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「よお武蔵川、えらく暗いなぁお前」
「ほっといてくれ」
「あん? どした? 何があった?」
「べーつに。ラブラブなきみには関係ないよ。そこ。首の所。ばっちりキスマークついてる」
「マジで? やべぇ」
雅巳は学校指定のバックから小さな鏡を取り出すと、裕樹が指差した場所をそれで確認した。ワイシャツの襟にギリギリ隠れる場所に、ポツンと鬱血痕が一つあり、雅巳は「付けるなって言ったのに。ったくもう……」などと言いながらニヤニヤと笑った。
「季節は冬に向かっているっていうのに、きみだけはずっと春だねぇ……」
「お前がそれを言うか? ちょっと前まで、ずーっと常夏だったくせに」
「今は氷河期だよ」
ケケケと笑って、雅巳は携帯でキスマークを撮ると、それを付けた人物にメールを送った。もちろん画像を添付してだ。
「んで? 何を悩んでるんだよ、お前」
「あー……ちょっとねぇ。僕ってさ、ものすごく嫉妬深い男だったんだなぁって再認識したというか……嫌気がさしたというか……こんなぐちゃぐちゃ悩むくらいなら、さっさと羽を毟っちゃおうかなぁなんて残酷なこと思ったりとかぁ……まぁ色々だよ」
「はぁ?」
ワケが解らん――と、雅巳は肩を竦めた。だが、裕樹がここまでどよんとする原因といえば……もちろん一つだけだ。雅巳は「またか」と苦笑した。
「お前の小鳥ちゃんと、何かあったんだな?」
「……別にぃ~。ないよ。な~んにもない」
机に突っ伏し、裕樹はぼんやりと視線の先にいる人物を見つめた。相変わらずダサい黒ブチ眼鏡をかけた雄大が、真面目な顔でスマートフォンの画面を睨んでいる。誰かにメールをするのか、それともきたのか……もしそれが茅衣子であるならば、彼女からスマートフォンを取り上げて、雄大と連絡を取れないようにしてしまおう――そう思った瞬間、またもや自己嫌悪に陥る。
「はぁ~僕って嫌な奴だぁ」
「武蔵川……」
鬱陶しい奴だなと思いつつ、雅巳は無言で席を立つ。そのまま廊下に出て最近変え変えたばかりの新型スマートフォンを開くと、数秒考えてからその番号を呼び出した。この番号を何故彼が知っているのかは……秘密だ。知られたら、確実に抹殺されるだろう。雅巳とて、己が一番可愛い。
◆◆◆
「悪いね、待った?」
「いいえ」
ふるりと首を振った茅衣子に、雅巳は口端を上げ柔らかな笑みを浮かべた。
「お話って……何でしょうか?」
「うん。武蔵川のことなんだけど……きみ、奴と何かあった?」
ビクッと、茅衣子が震えた(怯えた)のを見て、雅巳は頭が痛くなった。やっぱり何かやったなアノ野郎――と、口中で小さく低く呟く。
「あー……良かったらさ、このお兄さんに話してみ? これでも妹が二人いるからさ、女の子の気持ちはなんとなぁ~くだけど、それなりに解るとは思う」
「……」
どうしようかと迷ったが、一人で考えても無限ループから抜け出せるはずはなく……ましてや雄大になど話せるようなことではない。話したら最後、彼のことだ……裕樹をどうこうしてしまう可能性も考えられる。茅衣子は視線を少し伏せ、キュッとスカートのヒダを握った。
「もしかして……武蔵川に何か言われた、の?」
こくんと頷く茅衣子に、雅巳の頭はますます痛む。先日あったことを、茅衣子は雅巳に話した。もちろん亜蘭とカフェで会った所からだ。
「自分以外の男と喋るなって……笑ったりするなって……私は自分のものなんだから、言うことはちゃんと聞かなくちゃダメだって……」
「はぁ?」
昔馴染みに会ったくらいで、裕樹がそこまで子供(高校生だからまだ子供なのだが……)じみた独占欲を出すはずは無い。雅巳は顎を撫でながら、その“アラン”という男が、裕樹を刺激するようなことを言ったのだろうと推測した。
「あの、さ。その彼が何を言ったら、武蔵川は立ち上がったわけ?」
「え、えっと……それは……その……」
しどろもどろする茅衣子の頬は赤く染まっている。もじもじとしてから、ようやくそれを話してくれた。
「私がゆーくんと……キ、キスしたことです」
「……あー……そりゃあ拗ねるわ。うん」
「な、ど、どうしてですかっ!? 武蔵川先輩なんて、数え切れないほど、色んな人と色んなコトしてるじゃないですか!!」
「あ、まぁ……ソッチに関しては否定はできないな」
「だったら……」
「でもさ、しかたないんだよ。アイツはきみが好きだから。心底惚れてるんだもん。そんなこと聞かされたら、そりゃあ腹だって立つし、きみに意地悪したくなっちゃうよ」
男って自分勝手で、すっげぇガキなんだよ――そう言って、雅巳はニカッと白い歯を見せた。
「なんだかなー」
どうも茅衣子は、裕樹の想いを本気にしていない節がある。それは何故か――あの裕樹のことだ、自分の気持ちを伝えていないはずなどないのに………。
「聞き流しているのか……それとも武蔵川は彼女の好みのでないのか……」
他に好きな男がいるのか――その考えを打ち消すかのように、雅巳はブンっと頭を振った。
「“ゆーくん”……か。武蔵川はそいつのこと、誰だか知っているのかなぁ?」
キスをしたからには、お互い好き合っていたのだろう。茅衣子は誰とでも簡単に、それをできるようなタイプではない。何か事情があって別れたが、それでも彼女は今も、その男のことを想っているのだろうか?
「だとしたら、勝ち目はないかもなぁ……どーすんだよ、武蔵川」
雅巳は雲を見ながら、深く深く溜息をついた。カッコ悪くたって、こうなったらもう、全てを曝け出すしかない。でも、それが裕樹にできるのかと言えば、答えは否である。
「マジでどーすんだよ、武蔵川」
わしゃわしゃと髪を掻き毟り、雅巳はもう一度特大の溜息をついた。