30 蛇足・過去にならない記憶・こたろー
「まぁ、こんなもんか」
伊藤先生が作った資料と各担当教師から出ている要望書を確認しながら、最終的なリストを作り終えた。
もう一度各教師と話し合ってから、購入するべく今度は納品業者と納期の段取りをつけて。
それから、図書室の模様替えだな。
自分に残された期間を脳裡に浮かべながら、段取りを大体決める。
残り、三か月か。
ふぅ、とため息をついてノートパソコンを閉じた。
図書委員もすでに帰宅した図書室は、不気味なほど静まり返っている。
いつもなら最終下校時刻まで粘る比奈も、今日は帰宅済み。
しかも、いや~な感じ満載で。
「口、聞いてくれっかなぁ……」
思わず弱音はいちゃうよ、俺。
高三の頃だって、ここまで比奈と話さないことなんてなかったし。
そこまで考えてから、頭を横に振った。
一度だけ、一週間近く避けられたことがあったっけ。
さっき会った茅乃の事を思い出して、脳裡を掠める。
茅乃と付き合ってた頃、いきなり一週間、声を掛けても何しても無視されたことがあったよ。
そういえば。
あれ、今でも理由がわかんないんだけど、一体なんだったんだろ。
ぎしり、と音をさせて椅子の背もたれに体重をかける。
あの後すぐ比奈が男と歩いてるの見て、自分の中で決めたんだよな。
好きでいる事から、目を逸らすのはやめようって。
で、茅乃ともすぐに別れたんだっけ。
「つーか、ホント俺ってば最低」
茅乃にも悪い事したよなぁ。
別れを告げた時、すんごい泣かれたんだっけ。
でもそれでも俺は比奈の事が好きだから、土下座の勢いで謝り倒したんだよな。
最後は一応、納得してくれて……。
大きく息を吐き出して、両手で顔を覆った。
そろそろ比奈切れなんだけど、マジでやばいんだけど。
声、聞きてぇなぁ。手、握りてぇなぁ。抱きしめ……
「声でてますよ、変態教師」
「――!?」
びっくーっっ! と、文字通り飛び上がった。
自分の世界に旅立っていたからか、心臓がばくばくと鼓動を早める。
声のした方に顔を向ければ、見慣れた顔がそこにあった。
「か、河田副委員長、まだ帰ってなかったの」
上ずりそうな声を抑えつつそう問いかけると、河田は鞄を少し持ち上げた。
「もう帰りますよ。少し、梶原先生に用があって」
「……私に?」
聞き返すと、はい、と満面の笑みを浮かべられた。
「へたれのこたろーちゃんに」
……とうとう、生徒にまで言われるのか。俺は。
河田は机の上に鞄を置くと、そのまま座りもせずに静かに口火を切った。
「うちの委員長、今日、放課後図書室に残りませんでしたねぇ」
「……そうだね」
何が言いたい。というか、何か聞いてるのか、比奈から!
硬直状態の現状が少しでも動き出すのかと、思わず強張る。
動いてほしいけど、一刀両断振られたらヤバイ。
とりあえず、臨時教師はやめないと。
カタセンに迷惑かける。
え、どういう風にって?
うーん、我慢できるかどうかわかんないから。
「授業終わった後、来たことは来たんですよ。ここに」
「? そうなんだ」
図書室来たのに、帰ったって事か?
「梶原先生と比奈の間がすっごいぎくしゃく違和感満載だったので、突っ込んだら逃げられました」
さらりと言った言葉に、思わず頭を抱えたくなった。
……頼むよ、追い打ちかけないでくれよ。
自分が大元の原因だっていう事を棚の一番上にあげて、河田の声に天井を仰いだ。
比奈が早く帰ったの、こういう事か。
それなのに俺が追いかけて行ったから、余計逃げたと……。
上を向いた顔を戻して、目の前に立つ河田を見上げた。
「何処まで比奈から聞いてるかわからないけど……」
「まったくなにもこれっぽっちも、委員長から聞いてませんよ」
「へ?」
「まったくなにもこれっぽっちも聞いちゃいませんけど、普段の梶原先生見てればどう考えてもヘタレでおバカなのは先生の方だってよく分かります」
……
怒っていい?
流石の先生もね、聖人君子みたいなもんじゃなくてだね、怒るという事もできる人間なのだよ?
微笑み常備の表情が流石に引きつり始めた俺の顔を、河田が見下すように目を細めた。
「大体、比奈が梶原先生との関係を懸命に隠しているのに、それをずかずかと蹴散らして親しげオーラだしてりゃ、周りの女が比奈に対してどういった態度に出るかくらい、文系教師的脳内板書で思いつかないんですか?」
よどみなく言い切られた言葉に、思わずあんぐりと口を開けてしまった。
なんだ、文系教師的脳内板書って。
「しかもさっきの女の人、なんです? 比奈に言い寄りながら他の女連れて校内歩くとか、その脳味噌は文字通り味噌ですか。いや、失礼ですよね、味噌に」
味噌にかよ!
……と、内心突っ込みを入れているけれど、全く口から出ないのは河田の勢いに押されているから。
それ以上に、言っていることが……事実だから。
「でも、特に構内を練り歩いたわけでは……。それに、茅乃は高校の時の同級生だし」
「へぇ? ”かやの”、ですか」
言い返した言葉は、言い聞かせるような言葉となって自分に返ってきた。
「まぁ、なんていうんですか? はっきり言って梶原先生がヘタレだろうが脳味噌過熟成だろうが下半身のみに忠実だろうが、私にはどうだっていいことなんですけどね?」
……女子高生が言う言葉か……!
「”大人の男”のこたろーちゃんにはわかんないかもしれませんけど、”女の子”の私達から言えば、親しげ名前呼びはアウトです」
「は?」
そこまで俺を貶しといて、名前呼びに突っ込み?
間抜けな顔をさらしたであろう俺を、河田は汚いものでも見るように嫌そうに眉間にしわを寄せた。
「くだらないって、思ったでしょう? それ位くだらないことでも、女の子にとってはくだらなくないんですよ」
「え、名前呼ぶだけで?」
「そうです。でも、梶原先生、全く気付かなかったでしょ? 同じように先生が気が付かないことで、比奈を傷つけてることがあるんです」
思わず、身を乗り出した。
その言い方って、それって……!
河田は俺が言いたいことに気が付いたのか、鼻で笑った。
「言いましたよね? 何も聞いてませんって。でも、比奈はすごく傷ついてる。見て、分からないんですか?」
高ぶった感情が、一瞬にして冷める。
見て、分からないかって……
「分かってるよ。でも、どっちかっていうと俺の方が落ち込みたい状況なんだけど」
「勝手に落ち込め、ヘタレ野郎」
……さすがに、怒っていいかな?
「じゃ、私帰りますので。鍵よろしくお願いします」
引きつった口を開こうとした俺を一瞥して、河田は踵を返すと図書室を出て行った。
開けたままの口を晒している、俺を置いて。