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バトルフィールドにドアはない。
隅のほうに通常フィールドへの転移魔法陣があるのみだ。
つまり、今叩かれているのは、現実の、彼女の部屋のドアなのである。
彼女は顔をしかめ、チッと舌を打つ。
そして、そんな反応をたしなめるかのように、さらにドアが音を立てるのだ。
ドンドン!
ドンドンドン!
御剣さま、困ります、お嬢様は今お勉強中で――
成宮さんがここで何をやっているのかはわかってますわ!
成宮さん!? 出てきなさい! いつまでそこに引きこもってるつもりなの!?
ドアの向こうに居るであろう者達の、押し問答が聞こえてくる。
両者とも、とても聞き覚えのある声だ。
「――御剣さんかあ」
数少ないリア友の一人である。
致し方ない。
『? レナちん今なんて?』
「あ、なんでもないよー、今ね、ちょっと呼ばれたから、いったん落ちるわ」
ふう、と息をついて、ログアウトを告げる。
『りょーかーい、今日はありがとねー』
『楽しかったよ! またねー!』
『ありがとさん、おつかれー』
『また遊ぼうな!』
「こっちこそありがとー! おつかれさま~」
ギルドにもテキストで挨拶を入れ、仲間の声に見送られながら、彼女はMMORPGヴァーランドストーリⅦをログアウトした。
「さーて」
モニターの電源を切り、彼女は椅子を回転させてドア方向へと向き直る。
中間層向け3LDKマンションが丸々一戸入りそうな、無駄に広い部屋だ。
以前は落ち着いたアンティーク調の家具で統一されていたが、現在は彼女の趣味で、壁という壁を特注の壁面収納によって覆い尽くした、ゲーム&マンガ&ラノベライブラリと化していた。
部屋中央には半円型の大きく機能的なデスクが置かれ、その上に様様なゲーム機と何台かのパソコン、そしてゲーム用ディスプレイが五台、それぞれが、高さや角度を自在に変えられる台に据えられている。やや離れたところにはスクリーンと見まごうサイズの液晶TVが鎮座し、何故かその前にはランニングマシンと、エアロバイクが置かれていた。
ドアまで何歩歩かなきゃいけないのかなー、などど物ぐさにもほどがあることを考えながら、彼女はドアまで移動し、無造作に開いた。
「早く開――あぶっ」
しつこくドアを叩き続けていた相手は、当然のごとくつんのめり、部屋の中へと倒れ込んだ。
「こんにちは御剣さん」
「こ、こんにちは成宮さん、お邪魔いたします」
髪と裾を直しつつ立ち上がったのは、いかにもご令嬢といった外見の美少女だ。
つややかな漆黒の髪は、シリコン製を疑いたくなるほどくっきりとした肩までの多層ドリル、猫を思わせる大きな瞳は、大半の日本人が黒いといいつつ実は茶色である中、瞳孔に向かって深さを増す本物の黒瞳である。
御剣麗華、十六歳。百貨店大手御剣ホールディングス社長の一人娘だ。
外見だけではない、名実ともに本物の令嬢である彼女は、普段ならもちろん、他家に押しかけて騒いだりするなどありえない。
だが麗華は、本日在校している皇栄学院高等部にて、とうてい冷静ではいられない、ある事実を知らされたのだ。
その瞬間、冷静やら落ち着きの機能が自動停止した彼女は、すぐさま、その事実の当事者の元へと、説明を求めて駆けつけたのである。
そして挨拶もそこそこに、目の前に立つその当事者に直球の質問を投げつけた。
「成宮さんあなた、皇栄を退学したって、本当ですの!?」
「うん」
「――――!!!」
あっさりと肯定され、思わず絶句する麗華。
ごくりと唾液を飲み込んで、目の前の少女を睨みつけた。
ふんわりした茶色のボブカットに、琥珀色の丸い大きな瞳の、麗華とは違うタイプの美少女だ。
