40 こたろーの高校三年生・8
今日は一人で帰ると屋上を出て行った茅乃の後姿を見送って、その場に座り込んだ。
ずるずると、そのまま寝転がる。
日中暖められた屋上のコンクリはまだまだ生ぬるくて、汗の浮かんだ肌に不快な温度を伝えてくる。
両手組んで、手の甲で目を塞ぐ。
そのまま、大きく息を吐き出した。
「そりゃ……そうだよ、な」
こっちの理由で付き合い始めて、こっちの理由で突然別れるとか。
自分勝手と言われても仕方がない。
それにしても……
”いっそのこと、ひなちゃんが小太郎を嫌いになればいいのに”
キツイ。
例え話だとしても、本当にキツイ。
でも……
両手を離して、大の字になる。
茅乃と別れて。
俺はどうするつもりだろう。
比奈に想いを伝える?
いや、それはきっと無理な話だ。
もし否定されたら? 拒絶されたら?
それよりも。
それ以上に。
比奈が俺を好きだと……幼馴染としての好意を恋愛感情で好きだと勘違いして、頷いたら?
まだまだ子供の、比奈。
少し前に考えたところに帰結する、いつもの堂々巡り。
きっと俺は指摘しない。
間違いを、間違いと指摘してやれない。
勘違いさせたまま、きっと受け入れさせる。
……また、俺は自分を守っているんだろうか。
せめて、二・三歳の歳の差だったなら。
こんなに苦しい思いをしなくても済んだのに……
ぎゅ、と目を瞑る。
「ダメだな、ホント……俺」
何かの所為に、したいだけ。
俺は……
答えの出ない問いかけを繰り返しながら、ただそのまま屋上に転がっていた。
下校時刻の鐘が鳴って、追い出されるように学校を出る。
最終時刻まではまだあったけれど、いつまでも転がっていても仕方ないから。
まだ明るい帰り道を、ズボンのポケットに両手を突っ込んでゆっくりと歩いていく。
帰れば、きっと比奈の家に夕飯を貰いに行くことになる。
料理が破滅的なうちの母親が逃げ道として縋ったのが、比奈の母親の春香さん。
それもあって、ほとんど毎日のように比奈の家に行くのが習慣になっている。
それは、この状況になってからでも。
それでも、学校を理由になるべく比奈が食事をする時間を避けていた。
まったく合わないのもおかしいと、数回に一度の割合で同じ食卓を囲むようにして。
苦しいけれど、早くその日が来ないかと思ってしまう矛盾した日。
頭をこんなところで使う自分に、呆れて笑いしかもれないけれど。
今日は比奈が早く帰宅する日のはず。
比奈は食事を終えると、すぐに自分の部屋へといってしまうから。
だから、多分……会わない。
「……こたろーちゃん?」
その声に、飛び上がりそうになった。
俺の予測ではすでに部屋に上がっているはずだった比奈が、今まさに彼女の家に入ろうとしていた俺を呼び止めたからだ。
ばくばくと鼓動を刻む心臓を感じながら、表面上は普段の顔を取り繕う。
けれど動揺した自分をだますことが出来ず、ゆっくりと……不自然なまでにゆっくりとした動作で後ろを振り向いた。
そこには、少し目を見開いた比奈が俺を見上げていた。
比奈の表情に、自分の動揺が表に出てしまったかと意識的に落ち着かせるために小さく息を吐き出す。
「比奈、今日は遅かったな」
平常心と心の中で繰り返しながら、いつも通りの会話を始めた。
すると比奈は、小さく頷いて俺の横を通り過ぎた。
「友達と、買い物に行ってきたから」
「中学生が、帰りに寄り道はダメだろう」
三和土で靴を脱ぐ比奈に続いて、玄関に入る。
「こたろーちゃん、おじさんくさい」
「お、おじさんって。お前、たった五歳しか離れてないのによく言うよ」
……友達なら。
幼馴染なら、たったと言える”五歳”の差。
比奈は俺の言葉には答えず、リビングに顔を出した。
「おかーさん! 香奈とこの後待ち合わせしてるの。ご飯、その後でもいいかな?」
「あら? いいけど、あまり遅くならないでね」
「は? こんな遅くから待ち合わせって?」
俺の言葉が、母親の言葉じゃね?
比奈の横からリビングに入った俺は、食事の準備をしている春香さんに喰ってかかる様に声を上げた。
「春香さん! いまから出るなんて、時間遅いって!」
「あらまー、また小太郎くんの過保護が出た。大丈夫よ、香奈ちゃんちにいくと彼女とそのおにーさんが一緒に送ってきてくれるの」
「おにーさん?!」
おにーさんって、送ってくるって……
「なら、俺が迎えに行く」
「小太郎くん……、あのね」
俺と春香さんが言い合いをしている最中に、比奈はさっさと着替えて再びリビングに顔を出した。
「行ってくるね」
「比奈!」
俺の声を無視して飛び出して行った比奈を、玄関先まで追いかけたけれど音を立てて閉じられたドアにその先を阻まれた。
イライラを発散するかのようにわざと大きくため息をつけば、リビングから春香さんの笑い声。
「なんで、笑ってんですか」
不機嫌さを滲ませた表情のままリビングに戻れば、トレーからコップをテーブルに置いた春香さんが顔を上げた。
「小太郎くん、比奈は小さな子供じゃないのよ? 過保護にしていたら、成長できないわ」
「でも、まだ中一の子供ですよ」
ガタンと音を立てて椅子に座る。
今日はハヤシライスにオムレツがのった、比奈の好きな夕飯。
ふわふわなオムレツをスプーンでつついてみるけれど、気持ちがどうにもおさまらない。
「ねぇ、小太郎くん」
そんな俺を見ながら、春香さんは向かいの席に座る。
オムレツから目を上げて、春香さんを見た。
「あなたは比奈に子供でいて欲しいの?」
いきなり聞かれた言葉に、思わず目を見張る。
「それとも、大人になって欲しいの?」
口を噤んでしまった俺の頭を、ふわりと春香さんの手が撫でる。
「小太郎くん、三年になって随分口調が変わったわね。私、あの間延びした口調、結構気に入ってたんだけどな」
「間延び、ですか」
比奈の話から内容が逸れた事に安堵しながら、春香さんの言葉を鸚鵡返しに口にした。
「そうよー、なんだか眠くなるくらいの、穏やか口調だったのにー。私、あの小太郎くんの方が好きだなー」
以前の俺の口調をまねした春香さんが、おどける様にくすりと笑う。
つられて苦笑を返せば、ぽんぽんと頭の上で掌をバウンドさせた。
「さ、早くご飯食べて? 冷める前に、お腹に入れてもらわないと」
ね? と自分のスプーンを手に取った春香さんに、同意するように俺は頷いた。
……そしてその日からしばらく、なぜか比奈が俺と口をきいてくれなくなった。
過保護すぎて、うざがられたのだろうか……。
自分から離れていく比奈を疑似体験させられている気がして、焦る。
今は比奈よりも茅乃の事を考えるべきだとわかっているのに、それでも頭の中は彼女の事でいっぱいだった。