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「で、どうなのよ?」
「ああ? 何が」
昼休みの教室で、缶コーヒーを飲んでいる裕樹に、彼の友人である吉川 雅巳は声をひそめて訊いてきた。彼の手の中には、ロイヤルミルクティーの入った缶がある。
「何って……お前の可愛い小鳥ちゃんとの事だよ。もうアレな関係なワケなんだろう?」
「ああ、ソッチの話ね」
裕樹はホウッと息を吐くと、目を細め、まるで汚らわしい物でも見るような目で雅巳を見た。
「アレな仲だなんて……いやらしいな、吉川君。僕のコトを、きみはそんな目で見ていたわけ?」
「おう。見ていたとも。当たり前だろう。ヤリタイ放題のお前の事だ、どうせ我慢できないんだろうと思ってな」
ニカッと爽やかに笑って、雅巳は残ったミルクティーを飲み干した。裕樹のプライベートを色々と知っている雅巳だけに、茅衣子を手に入れたこの友人がどういう行動をとるか……簡単に予測がつく。
「あのさ、吉川。僕のチーコちゃんはまだ十六なんだよ。いくら僕だって、そこまでがっついてないよ」
プイッとそっぽを向いた裕樹に、雅巳の片眉がひょこりと上がる。
「へえ、そうなんだ」
意外だなぁと呟いたそれに、今度は裕樹の片眉が跳ね上がった。「一体コイツの中の、僕のイメージはどうなってるんだ?」と、彼は不快気に顔を歪める。そこへ噂をすれば何とやらで、茅衣子が裕樹のクラスに顔を出した。途端に裕樹の顔がパッと変わる。それはそれはとてつもなく嬉しそうな……そんな満面の笑みである。
「チーコちゃんっ!!」
ダっと走って彼女の傍まで行くと、その華奢な身体を抱き締めるべく両手を伸ばした。が、ぼかり――と背後から頭部を叩かれた。
「どけ、エロ男爵」
「ちょ、なんだよ溝上っ!」
「ゆーくんっ!」
「そうゆーくん……って、え?」
裕樹の頭を丸めた冊子で叩いたのは、同じクラスの溝上 雄大である。黒ブチ眼鏡をかけた彼の顔はといえば、実はちゃんと見れば悪くは無いのが判る。だが、伸ばした前髪と黒ブチ眼鏡のせいで野暮ったさが勝ってしまい、【真面目】で【堅物】で【融通が利かない】タイプにしか見えないのだ。それはイコール「イケメンではない」に繋がってしまっているため、校内女子の中での彼のランクは「は? 溝上? キモッ。ありえないわ~」であった。
「ちぃ、昼飯ちゃんと食ったか?」
こくんと頷いた茅衣子を見て雄大は、冊子を持っていない方の手に持っていたアーモンドチョコの入った缶を彼女の手に乗せた。それを見て茅衣子の顔がパッと明るくなる。そう大差はないのだが、どちらかといえばナッツ類の入ったチョコの方が、何も入っていないチョコよりも好きなのだ。しかも掌にあるそれは、彼女の好きなメーカーのアーモンドチョコだった。可愛いデザインの缶に入ったそれは北欧からの輸入物で、最近ではネットで取り寄せられるそうなのだが、今の茅衣子には贅沢な一品でしかない。
「ホラ、ここの好きだろう? やるよ」
「うわ、いいの? ありがとう。嬉しい。あ、あのねゆーくん。次の時間、古典の辞書って使う?」
「古典の? 使わないよ。数学だから。何? ちぃ、忘れたの?」
珍しいねと僅かに傾けた雄大に、一瞬ではあるが、茅衣子はひくりと片頬をひくつかせた。
「う、うん。ちょっと今朝はバタバタしちゃって……」
そう言って言葉を濁した茅衣子が、ちらりと裕樹を見た事に気がつかない雄大ではない。さては朝からよからぬ事をしやがったなと、彼は裕樹を睨みつける。裕樹も裕樹でこの二人の関係がさっぱり判らず、目の前で繰り広げられる遣り取りに、実はかなり苛々としていた。その証拠に、目が酷く冷ややかなのだ。
「あのさぁ、ちょっといいかな? 溝上とチーコちゃんって、どう見ても昔からの知り合いって感じだよね?」
「……お前には関係ないだろう。ちょっと待ってろちぃ、今取ってくるから」
「うん。ありがとう、ゆーくん」
雄大が辞書を取りに行ってしまうと、裕樹の鋭く痛い視線が茅衣子に突き刺さる。恐る恐る顔を上げると、案の定かなりご立腹状態の裕樹の顔がそこにはあり、茅衣子はぶるりと身体を震わせた。
「チーコちゃん、帰ったらきっちり聞かせてもらうから……覚悟しておいて」
棘が含んだ低い声音に、茅衣子は出そうになった悲鳴を飲み込んで、やはりこのクラスに来たのが間違いだったと後悔した。
(い、言えない……絶対に言えない……。ゆーくんが元許婚だったなんて、絶っっっ対に言えないよぉ―!!)
ぶるぶると頭を振り、雄大が持ってきてくれた古典の辞書を受け取ると、脱兎の如く自分の教室へと駆け戻っていった。心臓がバクバクと打ち、脂汗がぶわっと排出される。授業中も心ここに在らずな状態で、授業内容などまるっきり頭の中に入らなかった。ただひたすら、この試練をどう潜り抜けるか――茅衣子はその事ばかり考えていた。
裕樹よりも早く帰った茅衣子はメイド頭の木村の協力のもと、裕樹に見つかることなく無事次の日の朝を迎えることができた。
が、それは単に事態が先延ばしにされただけであって、雄大との関係を聞く気が無くなったわけではないのだ。先に一人でこっそりと家を出ようとした茅衣子を、玄関先で待ち構えていた裕樹が捕まえ、そのまま彼の部屋へと連行されたっぷりとお仕置き―くすぐりの刑―をされてしまった。
当然の事ながら、雄大との関係も全て吐かされた。
「いい、チーコちゃん。今後僕に隠し事をしたら、これだけじゃ済まないからね」
よく覚えておくようにとクギをさす。コクコクと頷く茅衣子を見て裕樹は満足気に微笑むと、笑いすぎて涙目になった可愛い小鳥の目尻に、羽根のように軽く優しいキスをした。