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イエローマダー  作者: 沖 晶
第一章
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第三話

 初めて入る長の家は豪華ものが多く、見たことのないもので溢れていると思っていた。


 いざ見てみれば、窓は小さく天井もさほど高くない。自分たちの家にある家具と、そう変わらないものが多い。


 だが、囲炉裏の炉縁には繊細な模様が施されており、中心で燃えている火元も薪や落ちた枝ではなく、煙の出づらい貴重な木炭が使われている。


 床に敷かれている毛皮も狼か熊のもので、キツネなどとは比べ物にならないほど大きい。


 通された客間でそんなことを考えていたが、レベッカを連れてきたことでもう居座る理由がないと気づく。


 皮を剥ぎ、今日のうちに使わない肉を塩漬けにしなければいけない。


 足が悪く、歩きづらそうにするニールの手を取って囲炉裏の前まで案内し、ゆっくりと腰を下ろすのを待って耳打ちをする。


「ニール様。レベッカと名乗っておる者を連れて参りました。レベッカはニール様にお願いがあって山へきたようです。……どうやら曰くつきのようで」

「そうか。ありがとう」


 次に囲炉裏を挟んでニールの対面にレベッカを座らせ、隣にトランクを置いてその場を離れようとした。


 だが、レベッカがくんと裾を引っ張り離そうとしない。振り返れば、心細いと言わんばかりに眉尻が下がっている。


 まるで子どもだな。


「離せ」

「その、一緒にいてください」


 裾を持つ手に力を入れなおして、一層強くレベッカは離れようとすることを嫌がる。


 ため息をついて家に帰らなければいけないと、理由を説明すると名残惜しそうに裾から手を離した。


 そんなレベッカを気の毒に思ったか否か、ニールもここにいろと言う。


 食い下がろうと口を開いたところで、背後から女の声が割って入った。


「ニール様」

「ローザかい? 今手は空いているだろうか」


 いつの間にか部屋の中へ入ってきていたローザと呼ばれる女が、ニールの元へ足音もなく近づき一言二言交わした。


 話し終われば出ていくのかと思っていたが、ローザは表情もなくこちらに向かってきて、背中に背負っていた獲物たちをするりと持ち去ろうとする。


 何をするんだと焦りから大きい声で威圧するも、聞こえていないように表情がぴくりとも動かない。


 まるで人ではないようなその様子に、ぞっとして腰のナイフを引き抜こうと手をかけた。


「ローザは狩りの名人だったんだ。彼女の話を聞く間に、君の獲物が腐らないようにと処理を頼んだだけだ。心配いらない」


 ニールの言葉に脈打っていた血液が静まり、なんだと力が抜けてナイフのハンドルから手を放す。


 重たかった肩や背中がふっと軽くなり、それらを抱えた不気味なローザの背中を見送った。


 黒い布のせいで分かりづらかったが、身長も高く肩周りが分厚い。なるほど、長く狩りをやっていた体つきだ。


「さあ、立っていないで私の隣に座りなさい」


 ぎょっとしてニールを見つめる。

 少しばかり皺の刻まれた優しい顔立ち、長身のわりに細身な体、赤毛とは言えないほどすっかり白くなった長い髪。


 男なのにどこか儚く見える長は、そうそう家から出てこず会える機会も少ない。

 そんなニールの隣に座るなどつゆほども考えていなかった。


 顔が引きつるのを感じながら、おそるおそるレベッカとニールの間に座る。


 居心地の悪さと緊張感でひどく口の中が乾き、じっとりと汗がまとわりついてくるようだ。


 囲炉裏を囲むような形で三人が座り、ようやく話を聞く態勢を取ったが、レベッカが口を開いたり閉じたりしている。

 どこから話そうか、どう言えば助力を仰げるかと、考えあぐねているような表情だ。


 ちらりとニールへ視線を向ける。こちらはレベッカが話し出すのを、ゆったりとした表情で待っている。


 稀に皆が集められる日があり、決まってそんな日はニールの話を聞いたあとに、昔話をしてとねだったものだ。


