事故死した美男スター
15年前に死んだ美男俳優の死の真相に、女探偵上条翼が迫る。女性探偵ハードボイルド。
1
その日、上条探偵事務所にかかってきた電話は、女性向けゴシップ誌『ルビー』の編集長、三木直美からのものだった。
「取材ならもう何度もお断りしたはずです」
上条翼は、うんざりした調子で言った。
「残念ね。あなたほどの美人探偵なら、一躍マスコミの寵児になれるかもしれないのに」
敏腕ジャーナリストらしい快活な声に、探偵はこう返した。
「マスコミも寵児も私は興味がありません。マスコミ中心に世界が回っていると思ってるのはマスコミの関係者と、マスコミが好きな人だけでしょう」
「そのはっきりしたものの言い方よ。まさしくこれからの女に必要なのは」
三木直美は我が意を得たりといった感じで続けた。
「本当、私が男だったら絶対ほっとかないところよ。しかし、この電話は取材の依頼じゃないの」
「じゃ何の電話なんです? 運が良くなるペンダントのセールスでも始めたんですか」
「正式に調査の依頼。それともマスコミ関係者は、正式な依頼もお断り?」
「……いいえ」
三木直美は「そっちにすぐに行く」と告げて電話を切った。
三木直美は、すぐに来た。
身長170センチの翼と変わらぬ長身。若作りに励んだ感もある外見だが、快活なしゃべり方もあって、年齢はいかとも判別しがたい。顔は整ってはいるものの整いすぎて特徴のない感じもする顔。それを濃い化粧で個性的にしようと工夫しているとも思われたが、茶髪と金髪の交じり合ったロングヘアーは個性的というには度を越している。ダイヤ模様の黒と白のセーターの胸にプラチナで縁取られた赤いルビーのペンダントが光っている。いつも黒ずくめの翼とは対照的である。
出現するなり三木直美が、今しがた断られたはずの取材をまた申し出たが、ソファーに向き合って座りながら翼は、すげなく「それよりご用件は?」と言っていた。
「そうだった」
雑誌編集長は、舌を出し、一枚の写真を出した。恐ろしいほど美しい男が写っている。
「この人、知ってる?」
「もちろん。高原翔でしょう」
「そう、15年前、交通事故で死に、日本のジェームス・ディーンとなった世紀の美男スター『とわの恋人』高原翔」
「それで?」
「ディーンにしても、ブルース・リーにしても、マリリン・モンローにしても、あとダイアナ元妃にしても、スターだった多くの人は実は事故死、病死でなく、殺されたって説がある」
「高原翔にもそういう噂が?」
「一般には、スピード狂だった高原翔が、伊豆の海岸線でスピードを出しすぎたのが事故の原因だったということになってるけど、うしろから競争を挑んできた車が、わざと危険なカーブで接近して、高原翔の車を崖にぶつけさせたという噂があるの」
「いかにもありそうな噂ですね。で? その犯人をお探ししたいと?」
「いや、犯人は目星がついてるんだ。芸能プロデューサーの馬場明文。いや、元をつけたほうがいいのかな。知ってる?」
「知りませんけど」翼は興味なさげに、背をソファーに倒した。「しかしそれなら、その人のところにいらしたらいいんじゃないですか」
「そうしようとしたんだけど、不可能になった」
「なぜ?」
「死んだ。一週間前にね。海岸で投身自殺。もう芸能プロの仕事も破綻し、借金がかさんで、ここ1,2年は首が回らなくなってたらしい。私が知りたいのは、その馬場さんが高原翔を殺した動機なのよ。高原翔が事故でなく殺されたというのは、私のジャーナリストの勘からしてまず間違いない」
「死人に口なしじゃありませんか」
「これも少しばかり目星がついてるの」 三木は、他に誰もいないのに、人目をはばかるように前に乗り出すとこう言った。「どうも、同性愛の絡みらしいのよ」
三木直美は女子高生のようなうきうきした様子で語りだした。
「どうもね、馬場明文は、当初は少女スターを専門にプロデュースしていたんだけど、次には男の子にも興味を持ち始めてね。それで高原翔を自分の事務所に引き抜こうとしていたらしいのよ。ところが、高原翔はすでに所属プロの社長、ケイリー大和田とできてたのよ」
