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イエローマダー  作者: 沖 晶
第二章
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第三十話

「やあ。早いな、ローザさん」

「起きたか」


 一日の始まりは、屋根に積もった雪を下すことから始まる。ごしごしと熱を持つ眦を擦りながら一階へ降りれば、ローザがすでに飯の支度に追われていた。


「雪を下ろしてくるよ」

「頼む。その辺にこしきがあるから使え」


 わずかにほっとしたような表情で、ローザがこちらに言う。客を働かせることはないと言っていたが、あれこれと忙しい朝では、素直に誰かを頼ることもあるようだ。

 ローザが顔を向けていた場所へ近づくと、確かにこしきが転がっている。すぐそばの壁には昨日はなかった毛皮の防寒着があり、ローザが雪下ろしの準備を整えていたのだとわかる。

 自分の雪沓ゆきぐつを探すために土間にある履物に足をつっかけ、土間の隣にある薪が並んでいた部屋に入った。閉め切るための戸がないことに気づくと同時に、壁に踵を向けて並べられている雪沓とレベッカのブーツを見つける。

 その場で履き替え、土間にあった方は持ち上げて元の場所へ戻し、こしきを手にローザへ行ってくる、と告げた。


「ああ、気を付けろ」


 ローザの言葉へ返答せずに玄関の戸を引き、さっと勢いよく外に出てすぐに閉める。竈の火に当たっていれば暖かいが、冷気を入れないようにしなければ火も弱まる。

 ローザは自身の体が火になれるとはいえ、料理をしていればそんな暇はないだろう。


「ずいぶんと降ったんだな」


 昨日は早い時間から吹雪いていたが、自分の胸ほどの高さまで雪が積もっている。張り出した屋根のおかげで、玄関周りはなんとか人一人が入れる隙間があるが、少々時間がかかるかもしれない。

 屋根に上がるための梯子を首を振って探し、右側に立てかけられているそれを見つけた。そちらまで歩いていき、梯子の目の前にある雪を向こう側へ押し出す。


「よいせ、と」


 あらかた押し出せたら梯子を屋根へとひっかけ、周りにある雪で不安定な梯子の足を埋めた。足で踏み固めたら、ようやく屋根へと梯子を上る。

 雪は止み、今日は風もない。それだけで暖かいとすら感じ、梯子を掴む手も赤くなっていない。

 しかし、鼻先はだんだんと冷えてきた。耳を隠す帽子や、鼻や口元を覆う布はきちんと付けているが、凍みるように冷えた空気は真っ先に鼻を攻撃する。

 反対に、浮腫んで熱く火照った瞼には、この寒さが心地よい。料理の際に火傷を負ったとき、手や腕を雪へと突っ込んでいる感覚だ。

 深呼吸をして、徐々に頭が冴えていくのがわかる。


 今は一人だが、仕方ない。できることはないんだ。


 言い訳のように自分へと言い聞かせた。雪を下ろし、家の中で狩りの準備を整え、家を出る。帰ってきて風呂に入り、囲炉裏の前で料理をする。

 薄っぺらな布団で眠り、またあの夢を見続けることになっても、これが日常なのだ。

 傾斜のきつい屋根の下側をちょいちょいとくすぐってやれば、ざあっといっぺんに雪が落ちていった。こしきを持っていかれそうになるが、ひょいと腕ごと上へ持ち上げ事なきを得る。

