第四十七話 「理由」
ローザに案内されたのは、初めて通されたときと同じ部屋。
客人を迎える部屋とも、専用の居間ともとれる囲炉裏の部屋で、ニールは壁を見つめたまま私たちを迎えた。
「さあ、それへ」
ニールの座る反対側へ薄い手のひらで促され、私たちは用意されていた座布団に座る。
昨日、父がニールとなにを話したのか私はなにも聞いていない。ヴェロニカのことで頭がいっぱいだった私に、父が何を聞いて何を話したのか、という質問が浮かんでこなかったからだ。
だが、ニールの姿を見て思い出した。
父方の祖父であるセドリックの名前を出したとき、ニールは私の言葉を否認したくともできない、そんな表情で私を見ていた。
ちらりとニールの顔を見れば、悲壮感が漂っていたあのときの表情ではなく、私をレベッカと名前で呼び始めたときと同じく、儚く微笑んでいる。
私を受け入れてくださった、ということなの?
きみ。その娘。こやつら。
私の名前を呼びたくないのだと、感づかせるには十分な呼ばれ方だった。祖父の名前を知ったとき、ニールは私の名を口にしても良いと、なぜ思えたのだろうか。
私に赤毛の血が流れていると知ったからか。赤毛は、赤毛と栗毛には寛容だからか。
真っ白な髪を長らく伸ばしている赤毛の長は、一体、なにを考えているのだろう。
「よく眠れたかい」
「はい。突然の訪問にも関わらず、寝床や食事まで面倒を見ていただき、感謝の言葉では足りないほどです。娘とその育ての母を救っていただき、感謝いたします」
びり。
父はニールに向かって正座していた右脚を前に出し、片膝をついた。確かに服のどこかから、布を縫い留めている糸の千切れる音が聞こえた。
けれども、部屋の中にいる私を含めた三人が、聞こえなかったふりをする。
お父様は体躯がよろしいから……。
音を聞いた父は少しだけ固まったが、指先を揃えて左手を胸に当て、ジルにしたように感謝の礼をする。
盲目であるはずのニールが父の礼を見届けたかのように、にっこりと笑って楽にしろ、と言った。
ニールに対して、目が見えているのではないか、と思うことが多々ある。
だが、ローザに補助をしてもらいながら水を飲む姿を見ていると、とてもそうとは思えない。
どうやって物を見て……、いえ、感じているのかしら?
見えていないのだとしたら、動いた空気、布の擦れる音、息遣い、声色などを感じ取り、瞼の裏に想像したそれを映し、見ているのだとしたら。
それはやはり、能力によるものが大きいのではないか。
「君たちを村においても良いか否か。あのお方に導きを乞うた」
それまでの思案が凍り付き、私は囲炉裏へと向けていた視線をニールへと上げた。父と私に緊張が走り、二人の呼吸がゆっくりと、けれども浅くなったのを感じる。
私をおいても良いか、という可否はすでに聞いていた。
私に赤毛の血が流れていることを知った巨獣は、ほっぽりだすわけにはいかないとして、認めると言っていたのを思い出す。
それでも、巨獣はニールにどうしたいのか、とまるで孫に自身の気持ちを考えさせ、結論を待つ祖父のような口ぶりだった。
ニールは事実を受け止めきれておらず、その問いかけに返答することはなく、私の処遇はニールに一任されたようなものだと、私は確信していた。
本当に愛されていたのなら、私もあのように接してもらえただろうか。
「あのお方は、村においても良いだろうと仰ってくださった」
ニールの言葉を聞き、私と父は詰めていた息を、栓が抜けたように吐き出した。安堵した父が、感謝いたします、と告げ、私もニールに感謝の意を伝える。
「私たち、ということは娘も、その育ての母も?」
「ああ。あの栗毛の女性も、おいても良いと仰られていた。……けれどね」
よかった。これで命を狙われない。あとはヴェロニカの回復を待つばかりだ。
