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イエローマダー  作者: 沖 晶
第二章
42/45

第四十話 「交じり合った末に」

「おそらく、近縁の者の中に赤毛がおるのだろう。その赤毛の血がここまで薄まっておっては、わしの鼻でもぼやけてしまってわからん」


 前足を投げ出して重なるようにそれを組み、巨獣は鼻から多くの息をため息のように吐き出し、悠然とその場に腹をつけて寝そべった。

 左右に並ぶ家々よりも寝そべった巨獣の胴体の方が背が高く、ゆらりゆらりと揺れる細長い尻尾は、十五軒ほどの家が並ぶ列をぎ倒すことも容易に見える。


「赤毛の血が流れておるともがらを、ほっぽり出すわけにはいかんの。わしは認めるが……」


 体は遠くとも巨獣の顔はこちらに向いており、青白く光った瞳が閉じられることなく、私を見据えたまま巨獣は言葉を切った。

 あとは赤毛をまとめ上げる長、ニールの意向が私の処遇を左右する。こんなこと、誰も予測をしていなかったのだ。最後の砦となったニールの許可が必要だといえども、私の真っ白になった頭では許しを請う言葉さえ出てこない。


「ニール様」


 ローザの心配そうな声が聞こえ、私は左側を振り返った。ニールは白くなった顔で、そんな、と小さく繰り返している。呟きが収まったあとは、ローザの呼びかけにも、巨獣に返事をすることもなく口を閉ざしてしまった。

 そう。これはニールにとっても、私にとっても、すぐさま受け入れることなどできないもの。


 私に赤毛の血が混ざっている、なんて。


 誰が聞いたとしても、とても信じられないのだ。

 見えない何かに平手打ちされたかのように、私は視覚に入って来たものを処理するだけで頭が働かない。痛いほどの拒絶を感じているニールの様子に、耐えられなくなった私は正面を向いた。私たちを静観する巨獣を一瞥し、先ほどの言葉の意味を考えるため、ゆっくりと思考を回転させる。

 私の近縁の者となれば、父や母、祖父母、あるいは曾祖父母までの近しい肉親の中に、それに当てはまる誰かがいるのだろう。


 考えられるとすれば、母方である国王の一族ではなく、平民として生まれ、リベル家に婿養子として来た父の系譜にいるはずだ。

 脳裏に浮かぶのは、父の肩を抱いていた祖父セドリックの姿と、私にショールをかけてくれた名前もわからない祖母。

 微笑みながら祖母がしてくれたように、するりと右肩を左手で撫で下ろし、あのショールを持って来たかった、と後悔の念が押し寄せる。

 すぐさま逃げなければいけなかったのだから、と仕方ないことだと言い聞かせようとも、祖母だと知らずに初めて会ったときに貰ったショールは、私にとって特別な贈り物。

 父からの膨大な贈り物も、ロニーが選んでくれた白いドレスも、全てが大切だった。

 祖母は眉尻を下げ、馬車に乗り込む父を見送っていた。夜に光る獣のように明るい黄色の瞳で、なかなか会えない息子を心配する、一人の母として。


 私のせいで当分、……いえ、一生会えないのかもしれないのよ。


 私は自身のことばかりに気を取られ、周囲の人間がどう思うかなどと考える余裕もない。そんな馬鹿な自身の頬を叩こうと左手を構えたとき、ふと、セドリックの瞳の色を思い出す。

 祖母は多くの栗毛ブルネットと同様に黄色の虹彩だったが、父がセドリックの姿に変身したときに見た瞳は、父とよく似た空色。


「ニールよ。その娘を村に引き入れるのがそれほど嫌なら、村に置くわけにはいかんのだろう? ほいほいと外に出すこともできぬこの娘、お前さんが望むならわしが噛み砕いてやってもいい」


 どうする、とニールに選択を迫る巨獣の噛み砕く、という聞き捨てならない言葉に怯え、私はニールへ勢いよく視線を移した。

 やっと仮説を立てられたのだ。

 巨獣の言っていた、赤毛であろう近縁の者が誰なのか。命を惜しむ気持ちよりも、伝えたいと思う心が強く、私は自身の話を聞いてほしい、と震えながら声を出した。


「も、申し上げても、よろしいでしょうか」


 緊張と寒さに耐えられなくなった唇を引き離すのに苦労したが、なんとか喉を震わせることができた。項垂れているニールを支えるローザが私を見つめる中、閉口したまま長い白髪で顔を隠しているニールに口を開く。


