■7話 PC作業の弊害
「こんにちは」
「こんにちは。予約の松永さんですか?」
20代前半くらいの女性が入ってきた。顔色は悪く、声もか細い。
「はい、そうです」
視線も下がっており、どこか壁を感じる。
「辛そうですね。ベッドでお話を伺いましょうか」
「はぁ……」
「中川先生、そこのベッド準備できたら案内お願い」
「はい」
遠赤外線ヒーターを点け、彼女を施術ブースに案内する。
「では、ベッドに座ってお待ちください」
患者を残して一旦バックヤードへ戻り先生たちの指示を待つ。
「なんだか本当に辛そうでしたね」
「鍼灸院に来る人って、大抵そうよ」
「今まで僕が見てきた患者さんは、ある程度調子が整ってる人ばかりでしたからね」
「まあ、定期的に通ってくれてる人たちは、ある意味“元気な患者さん”なのよ」
なるほど。確かに今までの患者さんたちは、見た目にはそこまで重症には見えなかった。
「じゃあ赤木ちゃん、問診と、そのまま治療も任せちゃっていいー?」
「ええ、そのつもりよ。中川先生、私が問診取るから、カルテの記載お願いね」
「あ、はい」
赤木先生のあとに続いて、ブースへ入る。
「お待たせしました。開けますね」
「はい」
「失礼します」
座っている様子を見ると、猫背で、目には生気がない。
「今日はどうされましたか?」
「ずっと頭痛が酷くて……頭痛薬を飲まないと寝ることすらできなくて。寝ても、薬が切れると痛みで目が覚めるんです」
「病院には?」
「数年前に行った時は、緊張型頭痛と言われました」
「MRIなどの検査は受けましたか?」
「はい。一通り検査して、脳には異常がないって」
「今は通院されてますか?」
「いいえ。薬が筋弛緩剤と鎮痛剤だけで全然効かなくて……質問しても『緊張型頭痛ですね』の一点張りで、ちゃんと話も聞いてくれなくて」
「なるほどね。お仕事は?」
「SEです。今日は午後だけ有給を取りました」
「耳鳴り、ありますよね?」
「……はい。あったりなかったり」
「肩こりも?」
「ずっとです」
「具体的には、いつ頃から?」
「就職してからですね」
「他に気になる症状は?」
「何もする気が起きないというか……とにかく、頭が痛すぎて何もできないです」
「それは大変ですね。健康診断で何か言われたことは?」
「耳の検査で引っかかって、再検査に行ったら突発性難聴だと言われました。薬も飲みましたが、治りませんでした」
「今も聞こえにくい?」
「どうなんでしょう?元々聴こえ辛さは自覚がなかったので」
「鍼灸は初めてですか?」
「はい」
「当院のことは、どこで知りました?」
「祖父が以前、通っていて」
「ああ、松永さんのお孫さんでしたか」
「はい、そうです」
「お元気そうですか?」
「ええ、最近は旅行ばかりしています」
「それは何より。じゃあ次は、あなたの番ですね」
「……治るんでしょうか?」
「治ります。安心してください」
それまで緊張していた彼女の表情が少し緩んだように見えた。
「脈を見せてください。そう、手を前に出して」
数秒、患者の手首に手を置く。
「次は舌、べーって」
「これで何かわかるんですか?」
「あなたの身体の中の状態が、見えてくるんですよ」
「そうですか」
べー
「裏も見せて……もう大丈夫ですよ」
「どうなってますか?」
「高ストレス状態ですね。……仕事、好きじゃないでしょ?」
「ふふっ」
初めて笑顔が見えた。
「じゃあ、私たちは一度外に出るので、この患者着に着替えて、うつ伏せで待っててください。下着はブラだけ外しておいてくださいね」
「わかりました」
バックヤードに戻る。
「今どきの子も、大変ね」
「仕事のストレスでしょうか」
赤木先生がカルテを見ながらつぶやく。