喜びに膨れ、浮きたっていた心はニールの言葉を聞いた途端、しぼみ、硬くなっていく。緩みかけていた頬が、引きつっていくのがわかる。
「私やあのお方のご判断だからと言っても、村の皆は君たちを受け入れないだろう。特に、レベッカに関して、村中が私に抗議をしに来てもおかしくない」
やはり、私の存在が足を引っ張るのか。
城では、力を発現させた忌むべき者だと罵られた。赤毛の村ではきっと、憎き金髪の末裔が図々しくのさばるのか、とニールや巨獣に反対する者たちで溢れ返るだろう。
どこへ行っても、私の居場所はない。
自身の身を落ち着ける場所がないのは寂しいことだが、生涯を歩むうえでは仕方のないことだ。そうなる覚悟も、自信も持ち合わせずに村へ足を踏み入れた私の判断が、甘かっただけのこと。
反省すべき自身の未熟さと、受け止め続けなければならない罵詈雑言を考えている間に、弱い私が呟く。
嫌われるのは怖い。
馴染んでいくであろうお父様と、ロニーが羨ましい。
ロニーは栗毛、お父様は栗毛と赤毛の混血児。
二人は誰の目に見ても、嫌われてしまう私とは、違う。
アレックス様の次は、お医者様も……。
弱い私が呟き終えるのを待たずに、それをかき消すように瞼を閉じた。
黙りなさい。
今はなにも、なにも聞きたくないのだ。
否認することも、受容することも、したくない。
「抗議は突っぱねられるんだ。あのお方のおかげで、私たちは今も子孫を残し、血を絶やさずにいられるからね。けれど、レベッカを疎む気持ちが無くなるわけではない」
「……確かに、金髪のしたことを思えば、それは仕方のないこと。ですが、娘にも赤毛の血が入っているのでしょう。それを伝えても、人々の嫌悪は拭えないのでしょうか」
ニールは声を出さずに、父の言葉を肯定した。
「エルドリッジ。底が見えないほど深く、左右に広がっている溝を、簡単に埋めることはできないだろう」
しん、と部屋の中に静けさが鎮座する。
囲炉裏に使われている木炭は熱せられて赤く、ぼんやりと部屋を照らし、そのおかげで温かい。
諭すニールは眉尻を下げており、ぶすっと不満げな子どもを前にしている親の困り顔のよう。
食い下がることのできない父は閉口しており、ため息をつくこともない。
「これは、この問題は、私一人がどうにかできるものではないんだ」
分かってくれるか?
続く言葉に父は、ええ、と返した。それはやっとの思いで出せた返事だったのか、俯いた父の声は低く、小さいものだった。
「私はね、エルドリッジ。君が、私の甥がこの村に帰って来てくれて嬉しい。けれども、それを喜ぶのは、私と姉のパトリシアくらいだ」
どん、と重たいなにかで胸を打たれたように心拍が、一つ飛んだ。
父とニールを交互に見ていた視線が、瞬時にニールに釘付けになる。
「今、なんと……。私が、ニール様の甥だ、と仰りましたか?」
父は私と同じく心底驚いているようで、ニールの言葉を質問として繰り返した。
ふ、と笑みを零し、ニールは父の言葉に、ああ、と頷く。
「驚いているのはお互い様だよ。私だってレベッカからセドリックの名を聞くまで、信じられなかったんだ」
父がニールの甥。祖父セドリックは、ニールの兄弟。
耳から入って来た情報を呑み込めず、私の頭の中で雲のように漂っている。それは父も同じようで、息遣いは聞こえても、言葉を発しようとしていない。
ニールは薄く微笑んで、私たちが納得するか、投げかけてくる質問を待っているように見える。けれども、沈黙は続くばかり。
「少し心を落ち着けるといい。納得するには、時間がかかるだろうからね」
「はあ……」
気が抜けたような返事をする父が、どのような表情をしているのかと目が行く。
