5 自室にて
部屋に戻った私は、机の上に出しておいた課題をちらりと見てすぐに目を逸らした。
眼鏡を片手で外して机に放り投げると、そのままベッドに倒れこむ。
ばふっといい音をさせた後、ほこりが舞うのが見えたのはこの際忘れよう。
仰向けに身体を反転させて両手を天井に向けて伸ばすと、力を抜いて瞼を手の甲で覆った。
真っ暗になる視界に、伊藤先生……佳苗曰く、ちーちゃんの鋭い視線が思い浮かんだ。
鍵当番を押し付けて帰りやがった佳苗に文句をぶつぶつ言いながら、諦めて戸締りを終えた後。
図書室の横にある準備室のドアを、ノックした。
一拍置いた後、こたろーちゃんの声がして。
その”間”に嫌な感じを抱きつつ、失礼しますと声を掛けてドアを開けた。
「あら、委員長?」
いかにも驚いた、みたいな態度で小首を傾げる伊藤先生。
うん、疑問に思うところはきっとそこじゃない。
あなたの、立ち位置だから! 残念っ(何気に懐かしい)
向かいになっているはずの席。
なぜかこたろーちゃんの真横に立って、机に手を置いた状態でした。
まぁ、高校生身長でも手を机に置けばちょっと上体を屈めるよね?
伊藤先生は、百六十センチくらいあったはず。
んで、こたろーちゃんは椅子に座ってまして。
顔がね、胸元に来てるんですよ。
こたろーちゃんがまっすぐ見れば、ぽよよんなものが目の前に。
まぁ、ドアを開ける前は知らないけど、こたろーちゃんは仰け反るように自分の机から少し離れている。
その目が安堵の色を浮かべているのが見えて、溜息をつきたくなった。
だってさ。
こたろーちゃんが安堵するって事は、伊藤先生にとっては邪魔だったってことでしょ?
あー、唯でさえ地味でダサイとか言われてんのに。
意識してこたろーちゃんに目を向けないようにして、伊藤先生に鍵を差し出した。
「本を読んでたら、いつの間にかこんな時間になってまして。今日の当番が気を遣ってくれたようで、鍵を置いていってくれたんです」
あんたのせいだよ、伊藤先生。
婚活は他所でやってくれ。
脳内副音声は、絶対聞かせられん。
ニコニコ笑いながらそう言えば、伊藤先生は私に向かって手を伸ばした。
「三嶋さん。委員長なのに、皆に迷惑掛けちゃダメよ?」
かけてるのは、あんただからーーっっ! 残念!→by二回目
伊藤先生が鍵を受け取るのを見ながら、脳内のみでの雄叫び!
私はすみませんと謝罪を口にして、くるりと背を向けた。
これ以上、無理。
これ以上、ダメ。
我慢できないわー。
とりあえず、自分の役目は終わったのでよしとしよう!
もう帰る!
「あぁ、三嶋さん。ちょっと待ってくれる?」
ぎく
こたろーちゃんの声に、マジで体がびくついた。
何を言うつもり?
あんた、何を言うつもり?!
戦々恐々とした内心の怯えを確実に察知しているだろうこたろーちゃんは、机の横に掛けていた鞄と椅子の背に掛けていた上着を手に取ると、伊藤先生を避けるように大回りをして私の前に立った。
「丁度職員室に用事があるから、途中まで一緒に行こう。もう、校舎内も暗いしね」
と、これはもう満面の笑みで言いやがりまして。
「あ、え、い、う、え……」
「どんな発声練習」
驚きと突き刺さるような伊藤先生の視線の恐ろしさに呻いた私に、くすりと笑いながらもその目が笑ってねぇっ!
見捨てるんじゃねーオーラ、出まくり!
こたろーちゃんは私の横から手を伸ばすと、半分しか開けていなかった準備室のドアを全開にした。
そして私の肩を軽く押して、廊下へと促す。
「梶原先生、鞄まで持っていかなくてもよろしいんじゃありません?」
思いっきり置いてけぼり状態の伊藤先生が、寂しそうな声音でこたろーちゃんを引き止める。
顔を準備室の中に向ければ、鋭い視線を向けてくる伊藤先生の姿。
……恐怖!
思わず固まった私の視界に、その視線を遮るようにでかい背中が現れた。
「私、臨時教師なのでもう帰らなければならないんですよ。残業は許可されてないんです」
顔だけ後ろに向けたこたろーちゃんは、いたって柔らかく伊藤先生にそう告げると、彼女から見えないように私の腕を掴んで廊下へと押し出した。
「そうですか」
落胆したような声がしたけれど、私から準備室内はもう見えなくて。
「お先に失礼します」
こたろーちゃんの挨拶とともにドアが閉められて、伊藤先生の声は聞こえなくなった。
ベッドに仰向けに寝転んだまま放課後の状況を思い返して、どっと疲れが全身を襲った。
明日は、自分の鍵当番。
こたろーちゃんがいてくれればいいけど、伊藤先生だけだったら厳しいなぁ。
伊藤先生にとって、ガリ勉タイプの私はお好きになれないらしくて。
当たりが厳しいのだ。
もともとそうなのに、先生と言う態度で接している時もこたろーちゃんは何かと私のそばに寄って来る。
それは私が図書委員長だからっていう理由が、大きいのだけれど。
面倒だなぁ、と溜息をついた時。
「比奈、ちょっといいか?」
ノックとともに、こたろーちゃんの声が聞こえてきた。