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■9話 五十肩(肩関節周囲炎)

 午前の診療が一段落した頃、バックヤードで白井先生とお茶をすすっていた。


「この前、赤木先生が患者さんに”魔法みたい”って言われてたんですよね」


「へー」


「膝の痛みが皮内鍼貼っただけで無くなって、ちょっと憧れました」


「なるほどね。まずは、自分でやってみるのが一番だよ」


「自分にですか?」


「自分自身にやってみて、実感できたら他の人に試して見て、治療に取り入れていくんだよ」


「……今のところ痛くなくて」


「周りに3人も実験相手がいるじゃないか」


 白井先生はふっと笑って湯呑を置いた。


「やっていればできるようになるさ。まずは手を動かすんだ」


 そんな会話をしていると、扉が開く音がした。


「白井先生、新患さんみたいです」


「よし、ベッドに案内して」


 患者は五十代後半の男性。ベッドに案内し、しばらくしてから白井先生と共に患者のいるブースに入る。


「失礼しますね」


 カーテンを開けると、スーツのジャケットを片腕だけ脱ぎかけたまま、ぎこちなく肩を押さえていた。


「遅くてすまないね。肩が上がらなくて……」


 白井が一歩前に出て、静かに尋ねる。


「痛みはありますか?」


「ええ、何もしなければ平気なんですけど、最初よりは痛みも減ったんだけど、まだ痛くて。動きも悪い……」


 男性は左肩の前面を押さえている。


「整形外科には行かれました?」


「通ってます。もう一か月くらい。リハビリもしてるんですけど、あまり良くならなくて。知り合いに鍼灸がいいって勧められて来てみました」


「なるほど。では、どれくらい動くか、ちょっと見せてください」


 白井の指示に従い、患者は慎重に左腕を持ち上げる。肩の高さにも届かず、途中で顔をしかめて止まった。


「そこまでですね。押して痛む場所、ここですか?」


 白井が肩の前部をそっと押すと、患者が軽く呻いた。


「はい、そこが特に……」


「わかりました。では、まずうつ伏せになって下さい。ゆっくりで大丈夫です」


 男性がうつ伏せになると背中の状態を確認する。


「中川先生、どう思う?」


「仰向けか座位で治療するのかと思っていました」


 以前勤めていた接骨院では五十肩の患者が来ると仰向けか座位で治療していた。


「あとで仰向けでも治療するよ。治療の仕方は人それぞれだからね。例えば赤木先生なら初めに皮内鍼を肩周りに使うと思うよ」


「なるほど」


「患者さんをよく見ることが大切だ。これだけでも色々わかるよね」


 五十肩になって1ヶ月。痛みが減った慢性期の患者だ。視覚的な所見は正直わからない。固まっていると――


「例えば……」


 白井先生が続ける。


「頸が前に出てストレートネックっぽい。頸周りの緊張が強い。背中まで緊張が続いている。腰は大丈夫そうだ。肩甲骨が外転して張り付いている。肩甲間部の張りが強いとかだね」


「それって五十肩の所見なんですか?」


「別に五十肩に限定していないよ。今現在の患者さんを見てどう思うか、何を考えるかが重要なんだ。疾患名に惑わされちゃダメだよ」


 うつ伏せの治療を行った後、仰向けになってもらい治療を行う。


 治療後、再び腕を上げさせると、患者の動きが明らかに変わっていた。


「おお……さっきよりずっと上がる。なんだか不思議ですね」


「来た時より、ずいぶん良くなりましたね」


「ありがとうございます」


「この状態を保つためにも、ご自宅でもしっかり動かしてくださいね。痛みが完全に引くまでは、毎日こまめに。あと、冷やさないように気をつけてください。よく温めて、血流を良くするのが大事です」


「わかりました。次はいつ来れば良いですか?」


「三日以内に来てもらえるとベストです」


「じゃあ、明後日のこの時間にお願いします」


 夜、居酒屋。


 白井先生の隣でビールを飲みつつ。


「あの五十肩の患者さん、すごく動くようになってましたね」


「本人の努力も必要だけど、痛みさえ取れれば人間の身体は意外と素直に動いてくれるもんだよ」


「簡単そうに言いますけど……」


 白井は笑った。


「でもね、肩の動きが悪くなる理由はひとつじゃない。腱板がやられてるとか、関節包が硬くなってるとか、筋肉の緊張とか、原因はいろいろある。背骨だって関係してくる。局所だけ見ていると、見落としてしまうよ」


「……まだまだ自分じゃ出来る気がしないです」


「慣れもあるし、経験も必要。でも、どこを見るべきなのか、どう考えるべきなのかは伝えているから、ちゃんと出来るようになるよ」


「頑張ります」

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