41 こたろーの高校三年生・9
「小太郎、怖いってお前」
別れを告げた日から、茅乃は必要以上に近づいてこなくなった。
いつもの屋上、いつもの昼飯。
狩野に声を掛けられて、現実から引き戻されたように目を瞬く。
「あ?」
思わず出た声は、これ。
狩野は顔を顰めて、手元にあったパンを投げつけてきた。
それを慌てて避ける様に掴むと、狩野に投げ返す。
「食べ物投げるなよ」
「お前も、投げたじゃんか」
その袋をばりっと破きながら、不機嫌そうに狩野は頬張る。
それを見遣って、そういえば飯食ってねーやと自分の手元に視線を向けた。
袋を開けてないパンが二個、転がっている。
その横には、やっぱり開けていない缶珈琲。
腕時計に目を落とすと、すでに屋上に上がってきてから十分以上経っていたことに今更ながら気が付いた。
「お供えかと思ったぞ。座ったっきり、動かねぇし」
そんな俺を見ていた狩野が、ぼやくように息を吐く。
「そんなに、何悩んでんの? 茅乃の事なら今更だろ?」
「……え?」
今更?
俺が驚いたのが意外だったらしく、狩野は齧ろうとしていたパンから口を離した。
「驚く事じゃないだろ? お前、茅乃の気持ちを利用しただけなの分かってなかったの?」
「茅乃の気持ちって、そりゃ……」
利用してたこと、理解してるけど。
「今までの女の子の事は俺しらねーけど、茅乃はずっとお前の事好きだっから。そりゃ別れを切り出されりゃ、傍に来づらいわな」
「ずっと?」
間髪入れずに聞き返される俺の言葉に、狩野が驚いて目を見開いた。
「……お前、もしかして全く気付いてなかっとか?」
ゆっくりと頷くと、眉を顰めた狩野が食べかけのパンを投げつけてきた。
「何すんだよ」
「何するって、お前、バカすぎる。いや、マジで。知っててこの状況も嫌な奴だけど、知らないなら余計むかつく」
「ちょ、狩野?」
狩野は嫌そうな顔を隠すこともなく、乗り出していた体を戻した。
「少しは好意があったとか、思わなかかった?」
「……友達としてなら」
「じゃあ、何。茅乃が小太郎の事好きになったのって、付き合ってからだと思ってたわけ?」
「……」
沈黙は肯定。
はぁぁと、大きなため息が狩野の口からこぼれた。
少なからず、好意はあったとは感じていた。
友達寄りの。
だから、俺の事を見かねてあんな提案をしてくれたんだと思ってた。
現に、最初は恋人という肩書の友達という付き合いだった。
「好意を押し出したら小太郎が提案に乗らないと思って、友達のようにふるまってたんだろ? つきあえば、気持ちが傾くと思って」
……いつからだったか。
茅乃が恋人らしく振舞うようになったのは。
「今の状況を望んだのは茅乃だけど、受け入れて利用したのは小太郎だからな?」
あれは、確か。
「抑えきれなくなったんだろうなぁ、茅乃」
茅乃を駅まで送っていった時、比奈に会ったあの翌日だったんじゃないか?
比奈と会ったのを、見られた?
もしかして、それで……
「傍から見てても気付くのに、気付かないお前は鈍いを通り越して最低な男っていうの。分かる?」
「……分かってる」
ぼそりと返せば、そっか……と肩を竦めた。
「お前さ、幼馴染ちゃんの事ホントに好きなの?」
「……」
伏せていた目を思わず上げたけれど、目を見れずに再び顔を下に向けた。
「中一だっけ?」
答えられずに黙ったままでいると、狩野は息を吐き出した。
「ま、俺には分かんないけど。でもさ、別にお前って年齢でその子を好きになったわけじゃないだろ?」
「ちがっ」
「ならいいじゃんか。たまたま好きになった子が、たまたま幼馴染で、たまたま年下だった。それでよくねぇ? 何をそんなに考え込むわけ?」
「そんな、簡単に……っ」
思わず言い返した俺の目に映ったのは、仕方がないなぁと呆れた様に笑う狩野の姿。
「簡単だよ。お前が考え過ぎ。いいじゃんか、好きだって言えば。それで叶おうが振られ様が俺には責任持てないけど」
「俺、十八だぞ?」
「ん、俺ももうすぐ十八。何? 年上だからえばってんの?」
「そんな事……」
言いかけた俺の言葉を掌をかざして遮ると、面倒くさそうに目を細める。
「もし茅乃と別れてフリーに戻っても、幼馴染ちゃんに何も言わないの?」
「……言えないだろ」
「言えるだろ?」
「言えねぇってば!」
すると狩野は、意地悪そうにニヤリと笑った。
「じゃ、目の前で誰かと付き合うの、見てられるんだ」
どくり。
鼓動が早まる。
考えないようにしている、コト。
「ま、その位の気持ちなら、いいんじゃない? 好きにしなよ」
「狩野っ」
「だろ? その位の気持ちで振り回される、周りが可哀想って事だよ。少しは考えろよなー」
簡単に言い放たれて睨み上げれば、狩野はゴミを片手で掴んで立ち上がった。
「早く元に戻っておいで。のんびり穏やかこたろーくんに、な?」
ひらひらと手を振ると、かったるそうに狩野は屋上から校舎内へと戻っていった。
なんだか最近、屋上に残されるのが多いな……
そんなくだらないことを考えながら、だらりと肩から力を抜く。
考えなかったと言えば、嘘になる。
比奈が、知らない男のものになる事。
でも……
堂々巡りの問いの答えは、すぐ目の前まで来ていた。
ほんの少し、数日の後。
「……誰だ?」
視界に映った二人の姿に、俺は愕然と立ち尽くした。