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イエローマダー  作者: 沖 晶
第一章
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第八話 「勧告」

 靴擦れで足首もつま先もずきずきと痛むが、ようやく自室まで戻ってきた。王女として振る舞っていれば、長い階段を靴を脱いで駆け上がることもできず、もどかしい時間だった。

 ヴェロニカが開けた扉の先に、見慣れない服を着た父の背中が見える。


「お父様?」

「ベッキー、おかえり」


 振り向いた父は満面の笑みで私を出迎えた。私の元までゆったりとした動きでやってきて、うやうやしく手袋を外して私の手を取る。


 そのまま優しく手を引かれ、私一人をソファに座らせた父は、テーブルを挟んで一人掛けの椅子へと腰を下ろした。


 父にこんな扱いを受けたのは初めてのことだ。まるで娘ではなく王女として見られているようで、あまりいい気分ではない。


 父の前でだけは、まだ子どもでいたいのだと別の私がまた囁く。そんなことはないと、小さく頭を振って気持ちを押し込めた。


「ヴェロニカ、靴を」

「はい、エルドリッジ様」


 父がヴェロニカに命令を下し、ゆっくりとヴェロニカが私の靴を脱がせる。空気に触れれば、今まで気づいていなかった小指の外側や足の甲まで痛みが走る。


 痛みに顔を歪め、息を詰めている私にヴェロニカが、どこから出したのか軟膏を塗ってくれる。


「それはこの間手に入れた軟膏でね、折れた骨すら治ってしまうという代物なんだ」

「お父様ったら、それは騙されていたのではなくって?」


 ふふ、と父の軽口に笑う。どうやら父が、どこからか買い付けてきたものらしいが、本当に痛みが引いていく。折れた骨は、とてもじゃないが治せないだろう。


 けれど、本当に出来のいい軟膏だわ。


「ありがとうございます」

「よせ、娘にできることを考えていただけだ。もっとも、これを買いに行っていて遅れてしまったんだが」


 すまなかったと謝る父に、私はゆっくりと首を振る。きっとヒールを履いて歩く練習をする私を見て、良い薬を探しに出かけていたんだろう。


 そんな父に礼を言うことはあっても、責め立てることはない。


 だが、なぜ正装にも近い服を身に着けているのかが気になった。父は肩ひじ張ったことは好まないたちで、いつも動きやすそうな恰好で私に会いに来ていた。

 少し伸びた髭、くしを通さないまま結った長い白金色の髪、うっすらとくまがあるときも。


 それが私の中での父だ。だが、今日の父は娘の私でも惚れ惚れするほど端整たんせいで、男前とはまさにこのことだと思わされる。


 服が変わるだけで印象がこんなにも変わるのかと驚いたが、どうやら髭も当たっているらしい。


 白い肌によく映える濃いブラウンのシャツに、それよりは明るいブラウンのベストには目立たない刺繍がたっぷり刺されている。

 その上に白のコートを羽織り、ベストからはコートと同じ白いアスコットタイが見える。

 タイには細工がされたリングが通され、上半身だけでも高級なものばかりを身に着けているとわかった。


「ずいぶん熱心に服を見ているね」

「あ、いえ、その」


 見入ってしまっていた私に、コートをひらひらさせた父が優しく問いかける。動揺して言葉に詰まってしまったが、父はヴェロニカに用意させたという。


 扉を少し開けて違う使用人に指示をしていたヴェロニカを見て、それで私に白いドレスを着させたかったのかと納得する。


 父がヴェロニカに服を見繕みつくろわせた結果、ヴェロニカは白いものが散りばめられた一式を父に、私にはお色直しのドレスに、白い布に白い刺繍の入ったものを用意した。

 私の刺繍には小さな宝石がついているが、父にはない。だが、目立たない刺繍という点で狙ってこの服とドレスを用意したのだろう。


「そのドレスも、もしかしてヴェロニカがすすめてくれたものかい」

「ええ、きっと親子で似たような恰好をさせたかったんだと思いますわ」

「私は嬉しいよ、そのドレスもお前によく似合っている」


 あんなに不安に思っていたのに、父は似合っていると言ってくれた。私はありがとうございます、と照れ笑いを浮かべる。


 少し恥ずかしい気持ちと、嬉しい気持ちがせめぎあって俯く。目に入ったのは、握りしめている青いバラ。


 はっとして立ち上がり、民に配っていたときのように手に持ち直す。


「お父様、私一本多くバラを用意させましたの。お父様に渡せるように」

「そうだったのか、てっきり誰かに渡すために持っているのかと」

「渡すことを今まで忘れておりました、どうか受け取ってくださいまし」


 立ち上がった父が回り込んで私の左側へと歩いてくる。それに合わせて私も左を向き、父にバラを差し出した。


「ありがとう」


 父は受け取ったバラを胸のポケットに差し込んで、私の頬を手のひらで包む。包んだ手の親指で頬を撫で、朝に鏡台の中で映っていたヴェロニカの顔と、同じような表情をしている。


