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イエローマダー  作者: 沖 晶
第二章
39/49

第三十七話 「対面」

 しばらくして私のいる花弁の間にやってきた医者は、まだ年若い男性だった。火鉢と呼ばれる大きな入れ物の前に座っていた私の元へ、医者は悠々とやってくる。

 城に呼ばれていた栗毛ブルネットの町医者は、いつも黒く長いマントのようなものを身に着け、できる限り肌を隠した服装をしていた。

 だが、今私の目の前に膝を付けている若い赤毛の男性は、ニールや私の着ているものとは違う。上半身と下半身でそれぞれ別の服を身に着けており、上の服は肘から下が丸見えになってしまっている。


 なぜかしら。


 袖も短く垂れさがっていないことから、動きやすいのは理解できる。

 けれども、患者の血や唾などの体液が付着することを最も避けなければいけないのだと、医学の授業で学んだ私にとって、肌を大きく露出させた男性の格好が気になって仕方ない。

 質問を口に出そうかと悩んでいると、大きな手のひらが私の首にゆっくりと近づけられた。


「首に触れるから、力を抜いて」

「はい」


 診察が始まってしまい、口をつぐむ。

 軽い触診のようなものをされ、質問に二つほど答えた後に医者は私の首をじっと見つめ、淡い青色の瞳を光らせだした。

 虹彩こうさいのみが光っているのではなく、瞳の中央にある瞳孔も同じくぎらぎらとした青い光を放っている。瞳孔と虹彩が一つになった瞳で見つめられ、強い不安感に晒された私は視線を逸らすことができずにいた。首だけでなく、足首や腕、さらには腰まで食い入るように眺められ、全身を見透かしている医者の光輝く目に私は嫌な汗をかく。


すじ、神経に問題はない」


 私の状態を診ていた医者が話し出し、すう、と光が消える。元に戻った医者の瞳に安心して、密かに胸を撫でおろした。


「手跡も二、三日で消えるだろう。無理に動かしたり、強い衝撃を与えてはならないから、注意するように」

「ありがとうございます」


 礼を言った私に、では、と短く言って軽やかに入口へ向かう医者が、様子を見ていたローザとなにか話している。話している内容よりも、私は並んだ二人の容姿に目を奪われた。

 医者の日に焼けたように暗い肌が、隣で立っているローザと似ている。立ち上がってローザと話している医者の背格好や、二人ともが淡い桃色をしている唇の形も似通っており、姉弟、もしくは兄妹かと思うほどだ。


「先に言っていたことに気を配れば、生活に問題はない」

「ああ、ありがとう」


 話し終えた医者がローザの感謝の言葉にこくりと頷き、すたすたと花弁の間を出て行く。ローザは医者の背中を見送っていたが、私に振り向いて今日は下に降りて来るな、と言う。

 了承の言葉を返し、今度は私がローザを見送る。微かに透けている扉を静かに閉めたローザの足音が遠ざかり、緊張の糸が解れた。

 窓を閉めていても薄く入ってくる光によって浮かび上がる、壁に描かれた沢山の花々に囲まれ、火鉢の前へ手を持って来る。


 手伝いはなし、か。


 ここに私の居場所と呼べるものはなく、父もヴェロニカもいない。花弁の間と冠された名前の部屋で、火鉢の暖かさに身を寄せるだけだ。

 ローザの手伝いをしていれば、一時でも自分の置かれた現状を忘れられるのだが、拒否されてしまったがために、なにもすることがない。

 すぐに体を起こすから、と羽織を着たまま柔らかい布団という寝具に寝転がる。皴になるぞ、と教えてくれたアレックスの言葉を思い出したが、代わりにずん、と鉛のように重たいものが胸につっかえた。

 囲炉裏の部屋を挟んだ向かいの部屋で、今朝までアレックスは眠っていた。私が起きたときにはすでに外へ出ており、ローザの代わりに力仕事を申し出ていたようだ。

 無口なアレックスが優雅に朝食を食べる姿を盗み見て、鏡合わせになる私の左手に握られた箸の使い方を真似て食事を終え、これで共に食事を取ることもないのか、と寂しく思った。

