第二十二話
喉を震わせ、濡れた眦を拭ったレベッカが話し終えた。
余すことなくと前置きしたものの、レベッカは細々とした部分は話していないようだが、それでも凄まじい話に思考が回らない。
力を持つ、たったそれだけで幼いレベッカが殺されかけるなど、金髪は頭がおかしいのか。
赤毛とはまるで違う思想や、極端な価値観に驚きを隠せない。浮かんでいた疑問はレベッカの話だけでは消化しきれていないが、合点がいったものもある。
ニールは母ではなく、実の母に殺されかけて、と言っていた。レベッカの口ぶりから、侍女を母として慕っていることは明白だ。侍女が傷つけられた所を口にした途端に泣き出してしまっては、その気がなくとも侍女を愛しているのだと伝わってくる。
だが、実母の手によって城から追い立てられたというより、父と手を取り合って逃げ出したという言葉の方がレベッカの話には合っている。
ニールは話を聞かなければ全貌が見えないと、静かに言っていた。
ならば、全てを知っているわけではなく、本当に大まかなことしか知らないのか。事実を取り違えてしまうほど、大雑把なことしかわかっていなかったのだろうか。
ちらりと視線を向け、涼しい顔をするニールを伺い見る。
ニール様は、なんと返答なさる気なのか。
レベッカを匿うのか、それとも、この村からも爪弾きにするのだろうか。
帰る家もなく、実の母に殺されかけたレベッカは、とても可哀そうだと感じる。
だが、可哀そうだというだけで許されるものではない。赤毛がレベッカを匿ったとして、こちらに利点が何一つないのだから当然だ。
今まで村に入ることを許されてきた者たちは、皆一様に栗毛。今日まで何人の栗毛が逃げ込んできたかという詳しい数は知らないが、それでも赤毛は古き歴史にしがみつくのではなく、彼らに許しを、情けをかけてきたのだ。
それを因縁の相手である金髪になど、一体誰ができるだろうか。長の座について久しいニールはうっすらと微笑み、その内側でなにを考えているのか想像もつかない。
是非を告げるわけでもなく、囲炉裏の光に顔の半分を照らされたままのニールとレベッカに挟まれ、こちらまで息が詰まるような沈黙が続いた。
落ち着かない気持ちから頭がむずむずと痒くなり、被っている帽子の中に左手を差し込む。ぽりぽりと耳の上あたりを掻き、ついでに口元を隠している布を鼻まで上げ直していると、沈黙に耐えきれなくなったらしいレベッカが声を出す。
腹の前に組んだ手を引き寄せ、頭の先から吊れ下がっているように背筋を立てるレベッカは、まさしく王女なのだと印象付けられた。
「ニール様、お願いでございます。私にできることであれば……」
食い入るようにニールを見つめるレベッカは、目が合わないとわかっていながら一直線に視線を送っている。
続ける言葉を探しているのか、レベッカは途切れさせたまま黙ってしまった。視線を彷徨わせ、言うべきかと悩む表情へと変わる。
レベッカがぐいと瞳を移動させ、こちらを一瞥した。悩ませている原因はお前だとでも言いたげに、困った子どもが親を見るような視線と絡み合う。
なんなんだ、なにもしていないぞ。
眉根を寄せ、睨むようにしてレベッカを見るも、ニールを見据えるレベッカはこちらに顔を向けようとしない。
ふてくされて口を尖らせたとき、ニールの声が耳に入ってきた。
「では、君を村に置いても良いか、導きを乞おう」
いつだって穏やかなニールの言葉に、そうする他ないだろうと納得する。こんな重大なことを、長であってもニール一人だけで決められるものではない。
「あのお方が良いと仰られたとあらば、村の皆に同意を求めずに済む。金髪である君を、受け入れられる人間の方が少ないからね」
もし、今ここでニールからレベッカを村に受け入れらるか否かを問われても、過半数に従う、というような曖昧な言葉しか返せないだろう。きっと村の子どもらも同様の反応を示し、大人たちの顔色を窺わずに賛成を言える子どもなどいない。
レベッカが語った不幸が度重なった身の上では、同情を買うことがせいぜいだ。進んで恨みを教えられるわけではなく、赤毛の皆が体の中心に火種を燻ぶらせ、時が経った頃には燃え上がる火柱となる。
それほどまでに、金髪がしたことは赤毛の血潮に、深い憎しみを抱かせている。暗い感情と隣合わせにある村の人間が、しぶしぶといった体でも、レベッカを受け入れても良いと思えるものはただ一つ。
あのお方から、レベッカが許しを頂けることが絶対だ。
「今後のことも含めて二日、三日はかかるかもしれない。それまでここで寝起きをするといい。ローザ」
「ここに」
またも聞こえた感情の起伏がない平坦な声に、驚いて肩が跳ねる。出ていくことを留めてしまった息を吐き出し、耳元で聞こえるように大きく脈打つ心臓が痛んだ。
ああ、驚いた。いいや違う、驚かされたんだ。
叫ばずに済んだが、それでも羞恥に顔を俯かせ、音も立てずに後ろから声を出すローザが悪いのだ、決して驚きやすいのではないと否定をする。
座ったまま体を半回転させ、レベッカを視界から外す代わりに、ニールと話すローザを右目に映し出した。両膝を床につけた膝立ちのような体勢を取り、引き寄せた左の手首を、腹の前で隠すように右手で掴んでいるローザの顔は無表情で、この顔が動くことがあるのかと嫌味っぽく考える。
