1 図書室にて
「本ばっか読んで、目、悪くするよ」
図書室に入って壁伝いに右手、奧。
唯でさえ来る人が少ない図書室の、これまた人気の無い貸し出し禁止本エリアの、もっと奧。
たった一つだけある机と、椅子二脚。
幾つもの本棚に隠れた、私の特等席。
今日も今日とて本の虫を自負する私は、世界から隔離されたようなその場所で、お気に入りの本のページを繰る。
昔懐かしガリ勉の、イメージを地で行く三つ編みおさげの図書委員長である私にとって、これ以上の至福の時間があるだろうか。
いや、無い。
真横の窓に濃いオレンジに変わりゆく風景を従え、机に開くは古事記の分厚い本。
ぺらりと捲れば、ぱっと見全く意味の分からない文字の羅列。
暗号のような文字達をゆっくりと紐解いて、意味を成して行くこの興奮。
今まで、分かち合えた人はいない……。
「……」
ちょっと暗くなったけど、いいの! 気にしない!
いつか、きっと、会える、かもしれないかもしれな……←無限ループ
「ねー、比奈ってばさ。思いっきり俺を無視してるの、気付いてるー?」
デートは国会図書館、休日は国立民族博物館、あぁ城跡巡りも最高ね。
「比奈ぁ、お前さー」
寺社仏閣に行くときは、朱印帳はマストだからよろしく!
ほくほくと幸せ妄想に浸っていたら、見ていた本の上にそれなりに大きな音をさせて掌がどんっと降りてきた。
「……」
思わず、その手を見る。
あー、骨ばった手ってある意味羨ましいよねー。
私、子供っぽいまんまだもんねぇ。
「おい、比奈。いい加減こっち向け」
前の方から聞こえていた声が、いつの間にやら真横上方から降ってきた。
「手、邪魔。本が可哀想でしょ?」
顔をあげることさえ億劫で、本の上に置かれた手を丸めた拳でノックの様に軽く叩く。
「お前に無視されてる俺より、本の方が可哀想なのかよ」
「うん」
「即答だし」
はぁぁ、と深く息を吐き出して真横に立つデカイ図体が、肩を落とした。 ような気がする。
しつこいけど、私の興味は本だから!
「比奈ぁ。お前、図書委員長の癖して、司書に対しての態度悪すぎー。減点したろか? 内申点」
「こたろーちゃんと違って、数点の差に泣かないから」
冷たく返せば、余計なお世話だと小突かれた。
「まぁいいや。でさ、比奈……」
そこまでこたろーちゃんが言い掛けた時、
「梶原先生、よろしいですか?」
少し離れたところから甘い声がトンデキマシタ。
いや、マジで。
比喩じゃなく。
まるで砂糖でコーティングされて、重みを増したかのような甘ったるい声。
顔を上げれば、ふんわりゆるパーマの髪が胸元でゆれる、もう一人の司書教諭が私達を見ていた。
こたろーちゃんは本についていた手を上げて、屈めていただろう上体を戻す。
「伊藤先生、何でしょうか」
一瞬にして「先生」に戻ったこたろーちゃんは、歩きながら何か思い出したようにこちらに振り向いた。
「三嶋さん。司書としては嬉しいけど、あまり根を詰めないようにね?」
その目は言葉とは裏腹で、わかってんだろーなぁ、と二重音声に聞こえてしまうのは仕方ないことだろう。
「分かりました、梶原先生。お気遣いありがとうございます」
丁寧な生徒モードで御礼を言えば、満足した顔で伊藤先生と連れだって歩いていった。
その広い背中を見送って、私は再び本に目を落とす。
なんとなくもやもやするけれど、きっとそれは気のせいだ!
そう断言して、再び古事記の世界へ……
「今日もやるねえ、ちーちゃんは」
「んあ!」
入れなかった(涙
いきなり背中にどすんと重みが来て、本の上に顔面着地。
好きだけどね、本、大好きだけどね?
ファーストキスはね、せめて人がいいと思うの。
一向にどく気配のない背中の小判ザメを、振り落とす感じで体を揺する。
「あら、冷たい。副委員長は大切にした方がいいですよー、委員長さま」
「その前に委員長の私を大切にせよ、河田佳苗副委員長」
冷たく言い放ちながら、本を撫でる。
シワになってないかしら!
佳苗は本マニアーと、私をけなしながら机の向こう側、もう一つある椅子に腰掛けた。
「ちーちゃん、あからさま過ぎて笑えるね。梶原せんせーも、いい迷惑だろうに」
にやにやと笑いながら、ふ、と落としたトーンで言葉を続ける。
「あんながつがつ感みせられたら、引くよねー。ていうか、うちらがドン引き。やだなー今日の戸締まり役」
本を撫でていた私は、佳苗のその言葉ににんまりとした笑みを向けた。
「そりゃ、ご愁傷様。どっちかが帰っていればいいねぇ」
図書室の鍵は、司書教諭に戻すことが決まりなんだけど、実はそれが問題。
うちには、司書教諭が二人いる。
伊藤 千恵先生、御歳二十五歳と、梶原 小太郎先生、御歳二十二歳。
まぁ、さっきのやり取り読んでくれれば分かると思うんだけど、伊藤先生は梶原先生LOVEでして。
まぁた、梶原先生は臨時教諭だからその間に! て、押せ押せ感半端ないわけでして。
んで、司書教諭は当たり前だけど図書準備室に二人でいるわけでして。
鍵返しに行くと、そんな生々しいやり取りを見なきゃいけないから皆嫌がるのだ。
で、どうして私に回ってくるって?
「本当に嫌なんだよねぇ。幼馴染の”こたろーちゃん”に、比奈から返してくれないかなー」
こーいうことだからですヨ。
たまたま話していたのを、佳苗に盗み聞き(いや、図書室で晩御飯の話をした私達がバカなんだけど)されて幼馴染である事がばれたのだ。
内緒にしていたのに。
私は本のページをぺらりと捲ると、期待に満ちた佳苗を一刀両断する。
「幼馴染でも、今は単なる先生と生徒。役目は全うしてください」
「えー、幼馴染って事は内緒にしてあげるからさぁ」
「それは当たり前。でも、嫌」
即答すれば、ケチと肩を落とされた。
前に書いたものを、手直しして載せてみました。
お暇つぶしに……