 その後に起きたことは、あまり思い出したくない。


 ごろりと横になれば嫌でも眺めることになる、天井に咲く赤根、と教わった花の絵を見上げる。

 黒い線で描かれた五枚の花弁は先が尖っており、後ろへとっているものもある。枝分かれした茎からいくつもの花が咲いているようだが、大きく背の高いものなのだろうか。

 この花が見てみたいのならば、あのお方に認められること。

 アレックスは大きく口を開け、あくび交じりに言っていた。アレックスの意図するところが私にはわからず、なんだか瞬く瞼も重たくなり、思考がうまく働かなくなってくる。

 体から力が抜けていったあとに私は、目を開けていられずにまどろんでしまった。




 雪が降るほど冷える外にいるのと変わらない部屋のせいか、緊張状態となった体では寝ていられなかったようで、私は痺れて固まった体を丸める。


 今は、夕方かしら。


 窓から差し込んでいたはずの光はなく、部屋が薄暗くなっている。はあ、と吐き出す息は白く、火鉢の暖かさもないと気づいた。自分を抱きしめるように腕を胸へ引き寄せながら起き上がり、ローザに火鉢の様子を見てもらおうと入口へ向かう。

 かたかたと言うことをきかない右手で扉を横に引き、温もっていた足の裏で廊下を歩いていたが、階段を降り終わる頃には冷めきってしまった。


「ローザ様?」


 調理場で鍋を覗き込んでいるローザの後ろ姿に声をかけるも、私の顔を見ることもしないローザがぶっきらぼうに、なんだ、と返答した。

 火鉢を見てほしい、と奥歯がかちかちとぶつかる音を鳴らしながら伝え、了承の返事をもらえたことに安心する。しばらく佇んでいたが、下りて来るなと言われていたことが寝ぼけた頭に浮かび上がり、その場を離れようと階段を振り返った。


「叔父様! ニール叔父様!」


 若い女性の声が聞こえ、ぴたりと動きを止める。耳に飛び込んできたその声は、私と近い年齢なのだろうか。女性は酷く狼狽えた様子で、ニールのいる部屋で叫んでいるが、反対にニールの声が聞こえない。


 緊急なのかしら。いったい何があるというの?


 尋常ではない女性の声に、ただ立ちすくんでいる私まで心拍数が上がってくる。


「お早く! また兄様あにさまが!」


 聞き耳を立てているうちに、だん、と扉を力任せに開ける重たい音が響き、ローザが速足で廊下へ上がった。


「エリザベス様、ニール様は私が」

「ローザは兄様の様子を! 叔父様は私が連れて行きます!」


 ローザは後ずさりしながらエリザベス、と呼んだ女性を落ち着けようとするが、エリザベスに強く出ることができないらしいローザは、少したじろぎながらも家を出ようとする。

 はっとしたローザが私の方へと近づき、底が縦に長い男物の靴を用意し、軽く頭を下げてから家を出て行った。


「叔父様、私が……」


 視線を遮っていた壁の奥から現れたエリザベスと、目が合ってしまった。

 私と同じように長く伸ばしたエリザベスの赤い髪はすとんと落ち、こちらを見る瞳は青みがかった灰色のようで、眦は耳の方へと垂れている。

 瞬きをした刹那、エリザベスの前腕に胸を押さえつけられ、仰向けに倒れていた。なにが私の身に起こったのかさっぱりだが、足音もさせずに走ったわけではないだろう。エリザベスはどうやって、立っていた私を押し倒したのか。


「誰、あなた」


 動揺して叫んでいた人とは到底思えない程、私を鋭く捉えて威圧するエリザベスの声は冷たい。目を白黒させながらも、私は努めて平静を装い名乗った。


「レベッカと申します」

「名前なんか聞いてない。叔父様の、……長の命を奪いに来たのね」


 そうではない、と勢いよく頭を振って否定する。ニールの計らいによって、あのお方の許しが出ればこの村に置いてもらえること、采配を聞くまでは、二階で寝泊まりさせてもらっていることを伝えた。