「先ほども他言を禁じたが、この娘がここで寝起きすることとなった。部屋へ案内してやりなさい。確か、空いているのは……」
「すぐであれば、月と花弁の間が」
長のしたいことや、聞かれるであろう言葉を覚えているのか、ただ単に察しがいいのかわからないが、素早い受け答えに加えて、家の中をきっちりと把握しているローザにニールはありがとう、と頷いた。
家事や育児は基本的に女の仕事だが、男たちもせっせと働いている。
夜の間に降り積もった雪を朝早くに屋根から下ろし、それが終われば合図もなしに隣近所の男たちが集い、獲物のおおよその数や、ぬかるんでいる場所を相談する。
狩りから戻れば、水を汲みに行く子どもたちの護衛とふれあいの時間だが、風呂を沸かすことも男の務めだ。
独り身からすれば、山ほどやることがあるのに仲睦まじく、この村の夫婦は大きい喧嘩をあまりしないことが一番の謎だ。いかにも不機嫌なぶすくれた顔をしていても、次の日に集まったときには何もなかったように普段通りに接せられる。
仲直りしたのか、なんて余計なことを聞く者もいないが、なんとなく皆わかっているのだから不思議だ。
「アレックス」
びくりと跳ねた体が熱くなる。心音が耳元で聞こえるほど激しく動きまわり、吸った息を吐き出せない。
物思いにふけっていた頭が、なぜ自分の名前を呼ばれたのか、もう何度も呼ばれていたのか、と冷や汗をかいて焦り出す。
「はい、ニール様」
詰まっていた息を声として吐き出し、長へと体を向け直した。顔をこちらに向けることはしないが、少しだけニールの上半身がこちらに傾いている。
耳の悪い老人がする仕草とは少し違うが、よく聞こえるように、という気持ちの表れなのだろうか。
「君も泊っていきなさい」
「えっ」
予想だにしていないことを言われ、素っ頓狂な声が口から出ていった。
帰る家のないレベッカと違って、自分の城である家も、温かい布団もある。歩けばすぐそこに家があるのに、なぜ泊って行けと言われたのか理解できないまま口を開いた。
「いえ、すぐですから。お暇致します」
「吹雪の中を、かい?」
ニールの言葉に目を何度も瞬いて動揺する。吹雪いている音も、じくじくと痛む寒さも感じていないのに、なぜ吹雪だとニールは言い放ったのか。
昔からニールが嘘をつくことはなく、探し物などを言い当てることを得意としていた。そのニールが馬鹿なことを言うはずがないが、静まり返っている家の中では吹雪いているとはとても信じきれない。
「嘘じゃないさ。窓から覗いてごらん」
自分の座っている位置から見て真正面にある窓を覗くことを許され、そろそろと立ち上がって近づいていく。レベッカの後ろを通り過ぎ、木の板で出来ている窓の下部に左手を添えて外側へと押し出す。
途端にびょうびょうと凍えるような風とともに雪が眼前まで舞い込み、驚きからばたんと窓を乱暴に閉じてしまった。朝はあんなに白かった雪が太陽を隠す曇天によって灰色になっており、窓の側に来たためか、微かに吹き荒れる風の音が聞こえる。
「こんな雪の嵐の中を、無理に帰ることなんてない。いい子だから泊まっておゆき」
「……はい、お世話になります」
再度泊まれと言うニールの提案を、今度は有難く呑み込む。
風呂を沸かしてローザの手伝いをすれば、多少は迷惑をかけている気分も晴れるだろう。食事の準備が先か、風呂が先かを問う前にローザが立ち上がった。
「部屋に案内します、ついてきなさい」
返事を待たずにふいっと姿を消したローザの後を追おうとするが、レベッカが足を押さえたまま身じろぎをしている。
どうやら足が痺れているようで、細く長く息を吐いては、歯の隙間から音がするような呼吸をしている。
まったく、仕方がないな。
「ほら掴まれ。支えてやるから」
レベッカとトランクの間に体を屈ませ、レベッカへ左腕を差し出した。右手でトランクを掴んでおき、いつ立ち上がっても良いように足に力を入れているが、レベッカは一言、申し訳ありませんと謝ったまま動かない。
対面に座っているニールと同じく正座をしていたようだが、この様子では今回が初めてだったのか。少し体が揺れでもすれば、すぐさま足がびりびりと痺れていた小さい頃を思い出し、はあ、とため息をつく。
「文句を言うなよ」
「きゃっ」
狩った獲物を肩にかけるように、小さく悲鳴を上げたレベッカを左肩にぶら下げる。腹の部分で折れ曲がったレベッカが怖がり、掴めるものもない背中に手を突っ張った。
少しやりづらいが、生きているのだから恐怖も感じるだろうと言い聞かせる。一度手を離していたトランクを掴み直し、ニールへと挨拶をするために屈んだまま頭を軽く下げた。
「では、これで。また朝に」
「ああ、朝に。優しい君のおかげで、その娘は幸せだ」
挨拶だけでなく、その後に続いた言葉に返答できずにいると、ローザに部屋の入り口から呼ばれた。
「早く。ニール様がお優しいからといって長居をするな、来い」
目の周りをひきつらせるローザに睨まれ、怒ることもあるんだなと感想を抱く。言葉遣いも乱れ、まさに狩人の口調だ。
意外性と親近感を感じながら、ニールのいる部屋を後にする。素足で歩いていく廊下はとても冷えており、温かいあの囲炉裏の部屋がすぐに恋しくなった。




