19 そして、夜
「比奈、ちょっと話があるんだけどー」
こたろーちゃんよりも先に夕食を終えて部屋にいた私は、ノックと共に聞こえてきた声に、一瞬身を強張らせた。
そして自分の手元を見て、傍にあった本をその上に置く。
「なぁに、こたろーちゃん」
いつも通りそっけなく返答すれば、おずおずというようにドアがゆっくりと開いてこたろーちゃんが顔を出した。
「今、いいかー?」
「外でなら」
座っていた椅子から立ち上がると、廊下でこたろーちゃんが困った顔をする。
「外、寒いぞ? 風邪ひかせたくないし……」
その言葉を聞き流しながら、ふと気が付いてこたろーちゃんの傍による。
「風邪っていえば、こたろーちゃん。ちょっと顔、赤くない?」
「へ?」
そういって額に手を伸ばせば、掌越しに伝わってくる高い体温に少し驚いた。
「ちょっと、熱あるしっ。奈津さーん!」
こたろーちゃんの脇を抜けて、階下にいる奈津さんに声をかける。
何? と返答してきた奈津さんに、階段を降りながら話しかけた。
「こたろーちゃん、風邪っぽい」
後ろから少し遅れて階段を下りてきたこたろーちゃんが、慌てたように声を上げる。
「いや、母さん。大丈夫、平気……」
「うっさい、黙れアホ息子」
リビングから廊下に出てきた奈津さんは、叩くようにこたろーちゃんの額に手を当てて眉間にしわを寄せた。
そうして深く溜息をついてから、その手を玄関の方に向けて指差す。
「病人は、こっちにくんな。社会人にもなって、体調管理もできないのか。馬鹿こた」
「まぁ。アホ息子に馬鹿こたに変態こたろーちゃん、いろんな名前があって楽しいわねー」
「一つ、勝手に増やさないでくれません? 春香さん」
続いて出てきたお母さんの言い草に、こたろーちゃんががっくりと肩を落としたまま懇願する。
それを受けながらも一度リビングに引っ込んだお母さんが、ビニール袋を下げて再び顔を出した。
「比奈」
こたろーちゃんの後ろでぼけっと話を聞いていた私は、いきなり呼ばれてお母さんを見る。
「何?」
問いかければ、邪気のない満面の笑みでその袋を私に押し付けた。
意味も分からずそれを受け取ると、おかあさんと奈津さんはリビングへと戻る。
「え、ちょっと、何?」
定位置であるダイニングのそれぞれの椅子に腰を下ろすと、ひらひらと手を振った。
「小太郎くんの面倒、見てあげなさい? 私達、まだ用事があるの」
「は?」
なんで私が!
そう言おうとしたけれど、あっさりと奈津さんに先を越された。
「こたの馬鹿ってば、昨日の夜ベランダでタバコ吸ったまま寝たみたいなのよねー。あんまりにも馬鹿すぎてかーさん面倒見たくないから、ごめんねー比奈ちゃん。用事が終わったら、すぐに帰るから」
「……う」
流石に奈津さんにまで頼まれて、嫌とは言えない。
しかも、風邪の理由が昨日の夜の出来事だと、知ってしまったからには。
諦めるようにため息をつくと、傍で困ったように私を見下ろしてくるこたろーちゃんと目を合わさないように歩き出した。
「比奈」
慌てて歩き出すこたろーちゃんを無視して、さっさと靴を履いて玄関を出る。
ものの数秒の距離にあるこたろーちゃんちの玄関を、本人に開けてもらって久しぶりにその玄関をくぐった。
「お邪魔します」
誰もいないのにお邪魔も何もないけれど、習慣になっているものは仕方ない。
靴を脱いで家に上がると、やっぱりまだ困惑したようなこたろーちゃんを見上げてため息をついた。
「うがい手洗い後、部屋へ直行」
「へ? いや、せめて風呂……」
「そんなもん、奈津さん帰ってきてからにしてよ」
私の言葉の意味に気が付いたのか、あぁそうか、とぼそぼそ呟いて洗面所へとこたろーちゃんは向かった。
私はキッチンに入って、お湯を沸かす。
っていうか……
「奈津さん。生活感、なさすぎ」
ヤカンとポット、急須や茶葉はあるけれど。
鍋とかまな板とか、きれいに仕舞われている。
ほとんどうちにご飯食べに来てるから、必要ないのかもしれないけど。
思わず苦笑して、お母さんに持たされた袋の中身を取り出した。
冷感シート、スポーツドリンク、体温計に風邪薬。
下の方にゆず茶の小瓶が入っているのが見えて、目を細める。
私が風邪をひいた時の、必需品。
のどに優しいのだ。
洗面所から戻ってきたこたろーちゃんを部屋へと急き立てて、マグカップにお湯を注いで少し冷ます。
あまったお湯をポットに入れて、そのままダイニングテーブルに置いた。
本当はゆず茶を飲みたい衝動に駆られているけれど、そんなことしたらここにいる時間が長くなる。
こたろーちゃんが何を聞きたいのか、何を話したいのか想像がつくだけに、私は早く帰りたかった。
「薬」
久しぶりの、こたろーちゃんの部屋は……男臭い。
いや男なんだから仕方ないと言われればそうなんだけど、ね。
男の人にとっては、そんなこと言われてもーて感じだろう。
女の人も、男の人から女臭いとか思われてるんだろうか。
そんなくだらないことを考えながら、現実逃避してどうすると内心溜息をついた。
モノトーン基調の家具の中、こたろーちゃんがいるベッドにかかるのは青いカバー。
それが、変に目に鮮やかに目に映った。
お盆にのせた薬とマグカップをベッドサイドの机に置けば、上体をベッドヘッドに持たせていたこたろーちゃんがすぐに手を伸ばすと、黙ったままそれを飲み干す。
「比奈」
呼ばれた声音で、思わず体が強張る。
「比奈、ちゃんと、話したいんだけど」
薬を飲んだのを確認したらさっさと帰ろうと思っていた私に対して、それを阻止するべく何か言い出す前にこたろーちゃんは薬を飲んだらしかった。
お互いに、お互いの考えていることが、大体わかってしまう。
幼馴染は、はたして、面倒だ。