「ほう」
「だから高原翔は、馬場の誘いには乗らなかったってわけ。それで当時、プロデューサーとして株が暴騰中、得意絶頂だった馬場はプライドを傷つけられて、高原翔に報復したってわけよ」
「そのケイリー大和田って人に直接、訊くわけにもいかないみたいですね」
「そう、こっちは行方不明なの」
「行方不明?」
「うん、事務所のほうは、ドル箱の高原翔が死んだので、十年前に廃業している。そのあとどこに行ってしまったのか誰も知らないの」
「そのケイリー大和田さんって人に話を聞いて、高原翔の死の真相暴露本でも出版されるおつもり?」
「まちがいなく売れる」
「馬鹿馬鹿しい」翼は立ち上がった。「そんな古い話、ほじくり返して何になるの。もし高原翔が殺されたのだとしても、犯人と目されている人も死んだんでしょう。今さら、そんなこと、おおやけにして誰の気分が晴れるって言うんですか」
翼は立ち上がると、扉を開けた。
「三木さん。どうもあなたとは何につけ合わないようですね。お引取りください」
「そんな冷たいこと言わないでよ。上条さん!」
「他の探偵社にどうぞ」
翼はあけた扉をおさえたまま言った。
「ダメよ。あなたじゃないと無理なのよ」三木直美は急にしおれたようになった。「実はね、本を出したいからじゃないの。私、歳がばれちゃうけど、実は、高原翔にふられたのよ」
扉を押さえていた翼の右手が下がり、扉が自動的に閉まった。
「やはり15年前のことよ。ちょうど彼がスターとして絶頂期になるまえのことだった。でもね、彼は女に興味がなかったらしいの」
「じゃあ、しょうがないじゃありませんか」
翼は三木直美の前に戻ってきた。
「いえ、だからその証拠が欲しいのよ。私が捨てられたのは、私のせいじゃなくて、彼が同性愛者だったからだって。そしてそれゆえ、彼は私以外の女とつきあうこともなかった。女は私だけだったんだって。あの人が、女としては、私だけのものだったという証拠が欲しいのよ」
三木直美の目から大粒の涙が落ちたかと思うと、彼女は両手で顔を覆って嗚咽しはじめた。
「大好きだったの!」
1分たった。やがて探偵が言った。
「分かりました」
三木直美は涙にぬれた顔をあげた。
「そのケイリー大和田という人を見つければいいんですね」
「ありがとう! 上条さん!」
三木直美は立ち上がるや、デスクのほうに回ろうとした翼に抱きついた。
「ちょっと! やめてください!」
2
翼はさっそく、かつてケイリー大和田の芸能プロにいた役者、歌手、事務員などに当たってみた。しかし、三木の言ったとおり、誰もケイリー大和田の行方を知る者もなく、またケイリー大和田と高原翔のあいだの特別な関係に対しては、皆、驚くばかりで、誰もが知らないと言った。
三木直美の依頼を受けて3日目の夕方のこと。手がかりひとつ見つからず、事務所に戻ってきた翼が、上着を脱いだところで、ドアが乱暴にノックされた。かと思うと、返事もせぬまに扉がひらき、30代の、よく太ってはいるが、何か動きのすばしっこそうな眼鏡の女性が飛び込んできた。そして何の前置きもなく、いきなり叫んだ。
「あなたね! 翔様のこと、こそこそ探りまわっている探偵って!」
翼は面食らった顔つきで、女を上から下まで見た。もっとも右から左に見たほうが全身を把握するのは早かったかもしれなかった。女は肉付きのいい顔に丸い下端だけ縁のある眼鏡をかけていた。化粧はほとんどしていない。ポニーテールというよりは面倒くさそうに束ねたといった髪。量販店のハーフコートに、水を入れたビニール袋のようにふくらましたジーパン、そしてスニーカーといういでたち。
「翔様とおっしゃるところを見ると、ファンのかたですか?」
翼がそう訊くと、闖入者は、得意げな大声でこう答えた。
「ファンもファン! 愛し続けて16年! 高原翔ファンクラブの会長、江本佐智子ったら私のことよ!」
「あら、あなたが」翼は驚いた顔に笑みを加えた。「私、あなたのところにもお邪魔したいと思っていたんです」