見た目のみの印象で言えば、麗華は綺麗系で、少女はかわいい系、麗華が高貴で優雅なら、少女は天真爛漫になる。あくまで外見は。
ゲーム用ヘッドセットを首にかけ、質のよいニットのかわいらしいデザインとはいえ、ウエストゴムのらくらく部屋着姿の少女は、ややふてくされた表情で麗華を見上げている。
少女の名前は成宮あかりという。明治初頭からの歴史がある成宮財閥の創業者一族傍系の娘で、麗華と同じ皇栄高等部の一年に在籍していたが、年度後半から体調を理由に登校しなくなり、ついには退学してしまった。
それを知らされたときのショックたるや。
本当に目の前が暗くなった。
とるものもとりあえず成宮邸へ駆けつけてみれば、門前払いをくらいかける。これまでの交友を訴え、泣き落としを駆使して、何とかここまで通してもらえたのだ。おそらく邸内の者達も、この度の事には思うところがあるのだろう。普段なら、麗華のような小娘がどんなに騒ごうと、成宮家の人間以外の意を通す人たちではない。
「な、なぜですの!?」
「えー? だってバカボンたちうざいし、部活必須だし行事多いし、変な付き合いも増えるし、何かめんどくさくなっちゃって~」
わがままである。
その上あまりにも短絡的だ。
もともと理由については察しがついていたが、ひどすぎる。
麗華には、あかりが何をどれほど嫌がっているのか、それなりに分かるつもりだが、この行動はあまりにも考えなしだと思う。
「成宮の令嬢が高校中退とか、ありえないですわ!」
声を高くして、あかりがいかに非常識かを訴える麗華に、当の相手は己が身を振り返るどころか、不適に笑って見せる。
「大学は行くよ、高卒認定取るもん。もちろん皇栄じゃないけどね。ある程度は勉強しないと、将来の夢もの事もあるし」
「……貴方に将来の夢があったとは意外ですわ。何かお聞きしても?」
期待値ゼロの麗華の質問に、あかりは胸を張って答える。
「高等遊民 !」
「終わってますわ……」
ドヤ顔でのダメ人間宣言に、がっくりと肩を落とす麗華。あかりはニヤニヤと笑みを浮かべながら、さらに追い討ちをかける。
「だって私、寿命千年あっても遊んで暮らせそうな資産あるし? でもって、成宮のお抱えさんたちが、しっかり運営してくれてるから、基本増えてくし? 働く必要ってある? ないよね? 何か問題でも?」
「そ、それはそうかも知れませ――……、っ! あ、ありますわ!」
「何よ」
「学校の事です! 将来のことはともかく、高校中退なんておかしいですわ!」
落ち着け自分、と麗華は停止していた機能を一部復活させる。
あぶなかった。この件は普通なら一生に関わる事だけに、将来の話にもつい乗ってしまい、さらに丸め込まれかけたが、考えてみれば、あかりが成人後希望通り高級ニートになろうが、この際関係ないのである。
「だから高認とるって言ってr」
「学校に! 行かないのが! おかしいって言ってるのですわ!」
「えーーーー?」
不満げに口を尖らせるあかり。言いかけた言葉をさえぎられ、話を振り出しに戻されたのが不満なのだろう。
「経済的に困っているわけでもない、健康で、学業も優秀な少女が、学校を辞めてまで部屋にこもってゲーム三昧なんて不健康すぎです! 間違ってますわ! 若いうちには、もっとこう、キラキラした何かがあるべきなんです! 人と触れ合って、時には葛藤して、人間力を育てるんですわ!」
「持論の押し付けは感心しないなー」
「……これは説得です! 友人が明らかに間違った道に行こうとするのを止めなくて、何が友情ですか」
あかりはため息をついた。
「わかったよ、ほんとの事言うよ」
あかりにとって麗華は、他の誰にもいえないことが話せる、唯一の相手だ。おそらく麗華にとっての自分もそうであるはず。