「――パソコン作業が多くて、慢性的な頭痛と肩こり、難聴に耳鳴り、睡眠障害……てんこ盛りね」
「PC作業って、やっぱり身体に悪いですよね」
「本来の身体の使い方とは違うからね。身体は正直よ、無理をすればちゃんと悲鳴を上げるの」
にこりと笑った赤木先生の表情は、頼もしさに満ちていた。
「着替え終わりました」
「はい、じゃあ開けますね」
カーテンを開けると、うつ伏せで待っている背中が見えた。
「では、首元失礼しますね」
赤木先生が、首から背中に手を当てる。
「……これは、ひどいわね」
「触られると、気持ちいいです」
カーテンの隙間から見ていると、赤木先生がそっと触れただけで、緊張していた皮膚がすっと緩むのがわかった。
「ここ、痛いでしょ?」
「痛いです……」
「初めての鍼だから、今日はかなり疲れると思うわ。帰ったらゆっくり休むこと」
「はい、わかりました」
「すごい……肩が軽いです」
治療後、彼女の顔色が明らかに良くなり、目にも光が戻っていた。
「夜はゆっくり休んでくださいね」
「なんだか、すごくスッキリしました」
「3回くらい通えば、かなり良くなるわよ」
「本当ですか?」
「今、頭痛はないでしょ?」
「はい。今のところは……」
「明後日の土曜は来られそう?」
「大丈夫です。最近は予定も入れてないので」
「じゃあ予約しておきますね。それと、できるだけ鎮痛剤は飲まないでください。治りにくくなってしまうので」
「でも、痛くなったら……」
「しっかり水分を摂って、深呼吸してみて。薬を飲むと逆に悪化します」
「そうなんですか……」
「背筋を伸ばして、息を吐き切る。そうすると自然に吸えるようになるから」
「はーーーー……」
彼女は目を閉じて、深呼吸を始めた。
「吸うのも吐くのも、7秒くらいを目指してみて。でも、最初は5秒でもいいわ」
「え、長っ!」
「呼吸で肋骨を動かすと、肋骨に付いてる筋肉がストレッチされるの。背中が凝ってる人ほど、やるべきね」
「確かに、呼吸が浅くなってる気がします」
「コツは腕も広げて胸を開くようにするの。初めのうちは大袈裟にやるといいわ」
「……なんだか、気持ちよくなってきました」
「毎日、深呼吸をすること。特に寝る前には必ずね」
「はい、わかりました」
今日は珍しく黒崎先生がいないため、赤木先生と二人だけのサシ飲みとなった。
「サシ飲みね。鍼だけに」
最近知ったのだが、赤木先生はジョークが好きみたいだ
「鍼たくさんサシてましたね」
※本来、鍼は“刺す”ではなく“打つ”です。
「身体は疲れてたけど、まだ体力は残ってたし、ストレスでパンパンだったからね」
「そうですか……」
「数回通えば身体は良くなるけど、問題は今の生活環境よ。あのままだと、また壊れるわね」
「何とかならないんですかね」
「本当に身体のことを思うなら、仕事を辞めるしかない。昔の私みたいに」
赤木先生は、少し遠くを見るような目をした。
「でも、辞めるって勇気いりますよね」
「君も仕事辞めて、身体ずいぶん良くなったじゃない」
確かに。あのまま働いていたら、一時的に治っても、また壊れていたかもしれない。
「本当に大切なのは、自分の身体なのに。犠牲にしてまで働く人、多いですよね」
「“無職”になることへの不安や、周囲の目、将来の不透明さ」
「選択肢に“辞める”が入ってこないんですよね」
「不思議よね。お金をもらいながら資格を取れる制度もあるのに」
※雇用保険を一定期間払っていれば、国の支援制度で職業訓練校や専門学校などに通うことが可能です。
「レールから外れるのが、怖いんですよね」
「でも、そのレールの先が崖だったら?」
身を削って働き、壊れた身体を薬で動かしてまで進み続けるレールは、本当に“正しい道”なのだろうか。
「――自分を守れるのは、自分だけよ」