「いけしゃあしゃあと言わないで! いったいどこの誰なのよ。あなたの依頼人は!」
「何を怒ってらっしゃるんですか」
「これが怒らいでか! あなた、翔様が同性愛者かどうかって探っているんでしょう! 会員のひとりが、かつてケイリー・プロに勤めていた人たちから、そう尋ねまわってる女探偵がいるって聞いて、私に教えてくれたんだよ!」
「あら、そんなに今でも会員のかたって、いらっしゃるんですか?」
「あったりまえじゃないの! 不世出の美男、高原翔のファンクラブよ。本当のお星になられて15年経った今でも、新規の入会希望者が絶えないんだから!」
話をそらすな、と言い添えてから江本は、もう一度、おまえの依頼人は誰かと尋ねた。
「私は、高原翔の所属プロのプロデューサーだったケイリー大和田という人を探してくれという依頼を受けただけです」
「ケイリーさんを見つけてどうしようって言うのよ」
「そこまでは依頼人のことなので知りません」
「分かった!」江本は蚊でも見つけたように手を打った。「あなた、さては馬場明文の身内に雇われたわね?」
「どういうことですか」
「最近、馬場明文という芸能プロデューサーが自殺したのは知ってるわよね」
「ええ」
「あれ自殺じゃなくて殺人なんでしょう。で、犯人がケイリー大和田! ふたりは芸能プロデューサーとしてライバルだったからね。それで、あなたは馬場の身内にやとわれて、犯人たるケイリー大和田を追っている!」
江本は例の、馬場が高原翔の引き抜きに失敗したから、馬場が高原を殺したという風説を口にしたあと、その復讐を今、ケイリー大和田が果たしのだと力説した。
「根拠のあることなんですか」
「いや、そういう風に馬場の身内が勘違いしていて、それであなたを雇ったのかと推理したわけよ。たった今、速攻で」
「否定しますよ。たった今、速攻で」
「うん、そりゃありうるわけがないな」江本は太い腕を組んだ。「馬場さんが、翔様を引き抜こうとしたのはありうることだけど、殺したまでは違うでしょうよ。第一、馬場さんが同性愛者だったなら、殺したいほどに憎むというのも分かるけど、馬場さんは少女アイドルのプロデュースで有名だったからね」
「じゃあ、あなたはやっぱり高原さんの死は事故だったと思ってらっしゃる?」
「だと思うけど、ひとり疑問の人物がいないこともない」
「それは?」
翼が乗り出すと、江本も怖い顔を探偵に寄せた。
「当時ね。ひとり翔様をしつこくストーカーしていた女がいたの。私たちファンクラブの会員はみんな、翔様の迷惑になるようなことは慎んでいたんだけどね。翔様の行くところ行くところ追い掛け回していたやつがひとりいたわ。もちろん会員じゃないよ。結局、そのアホ女は翔様にふられちゃったらしいけどね。まあ、私らにしてみれば、ざまあみろというところだったんだけど、その女が逆恨みして翔様を殺したんじゃないかっていう噂が、会員のなかではあるんだ。その女が翔様にカーレースを挑み、まんまと事故に見せかけて殺したのではないかってね。まあ、殺人についてはあくまで噂だけど、そういう女がいたのは事実だよ。なんか美人を鼻にかけた、いけ好かない感じのやつだった」
「その人の名前は?」
「たしか、二木か、三木かそんな名前だったと思う。よく覚えてない」
「なるほど」
「とにかく!」
江本は急にここに来た用事を思い出したらしく、現れたときと同じ大声を出した。
「翔様は絶対に同性愛者じゃありませんから! 軽々しく自分の妄想のために翔様を同性愛者だとか言う奴は、この私が許さないんだから!」
そのあと、江本は一方的に翔様の素晴らしいエピソードをまくしたてた。
翼は終始同意のうなずきを示しながら聞いていた。
ファンクラブの会長は、おとなしく聞いてもらえたのがうれしいのか、最後にはすっかり翼を仲間扱いしていた。
会長は、ケイリー大和田の情報収集に協力すると、機嫌よく約束して帰っていった。
次回、翼は謎を追って沖縄に渡る。そこで芸能界の闇にまつわる驚きの事実を知る。