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イエローマダー  作者: 沖 晶
第一章
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第七話 「贈り物」

 日が傾き、夕焼けに青紫色の空が混じり始めた。


 左後ろを歩くヴェロニカの手には、青いバラが何本も入った大きなバスケットと、私が気に入っている毛皮のコート。

 少し寒いが、まだコートを羽織るような気温ではない。せっかくヴェロニカが似合うと言ってくれたドレスを、父に見せるまで隠したくない。


「開けなさい」


 城の大扉を抜け、城下へと降りる階段の前に立つ兵に命令を下す。少しだけ頭を下げた兵二人がゆっくりと門を外側へと押し出す。

 ドレスの裾を踏んづけないように、膝あたりの布を引き上げ、ゆっくりと門から外界へ飛び出す。


「レベッカ様よ!」

「王女様! おめでとうございます!」


 階段の下に集まっていた民衆が、一斉に歓声を上げる。名前を呼ばれ、祝福の言葉が聞こえ、大きな拍手が響いた。


 聖堂で作っていた笑顔ではなく、自然と微笑みがこぼれる。一段ずつ階段を下りるにつれて拍手は小さくなったが、今度はざわざわと話し声の方が大きくなる。


 あんなに綺麗だなんてなあ。

 本当に、母と子でこうも似るもんかね。

 後ろの付き添いは、ありゃエディんとこの嬢ちゃんじゃねえか?


 どうやら、ヴェロニカの顔を知る者がいるようだ。咳払いをするヴェロニカの声が聞こえ、恥ずかしがっているのだと見えなくともわかる。


「キャロル・レベッカ王女のお披露目と相なった本日、王女は皆に花をお配りになられます」


 民衆の前へ着き、ヴェロニカが凛とした声で後ろにまで聞こえるように叫ぶ。威圧しているようにも、警戒しているようにも聞こえる声で話すヴェロニカは、まるで知らない人のようだ。


「決して、肌に触れぬように。リベルであると認められたということは、神の血を引くお方だということを忘れてはいけません」


 しんと静まり返った民衆は、真剣な面持ちでヴェロニカの話を聞き終える。ヴェロニカに手渡されたバラの花冠かかんを右の手のひらに乗せ、茎の部分を左の手のひらで包む。


 少し息を吸い込んで、今度は私が民衆へ話す。


「ごきげんよう。神の子である王家の庭園より、皆にバラを差しあげましょう。最後の花弁が落ちるその時まで、その手でバラをでなさい」


 軽く微笑んだまま、王族らしいかしこまった口調で言い切った私に、わあっと拍手が起こる。

 すぐそばにいた女性にバラを手渡し、間髪入れずにヴェロニカから花を受け取る。口々に礼を言う民に笑顔で応え、道に集まった人だかりの真ん中を、私は時間をかけて配り歩いた。