 そんな話し上手なニールが穏やかな表情を浮かべて、相手が話し出すのを待っていることに目新しい気分になる。


 子どもだった自分たちに優しく微笑みかけながら、昔話を語るニールの髪は茶褐色のように薄い赤毛だった。


 いつのまに白んでしまったのか。


 あの頃のニールの髪はまだ肩につく程度。

 今は腰まであるようだが、きちんと手入れをされている。世話役であるローザがしているのだろう、髪のことなら女が適任だ。


「わたくしは、リベル家の者です……」


 ニールから重々しく話し出したレベッカに視線を移したが、うつむきながら話すレベッカと目が合わない。

 苦しそうにも聞こえる声に、やはりかと眉根が寄る。


 関係がないと言い切ったとしても、レベッカが金髪であるということが何よりの証拠だ。

 それを今更ニールに話してなんになるのか。


 なんとか話し出したというのに、レベッカはまた言葉に詰まっている。まるでうなされているような息遣いに疑問が重なった。

 リベル家の出だと話すだけで、なぜそんなにも苦しげなのか。


 息を吸うたびに折った体が丸まるレベッカに、どうしたのかと声をかけた。

 返事はないが、どうにかしようともがいているように見える。


 彼女は金髪ブロンドだ、優しくする義理はない。


 そう、むしろ無情であらなければならないというのに。

 こんな風に考えていることを知れば、心根が優しいからだとでも言われるだろう。


 脳裏に浮かんできた赤茶の短髪を、しまい込むようにかぶりを振った。


「家を追い立てられたようだ、それも」


 口火を切ったニールは、弾かれたように顔を上げたレベッカを気にする様子はない。

 レベッカの震えは驚きで止まったようだが、息遣いは先ほどより荒い。


 ニールを見つめるその瞳は、その先を言わないでくれと訴えている。

 眉尻が下がり、目を見開いて怯えたような顔をするレベッカに、こちらまで恐怖の念が伝わってくる。


 反対側を振り返ると、ニールは昔のように優しく微笑んでいる。


 だが、体を丸めているレベッカの顔を見ていない。

 ただ真っ直ぐに前を見つめるニールに違和感を覚えつつ、その先の言葉を待った。


「実の母に殺されかけて」


 穏やかに紡がれたニールの言葉に、レベッカはひゅっと息を飲み込んだ。

 部屋中に響いていたレベッカの荒い息遣いは消え、静まった空気を揺らすように、ぽたぽたという水音が聞こえる。


 泣いている。


 頬から顎へ、そして耐えきれなくなった涙が顎先から何度も滴り落ちる。

 口を一文字に結び、何度も鼻をすするレベッカは、迷子だったのだ。


 母に命を奪われそうになり、家を追い立てられるその恐怖は誰にも計り知れない。

 帰る家を失い、この村へやってきたのだ。


 溢れて止まらないレベッカの涙は、沈痛そのもの。


 だが、なぜ殺されかけたのか。


 リベル家の住む遠い城から、どうやって無事にここまで辿り着けたのか。

 トランクを提げコートまで着ていたのだ、着の身着のまま素足で逃げてきたわけでない。


 ニールはなぜ、殺されかけてと言ったのか。誰かがレベッカを逃がそうと手引きしたのだろうか。


 そもそも、ニールは何も知らないはずだ。レベッカからリべル家の者だと聞いただけで、詳細など知り得ることはできまい。


「あなた様は、どこまで知っておられるのですか」


 震えた涙声のレベッカがニールへと疑問を投げかけた。

 涙も鼻も落ち着いたようで、手で濡れた頬を拭いながらニールの言葉を待っている。


「大まかなことしか知らないさ。だから君の話も聞かないと、全貌は見えない」


 なんの淀みもなく、ニールは言い切った。

 どうやって知ったのだ、あのローザにリベル家を見張らせていたのか、どういうことなのだ。


 疑問に疑問が重なり、もはや最初の疑問が見えなくなって、考えるよりもレベッカの話を聞く方が早いと気づいた。


 やはり頭を使うことは苦手だ。


「では、余すことなくお話させていただきます」


 覚悟を決めたように凛とした顔つきになったレベッカを、固唾を吞んで見つめた。

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