 花を愛でるようなヴェロニカ、その花を慈しむように触れる父。


 父の硬くも優しく大きい手のひらは温かく、胸にじんわりと温かいものが広がる。


 ああ、これが幸せなのね。


 父の手の甲を自分の手のひらでおおい、にっこりと父に笑いかける。それに応えるように父も幸せそうに笑い返してくれた。


 少しばかりそうしていたが、表情を変えずに父が話し出す。


「お前に会わせたい人がいたんだ」


 私の頬から手を離し、唐突に言う父に面食らって私は何も言えずにいた。そんな私を気にも留めずに、父は私の肩にかけているショールに視線を落としている。


 いた、と父は言ったが、それはもう会わせなくともよくなった、ということなのか。


「日程はいつでしょう」

「いや、もういいんだ。忘れてくれ」


 ショールを撫でるように触れた父は、私の返事も聞かずに肩から手を離して、扉の前でこちらを見るヴェロニカに向き直った。


「ヴェロニカ、先ほどのものを」

「かしこまりました。お茶の用意が整いましたが、後程にいたしますか?」

「いや、お茶もここへ。疲れた娘に甘い菓子も頼むよ」


 再度ヴェロニカは了解の言葉を父に伝え、母からもらったものより厚い箱をヴェロニカが父へ渡す。

 近づいたヴェロニカの白い袖に涙を拭いた跡があり、鼻をこすったのか赤くなっている。


 また泣いていたのね、まったくロニーったら。


 くすくすと笑っている私に気づいたのか、ヴェロニカが私を一瞥いちべつして耳を赤らめた。



 寒さと疲れで悲鳴を上げていた体が、ヴェロニカが用意したお茶でゆったりとした気分に変えられていく。


 疲れが取れるわけではないが、それでも父とこうしてお茶を飲む時間は、私には必要なのだ。たとえ眠たくとも、私はあくびをかみ殺してでも父と話し続けるだろう。


「ベッキー、菓子で指が汚れてしまう前にこれを」


 ヴェロニカに預けていた先ほどの厚い箱を受け取った私に、父は眉をあげて開けてみろと合図する。

 母からもらったジュエリー箱と似た布張りの箱は、綿わたが入っているのかふかふかと柔らかい。さらりと蓋を一撫でしてから、ゆっくりと開く。


 そこには、銀の草花が三日月のようになった髪飾りが、きらきらと光を反射している。


「お父様、これは……」

「ヘッドドレスといってね、銀が採れる地方で最近流行っている髪飾りさ」


 銀の採れる地方と父は言ったが、それはこの城より五日はかかるほど離れている。往復したとなれば十日だ、それでは先ほどの軟膏を買った場所も遠かったのではないだろうか。


 お父様はご無理をして、今までも私にプレゼントを買ってきていた?