半開きになった唇は閉じられず、瞬きの少ない目はしきりに左右を行き来しているようで、空色の虹彩が見えては消えていく。
伏せ気味になっている父の横顔は、耳に近づくほど影の中に隠れ、まるで誰かの訃報が届いたときのような顔色に見えた。
なにを言えばいいのかわからず、話に入っていいのか、と迷う私に、ニールの優しい声が届く。
「レベッカ」
「は、はい」
私の声は、存外掠れていた。口の中が乾き、呼吸が浅くなっているままになっていることに気づいた。
色素の薄い唇が、ゆっくりと動き出す。視線が交じり合うことがないまま、私へ言葉を紡ごうとするニールの瞳を、私は食い入るように見つめる。
「能力はまだまだ扱えていないようだが、君には」
なにを言われるのか見当もつかず、私は腿の上に置いている手のひらを握る。不安を押し込めるように下唇を噛むと、鉄臭さが鼻を抜け、舌先に血の味が纏わりついた。
唇に走った刺すような痛みと、押し潰されそうな恐れに、私はたまらず瞼を強く閉じる。
「私の根継ぎになってもらう」
そろそろと瞼の力を抜き、何度か目を瞬かせながらニールを見る。
村の人々に受け入れてもらえなかったときのため、自決を勧められるかと思っていた。あるいは国王がそうしたように、母が私に迫ったように、それを命じられるかもしれない、と一人びくびくしていたが、聞いたことのない単語に脳の反応が鈍る。
ねつぎ、とはなにかしら。
私の、ということはローザのように、ニールの世話係にでもなるのだろうか。
「申し訳ありません、意味がよく……」
「根継ぎとはね、文字通り根を継ぐこと。簡単に言えば、後釜、後継者と同じ意味だ」
知らない言葉に戸惑う私が投げかけた質問に、ニールは答え、説明を付け足した。
「後継者……?」
単語を知らない者のように言葉を反復した私に、ニールは私よりも後ろにある壁を見つめながら頷いた。軽やかに、あっけらかんと、ニールは私を後継者に選んだように見え、私はゆるゆると首を振った。
「そんな、そんなこと私にはできません。長の後継者に選ばれる理由もなければ、後継者になりたいという意志も私にはございません。ニール様は、私に長が務まると……」
「理由ならある」
口ごもりながらも言葉を続けようとする私を、ニールははっきりとした声色で遮った。
私に断らせないつもりなの。
一体、どんな理由があるというのか。
私よりも、セドリックの息子、ニールの甥という立場も血筋も明瞭な、父が選ばれるのが筋ではないのか。
父にあって私にないものはあるが、私にあって父にないものはない。父が後継者になり、ゆくゆくは長の座に就くのなら想像に難くないが、私では後継者になる時点で考えが途絶える。
自身が後継者を経て赤毛の長になる未来など、どうしても思い浮かばないのだ。
赤毛が憎悪の対象として見る金髪が、長と呼ばれるなど尋常ではない。
おろおろとしながらも、私は後継者の話を辞退しようとしていたのに、ニールから出る声はいつもより鋭いように聞こえた。
おかげで私の拒否する言葉は喉の奥へと引っ込んでしまい、ニールの言う理由とやらを聞く外にできることがない。
「この村で長が選ばれるのは長子が当たり前、ということではないんだ。私たちの一族の中で、代々発現させる力を持つ子が根継ぎとなり、時を経て長になる」
ルイ様の時代から随分変わってしまった。本当はアレックスが継ぐべきものを。その昔にやり方を変えるしかなかった。
ぽつりぽつりと話すニールは視線を下げ、瞬かせる瞼に伸びる白いまつ毛が、ひらりひらりと羽ばたく翼のようで、見惚れてしまう。
私たちの一族、とニールは言った。
それが、ニールたちの先祖が血を分けてきた人々なら、私ではなく父も、エリザベスも、エリザベスの父母のどちらかも当てはまる。
発現させる能力を持つはずの者が、いなかった?