 何十本と入っていたバラは、わずかな時間で十五本程度になった。


 大人の手にはバラが握られ、今度は子どもたちに渡す番だ。階段から歩いてきた道を抜けると、小さな噴水がある広場に出る。


 噴水の縁に腰かけた子どもたちが、私を見た途端に足元に走って近づいてきた。それを止めるように子の親たちが、私のドレスにも手にも触れないことを約束させている。


 首を傾げている子どももいるが、はあいと間延びした言い方で親に返事をした。


 意味をあまり理解していないけれど、親の言うことを聞けるいい子たちなのね。


 ヴェロニカから手渡されたバラを子どもたちに差し出し、きゃっきゃと喜んで受け取りった子どもたちは、不思議そうにバラの茎をくるくると回し見ている。


「ねえ王女たま、なんでバラなのに青いの? 王女たまが作ったの?」


 最後に手渡した女の子が、舌足らずな口調で私に質問を投げかけた。女の子の目線に近づけるように屈んだ私を、大きな瞳が捉えている。

 青いバラを見たことがない、ならば作ったのかという単純な質問に笑って答える。


「このバラは王家の庭でしか咲かないバラよ、どうして青いのかはわからないのだけれど」

「ふうん」


 まだ納得できていないらしい女の子に、花瓶に生けて飾り毎日水を入れ替えれば、長く保つことができると教える。


「そうだわ、花言葉を教えてあげる」

「お花の言葉?」

「そう、この青いバラが意味する言葉よ」


 女の子はわくわくといった顔で、私が口を開くのを待っている。


「ブルーローズ。花言葉は、神の祝福」


 女の子が手に持ったバラの花弁を、私が指先で揺らした。



 笑顔で私に手を振り、親に手を引かれる子どもたちに私も手を振り返す。もうすっかり夕焼けを夜が押しのけ始めている。


 あと二時間もせずに日が暮れてしまうだろう。何故か会えなかった父がいないかと、日があるうちにきょろきょろと辺りを見回す。


「ロニー。お父様のお手紙で、この時間に会えるとお父様が書かれていたの。あなたは見かけなかった?」

「申し訳ございません、レベッカ様。ヴェロニカは見ておりません、探してまいります」

「ええ」


 バスケットの中にはバラはなく、私が手に持っているのが最後の一本だ。これを父に渡すために一本多く用意させ、民へ渡している間も探していたというのに。


 ため息をつき、子どもたちが座っていた噴水の縁へ腰かけ、楽しそうに笑っている民衆の表情や声に羨望の眼差しを向けてしまう。


 お父様。会えると、私に花をくださると書いてあったのに……。


 気分が落ち込んでしまえば、顔もそれと同様の表情をあらわにしてしまうが、もはや暗くなっているこの時間だ。

 誰も私の顔など見ていない、気づかれないと肩を落としてしょぼくれる。


 私の出自は栗毛ブルネット


 父の手紙に書いてあった言葉を思い出し、街灯の炎にぼんやりと照らされた民の姿をじっと見つめる。

 皆一様に、水に濡れた土のような暗い茶色の髪に、小麦色の肌と黄色い瞳を持っている。


 なんだか狼の群れのよう。


 炎に照らされた茶髪は、夜になればほとんど黒髪に見え、黄色い瞳も闇夜に浮かぶ獣のそれだ。危険な雰囲気だが、どこか神秘的なものを見ているようで、民が髪を揺らすたびに見入ってしまう。


 民衆の間を縫いながらこちらに近づいてくる、白髪が混じった初老の女性。どことなく父に似ている顔だ。

 そういえば、父方の祖父母には会ったことがない。あの女性は父に似ているが、私の祖母だったりするのだろうか。


 そんなことを考えているうちに、その女性と目が合い優しく微笑まれた。噴水の縁から立ち上がって腹の前で手を重ね、こちらも微笑みを返す。


 驚いたわ、笑った顔もそっくり。もしかしてあの女性……。


「こんばんは、レベッカ王女。良い夜ですね」

「ごきげんよう。ええ、とても賑やかね」


 私の前に来た女性は頭を下げ、柔らかい声で私に挨拶をした。もう日が落ちてしまったが、街灯の下で話し込む男性たちや、家の玄関先で走り回る子どもたちの声が聞こえ、城下はまだ眠りにつこうとはしない。


 本来ならば私は湯あみを終わらせ、今頃は寝床で本を読んでいる頃だろう。いけないことをしている罪悪感に、少しだけ高揚感が入り混じる。


「楽しいわね、いつもこうなの?」

「いえいえ、今日は特別でございます。レベッカ様が成人なされた今日、栗毛ブルネットではお酒の解禁日なのでございます」


 なぜ酒が制限されているのかと、老いた女性に尋ねた。農業で採れる酒の材料である果実は熟すまで時間を要し、酒として出来上がった後も寝かせておく必要がある。

 そのため、今までも王族の誕生日を酒の解禁日として扱い、皆が大いに賑わう日でもあるという。


 酒に呑まれる者、ごちそうを出す店、なぜか浮足立つ子どもたち。

 そんな風に、城下は夜が更けるまで明かりを灯し続ける。それらを語った女性は、ときどきなにかを思い出して笑っていた。


 その幸せそうな女性につられ、私も笑みを浮かべる。この女性のように、幸せな頃を思い浮かべるようになるのが楽しみだ。


 そう思っていたとき、ヴェロニカの声が聞こえた。

 目の前の道にヴェロニカの姿はなく、左右を見渡しても見当たらない。どうしたのかと首を傾げ、父が見つかったのかとも思ったが、白金の髪をなびかせる父の姿もない。


「レベッカ王女」


 名前を呼ばれ振り返ると、肩にショールのようなものをかけられた。薄手だが、軽くて温かいショールに安心を覚えるも、見れば女性の肩にかかっていたものだと気づく。


「この寒さでは冷えてしまいます、これを持って行ってください」

「こんなことをせずとも侍女がコートを持っているわ、あなたが使いなさい」


 かけられたショールを肩から外そうとする私の手を、皺の入った柔らかい手のひらが包む。


「私からの贈り物でございます、どうか受け取ってください」

「しかし」

「お誕生日、おめでとうございます」


 にっこりと優しく笑う女性は、頭を下げてすたすたと歩いて行く。


 どうしましょう。


 ヴェロニカが来るかもしれないという理由から、この場を動くわけにもいかず、女性を追いかけることもできない。

 行き場のない手をぎゅっと握りしめ、女性に感謝の言葉も言えなかったが、もはや遅すぎていた。女性は家に帰ってしまったか、どこにも姿かたちが見えない。


「レベッカ様、遅くなり申し訳ございません。コートを……」


 目を瞬いてショールを見つめるヴェロニカは、ぜえぜえと肩で息をしている。どこから私の名前を呼んでいたのかわからないが、そんなに息を切らせるとはなにかあったのか。


「これがあるからコートはいいわ。それより、どうしてそんなに息を切らせてるの」

「走って参りましたので。それよりも、エルドリッジ様がここではなく、レベッカ様のお部屋においでです」

「えっ」


 どうして父が部屋に来ているのかわからないが、急いで階段へと向かう。女性が歩いて行った方角を見つめ、気がかりだがあとでヴェロニカに文を届けさせようと思い直し、城のある前方を向いた。

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