第1話:Goddess only knows.
『セレストリア』で行人が目覚めてから2年の月日が経った。
女神に魔術の知識を教わってから毎日魔力操作の訓練を続けている行人だが、6歳になった今は手のひらに小さな火球を出すことができる程度になっていた。火球を前方に撃ち出すぐらいなら可能だが、やはり魔力量が少なく射程も火力も弱いため薪に火をつけるくらいが精一杯だ。
一方、女神は──
『グオオオオォォォ!!!!』
大人でも腰が引けるような荒々しい咆吼を前にして、特に気負いもなく佇んでいた。
「今日のお夕飯はこの子ね」
森の中を少し進んだ場所で、女神は熊と一対一で相対していた。それも子熊ではない、体長2mはあろうかという成長しきった大熊だ。
大熊は『美味そうな餌を見つけた』と言わんばかりに嬉々として6歳の少女に躍りかかった。巨体とは言え流石は野生動物、10mほどの距離を一気に駆け抜け少女の目前まで肉薄した。
<刺し穿つ>
女神が魔術の完成形を思い描くと、その足元から地面と同色の細い棘が隆起し、熊の頭部をアゴ下から脳天まで一気に貫いた。
魔術は、声に出して詠唱するものではない。魔術を発動させたい場所に魔力を集中させ、魔力の法則に干渉してそれを変質させるのだ。どういった風に干渉するとか、どうすれば変質するのかという部分は生物の本能的に備わっている感覚のため、特別に意識せずともイメージだけで行使が可能だ。
大熊が絶命したのを確認して女神が魔力制御を解くと土棘はすぐさま元の地面に戻り、支えを失った大熊はその巨体を女神の前に横たえた。
女神は一旦その場を離れ、農作業を手伝っている行人達の所へと向かった。
「熊を狩ってきたわ」
「……俺じゃなく、どうしてルセットがチート性能なんだ?」
女神は既に『単魔術』が使用できるほどに成長していた。一般的な6歳児なら指先に小さな炎を起こすのが精一杯であるため行人程度の魔力操作でも充分に早熟と言えるのだが、女神はそれ以上だ。
ルセッティオの戦果を聞いて、行人は苦い顔をした。
「この程度ならチートでもなんでもないわ。6歳で『単魔術』は確かに早いけれど、10年に一人は存在する程度の才能よ。あとは使い方次第ね」
「やっぱり頭の中身が違うのが大きいのか……」
どんな物も使い方次第、ということだ。
「話を戻すけれど、私一人では獲物が大きすぎて運べないから大人を呼んできてくれるかしら? その間に私は返り血を洗い流してくるから」
ルセッティオの真っ白なワンピースは、熊の返り血を浴びて所々が赤く染まっている。いたずらに獲物を損傷させた訳ではないので返り血もそれほど多くはないが、純白と鮮血のコントラストは何とも目に痛い。
「『二重魔術』が使えれば返り血も防ぐことが出来るのだけれど、ね」
『二重魔術』とは、魔術回路を2つ使用して同時に2つの魔術を行使することだ。
「頼むから、これ以上俺を置いてけぼりにしないでくれよ」
この調子だと『二重魔術』もすぐに習得してしまうかもしれない、と行人は苦笑しつつ、父親を呼びに走るのだった。
昼食後、村長の家の裏手にある小さな空き地でアルトレッドとノクタールは木剣を持って向かい合っていた。騎士を目指す二人にとって、毎日の剣の訓練は欠かせない。剣術を教える師などはいないため完全に彼らの自己流ではあるが、ただのチャンバラごっこからは大きく進歩していた。アルトレッドは前世の知識として『間合い』と『隙を減らす』ことが大事だと認識していたので、その2点を意識した訓練を行っている。
「ハッ!」
ノクタールの木剣が、アルトレッドの肩口を狙って振り下ろされた。アルトレッドはそれを木剣で受け止めて横にいなすと、返す刃でノクタールの首筋にピタリと木剣を押し当てた。
「……これで6対5かな?」
アルトレッドは木剣を引きながら言った。まだ大きな差ではないがノクタールはアルトレッドよりも力が優れており、ノクタールの大振りな攻撃をいなしてアルトレッドが勝つか、アルトレッドがパワーで押し負けてノクタールが勝つ、という展開が多い。
「なあ、俺たちも結構強くなったよな? ルセットみたいに一人では無理かもしれないけど、二人なら熊ぐらい倒せるんじゃね?」
「無理だから。頼むから実行しないでくれよ?」