 私を無表情で見るエリザベスは目を逸らさず、後ろで立っているはずのニールに確認を取る。


「叔父様」

「本当だよ。それよりアレックスの方が心配だ。早く行こう」


 決して私から目を離さなかったエリザベスは、弾け飛ぶ泡のようにさっと目の前から消え、私が体を起こしたときには、すでにニールに靴を履かせていた。

 アレックスがどうかしたのか、と質問する暇もなく、ニールを支えたエリザベスが玄関を開ける。


「部屋にいなさい」


 家から出る前に、ニールが私に言いつける。はい、と小さく返事をした私の声は、ぴしゃりと扉を閉める音にかき消されてしまった。

 板張りの床につけた尻から、徐々に体温が逃げていく。

 私とそう変わらない背の小さいエリザベスでさえ、金髪ブロンドである私を見て目を吊り上げていた。この村に来て、ニールたち以外の赤毛レッドヘッドに初めて会ったが、これでは命がいつなくなってもおかしくない。

 心細いと感じる胸中を誤魔化すため、思考を回転させて別のことを考え始める。

 ニールの言葉の意味、エリザベスの危機を訴える声を、頭の中で組み合わせた。


 ニールはアレックスが心配と言い、エリザベスは兄様がまただと叫んでいた。であれば、アレックスの身になにかが起こっていることは間違いなく、そのアレックスを兄と呼んでいたエリザベスは。


 妹?


 アレックスとは、あまり似ていなかった。

 私の夢に出てきた青年とアレックスは、切れ長で涼やかな目元だが、女性は丸く垂れた目の形をしている。女性の髪は青年と同じく橙がかった赤色だが、アレックスは濃い炎のような赤色。

 女性だけが真っ直ぐで艶のある髪をしており、アレックスと青年はくせ毛だと私は認識している。青年もアレックスも短髪だが、毛先がくるりと巻いて柔らかそうだからだ。

 瞳は三人とも灰色であり、それだけが共通している。


「彼女があなたの言っていた妹、なのね」


 アレックスの背後にいた夢で話した青年に、聞こえないと知っていても私は小さく語り掛ける。

 昨晩風呂から上がり、廊下でアレックスと話していたときに見えた青年は、横を向いて腕を組み、アレックスを斜め後ろから見つめ、仏頂面の目元にうれいを帯びさせていた。

 妹とアレックスを交互に見守っているのか、アレックスの身に起こることを知っていたのか。


 きっと、どれも違うわね。


 今の私では自身の能力の扱いも、どんなものなのかも理解しておらず、仮説を立てることすら難しい。

 だが、私に頼む、と言っていた青年の妹はエリザベスで間違いないのだろう。でなければ、取り乱した様子でニールに来てくれ、とは頼まないはずだ。


 なにがあったのかしら。


 切迫した緊張感に包まれていたことを思い出す。医学を少しかじっているらしいローザを、エリザベスが先に行かせたのは理解できる。

 だが、長であるニールを引きずり出さなければいけない事態とは、一体なんなのか。

 医者であれば私の元に来た若い男性を連れて行けば良いはずだが、もうここにはいない。それなのに、エリザベスがニールを連れて行った理由がわからない。

 ぐるぐると答えのない問いを考えていても仕方ない、とすっかり冷え切った尻を持ち上げる。薪を差し込めば、囲炉裏のように火鉢も温まるのだろうか、と不安に思いながらも薪を取るため調理場に下りた。

 三足ほど並んでいる踵のない靴を履き、服のせいで小さくなる歩幅で進んでいく。仕切る扉がない隣の部屋へ入り、天井近くまで四角形に組まれた薪の隣にある棚に、びっしりと押し込まれた薪の一つを引き出した。

 足元を確認しながら廊下、階段、花弁の間へゆっくりと戻ってくる。ほとんど灰色になってしまった火元にそっと薪を乗せ、開け放ったままにしていた扉を閉めようと入口へ近づいた。


 これで温かくなればいいのだけれど。


 それまで布団の中で丸くなっていようか、と考えていたとき、瞬いた瞳の先に白いなにかが映った。するりと足と壁の間を通ったそれを追いかけるため、素早く後ろを振り返る。

 何かの見間違いか、と見開いた目で部屋に入った白いなにかを探す。首を動かし目をぐりぐりとあらゆる方向に向けてみたが、なにも見当たらない。


 気のせい、だったのかしら。


 それにしてはまま大きいものだったが、と肩をすくめて扉を閉め、火鉢を覗き込むように近づく。どうやら間に合ったようで、火がちろちろと薪を食んでいるのを見て安堵の息をついた。

