色ばんだ貴族の子には、彼をこのまま返す気は毛頭なかった。
「はぁ……仕方がないな。ごめん、ルセット。ちょっとだけ待っててくれ」
「分かったわ。天狗の鼻をへし折ってきてあげなさい」
騒ぎを聞いていた周囲の人間たちが、慣れた様子で3人から距離を取った。こうした決闘も彼らにとっては日常の催しなのだろう。ルセッティオも彼らに倣って男子たちから離れ、人垣の最前列に位置を取る。
「街中で真剣を抜く事は禁じられているから、木剣での一騎打ちだ。お前は武器を持ってないようだから、一本くれてやるよ」
貴族の少年は、後ろにいる付き人らしい背の低い少年から木剣を2本受け取り、その内の1本をアルトレッドに投げて寄越した。
「……何か細工でもしてあるんじゃないだろうな?」
「ハハハハハ! 農民相手だ、そんなことをしなくともオレが負けることなどありはしない!」
いちいち癪に障る言い方をする奴だ。アルトレッドは辟易とした。
アルトレッドは木剣を数度振って本当に細工などはないようだと判断し、3mほどの距離をとって少年と相対した。
「一瞬で倒れないように、せいぜい足掻いて楽しませてくれよ……っ!」
先に貴族の少年が大きく踏み込み、アルトレッドの脳天を目掛けてまっすぐに木剣を振り下ろした。彼は完全にアルトレッドをナメてかかっており、油断だらけで大振りな太刀筋だ。アルトレッドはその剣を軽く弾くと、少年の胴を目掛けて反撃の剣を振るった。残念ながらその剣はかわされてしまったが、少年の目は驚きに見開かれた。
「農民が、ちょっとはやるみたいじゃないか」
少年の顔から油断が消えた。下げられていた木剣を斬り上げ、アルトレッドの脇腹を狙う。アルトレッドもそれを見越していたのか難なく受け止めるが、思ったよりも鋭く重い一撃に内心舌打ちをしていた。
(相手が油断していたさっきの一撃で決められてたらよかったんだけど……こいつは厳しいな)
貴族の子は5歳の時から私立学園に通わされるのがほとんどだ。そこで学ぶのは読み書きだけではなく、剣術や魔術も含まれる。アルトレッドとて剣の稽古は幼少より続けているが、自己流剣技と正式に師事して教わった剣術とでは大きな差があった。
「ほらほらほらほらほら! さっさと倒れろよ! 生意気な農民が!!」
続いて二度、三度、四度と鋭い剣がアルトレッドを襲う。それを受けきるのが精一杯で、アルトレッドは反撃の糸口を見出せない。こういった決闘で魔術を使って良いのかアルトレッドは悩んだが、どちらにしてもそれを使う余裕すら与えられていなかった。
農作業の手伝い等で鍛えられているためまだまだアルトレッドは体力に余裕があるが、このままではジリ貧である。
しかし、そのまま十度、二十度と打ち合いを続ける内に、貴族の少年は明らかに苛立った様子を見せ始めた。
「おい、おい! なんで倒れねーんだよ!」
どうやら息も上がってきているようだ。やはり日頃から体を使ってきたアルトレッドよりも、体力の面で大きく劣るらしい。
「クソッ、クソッ、クソッ!」
すると突然、少年は木剣を地面に叩きつけた。アルトレッドが訝しんでいると、貴族の子はニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべながら腰に挿していたショートソードを抜き放ち、大きく振り上げた。周囲の観客からどよめきの声が上がる。
「死ねや、オラァ!」
脳天目掛けて振り下ろされたそれを、アルトレッドは木剣を横からぶつけることで間一髪凌いだが、斜めに刃を受けた木剣は中ほどで切断されてしまった。3分の1ほどの長さになってしまった木剣を手にするアルトレッドに、追撃の刃が下段より振り上げられた。
<爆ぜる炎>
大ぶりの攻撃をかわしたことで一瞬の時間的余裕を得ていたアルトレッドは、振り上げられる少年の右手を狙って『単魔術』による爆発を発生させた。それは小規模な物であったが、十分な威力で少年のショートソードを弾き飛ばし、その手に火傷を負わせた。
「な……」
呆然とする貴族の少年。一瞬の逆転劇に観客たちも息を呑み、少しの間静寂がその場を支配した。
「い……今のは反則だ! 神聖なる剣の決闘で魔術を使うなんて!」
「何が反則だって? 先に真剣を抜いたのはそっちだ。真剣勝負に反則も何もあるか」
大振りな攻撃だったためなんとか初撃をかわすことができたアルトレッドだが、もし食らっていたら大怪我は免れなかっただろう。
「キ……キサマ……!」
アルトレッドの反論に憤り、殴りかかろうとする少年。しかし。
「その子の言う通りだ、この大馬鹿者めが!」
ゴウン!
いつの間にか少年の背後に近寄っていた男性から、金髪の頭を目掛けてゲンコツが振り下ろされた。脳天にたたきつけられたそれがものすごい打撃音を響かせて……少年は一瞬で意識を手放すことになった。
「天下の往来で市民に向かって真剣を抜くとは……うちの息子が迷惑をかけて、本当に申し訳ない」
背が高く身なりの良い茶髪の男性は、アルトレッドに向かって深く頭を下げた。金髪の少年の父親のようだが、子供に対しても頭が下げられるとは中々に出来た人物らしい。この父親からあの傲慢な子供が生まれた事が信じられないほどだ。
「あ、頭を上げてください。見ての通り私は無事ですので、大丈夫です」
身なりの良い男性に頭を下げられるという慣れない事態に、アルトレッドは逆に恐縮してそう言った。
「これだけのことを仕出かしたのだ、何かお詫びをさせてもらいたい。出来る限りのことには応じるから言ってほしい」
男性は頭をあげるとそう提言した。
(結果的には無傷だったわけだし、これで物をもらうのもおかしいよな……。でも、何もいらないって言うのも貴族としては面子もあるから良くないだろうし)
アルトレッドは少しの間思案し、言った。
「でしたら、私が何か困っている時に1度だけ、頼らせてもらっても良いですか?」
「……分かった。私にできることであれば、その時は全力でお助けしよう。私はロッテングラム家の当主、ヴァーミリアだ。君の名は?」
「アルトレッドです。来年から王立学園に通う事になっています」
「アルトレッド君、か。屋敷までの地図を渡しておくから、いつでも頼ってくると良い。家の者達にも伝えておこう」
ロッテングラム公爵は使用人と思しき初老の男性から手書きの地図を受け取ると、それをアルトレッドに手渡した。
「あ、ありがとうございます」
「それでは、失礼させてもらう」
彼はもう一度軽く礼をすると気を失った息子を担ぎ上げ、使用人の男性を従えて歩き去った。
「はぁ……なんか大変な目にあったな」
受け取った地図をポケットにしまい、アルトレッドは頭を振った。人垣はいつの間にか散っているようだった。
「怪我はない? アルト」
ルセッティオが駆け寄り、アルトレッドの手を取った。
「おう、ちょっと危なかったけどなんとかなったよ。本当は軽く撃退してやりたかった所だけど」
「今の戦いでも充分すぎるぐらいだわ。貴方は超人ではない、たった10歳の騎士見習いなのだから」
微かに頬を染め、微笑む女神。
「そうだな、ありがとう。……もう暗くなってきたし、宿屋に帰ろうか、ルセッティオ」
「ええ、アルトレッド」
2人は固く手をつなぎ、宿へ向かってセカンドストリートを歩き始めるのだった。