「私の父は平民の栗毛ブルネットとして生まれました。ですが、父、父方の祖父は共に、淡い青色の瞳をしております」


 ローザの眉がぴくりと跳ね、ぐっと眉間に皴を寄せた。ほとんど止まりかけながら顔を前に向けたニールは、目を見開き驚いている表情だが、私とは全く視線が合っていない。

 けれども、私の声は確実にニールへと届き、ニールは私の話に耳を傾けている。

 落ち着いて、事実だけを簡潔に。

 気道を狭めるほどに冷えた空気を大きく吸い、腹の前に組んだ手を置いて私はまた話し出す。


「祖父は妻にも、そして息子である父にさえも、自身の素性を明かさなかったと聞いております」


 寂しかった。私も友人と同じように、父方の祖父母といつでも会える環境ならば。

 そう言っていた父のかげった顔は、祖父母を責めることもできず、呑み込むしかなかったのだと諦念していた。


「祖父は色素の薄い茶髪に、ローザ様のような瞳の色、明るい肌にそばかすが乗った大男でした」

「……祖父の名を、名を、言っておくれ」


 聞いたことを後悔することになってもいい、早く言ってしまってくれ。

 そう願っているニールの表情に応えるため、私は祖父の名を大きく声に出した。


「祖父の名は、セドリック、と」




 私が祖父の名前を言ってすぐ、ニールはああ、と嘆いた。


「なんと、なんと惨い……」


 杖をつく右手が持ち手を軋ませる音を鳴らし、指の長い大きな手のひらで顔の左半分を覆うニールは、とても衝撃を受け止めきれていない。

 嘆き悲しむニールは瞼を閉じ、私には涙を零さんと耐えるように見え、長としての矜持を僅かに感じた。


 やはり、セドリックお爺様は……。


 どこの家かはわからないが、それでも村の中に並ぶ一軒家のどこかで生まれていたのだ。赤毛にしては赤とも呼べないほど薄い茶色では、栗毛の中にいてもあまり目立たない。

 ニール、もしくは巨獣が村を出ることを許し、共に生涯を寄り添うと誓える祖母と出会い、父が生まれた。ニールが送り出した理由は、セドリックの幸福を願ってのことだったのだろうか。

 けれども、父が金髪ブロンドの一族である母と交じり合ってしまったが故に、赤毛との混血児が誕生した。

 私は、王の座に君臨する金髪ブロンド、国王に海を追われた赤毛レッドヘッド、そのどちらの血も確かに流れている。だが、それは赤毛にとって憎悪の中心にいる相手が、一族の中に割って入ってくるようなものだ。

 私という人間は、ニールにとって激しい憤りを呼び覚ますよりも、涙も流せないほどに残酷な仕打ち。


 私の存在が、誰かを傷つけることになるなんて。


 ニールの泣き出さんばかりの様子に、ローザも少し戸惑っている。声をかけるべきか否か、と迷っていたローザが表情を崩しながらも口元を引き締めた。私から見れば、ローザはただただニールの身を案じ、傍にいることを選んだように見えた。


「なんの話ですか、叔父様」


 どこからともなく私の前に立ちはだかったのは、髪を結い上げたうなじを見せるエリザベス。なんの反応もできずに立ちすくむ私に、エリザベスは私に背中を向けてニールに語り掛けた。


「この者がどうかしたのですか」


 どこから……、いえ、全て聞いていたのかしら。


 ニールの酷く動揺している様子に堪りかね、叔父を金髪ブロンドから守ろうと、私の姿をニールの目から遠ざけようと、エリザベスはわざと間に入って来たように見える。

 私はニールを傷つけるつもりも、悲しませるつもりもない。だが、そんな私の胸中など、エリザベスにとってはわからない。

 普段目にすることが少ないであろう苦し気なニール、そんな長の体を支えながらも心配するローザの表情。

 エリザベスの青味がかった灰色の瞳に映る私はきっと、敵対者。

 けれども、初めてエリザベスと相対したとき、私は廊下を形作る並べられた板の上に押し倒されていた。今は押し倒されるどころか、私の体にエリザベスは触れてすらいない。

 何が起こったのかわからない。ならばニールの言葉を聞くことを選んだ、と私はエリザベスの腹の内を推し量った。これが正しいのか否か、エリザベスの本心はわからなくとも、私はまだ命がある。


 言って、いいのかしら。私の口から伝えたとして、それは意味を持つのかしら。


 エリザベスの背中に遮られ、私の視界にはローザもニールも映し出されていないが、二人の声は私の耳には聞こえてこない。ニールは言葉を選んでいるのか、それとも脳を未だ揺すられているのか、小さな呻き声一つあげない。

 ニールの様子から察するに、私の存在はとても重要で忌避きひすべきもの。それをエリザベスに軽々と、よそ者である私が告げてよいものではない。

 だからといってこのまま誤解されていては、エリザベスを筆頭にした村の人々が、一団となって私に襲い掛かってくるだろう。


 そうではない。私の父はセドリックの息子。私は金髪ブロンド、けれども、あなたたちと同じ。


 私は焦りからまとまりのない言葉を紡ごうとしたが、開きかけた口をゆっくりと閉じた。これではニールに首飾りを見せる前に、自身を匿ってくれと願い出たときと同じだ。

 自身の血には赤毛が混じっている、だから殺さないでくれと縋りついているも同然。ここでセドリックと父の話をしたとしても、私がこの村の中で命を終えるという結末は変わらない。


