表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/44

17 翌日の二人と、先生

 いつもの時間、いつもの場所、分厚い本、手元の筆記具。

 とても幸せな居場所。


 だというのに。

 いつもならすぐに本の世界に浸れるのに。


 今日、まだこたろーちゃんに会ってない。

 カウンターにいた伊藤先生曰く、会議に行ってると言ってたけれど。



 頬杖をついて、真横にある窓から外を見る。

 既に夕方を迎えてオレンジが紺色に変わっていく、きれいな空。

 建物に邪魔されつつ、低い位置に一番星が見えて。

 じっと、見つめる。


 昨日、こたろーちゃんに言った言葉に、嘘はない。

 嘘吐きは……、ずっとずっと私に嘘をついているのはこたろーちゃんの方なんだから。

 だから、もういいって、言った。

 そんなことをしなくても、こたろーちゃんの幼馴染だからって。

 幼馴染で、あり続けるからって。

 嘘なのに、私の事好きだなんて思ってもいないくせに、言われ続けるのは私だって辛い。




 こたろーちゃんがそんな事を言い出したのは、高校三年。

 私は、まだ中学一年生だった。

 その時の自分といえば小学生の頃と違う制服を着た自分に、少しこたろーちゃんに近づけたと内心喜んでいた。

 ……こたろーちゃんが、好きだった。

 ずっとずっと、幼い頃から。

 多少、憧れに近い想いだったと言えるかもしれない。

 けれど、中学生に上がった後は、恋、と呼べるものに変わっていたとそう思う。

 じゃなければ、あんなに苦しくなかった。



 こたろーちゃんへの感情を、捨てる事、が。




 ”……あなたが、ひなちゃん”


 未だに忘れることができない、冷たく呼ばれた自分の名前。


 ”本当に、ひな、ね”


 初めて、自分の名前が嫌になった。







「比奈」


 記憶とオーバーラップするように呼ばれた名前に、自分でもおかしいほど体が震えた。

 頬杖をついていた顔を勢いよく上げて、声のした方を見る。

 あまりの驚きに見開いてしまった視界には、同じようにしているこたろーちゃんがいた。


「こたろー……ちゃん」


 無意識に零れた声に、こたろーちゃんが息を吐いて瞬きを繰り返す。

「どうした比奈ー。驚きすぎだろう?」

 いつもの間延びした声と、柔らかい表情。

 ……柔らかく、そう努めようとしている、表情だ。

 ツキリと胸が痛くなって、思わず目を手元の本に落とす。


「どうしたの、こたろーちゃ……梶原先生」

 いけない、ここは図書室だった。

 不用意に名前を呼んでいい場所じゃない。

 聞かれたのが佳苗だったからよかったものの、幼馴染を隠しているはずの私が気を抜いちゃいけない。

 こたろーちゃんは眉を顰めると、机の向こう側に立った。

「昨日の資料、貰おうと思って。持ってきてくれたー?」


「ごめん、忘れた」


 反射的に、即答してしまった。

 本当は、ちゃんと持ってきている。

 机の横に置いてある鞄の中に、ちゃんと入ってる。

 でも、今は。

 こたろーちゃんと、あまり話していたくなかった。


「そっかー、うん、別に急がないし。気にすんなー」

 いつもの間延びした声音だけれど、少し緊張感を含んでいるのが感じ取れる。

 私の出方を、伺っているような。

 それに気づきながらも、簡単に謝罪だけしてぺらりと本のページを捲る。

 今日、一文字も頭に入れていない、その本のページを。

 その音がきっかけになったのか、こたろーちゃんの掌が机に置かれた。

 トンと軽い音がして、同時に上体を屈めて近づいてくるのが分かる。


 ドクドクと不快なほど、鼓動が早くなっていく。

 今、きっと、顔……青い。


「比奈、昨日の話だけど……」


「梶原先生」


 違う意味で、肩が跳ねる。

 こたろーちゃんの言葉を遮った、伊藤先生の声。

 斜め上で、小さくこたろーちゃんが息を吐いて、それが耳元を通り過ぎた。

「どうしました、伊藤先生」

 それでも柔和な笑みをきっと作ったのだろうこたろーちゃんが、上体を戻しながら体を後ろへ捻る。

 パタパタと聞こえるのは、伊藤先生が愛用しているナースサンダル。



 ゆっくりと顔を上げれば、すぐ傍まで来ていた伊藤先生と目があった。

 こたろーちゃんがいるからか表情は変わらないけれど、それでも視線は冷たい。


「えぇ、昨日の資料の事ですけれど」

 その言葉に手元を見れば、数枚の紙。

 あぁ、と理解する。

 こたろーちゃんにも伊藤先生の言わんとしていることが伝わったのか、同じように手元に視線を向けている。

「作ってきたので、どうぞ?」

 案の定、こたろーちゃんに向けて差し出されたそれは、昨日私が夜に作っていたものと似ている資料。

 元々の資料が手元にあることに、たぶん気が付いたんだろう。

 昨日最初に私が持ってきてこたろーちゃんや伊藤先生に見せた資料は、元々彼女にも提出したものだったのだから。


 こたろーちゃんは差し出された資料を一瞥して、すぐに顔を上げた。

 その表情が無に近いことに気が付いて、私は慌ててその資料を奪い去るように手に取る。

「委員長?」

 非難がましい伊藤先生の声が聞こえたけれど、私は構わずにその資料に目を通すふりをした。

「凄いですね! やっぱり、教えて頂いても足元に及ばないです、私なんて!」

「え?」

 まさかそう来るとは思わなかっただろう伊藤先生が、呆けたように声を出す。

「昨日作ってはみたんですが、どうにもうまくいかなくて! 作り直そうと思って、捨てちゃったんですよ!」

「は?」

 今度は、こたろーちゃん。

 その声に一瞬肝が冷えたけど、そんなこと気にしてられない。

 伊藤先生を見上げて、満面の笑みを浮かべた。

「正直難しくて、どうしようって思ってたんです」

 そう言い放つと、その資料をこたろーちゃんに押し付けた。

 呆気にとられたように私を見ていたこたろーちゃんは、勢いに押されたのか何も言わずそれを受け取る。

「やっぱり、私には無理でした。伊藤先生、ありがとうございます!」

「あ、えと……。そう言ってもらえれば、嬉しいわ」

 本当に嬉しそうに、笑ってくれるから。


 あぁ、そうだ。


 ナースサンダルがちらりと、視界の端に映って思い出す。

 履きやすくて、足も痛くならないし、重宝するのよ! と、そういえば一学期にそんな事言ってた。

 そんなことを話すくらい、伊藤先生は私を嫌ってはいなかった。

 ガリ勉スタイルを指摘されることはあっても、それは苦笑を伴うものだった。


 今みたいに、冷たい視線を向けられることなんて、なかったんだ。


 伊藤先生がそんな態度をとるようになったのは、私のせい。

 中途半端に、こたろーちゃんの近くにいるから。

 捨てたはずの感情が、まだ欠片くらいは心の片隅に残ってたのかもしれない。

 だから、こたろーちゃんを口では拒否しながらも、態度が伴ってなかったんだ。



 どこまでも、どこまでも、私は”ひな”のまんまで。

 それでもこれだけは、上手くなったんだ。



「もうそろそろ鍵当番が見回りに来るので、私、帰りますね」



 にっこりと笑って、自分の感情を隠すこと、それだけは。


今後の更新ですが、隔日に変えていこうと思ってます。

よろしくお願いしますm--m

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