36 こたろーの高校三年生・4
翌朝、いつもより遅く自宅を出れば、いつもなら見ない姿がそこにあった。
「……茅乃」
思わず、脳内で比奈が登校する時刻を確認してしまう。
そんな自分を最低だとそう詰りながらも、なぜここにいるのかという茅乃への感情も相あまってぐっと拳を握りしめた。
俺の声が聞こえたのか、少し俯いていた顔をぱっと上げてふわりと笑う。
「小太郎、おはよう!」
いつもより、明るい声で。
それにぎこちなく答えながら、開けっ放しだった玄関のドアを後ろ手で閉める。
門扉から外に出れば、茅乃が隣に立って一緒に歩き出した。
「一体、どうした? こっちに来るなんて」
朝、茅乃と一緒に学校に向かうなんて、言われた事どころか強請られた事もない。
いきなりの行動に、正直言って面喰っていた。
茅乃は笑みを崩す事もないまま、革鞄を反対の手に持ち直す。
「一緒に行きたいなって、思ったから。手、繋いでもいい?」
「……茅乃?」
手を繋ぐ……? それさえも、付き合おうと言われてから初めて強請られる言葉。
一体、何があった?
そう伺うような俺の視線を、茅乃は流すわけでもなくじっと受け止めている。
その目に耐えられなくなったのは、俺の方だった。
「いや、ここ近所だから。悪いけど……」
それだけ告げて、視線を前に戻す。
「そう」
少し寂しそうな呟きが聞こえたけれど、何も答えずに黙々と足を動かした。
「なんか、どうした?」
昼飯の食い終わった屋上で、複雑な表情で狩野が俺の隣に問いかけた。
そう。
いつもなら別々に食べている昼飯に、なぜか屋上まで茅乃がくっついてきたのだ。
しかも、俺の隣に寄り添うように座ってる。
その行動に首を傾げながらも、まぁ仮にも付き合ってるわけだから……と一応納得してみたんだけど。
周囲から見てもおかしかったらしくて、怪訝そうな表情を浮かべていた狩野が昼飯を食べ終えたと同時に茅乃に問いかけた。
「どうしたって?」
何でも無いようにふんわりと笑う茅乃は、小さく首を傾げて狩野に問い返す。
その仕草さえも昨日とは違っているような気がして、思わず眉を顰めた。
狩野は少し目を見張ったけれどいつもの調子で、おちゃらけた雰囲気を醸し出す。
「えらいいちゃいちゃでさ、目のやり場がないんだけど?」
「えー? だって付き合ってるんだもん、いちゃいちゃくらいしてもいいでしょ?」
ね? と隣にいる俺を見上げてくる。
ホント真横にいるから、見上げられるとちょっと困ったりするんだけど……。
これで俺が見返したら、マジでキスするくらい近いってーの。
「あー、ねぇ?」
よく分からない曖昧な返事をして、少し体を離す。
まだ友達としての茅乃のイメージが強い俺にとって、恋人としての対応がまだ中々できない。
茅乃は恋人という括りの前に、仲のいい友人だから。
下手に、恋人関係に持っていけない自分がいた。
「小太郎、嫌?」
くっとYシャツの裾を引っ張る茅乃の声が悲しみを含んでいるように聞こえて、思わず立ち上がる。
「嫌じゃないけど、恥ずかしいし」
周りに人いるし。
そう続ければ、茅乃は俺を見上げていた目を細めて口端を上げた。
「何純情ぶってるのかしらー、小太郎の癖に!」
ぱしんっと、足を叩かれて苦笑する。
「純情だしー。つーことで、俺、先に教室行ってるわ」
「え。おいっ、小太郎?!」
驚いて声を上げたのは狩野で、聞こえていたけれど分からないふりで屋上から校舎内へと……文字通り逃げた。
それから登下校はいわずもがな、昼飯も放課後も時間の許す限り傍にいようとする茅乃の姿に、罪悪感が募っていった。
友人として大切だった茅乃に対して、膨れ上がる罪悪感。
そこで初めて、実感を伴って理解した。
自分の所為で、どれだけ他人に嫌な感情を与え来たのかを。
それは、自分勝手な行動が生んだ最低な日々を振り返ることでもあって。
深く深く刺さった骨は、飲み込むことも取り出すことも出来ず、傷口だけをゆっくりと広げていく。
それは自分だけではなく、茅乃の傷口さえも。