おちゃらけるノクタールに、アルトレッドは顔をしかめた。6歳児の腕力では致命傷を与えるどころか、熊の攻撃を防ぐことすらできないだろう。
「冗談だよ! 熊と戦うのは、木剣が折れるぐらいまで力がついて真剣を手に入れてからだな」
「お前は巨人族にでもなるつもりか……?」
木製とは言え魔術付与で耐久性が上げられている木剣は、そう簡単に折れはしない。
「ははははは! そりゃいいな! 体を巨大化させる魔術とかあるなら練習してみようかな? ルセットに聞いてみよう!」
言うが早いか、ノクタールはルセッティオの家へと駆け出した。
「やれやれ……」
アルトレッドは肩をすくめると、やんちゃな幼なじみの後を追う。
村長宅の裏手から細い路地を通って中央の広い道に出ると、ちょうど村長が家から出てきた所だった。農作業で鍛えられた肉体に動きやすい服を着た壮年の男だ。短く刈り上げられた黒髪と日に焼けた褐色の肌を持ち、豪放磊落な印象を受ける大男で、名は『グランディス』と言う。
「おう、アルト。今日も剣の稽古か?」
「こんにちは、村長さん。さっきまで稽古してたんだけど、ノクティが走って行っちゃったから今日はもうおしまいかな」
そう言ってアルトレッドは、やれやれと首を振った。
「はっはっは! それにしても、やんちゃなノクティと違ってアルトはずいぶん落ち着いてるよなぁ。俺が小さかった頃も、同年代の男児はみんなノクティみたいにはしゃぎ回っていたモンだが……」
「あはははは……」
困ったように苦笑するアルトレッド。彼は外見こそ6歳児だが、中身は既に30と6年の時間を過ごしているのである。
「ところで村長さんはこれからどこかに行くの?」
大きめのカバンを背負ったグランディスにアルトレッドは訊ねた。
「ああ、結界石の残りが少なくなってきたから貰いに行く所さ」
結界石というのは『魔獣避け』のような物で、田畑を含んだ村の四隅に設置しておくことで魔獣が近寄らないようにしてくれる魔術道具だ。2~3ヶ月で効果が切れてしまうため、定期的に買い足しをする必要があるのだ。
「そっか。いってらっしゃい」
「おう!」
グランディスは軽く手を振ると、家の前に用意された荷馬車に乗り込んだ。荷馬車はかなりの大型で、結界石の代価として支払われる玄米の俵や野菜類が積み上げられている。
この荷馬車が向かう先は王都だ。税として徴収される食料とは別にこのように代価として支払われる食料も、王都や都会では重要な食料源である。それらを安全に届けるため、荷馬車と共に護衛の騎士も3人ほど派遣されていた。
アルトレッドは村長と騎士たちが乗り込んだ荷馬車が走り去るのを見送り、ルセッティオの家への歩みを再開する。
が、ルセッティオの家に着くより先に、前方から難しい顔をして歩いてくるノクタールを見つけた。
「やっぱり、無理だったか?」
「無理だってさ。理由は説明されたけどさっぱり分からなかった!」
そう言ってノクタールは笑った。普通の6歳児に女神の小難しい説明は難解だろうから仕方がない。
「今から稽古を再開するのも中途半端だし、今日はもう終わりにするか?」
「そうだな」
ノクタールはアルトレッドの問いに頷くと、別れの挨拶をして自分の家へと歩いて行った。
「……こういう生活も悪くないな」
アルトレッド──行人はそう独りごちると、現在の我が家へと足を向けた。
職場と家を往復しオンラインゲームをするだけだった前世とは正反対の今の生活に、行人はこれまでにない充実感を覚えていたのであった。
月日は更に流れ、アルトレッド達は10歳になっていた。
そして今──アルトレッド、ルセッティオ、ノクタールの3人は、国の名前と同名である王都『エレノス』にある学園の敷地内にいた。
王立ノートラシア学園。16歳で成人とされるエレノス王国で、11歳から成人前までの5年間を勉学に励むための王立学園だ。一般学科、商業学科、騎士学科、魔術師学科の4学科に分かれており、それぞれの分野に即した勉強・訓練を受けることができる。もちろん誰でも入学できるわけではない。
今は11の月。2月後に11歳の誕生年を迎える3人は、ノートラシア学園の入学試験を受けるためにここにいるのだ。
ちなみにこの世界での1の月は地球で言う所の4月であり、地球の暦と同じように1年は12の月で分割さている。少し違うのは、1か月は30日固定であり、それに応じて1年が360日となっていることだ。四季は日本と同じように存在しているため、11の月──地球で言う2月に相当する今は立春の季節でそれなりに低い気温である。