 だだだっと落ちた雪の音で、自分の気持ちにも踏ん切りが付けられる気がするが、本当のところはわからない。


 ただ同じことを繰り返すことが本当に良いことなのか、見て見ぬふりをしていれば兄たちが帰ってくるのか。

 自問したところで、それらに対しての正しい答えは見つけられない。

 屋根の上できらきらと輝いていた雪の絨毯は、落ちた途端にぼろぼろと人形からはみ出した綿のようになってしまった。

 あの雪のように自分の気持ちを蔑ろにしているとしても、それに気づかない方が良いだろう。


「よし」


 落ちた雪から視線を外し、雪下ろしを続行するため、こしきを持つ手に力を入れ直した。





 手前側の屋根を終え、奥側にあるもう半分の屋根から雪を下ろせば、後は落とした雪を家の壁から離して除けるだけだ。


 ざあ。


 最後の雪が屋根から流れ落ち、梯子を一段ずつ下りていく。踏み固めていた雪から梯子の足を抜き取り、家の後ろに行くまでに作っていた道を戻っていく。

 玄関を通り過ぎ、梯子を元あった場所へ戻したら、こしき片手に本腰を入れる。軽い粉雪とは言えど、これだけ積もった雪の分厚い壁を前に、そうそう楽なものではない。


 まずは玄関の前、次に壁をぐるりと回ろうか。


 雪かきをする手順を考えながら玄関先へ歩を進め、こしきを目の前にある雪へと差し込む。ぐっと持ち上げ自分とは逆の方へと放り投げた。

 何度も繰り返しているうちに、一歩ずつ玄関の前が広くなっている。あらかた進めたところで左を向き、今度は右から左、左から右へと前へ広げていく。


「ふう」


 あっという間に玄関まで戻ってきた。

 もちろん、長の屋敷ということも手伝って、自分の家よりは時間がかかっているが、集中していれば時間は短く感じられる。

 多少は汗をかいているし、喉も乾いた。この寒さの中でかく汗などほんの水一滴程度だろうが、昨日は夕餉の後に水をもらい忘れていたし、干からびてしまいそうだ。

 雪沓についている雪を手で払い、玄関の戸を開けて足早に家へ入る。


「アレックス様、おはようございます。雪かき、ご苦労様でございました」

「……ああ」


 お休みの次は、お早う、か。


 後ろ手に戸を閉めながら、レベッカの言った言葉の意味を噛み砕く。やあ、と、起きたか、などという言葉が朝の挨拶だ。人によって言葉が変わるが、皆同じような言い回しをする。

 こちらへ笑いかけていたレベッカはローザを手伝うためか、起きてからすぐに土間へ降りてきたらしい。羽織も置き去りに、たすきを掛けて長い袖口を上げているレベッカは、昨晩と同じく台の上で野菜を切っている。

 心なしか昨日よりも速度が上がっており、包丁の柄を掴んでおくために力んでいた手の震えもない。

 異様なものを見ている気分にさせられ、一度触っただけで包丁をここまで扱えるようになることに感嘆した。


 だが、食器を片手に作業を進めるローザは監視の目を緩めることはなく、じろりとレベッカに睨みを利かせている。

 ニールの世話役という役割を持つローザは、目に映る全てを疑ってかかるのだろう。こと金髪において、自身の手を汚すことも厭わないはずだ。

 だからこそ、風呂の後にじっと見つめられていたのか、と考えを巡らせた。赤毛であろうと、ニールに危害を与えるものは排除したい。こいつはどうなんだろうか、とこちらを探っていたというなら昨晩のことにも納得がいく。


「ローザさん、水を一杯もらえるかい」

「そこのかめから注げ、湯飲みはここだ」


 レベッカがいる台の左側で膳に皿を置くローザが、こちらを見ながら右手で肩の後ろを指差した。次いで台の上に並べられた湯飲みを指した後、またレベッカを食い入るように見つめている。

 言われた通りに台に並べられた湯飲みを掴み、甕の口を塞ぐように置かれている柄杓ひしゃくから水を掬い、零さないようゆっくりと湯飲みに注ぎ込んだ。

 口に付けた湯飲みを傾け、喉を通り過ぎていく水の冷たさに、体の内にある熱も奪われていく。


「ああ、美味い」


 誰に言うでもなく、ただ喉を潤してくれた水が美味いと独り言ち、ローザの元へと歩いていく。


「ローザさん」


 刹那、ぶんっと大きく広げたローザの左腕が飛んでくる。あわや鼻を潰されるかと思ったが、間一髪で避けられたことに心臓が遅れてどくどくと脈打つ。


「な、なんだ。危ないだろう」

「すまん、昔の癖が出てしまった」


 少しも悪いと思っていないように、平坦な声を出すローザの後ろ姿を屈んだまま見る。昔の癖と言ったが、ローザは未だ現役なのではないだろうか。

 昨日より明るい色の服を纏うローザの背中や肩には厚みがあり、窓を開けているためほんのりと脚の形も透けているが、腿は太く足首は細い。

 引退して十三年も経っている割には、筋肉の多い筋張った体が衰えていない。もしや昨日の兎は、ローザが狩って来たものか。


「いつまでそうしてるつもりだ。朝餉あさげができたぞ」

「あ、ああ」


 脚に力を入れて立ち上がり、ローザの持つ膳に湯飲みを置いてから引き受ける。巡らせていた思考が中断させられ、ふらふらとしながらも膳を落とさぬようにゆっくりと廊下へ腰かけた。

 すぐそばに膳を置き、雪沓を脱いで廊下へ上がる。


「先に頂くよ」


 持ち直した膳を軽く上げ、ローザに声をかける。うんともすんとも言わないローザの後ろ姿を少しだけ眺め、二階へ続く階段を上った。

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