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「チーコちゃん。ねえ、茅衣子ちゃんてば」

「……何か用ですか。武蔵川先輩」

「も~ツレナイな、その呼び方。裕樹って呼んで」

「……謹んでお断りいたします武蔵川先輩。今忙しいんで、向こう行っててください。掃除の邪魔です」

「いや、そんな意地悪言わないで」


 毎日繰り広げられる光景に、屋敷の誰もが見慣れてしまった所為か、気に留めることもなく皆己の仕事をこなしていた。


 彼女――小野 茅衣子(おの ちいこ)(十六歳)の父親が蒸発したのは、今から約三ヶ月ほど前の事である。

 多額の借金を残したまま、一人娘の彼女を残して消えてしまったのだ。

 しかもその借金が問題で……正規のルートで借りたお金ならば良かったのだが、茅衣子の父のそれは裏ルート(・・・・)からのものであった。その為、連日取り立て屋が家に押しかけてきては大声で怒鳴ったり、ドアを激しく蹴りつけたりと……彼女は大変恐い思いをしていた。


 砂糖に群がる蟻のようだった親族達は、蜘蛛の子を散らすようにいなくなり、当たり前だが誰も茅衣子にお金を貸してなどくれる人はいない。

 高校の担任に相談しても、良いアイデアが浮かぶはずもなく、こうなったら自分の身体を売るしかないと腹を括った彼女を助けたのが、同じ高校の三年――武蔵川 裕樹(むさしがわ ひろき)だった。


 彼の家はこの辺りでも有名な資産家で、茅衣子の父親の借金を全額返済してくれた。

 勿論、慈善事業ではない。

 彼女は武蔵川の家で住み込みのメイドとして働き、その給料から返済していかなくてはならなかった。返済し終わるまで、茅衣子はずっとメイドとして武蔵川家で働くのだ。高校の授業料も、借金の中に組み込まれている。

 いったい何年かかるやら……恐ろしく気の遠くなる話だ。




「……ナンデスカ、これ?」


 ベッドのサイドテーブルの上に置かれたそれを、茅衣子は裕樹に突きつけた。表紙には艶めかしい水着姿の女性が、誘うような……媚びるような……そんな笑みを浮かべている。


「え? ああこれね。これは所謂エロ本ってやつだよ。チーコちゃん、もしかして見たことない? 凄いよ。見てみる?」


 爽やかな笑顔でそう言って、裕樹はページを捲る。茅衣子がギョとして、裕樹の手からソレをひったくるように取り上げた。


「こんな物、先輩は見る必要ないでしょう。モテモテなんだからっ! 没収です!!」

「ちょ、ちょっとチーコちゃん!!」


 ゴミ袋の中へそれを放り込むと、茅衣子は裕樹の部屋の片づけを再開する。彼女に与えられた仕事は、このお坊ちゃまの世話係だった。


 そう……世話係なのだ。

 そこには色々な意味が含まれていた。


 武蔵川 裕樹――校内で彼を知らない者はいない。

 嫌味なくらい整った顔立ちに、出席日数がギリギリなくせに、入学時からずっと学年で五番以内をキープしている。家は大金持ちなうえ、性格も良し、スポーツも良し、女性の扱いもスマートときている。まるで物語から出てきたような彼に、「本当にいるんか、こんな奴っ!」と誰もが我が目を疑うほどだ。