 だからこそ、お父様やセドリックお爺様のことを伝えたいのに。


 頭に浮かんでは沈む言葉たちは、どれもエリザベスやニールの心には届かないだろう。なにを言えば、どう伝えたら、と思案に暮れる私の脳を止める、静かな声が耳に入って来た。


「懐かしいのう、ニールよ」

「……はい」

うてみたかろう、セドリックの息子に」


 巨獣がニールに優しく語り掛け、私はただ耳を澄ませてニールがなんと返すのか待っている。


 覚えているのかしら。


 何十年という年月では足りない程、この巨獣は長らく生きているはずだろう。人ではなく、ましてや通常の獣とはわけが違う巨獣は、神と崇められるのに相応しい。その神が守っている村とはいえ、死にゆく短命な人間を覚えているのか、と私は疑問に思った。

 ニールは巨獣にはいとも、いいえとも言わずに黙っている。巨獣がなにも反応していないことが、ニールが首を動かしていない証拠。

 私には金髪ブロンドの血が入っているが、父は栗毛ブルネットの血が半分混ざっているだけだ。私に対して憎悪があろうとも、父には会ってみたいのだろうか。それとも、やはりこの土地の雪を見知らぬ者に踏まれたくないのだろうか。

 エリザベスの背中をじっと見つめながら、いろいろな考え事にふけっていた私を、巨獣が呼んだ。


「黄金色の娘よ」


 巨獣の声が私の喉を掴み、吸った息を少しも吐き出せない。ニールに朗らかな口調で話しかけていた巨獣が、緊張の糸を私に絡みつけるように、厳かな声色で私の名前を呼ぶのだ。何事か、と私の胸の奥はすう、と冷え、生唾も呑み込めないほどの恐れに体が硬直する。

 細く息を吐き出しながら、私は半歩、また半歩とゆっくり振り返り、くつろいでいる巨獣の方へと向き直った。返事をする代わりに、腹の前に組みなおした手を強く握り込み、首を垂れて積もった雪を見つめる。お辞儀をしたままであれば、神と呼ばれる巨獣に誠意がこもっていると思ってもらえる、とはっきりとは言い切れない。

 だが、私が知っている神である国王とは、できる限り視線を合わせないようにしていた。その体に染み込んだ癖で上半身を倒したまま、口を引き結んで巨獣が話し始めるのを待つ。


「この山に先ほど足を踏み入れた者がおる。若い男だ。お前さん、この村のことを誰かに教えたことがあるか」


 はっと驚いた私は勢いよく顔を上げてしまった。丸い耳をぴんと立てた巨獣と目を合わながら、私は震えるように首を振った。もしかしたら父が来たのかと思ったが、巨獣は若い男と言っている。細かい皴が顔に散りばめた父は、決して若い男という括りには当てはまらない。

 私は言葉を詰まらせながらも、父と育ての母が、私がこの山に入ったことを知っていると伝えた。


「ですが、父は若くありません。歩けないほどの老人でもありませんが、なにより、育ての母が病に伏し、その付き添いをしております。ここに向かう理由は……」


 言い終える前に口を閉ざした私の顔から、さあ、と血の気が引いていく。長くこの山に住まう巨獣から見れば若い、という男がもし父であったならば。


 ロニーが……?


 体調を悪化させたヴェロニカが事切れ、父はそれを伝えるために山を登ってきているのか。国王が差し向けてきた密偵の類という可能性も考えたが、一人だけを送り込むほど祖父は浅はかではない。

 私は冷えた手のひらで口を覆い隠し、どうしよう、と不安で頭がはちきれそうになる。山に入って来た男が父であろうとなかろうと、私は平静ではいられない。


「ローザ、山に踏み込んだ者がいる。見てきておくれ」


 後ろで私の話を聞いていたニールが、ローザに偵察を言いつけている。ローザがすぐさま駆けるために雪を蹴る音が私の耳に届いたが、ちちっと小鳥のような鳴き声が響いたことで足音が止まった。

 あの獣だ。

 小さく、白い毛皮で覆われた細長い胴体に、つんと尖った顔の、御遣い様と呼ばれていた獣。


「ニールよ、お前さんらは家に入っておれ。皆に、誰も家から出るなときつく言っておけばよい。……行け」


 命令を下したあとにぐる、と獣の唸り声を出した巨獣に小さな白い獣は、ちっと一鳴きして山を下りて行った。

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