私を選んだ、というよりも、ニールは私を選ばざるを得ないのか。黄金色の髪を持ち、翡翠色の目で物を見る私を、ニールは血筋よりも能力という曖昧なもので選ぶしかないのか。
「能力とは、亡くなった方が見える、というものでしょうか」
私が初めて開花させた力だ。決して胸を張れるほどのものではないが、私の能力はこれだ、と言える力。
だが、ニールは壁に視線を上げて、首を振った。
「それは金髪たちの力だ。霊が見える、予知ができる、過去が見える。目を使い、人々の心に訴えかけることのできる力。そのおかげで、君の祖先は国王になったんだ」
私は目を丸くした。
今思えば当然のことだが、能力や赤毛の存在を隠匿してきた金髪が、どうやって国を治める立場になったかなど教えるはずもない。
私よりもニールの方が、よっぽどこの国の歴史に詳しいのではないか。
そう思うと同時に、ますます自身が選ばれる理由がわからない。
父は腕が巨木のようになった男の子と同じ、体に関する能力を持つが、私には確固たる力はこれだけだ。亡くなった者を見る以外に、可能性として残っているのは、死者と言葉を交わし、声を聴くこと。
あの城で父の隣に座るセドリックの姿を見たとき、私の声は聞こえているようだった。けれど、セドリックからなにかを伝えようという意思は感じられず、声を聴くということも叶わなかった。
私の声が届いているとはいえ、それを果たして能力と呼べるのか、強く疑問に思う。
「私たちの言う力とは、人ならざるものの声が聞こえ、人ならざるものと話せること。私が君を根継ぎに選ぶ理由は、あのお方の声を聴き、言葉を交わしたことにある。あのお方は赤毛を受け入れて下さり、守り続けて下さっている。あのお方を軸として、私たち赤毛は命を繋いできたんだ」
不透明な桃色の宝石でできたネックレスやイヤリングは、あの日に本来の持ち主であるアレックスに返還した。
なぜニールではなくアレックスに返すのか、という疑問は解消されていた。昔話に出てきたルイという男の子の血を引くのが、アレックスだったからだ。
だが、私はわからなかった。アレックスが長の血筋ならば、なぜその座にいないのか、なぜニールが長として赤毛を率いているのか。
先ほどのニールの言葉で、そうだったのかと合点がいった。
アレックスが長の座に座らず、自身が長の家系だったことも知らなかったのは、巨獣と意思疎通を図れなかったからだ。
赤毛を救うために力を尽くしたであろう巨獣の声を聴き、感謝を述べることのできる能力を有していたニールたちの一族が、これまで長を継承してきたのだ。
複雑。
その一言で収まるものではないが、ニールはあるべき物が返ってきたことによって、アレックスに長という役割を返したいように見える。
でも、あれは……。
あの日の疑問を解決し、納得することができても、もう一つの思いもよらない事実に脳が衝撃で揺れるようだ。
「あのお方の声は、ローザ様にも聞こえていたのではないのですか……?」
私が巨獣の牙から逃れるため、祖父であるセドリックや父のことを伝え、ニールが青ざめた顔をしている際、ローザは私のことを怪訝に、鋭く睨んでいた。
下手な嘘をつくくらいなら噛み殺されてしまえ、と言わんばかりの視線を向けてきていたローザに、巨獣の声が聞こえていないはずがないと思っていたからだ。
「ああ。ローザや村の皆には聞こえていない。だから私は、皆に働きかけた。ジェーンの腹の子が危ない、とね」
巨獣が言った内容をニールが繰り返したのは、守り神と崇められる巨獣の言葉よりも、長の発言が強いからだろうと納得していた。
事実、巨獣はニールに私を村に置くかどうか、どうしたいのかと考えを尋ね、ニールは返せずにいた。
だから思い違いをしていたのか。
村の人々には巨獣の声が聞こえておらず、一方的に救ってくれと頼んでいたことになる。巨獣の可否は聞き取れず、その声が耳に届いていたのは私とニールだけ。
「君が力をきちんと扱えるようになるまで、どれ程の時間が必要かはわからないけれど、あのお方の声が聞こえる、会話ができる。それだけで抗議はいなせるだろう」
ただ、とニールの表情が曇る。
「つらいものになると覚悟していてほしい。なにせ私も、未だに受け止めきれていないんだ。これからどうすべきかも、君とどう関わればいいのかも。あのお方も、私も、答えが出ていない」
ニールは言葉を切り、動かしていた唇を引き結ぶ。擦り傷ができたときのように、私の胸の奥が熱くじくじくと痛んだ。
先ほど、ニールは父に甥が帰ってきて嬉しい、と言った。
決して、君たちとは言わなかった。長という立場上、ニールは言えなかったのかもしれない。
私は、どうしたら。
私を後継者に選ぶという決断は、容易にできるものではなかっただろう。
昨夜ローザが言っていた、疲れていらっしゃった、という意味は、体だけの疲労ではなかったのだ。
頭の中に浮かんでいた断る、という選択がニールの話によってふらふらと行き来する。
選ばれる理由も、私しか選べないという現状も、それによってニールが苦悩していることも、理解できる。
けれども、それを理解したうえで、私は承諾するべきなのか、拒否するべきなのか結論を出せない。
長の後継者としてなら、喜んで力になる、と快諾するべきだろう。
それができないのは、私が金髪だからだ。苦しげな顔で、是非にとニールが私に言えないのも、私がニールにありがとうございます、と頭を下げられないのも。
すべてだ。




