39 こたろーの高校三年生・7
「茅乃、ちょっといいか?」
放課後。
いつもなら帰るだけの時間が、重しのように背中にのしかかる。
声を掛けられた茅乃は、驚いたようにぴたりと動きを止めた。
それはそうだろう。
最近逃げ回っていた俺から、いきなり声を掛けられれば。
茅乃はすぐに表情を戻すと、鞄を持ってふわりと笑った。
「うん、どこ行くの?」
するりと腕に絡められるその手。
微かに震えていたのは、俺の勘違いじゃないと思う。
お互いに鞄を持って、屋上へと上がった。
昼飯時には結構な人出のある屋上も、放課後に来る生徒はほとんどいない。
ゆっくりとフェンスに手を伸ばし、茅乃は振り返った。
「小太郎?」
ただその姿を見つめていた俺の名前を、茅乃がゆっくりと呼ぶ。
俺はカラカラに乾いた喉でむりやり唾を飲み込み、それをきっかけに口を開いた。
「ごめん、俺と別れて欲しい」
九月の終わりは、まだ秋とは言えない。
生ぬるい風が纏わりつくように、微かな動きを見せる。
フェンスを握っていた茅乃の手が、ゆっくりと俺に向かって伸ばされた。
「いや」
端的な言葉の中、感情が伝わってくる。
「本当に、ごめん」
「いやだってば」
否定の言葉を繰り返す茅乃の声は、それとは裏腹にとても穏やかで柔らかくて。
反対にどうしていいのか分からなくなる。
「もう、無理なんだ。茅乃」
「何が無理なの?」
「……だから」
「罪悪感から、目を逸らせなくなった?」
思わず、目を見開いた。
そこには、ここ最近見せなくなった”友人の茅乃”の姿があった。
はっきりと言い放つその声音は、甘ったるさのかけらもない。
ただほんの少し、寂しさを滲ませているように聞こえるのは俺の気のせいか。
ふわりと、茅乃の手が俺の腕に触れる。
まだ夏服の半袖Yシャツを着ている俺の、その肌に。
汗ばんでいるそこに、冷たい茅乃の指先が触れた。
「私、ひなちゃんに負けちゃったのかな?」
「……負けたとかじゃない。俺が……」
「忘れさせてあげるって、言ったのにね。駄目だったかぁ」
茅乃は、俺に何も言わせないように被せながら言葉を連ねていく。
「私でも、その他大勢の一人になっちゃうんだね。他の人より、少しは小太郎の近くにいたと思ってたけど自意識過剰だったか」
「それは……」
「ま、友達で近くても意味がないって事よね」
自分で自身を貶めるように言葉を紡ぐ茅乃の姿は、本当に痛々しくて。
そうしてしまった、この状況を作ってしまった自分の行動を悔やんでも悔やみきれない。
茅乃だけじゃない、今まで気持ちもないのに付き合ってきた人達に対しても。
「本当に、ごめん」
謝る事しか、出来ない。
茅乃は、ふぅ……と一つ息を吐いてにこりと笑った。
そして……
「茅乃?!」
俺の首に両腕を回して、ぎゅっと身を寄せてきた。
慌てて引きはがそうとする俺に、余計その腕に力を込める。
「っつ」
とたん、首に微かな痛みを感じて肩を揺らした。
「へぇ、こういうのってつけるの結構難しいのね」
つける……って……
慌てて茅乃の体を引き離せば、くすりと笑う彼女の顔。
思わず首筋に手を当てた俺に、大丈夫よ、と肩を竦めた。
「よく見なきゃわからないから。なんだー、もう少し真っ赤につくのかと思ってた」
「茅乃、一体……」
何がしたいんだと続けようとした俺の言葉を、茅乃がとめる。
「自分勝手」
「え?」
「小太郎の気持ちは分かったけど、あんまりにも自分勝手よね。分かってる?」
茅乃は、フェンスに再び手を伸ばしてそれを掴む。
ぎしりと音が、微かに響いた。
「私の気持ちはどうなるの? はいそうですかって、終われないのよ?」
「……ごめん」
「謝ってばかりね」
目を伏せて笑う茅乃に、謝る以外の何ができるんだろう。
言われてることはすべて正論で、口を挟む場所は一つもない。
「……せめて、それが消えるまで。もう少し私にも足掻かせてよ」
「でも」
「小太郎の気持ちは分かったから。せめてその位してくれても、いいと思うけど?」
そう言うと、茅乃は俺をじっと見つめて笑った。
「いっそのこと、ひなちゃんが小太郎を嫌いになればいいのに」
ね?
そう俺に同意を求める茅乃に、言い返せる言葉は何もなかった。