「酷いよチーコちゃん……」


 茅衣子の腰をぐいっと引き寄せ、その首筋に顔を埋めると、裕樹は切なげに呟いた。


「チーコちゃんが毎晩僕の相手をしてくれるのなら、あんなモノ見る必要ないんだよ?」

「あ、あ、相手って何ですか!? 誤解されるような事、言わないでください!!」


 チーコちゃんが悪いんだ――と、理不尽な事を言って、裕樹は真っ赤な顔で固まってしまった茅衣子を抱き上げた。

 このお坊ちゃま、見た目と違って、それなりに体は鍛えている。

 否、茅衣子が平均よりも少々軽いため、お姫様抱っこができるのかもしれない。


「むむむ武蔵川先輩っ!」

「裕樹だよ。さ、あっちに行こう」

「つつつつ謹んでお断りを……」

「ダーメ。チーコちゃん可愛いんだもん。僕、我慢できなくなっちゃった」


 隣の寝室へと強制連行されて、茅衣子はベッドの上におろされる。うっとりとした表情で見下ろす裕樹の、しなやかな指が茅衣子の頬を何度も撫でた。


「可愛い僕の小鳥さん。綺麗な声でたくさん啼いてね」

「っ!!」


 茅衣子は知らない。


 裕樹の初恋が自分だということを。


「好きだよ、チーコちゃん。好き……大好き……」


 祖母のお見舞いに行った病院の中庭で、可愛い声で年配の入院患者数名に、幼稚園で習った歌を歌っていた茅衣子。そんな彼女に、小学二年生だった裕樹は一目惚れをしたのだ。その後何度か病院に行き、その度に彼女を探した裕樹だったが、二度と会うことはなかった。

 あの時歌を聴いていた看護師にあの時の女の子のことを訪ねると、彼女は「小野 茅衣子ちゃんよ」と教えてくれた。入院していた母親の所に来ていたが、その母親もあの二日後に退院してしまっていた。住所を訊いても、教えられないのよと看護師は困ったように笑うだけだった。


 裕樹の初恋は終わった。

 けれど胸の奥底には、茅衣子がずっと棲んでいた。

 成長した裕樹が付き合う女の子は、皆どこか茅衣子に似ていて、それでもニセモノはニセモノでしかない。誰も裕樹の心の奥にまで、入ってくることはできなかった。

 だが、高校三年に進級した四月、運命の歯車は再び動き始めたのだ。澄んだ綺麗な歌声の女の子が合唱部に入部したと聞き、たまたま合唱部の部長が同じクラスだったので名前を訊いたところ「一年C組の小野 茅衣子ちゃんだよ」と返ってきたのだ。


 小野 茅衣子――あの時の女の子だと確信した裕樹は、さり気なく教室まで行き彼女の姿を確かめた。そこにはあの頃の面影を残したまま、可愛く成長した茅衣子がいたのだ。


 初恋の女の子との再会は、退屈だった彼の生活を一変させる。

 サボりがちだった高校にも行くようになり、教室の窓から校庭で体育をする彼女を見つめた。良く笑う茅衣子の笑顔を見るたびに、裕樹の心臓はドキドキと早鐘を打って落ち着かない。

 けれどそんな茅衣子から、笑顔が消えたのは今から三ヶ月ほど前。偶然彼女が担任に相談している所を目撃し、何を話しているのか気になって、そろりと傍まで近づいた。そして判った事は、彼女の父親が莫大な借金を残して蒸発してしまった――という事だ。借金の取立ては執拗で、しかも乱暴で、身の危険を感じている茅衣子は、どうしたらいいのかを担任に相談していたのだ。


 一介の高校教師に、そんなヘヴィな問題を解決できるはずなどない。裕樹は父親に頼み込んで、彼女の蒸発した父親が残した借金を返済してもらった。

 勿論、彼女の父親の居場所も突き止め連れ戻した。首を吊る一歩手前だったので、生きている状態で見つけられたのはラッキーだった。ダメな男でも、茅衣子にとってはたった一人の肉親なのだから………。


 茅衣子の父は今、武蔵川グループ傘下の企業で働いている。

 利子はつけずに、毎月給料から天引きという形で、肩代りした借金を返済してもらっている状況だ。

 このことを茅衣子に話さないでいるのは、ずっと自分の傍に置いておくための裕樹のエゴだった。せっかく捕まえた可愛い小鳥を、逃すバカはいない。


「意地悪しないで。可愛い声を聞かせてよ……ね?」


 絶対に出すものかと、茅衣子は唇を噛み締める。そんな彼女を見て、裕樹は困ったように微笑んだ。スッと耳元に口元を寄せて、吐息混じりに囁く。


「強情だねチーコちゃん。でもさ、そんなトコもすごく可愛い。食べちゃいたいよ」


 ボンという音が聞こえるくらい、彼女の顔が真っ赤になる。裕樹は可愛い小鳥が逃げ出さないよう、優しく優しく己が腕の中へと閉じ込めると、彼女の細く縊れた腰へと手を遣った。


「さあ、可愛い声でたくさん啼いてね」

「や、む、武蔵川先輩」


 にっこりと笑って腰をひと撫ですると、裕樹は両手の指をバラバラに動かし、茅衣子の弱点である腰を激しく擽り始めた。笑い疲れて彼女が眠ってしまうまで、それは続けられたのである。



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