心配してくれてるのに、ふざけた態度はダメだよね、とあかりは反省した。
大事な相手だ。誠実になろう。私の気持ちを分かってもらおう。
まあ、さっき言った事とたいして内容変わんないだけども。
本人的には真剣に決意し、あかりは蔵書閲覧用のソファセットを指差した。
「座って?」
***
御剣麗華には、前世の記憶がある。
初めてそれを自覚したのは、彼女が皇栄学院初等部に入学する少し前の事だ。
上の兄が高等部を卒業するので、見学ついでに卒業式を母と参観しようと向かった、その時である。
その年は桜の開花が早く、満開とは行かなかったが、高等部校舎をぐるりと囲む桜が、そこここに華を添えていた。
母に手を引かれ、皇栄学院高等部の敷地内に初めて足を踏み入れた瞬間、麗華はなんともいえない既視感に襲われたのだ。
白亜の校舎、シンボルツリー、時計棟、翻る紺色のワンピース、そして桜。
自分はこれらを知っている。そう思うと同時に、今まで息を潜めていた記憶のすべてが爆発した。
その後、衝撃のあまり気絶して、兄の卒業式を見ることが出来なかったり、三日ほど寝込み、時々奇声を発するなどして家族に心配をかけたらしいが、思い出した事実が重大すぎて、そのあたりの記憶は曖昧である。
よみがえった前世の記憶。
それにより、あることが判明したのである。
麗華が今いる環境が、前世でハマっていたゲームにそっくりだという事が。
ゲームのタイトルは「君は花、僕は風」。略して「君花」。
昼メロ風学園恋愛ものという、コンセプトからして突っ込みどころのあるゲームである。
豪華声優陣と人気絵師による美麗なスチル、そして良家の子女の通う私立学園内にて繰り広げられる、昼メロ的なドロドロ&トンデモ展開に大真面目に取り組んでいる事が、ネタ的な意味も含めて大受けし、なかなかのヒットとなった作品だ。
前世アラサーでOLをしていた麗華は、この「君花」にがっつりハマった。
攻略HPを駆使して全スチルを回収し、公式非公式問わずイベントに参加し、薄い本も購入した。
彼女が生涯を終えたのも、「君花」イベント帰りに自動車の多重衝突に巻き込まれたためである。
まあ死因その他は正直どうでもいい、以前の自分にも家族がや友人が居て、多少の感傷もあるが、もう終わってしまった過去の事だ。今の彼女は、あくまで御剣麗華なのだ。
短いとはいえ人一人の人生を一気に追体験させられ、性格等にかなりの影響は生じたが、それでも麗華は麗華なのである。
そんなことより、ゲームの設定そのままとしか思えない自分の環境が問題であった。
たまたまなどとは、とても思えない。
最悪だった。
自分がいずれ高校生になった時、昼メロそこのけのトンデモドロドロな青春を体験させられるかもしれない、というだけでも嫌なのに、彼女の役どころは、メイン攻略対象の婚約者で、主人公をとことん苛め抜く、絵に描いたような悪役令嬢なのだ。
もちろんエンド時には破滅が待っている。
たかが高校生の恋愛沙汰で破滅するなど異常だが、それだけのことはしているので仕方ないのである。
しかも、ゲームでの麗華は学院の女王(笑)である。彼女の婚約者以外を攻略する場合でも、それぞれのライバルキャラの味方をして、やはりヒロインを攻撃し、最終的に必ずひどいしっぺ返しを受けるのだ。ノーマルエンドでも大して変わらない。御剣麗華はどんな時にもひたすらヒロインをいじめる、ぶれないキャラクターなのだ。
ひどい。
よし家出しよう。
そしてどこか遠くで一人ひっそりと生きるのだ。
と、荷物をまとめかけたが、悲しいかな当時麗華は6歳。実行は不可能である。
仕方なく次善の策として、己の心身を鍛える事にした。
