32 蛇足・委縮するココロ・こたろー
「え……、寝てる?」
仕事を終わらせて急いで自宅に帰ると、いつも通り夕飯は比奈の家だと母親のメモが置いてあった。
いつも通りと思えてしまううちの食事事情って……、と内心苦笑しつつ今の自分にとってありがたい状況ではあった。
走り去った比奈の背中が、俺を拒否していたように見えたから。
食事中なら母親たちもいるから、俺の話も少しは聞いて貰えるかもしれないと少し安心した。
……なのに。
俺の言葉に春香さんが、ふわりと笑う。
「えぇ、帰ってすぐ自分の部屋に行ってね? 食事だからと思って呼びに行ったんだけど、ぐっすり寝てるからそのままにしようと思って」
「比奈ちゃん、最近元気ないもんね。悩み事とか?」
俺が何も言えない間に、母親がエビチリを箸でつまみながら頬杖をついた。
そのままビールを呷る母親を見ながら、春香さんは玉子スープをテーブルに置く。
「そうねぇ、よく分からないんだけど。今日も珍しく早く帰ってきて、読みたい本を見つけたから部屋にいるってそのまま籠ったんだけど。あら、小太郎くんも座って?」
立ち尽くしたままでいる俺に気づいて、春香さんが首を傾げた。
「あ、はい」
慌てていつもの席に着くも、視線はリビングから見える階段に引き寄せられる。
……様子を見に、行ったらだめだろうか。
そんなことを考えつつも、やっぱり駄目だと内心諦める。
あれだけ、避けられているのだ。
もし無理にでも話をしようとするならば、目も合わせてくれなくなってしまう気がする。
「……」
それでも視線は、階段に向かって。
いつもならおいしいと何度も言ってしまいそうなほどの春香さんの夕飯も、俺には何の味もしなかった。
食事を終えて自宅の部屋に戻ると、煙草を持ってベランダに出る。
すぐ横の比奈の部屋は、電気もつかず真っ暗のまま。
溜息をつきつつ、煙草に火をつける。
立ち上っていく紫煙を目に映しながら、ベランダの柵に体をもたせ掛けた。
きっつい、なー。
比奈と話せないのって。
ぶはぁぁ、と煙を吐き出す。
じりじりとした焦燥感が、心を占める。
頼むから、幼馴染でもいいから、声を聞きたい。
こたろーちゃん、て、呼んで欲しい。
笑顔を見せて欲しい。
比奈が離れていきそうで、……怖い。
「押し付けるばかりで、ホント駄目だな……」
片山先生に言われた言葉を思い出して、自嘲気味に肩を竦めた。
なんで俺、あんなに逃げようとしたんだろう。
高三の時、比奈を好きだと気が付いたあの時。
逃げずに認めて、比奈と向き合っていれば。
人を傷つける事なんて、無かったのに――