「いや~、王都って所にゃ初めて来たけど、すっげー広いんだな! 学園もすっげーデカいしよ!」
白い息を吐きながら、おのぼりさん丸出しではしゃぎまくるノクタール。学園までの道すがらでも、一つ大きな商店を見つけては大声で叫び、一つ大きな屋敷を見つけては大声ではしゃぐため、アルトレッドは恥ずかしくて仕方がなかった。ルセッティオは大して気にしていない様子だったが。
そしてこの学園にたどり着いた今、ノクタールの興奮は頂点に達していた。確かに、大きな建物が多く存在するこの王都にあって、この学園施設は特に大きい。受験人数は例年4000人ほどだが、試験開始時間を待つ子供やその親たちであふれかえっているエントランス広場は、それでもまだ余裕が見える。中央校舎も学園の全生徒約15000人分の席を擁するだけあって、広場から見ただけでもかなりの大きさであるのが分かる。
「あんまりはしゃぎすぎて迷子になるなよ、ノクティ。ルセットも人波に流されないようにもうちょっとこっちに」
そう言ってアルトレッドはルセッティオの手を握った。ルセッティオに対して容姿の面でも性格の面でも好感を抱いているアルトレッドは、こうして時折スキンシップを図っている。
「ふふふふ。頼もしいわね、アルト」
アルトレッドのアプローチに、ころころと笑うルセッティオ。彼のこういった行動が女神に対して有効であるのかどうかは、彼女の態度から推し量ることは難しかった。
『ただいまより、試験会場への誘導を行います。混乱を避けるため志望学科毎に順番に呼びますので、該当する学科を志望する方は指示に従って移動してください。まず最初に、一般学科を志望する方は──』
魔術により声を広域に届ける道具──いわゆるスピーカーから、女教師と思われる声による誘導が始まった。
「もうすぐ試験か。なんかワクワクするぜ!」
「受験でワクワクするなんて、初めて聞いたよ……」
ほとんどの子供たちが緊張した面持ちでいる中、ノクタールは嬉しそうに何度目か分からない大声を出した。
「ノクティは本当に子供みたいね」
「いや、実際子供だからな、俺ら」
アルトレッドとルセッティオが特別なだけで、ノクタールはまさしく10歳の子供である。それを考慮してもはしゃぎすぎなノクタールではあるが。
『──続きまして、魔術師学科を志望の方は、広場の右手より先導の教師の指示に従って移動してください』
「あら、私の順番が来たようね」
一般学科と商業学科の誘導が終わり、ルセッティオの志望する魔術師学科の誘導をするアナウンスが流れた。
「しっかりな、ルセット」
「簡単な読み書きと『単魔術』を見せるだけの試験だし、そう気負うものでもないわよ?」
「それでもだよ。いつだって罠は自分の足元にあるんだ」
首を傾げて──何かを試すような微笑みを向けるルセッティオに、アルトレッドはおどけたように答えた。
「それじゃあ、足元をすくわれないように全力で試験に臨むとするわ。心配症な騎士様のために、ね?」
「おう、頑張ってこいよ、お姫様」
アルトレッドは苦笑しつつ女神を送り出した。その様子を見ながら、ノクタールが問う。
「ちょうどいい機会だから訊くけどさあ。……お前って、ルセットのこと好きなの?」
「見ての通りだよ。あいつは良い女だ」
10歳の子供に対して良い女という評価が適切なのかどうかはアルトレッドにも分からなかったが、ノクタールは特に疑問を挟むことはなかった。
「いい女、ねぇ……。物心付いた時からずっと一緒にいるから、俺から見たらいくら美人だろうと家族の一員でしかねーわ」
「まあ、それが普通かもな」
「まるで、自分が普通じゃないみたいな言い方だな」
その言葉にアルトレッドは肩をすくめる。
「普通、ってのはあんまり好きじゃないからな」
今は普通の村人だが、このままで終わるつもりはない。そんな気持ちを込めてアルトレッドは答えた。
「なんだ、英雄にでもなるつもりか?」
「英雄か……更に上があるのなら、どこまでも上を目指したい感じだな」
「ははははは! そいつはいいや! 面白そうだし、俺も全力で付き合うぜ!」
「頼もしいよ、相棒」
拳をぶつけ合い、二人はニヤリと笑った。