 布団をずりずりと移動させ、柔らかい敷布団の上に足を崩して座り、縦にも横にも長い掛け布団を横にして背中にかける。少し重たいが、自身のベッドで使っていた毛布よりも温かく、分厚い布団は包まれているという安心感がある。

 目の前にある火鉢の中で体を揺らす小さい炎の前へ、手を温めるために腕を押し出した。冷え切っていた指先がじんじんと脈打ち、血流が良くなったせいか痒みを訴え始める。

 がり、と力任せに掻いてしまい、痒みが収まるわけでもなく鈍い痛みが走った。息を吸いながら右手を見るが、火の影になってなにも見えない。


「はあ」


 体をすっぽりと覆い隠してくれる布団に埋もれ、先ほどよりも大きくなってきた炎を眺める。

 麓の町に残してきたヴェロニカや、父のことがふわりと呼び起こされ目を瞑った。

 馬車を動かして山の麓にある町まで連れてきてくれたヴェロニカは、今や床に臥せてしまっている。城を逃げ出してから日を追うごとに、健康だったヴェロニカはやつれていった。

 町にいた女の医者がヴェロニカを不憫に思い、自宅で面倒を見てくれるという話だったが、ヴェロニカは今どんな容体なのだろう。

 傍にいて看病を、と言いたいところだったが、それは父が引き受けた。父は私とは違い、自由に姿を変えられる。

 私がいると知られてしまえば、命からがら逃げだしてきたことが無駄になってしまう。父はヴェロニカを、私は存在しているかもしれない赤毛レッドヘッドを、と父の元から離れた。


 そうして私たちは別れ、今に至っている。

 父のことだから、きっと赤毛に会えていると理解しているだろう。そうでなければ、今頃この村にやってきて、金髪ブロンドが現れた、と大騒ぎになっているはずだからだ。

 心配性だが、私を信じてくれているはずだと思い直しながらも、反面暗い感情が顔を出す。

 私がこの村に入ることを許されず、ローザに命を刈り取ってくれと願ったときに、誰もそれを父に知らせることができない。

 この世を去ることをしたためた文を届けてくれる者も、父に遺体を渡してくれる者もいないだろう。


 どうすれば……。


 体が温まっていくことに対して、胸の内はどんどんと暗く冷たいものでいっぱいになってしまう。

 死にたくない、ヴェロニカが心配、父に抱きしめられたい。

 抑え込んでいた弱音が口から零れ落ちるのを留める代わりに、視界がぐらぐらと歪みだした。両手で顔を覆えば、決壊した涙が溢れて手のひらを濡らしていく。

 恐ろしいときや苦しいとき、傍には私を愛してくれる人がいたという事実が、今になって有難く、そして恋しい。

 呼吸が苦しくなり、口だけを開放する。赤く腫れることも気にせず、ひりひりと痛む瞼を擦り上げ、しゃくりあげるように息を吸った。


 左手を顔から外し、今朝アレックスにされたように自身の首を押さえる。ぐっと握り込んだ首に自身の爪を立て、気道を塞ぐことによって生まれた息苦しさに、げほ、と咳き込み首から手を離した。

 なにをしているのか自分自身にもよくわからず、自己嫌悪の渦に呑まれそうになる。

 私はこんなに弱かったのだろうか? それとも、父たちに甘えすぎていたのだろうか。

 意味のない自己分析を始めようとしたとき、私の耳に小鳥のさえずる声が飛び込んでくる。

 外ではなく、部屋の中から聞こえたそれに疑問を抱き、流れていた涙も止まった。ず、と鼻をすすり、左右を見回し窓を見つめる。


 もう夜だというのに、迷い込んだのかしら。


 ちゅん、ちっ、ちち、と、また小さく鳴いたそれを探すため、私は被っていた布団から抜け出した。火鉢の隣に立ち、板の窓を外側に押し出そうと伸ばした私の腕に、とん、と小さな獣が乗り、驚いて体が跳ねる。