ゲームの事を思い出した上、現在の自分の性格では、ヒロインを苛め倒すなどできるわけがないと思う。だが、第二次性徴時のホルモンの洗礼で破滅的な性格になるとか、事故や病気で異常人格になるとか、そういうことがあるかもしれない。
はたまた自分は何もしていないのに、濡れ衣で苛めの首謀者にされる可能性もある。
心身を鍛え、勉学に励み、周囲との信頼関係をこつこつ築いて、あらゆることに対処が出来るようになろう。
そう決意して、地道に努力し続けた結果、高校に入学する頃には、麗華は完全無欠のお嬢様として周囲に知れ渡るようになっていた。
そして、高校入学式当日。
麗華は再び、皇栄学院高等部内へ足を踏み入れていた。
いちおう他校への進路変更も試みた。だが理由が弱かった事と、彼女の信者が大挙して後に続きそうになり、教師陣に泣いて引き止められた事で、結局はここに来ることになってしまった。
ついに、始まる。
掲示されたクラス分けで、ヒロインの名前も確認した。
恐れる気持ちと、これまで積み重ねてきた努力に裏打ちされた自信に気持ちを二分されながら、それでも麗華は、さあ来い、とつぶやく。
今の私は、いじめなんてしない。そして、させない。ヒロインの事だって守ってみせる。学校内で昼メロ展開なんてふざけんなである。勉強しろ。
闘志満々で待つ事一ヶ月。
出会いイベントらしき出来事が、何件か聞こえてきた。
さらに一ヶ月。気になる噂がいくつか湧いては消えるが、実態はつかめず。
また一ヶ月。夏休みに入る前、何人かの生徒が学院を去った。いずれも、少し前の噂を調べた時に引っかかってきた人物である。中の一人はゲームのあるルートのライバル令嬢である橘香織だ。怪しいことこの上ない。
麗華の知らないところで、何かが起こり、終わった、そんな気がした。
気のせいかもしれない。だが。
気になる――――。
考えた末、ヒロインに接触してみる事にした。
「うん? ちょちょいと手を回したらね、なんか転校しちゃったんだ~」
転校した人たちについて何か知っているかとを聞いたら、ヒロイン成宮あかりはけろっと答えた。
「私ねー橘先輩に何か誤解されたみたいでね、たびたび注意というか、見に覚えのない事を責められて、さすがにちょっと困ってね。誤解を解こうとしても、私の言う事には聞く耳持たない感じで、しょうがないから叔父様に頼んで、ご両親にOHANASHIしてもらったの」
そうしたら、何人かの取り巻きとともに転校してしまったというわけだ。
成宮あかりは成宮一族直系とは遠い傍系の家の養女だ。出身は児童養護施設で、両親は不明。
橘香織は、だから彼女を見くびっていたのだろう。そう麗華は考える。
成宮財閥の一員とはいえ、傍系のどこの馬の骨とも知れない養女などどうとでもできると思い、許婚に近付く不届きな女を懲らしめようとしたのだ。実際に近づいていたのは、香織の許婚のほうなのだが。
ゲーム知識のある麗華は知っているが、実はあかりの母親は成宮グループ前会長の娘だ。
父親不明の子供を身ごもって出奔した彼女は、行き倒れた先であかりを出産後、返らぬ人となった。十二年後、諦めることなく彼女を探し続けていた成宮家がついに見出したのが、あかりなのである。
このあかりの出生にも、昼メロコンセプトに違わぬドロドロの秘密があるわけだが、そこは置いておいて、成宮家はあかりを、表向きは親戚筋の家に養女として引き取らせた。
外部からは全く接触を持っていないように見せて、元会長及び現会長は、娘及び姉の忘れ形見であるあかりを、溺愛している。
その影響力を知っているからこそ、ゲームでのあかりは、いじめを受けても健気に一人耐えていたが、どうやらこちらのあかりは違うようだ。
「でさ、私からも質問あるんだ~、いい?」
「いいですけど……」
「『君花』って知ってる?」
「!」
こうして、成宮あかりと御剣麗華の友情は始まったのである。