『──最後に、騎士学科を志望する方は、左手より先導する教師の指示に従って移動してください』
「よっしゃ、いっちょやってくるか!」
「落ちるなよ?」
「お前もな!」
一番志望者数が多いため最後の呼び出しとなった騎士学科志望の二人は、アナウンスに従って移動を開始するのだった。
ノートラシア学園の入学試験は、最低限の読み書きができるかどうかの確認と、それぞれの学科に応じた簡単な実技試験のみだ。
この世界に義務教育はない。貴族や富豪の子供は読み書きや諸作法を教わるために5歳から10歳まで私立の初等学園に通うが、学費が高すぎるために一般市民や農村の子供達が通うことはまず不可能だ。そのため彼らは自主学習で読み書きを習得し、学費が安く、また専門学科に特化した王立学園を目指すのだ。
王立学園は11歳からのスタートであるため、勉学の最低レベルである読み書きを教えるような時間的余裕はない。故に試験によって読み書きのできない子供をふるい落とすというわけだ。
筆記試験を無事に通過したアルトレッドとノクタール、そしてその他の受験生たちは、昼食をとった後に騎士学科の実技試験を受けるために剣術演習場に集まっていた。5000人超の騎士学生を擁する学科の演習場だけあって、ここもかなり広い空間となっている。
最初は1500人ほどだった騎士学科の受験生は200人が筆記試験で落とされ、実技試験に臨むのは1300人ほどだ。
実技の試験内容は教師と受験生の1対1の剣の打ち合いだ。受験者数が多いため教師は15人導入されており、受験者一人あたりの持ち時間は1~2分程度だ。これは最低限の剣の扱いが出来ているかを見る試験であり、教師を打ち倒さなければいけないようなものではない。が、数度の打ち合いで倒れるようでは入学後の授業に差し支えるため、ある程度の剣の腕と体力は必要である。
「次の受験生……アルトレッド、前に出よ」
「はい!」
筋骨隆々とした厳つい男性教師に呼ばれ、アルトレッドは前に進み出た。
190cmはあろうかという赤髪の大男を前にして、アルトレッドは怯むことなく相手の目を見据えた。
「ほう……なかなか度胸は据わっているようだな。では、始めるぞ。どこからでも良い。斬りかかって来い」
教師の言葉を受けて少年は一歩踏み込み、自身のできる最大の『鋭さ』を以って剣を振るった。
「ふむ。力に傾倒していない、良い剣筋だ」
そのまま数度打ち合い、今度は受験者の対応力を見るために教師の方から攻撃を仕掛ける。手加減されたその剣をアルトレッドは軽く横向きにそらし、反撃の太刀を振るった。
(こやつはまだ幼いというのに、剣の何たるかをある程度理解しているようだ。まだまだ荒く……自己流である剣筋を見るに、特定の師に教わったわけではないようだが)
教師はアルトレッドをそのように評した。そしてそのまま十度ほどの打ち合いをした後に、試験の終了を告げる。
「そこまで! 受験生アルトレッド、合格である!」
「ありがとうございました!」
アルトレッドは構えていた剣を下げ、深くお辞儀をした。係の者に剣を返し、受験生たちが並んだところより後方にある出口を通って演習場から退出する。演習場入り口の受付で合格した証であるカードを受け取って外に出ると──
「よっしゃー! 第一関門、突破だぜ!」
右手を大きく振り上げ、王都に来て初めての大声で喜びの言葉を叫んだ。簡単な試験とは言え、アルトレッドもそれなりに緊張はしていたのだ。
「おめでとう、アルト」
「うわっ! びっくりした!」
横合いからかけられたルセッティオの言葉に、アルトレッドは驚いて飛びすさった。
「ふふふふふふっ。すっかり達観しきってると思っていたけれど……貴方にも人並みの感性がちゃんと残っていたようで安心したわ。『よっしゃー!』ってね?」
腕を振り上げて喜びを表した少年の真似をして、女神は小鳥がさえずるようにくつくつと笑う。
「はぁ……見られてたのか」
アルトレッドは自身の顔が熱くなるのを感じ、顔を押さえて俯いた。
「いいじゃない。冷め切った老人のような男性より……ある程度幼さの残る男性のほうが、私は好みよ?」
ハッとしてアルトレッドが顔を上げると、ルセッティオは再び笑い始めた。
本気なのか、からかっているだけなのか……少女の内心を、女神以外に知る者はいなかった。