 悲鳴を上げて腕を振り回し、後ずさるつもりが尻もちをついてしまう。どしん、と座り込んだまま、風を切るように首を振って獣を探した。

 私の見間違いではなかった。白い何かの正体は、白い毛皮を持つ小さな獣だったのだ。


 ちっ。


 その獣が、今度は私の胸に乗る。

 至近距離で見つめられ、息が止まった。胸に乗せていた前足を上げ、二本足で立っている獣は鼻をふんふんと上下させ、私の匂いを確認しているようだ。


 一体なにを。噛まれるのかしら。


 下手に動いて興奮させてはいけない、と口に入った髪も取り除けずに、目の前にいる獣から視線を外せない。

 丸い耳は小さく、尖った鼻先は黒い。足は短く胴体が長い獣が、私に見せつけるように腹にあてがっている前足には、毛に埋もれた長い爪が見え隠れしている。私の目で追いかけられないほど小さく俊敏な獣が、離れることもせず胸の上でじっとしている。

 鋭く伸びた爪に怯えている間に、獣は四つん這いになってじりじりと近づいてくる。するすると近づいたかと思えば瞬時に後退し、徐々に私の顔までの距離が縮まってきたとき、恐ろしくなってぎゅうっと目を瞑った。

 私の顎や口周りに濡れた獣の鼻先が擦り付けられ、くすぐったい気持ちと、いつ噛みつかれるかわからない恐怖で胸中がない交ぜになる。

 怖いと思えば思うほど私の体を巡る血潮がどくどくと耳元で鳴り響き、より獣の鼻先や小さな毛が鮮明に感じ、鼻でする浅い呼吸では落ち着けることもできない。


 ち、ちゅん。


 眼前にいる獣が鳴いた。

 鳴いてすぐに私の顔から離れ、どこにいるのか確認をしようと片目を薄く開く。

 体重が軽く、動いていなければ獣が私の上にいるのかどうかもわからない。ほんの少しだけ開いた瞳の先にはなにもおらず、ぱっと見開いた両目で胸の上を見る。


 いないわ。


 恐る恐る起き上がり、獣はどこかに行ってしまったらしく、緊張していた体から力が抜けた。


「よかった……」


 獣が持つ独特な真っ黒な目に魅せられ、反対に、鳴く際に見えた牙にいつ喉元を噛みつかれるかと肝を冷やした。獲物として相応しくなかったのか、獣の考えることなどわからないが、なんにせよ解放されたことに心音が穏やかになってくる。

 大きく胸を膨らませ、ふう、とやっと息をつけた。

 あの獣がなにをしに私の部屋へ来たのか見当もつかないが、もしかしたら火鉢の温かさに釣られたのかもしれない。


 そうなのであれば、少し悪いことしたわね。


 怯えずともゆったりとした気持ちで、獣の好きなようにさせてやればこんなに疲れることもなかったのか、などと考える。


「おい」


 思案に暮れていたとき、ローザに後ろから呼ばれた。

 私は慌てて後ろを振り返り、お帰りなさい、と返答する。訝し気に眉根を寄せるローザの手には服が乗せられており、少し間を開けた後に口を開いた。


「これが明日の服だ。……首は痛むか」

「いえ……」


 ローザが控えめな声で訊いた質問に、私は目をぱちぱちと瞬かせ、生返事のような否定をする。

 寄せた眉根が戻ることなく、ローザは私から視線を落として話し始めた。


「夕餉の用意をする。首がもういいのなら、今から下りてきて手伝え」


 入口のそばに服を置いたローザは、私を待たずにさっさと一階へ降りて行ってしまう。私を温めてくれていた布団を頭側から引きずり、元の位置に戻しておく。


 心配、してくれたのかしら。


 ゆるゆると首を振って、違うだろう、と私は高揚しかけた心を押し込める。

 ローザが私をそばに置きたがるのも、監視の意味があるはずなのだ。勘違いしてはいけない、と口元を横に引き結ぶ。

 着込んでいた羽織を脱ぎ、掛け布団の上にそっと乗せ、私はローザを手伝うため速足で調理場へと向かった。

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