 なぜもっと早くに気が付かなかったのだ。父に会える喜びに誤魔化されていたが、父が城を留守にすることが多いのも、私へのプレゼントを買いに行くからではないのか。


 ならばプレゼントなどいらない、物よりも父の側にいる時間の方が大切だ。


「ありがとうございます、お父様。ですが、今後は贈り物をしていただかなくても結構ですわ」

「まあまあ、そう言わないでくれ」


 困ったような顔で笑いながら父は私をなだめようとする。そう言われてこちらも引くわけにはいかない、なんとしてでもやめさせなければ。


 私は、お父様の負担になどなりたくないわ。


「いいえ。お父様、これまで私はなにも気づいておりませんでした。お父様から私への贈り物の数々、ご無理をして買いに行ってらっしゃるのでは?」


 背筋を正して私は父へ向き直る。いつになく真剣な私に、父はまずいといった表情で眉尻を下げている。

 娘のためだからという言い訳は通用しない、いくらなんでもやりすぎだからだ。父の愛を受け取ってきておいて言えることではないが、これからはこの城にいてほしい。


 まだ初老でもないが、父も年を取っている。まつりごとに関わっている母とは違うことを、父は担っているようだが、頻繁にいなくなるのはきっとプレゼントのせいだ。


「私はお父様がどんなことを務めていらっしゃるのか、まるで存じ上げません。ですが、贈り物を買いに出かけなければ、城に長くとどまることも可能では?」

「それは違うよベッキー、少し落ち着きなさい。ほら、お前の好きなマカロンだぞ」

「質問にお答えください」


 おどけた父に私はぴしゃりと言う。菓子で釣れるような年齢ではないのに、まだまだ私を子どもだと思っていた父は、悩んだような顔をしながら口を開いた。


「私は城下だけでなく、地方の調査やその土地の諸侯しょこうとの外交、そして諸侯らへの罰を与えることもある。現に今も、私は密偵からの報告を待っているんだ」


 初めて聞く父の務めは、なんとも難しいものだった。土地の調査や外交は理解できるものの、罰を与えるとは一体なんなのだろうか。

 諸侯といえば、国王である祖父の権限の元で自治を許された者たちだ。その者たちに、なんの罰があると言うのか。


 私には知らないことも、わからないこともある。

 しかし、それと贈り物のことに、なんの関係があるというのか。


「わかっていないようだね。私が地方の調査に行けば、自ずとその土地の名産品や人々に関わるだろう」

「では、務めの最中、あるいは終わった後に贈り物を選ばれていると?」


 私の言葉を肯定するように、父は深く頷いた。

 私へのプレゼントを買うために無理をしているのではなく、外交などの合間に選んでいる。それは父が、地方に行ったときにも私を思い出してくれているということだ。


 ついでなどではなく、その土地の名産品や流行はやりものを買ってきているというのだから、父は私に似合うものを、時間をかけて選んでくれているのかもしれない。


「お父様、その」

「わかってくれたかい。さ、お茶が冷えてしまう、温かいうちに飲みなさい」


 父は微笑んでポットからお茶を私のカップへ注いでいる。言われるままにカップを傾け、菓子をかじった。


 勘違いをしていた私を、叱るのではなく冷静に話をしてたしなめた父。父は謝ることをさせなかったが、今更言うことは野暮やぼかもしれない。


「このマカロン、美味しいですわ」

「それはよかった」


 自分のカップに二杯目を注ぎながら、私を見て笑顔で言う父へ心の中で感謝を述べた。



 注がれたお茶が半分になった頃に、父がヴェロニカに席を外せと命令を下した。

 頭を下げて出ていくヴェロニカの背中を見送ったあと、父にどうしたのかと尋ねる。


 目の前で私を見つめる父の顔は、まるで怒っているのかと思うほど冷たく真剣な表情をしていた。


「レベッカ、よく聞きなさい」


 父にレベッカと呼ばれるときは、決まって叱られるときだ。反射的に生唾を飲みこんで、顔を引き締める。


 もう何年も叱られることはなかった、父にもヴェロニカにも。なのに、父は私をレベッカと呼び、私と父の間に張り詰めた空気が流れている。


 なにかしら……。


 父が話し出すのを待ち、しばし沈黙したあと、父が膝に置いた手を組んで話し出した。


「もし、これからお前が高熱にうなされることがあれば、すぐに私に伝えなさい」

「お父様に? ですが、これからも遠方に行かれることが多いのでは」

「城に私がいなければ、ヴェロニカに文を出すように言いなさい。高熱を何度も繰り返すことになるかもしれないが、その都度私を呼ぶように」


 父の話に私は眉をひそめた。


 なぜ熱が出た程度で父に報告をしなければいけないのか、なぜこんなにも私に約束させようとするのか、まるで見当もつかない。


 今までも熱が出たことはあったが、父に文を出すこともなく、ましてや部屋に呼ぶことなどなかった。

 父は高熱と言ったが、そこに意味があるのだろうか。地方で高熱のでる流行はややまいがあり、それにかかったときのことを心配しているのだろうか。


 ならば心配いらない。私はこの城から出ることはなく、城の中で会う人間も限られている。


「心配無用ですわ。私はこの城から出ませんので風邪をひくことも……」

「レベッカ」


 ぎゅっと喉を掴まれたように、言おうとしていた先の言葉が出なくなる。

 無表情のままの父に、私は縮こまってしまった。じっと私を見つめる父の瞳に耐えきれなくなって、きょろきょろと忙しなく目を泳がせる。


 どうしてそんな顔をなさっているの。怖いわ、お父様。


 眉尻を下げ、怯えている私に父はもう一度同じことを言う。


「いいね、レベッカ。早ければ明日の朝には熱に侵され動けなくなってしまう、声も出せなくなってしまうかもしれない」

「その症状は、流行り病ですか?」


 質問に首を振る父。ため息をつき、それならどんなに救いか、とか細い声で言う。


 組んだ手の親指を額につけ、祈るように父は震えるほどぎゅっと手に力を込めている。何が父をここまで追い込んでいるのか、私にはわからない。


 だが、そんな父を安心させたくて、私は約束を飲み込むことにした。痛む裸足で父の前まで歩き、屈みこんで父の膝に手を置いた私を、眉根を寄せて何かに耐えているような顔で父は見る。


「お父様、そのお約束を必ずお守りいたします。ですから安心してください」


 父の顔を覗き込むように一直線に見つめて誓いを立てた私に、父は安堵したように息をついた。


「ですが、一つお聞かせください」

「なんだ」

「どうしてお父様は、怯えていらっしゃるの?」


 はた、と父の動きが止まる。震えていた手をほどき、膝の上にある私の両手を父は左手で覆い隠した。

 温かく、大きな手のひら。頬で感じたときとは違う感触に、少しくすぐったい気持ちになる。


 ほとんど消え入りそうな声で父は、そうなれば、と前置きをして泣きそうな顔をする。父のその様子に、私は困惑して息をのむ。


 そして、耳を疑う言葉が父の口から飛び出した。


「お前は、殺されるかもしれない」

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