攫われたわたしの6日間 3
馬車に揺られて6日目。
騎士様は、もう来ないのかもしれない。
「ずっとずっと待ってるのに、全然来てくれないし…」
「大丈夫。助けは必ず来るよ」
ディーナ様が慰めてくれるけど、ただの慰めだと思う。
「リリアンはその騎士様とやらが来なかったらどうする?」
いつもこういう話の時は黙っているフラン様が唐突に言った。
「リリアンの騎士を否定はしない。信じる心は力になる。けど縋るな。縋りついていると動けなくなるぞ」
「……縋ると動けない?」
すごく難しいことを言われている気がする。
御者窓から差し込む日差しがふっと暗くなった。
馬車の車輪の音が変わり、馬がヒヒーンと嘶き、揺れが止まる。
馬車を降りたらしい男の人たちのわいわいした声が、荷台の木の壁のすぐそこを通り過ぎ、しばらくすると聞こえなくなった。
人攫いたちはわたしたちを閉じ込めたまま、どこかに出かけたらしい。
「どうやらここが奴らの目的地らしいな」
外の音に耳を澄ませていたフラン様が言う。
目的地!?
じゃあ、ここはもうガルシャ領なの?
✼✼✼
ガルシャはテルニア国との国境に接する領。
二国間で奪い奪われを繰り返した歴史があり、千年続く紛争地帯なんて呼ばれる。
ガルーシア家と国境軍が守る地。
ガルーシア家の娘であるわたしが、人攫いたちにここまで連れて来られたのは、敵国テルニアに売るつもりだからに違いない。
攫われて6日間、ここまでけっこう呑気な感じで来たけど。
ガルシャ領についたと聞くと、さすがに切羽詰るような、追い詰められたような気持ちになった。
「アレはどうしただろうな?」
「さあな、仕込みの途中じゃないか」
「時間かかるものだな」
動かない馬車の中。
ディーナ様とフラン様は寛いだ姿勢で木箱に座って、さっきからよくわからない会話を交わしていた。
……仕込み?お料理か何かの話かしら?
御者窓から外を覗いてみると、石造りのガランとした倉庫の中にいるようだった。
男の人たちも、馬も見えない。
薄暗く埃っぽい空間が広がるだけ。
せめてここが外なら、ガルシャらしい景色を見られたかもしれないのに。
「時間稼ぎするか?」
「フランは隠れておくか」
「そうだな。その方が取れる手段が増える」
「では、私はリリアンと行く」
わたしの名前が聞こえて、振り返る。
ディーナ様がにこりと笑ってわたしを手招きした。
「リリアンも作戦会議に参加しなさい」
「作戦会議?」
お二人の間の床に座ると、ディーナ様は真面目な顔で言った。
「予想外の事態が起きているんだ。どうも、星の騎士の到着が遅れているらしい」
「はい?星の騎士、ですか?」
ディーナ様は頬に手を当てて、ほうと息を吐いた。
「騎士の姿は未だ見えず。人攫いたちはもうすぐ私たちを連れ出しに来る。困ったことだな」
「は、はい、そうですね」
「私たちは月の姫の如く、星の騎士を待たなければいけないらしい」
「月の姫のように…?」
これは冗談?笑うべき?
そう悩んでたら、ぶふっとフラン様が笑った。
「まさに星の騎士を待つ月の姫だな、間違いない」
「うるさい、フラン」
ディーナ様はコホンと咳払いした。
「リリアン。ならず者に襲われた月の姫はどのように騎士を待ってたんだろうか?」
「どのように?」
そんな描写、お話にあった?
頭をひねるわたしの額を、ディーナ様はつんと突いた。
「きっと姫は助けに来る騎士の邪魔にならないよう、毅然と立っていただろう。
焦らず、騒がず、しっかり目を開けて。今、動くべきか動かずいるべきか、冷静に考えていたはずだ」
「それが月の姫?」
ふわふわして嫋やかなイメージだったけど。
ディーナ様が語る月の姫はずいぶん凛々しい。
「リリアン、私たちはこれから月の姫になって星の騎士を待つんだよ」
「月の姫に」
ディーナ様が目を細めて笑う。
「そう。誇り高く、勇気ある月の姫だ。騎士に会えるのが楽しみだな」
毅然と立ち、焦らず騒がず目を開けて。
誇り高い月の姫になる……?
フラン様が立ち上がり、御者窓の方へ行った。窓の下辺りの木の壁をトントンと叩く。
「ま、騎士が来なければ私がどうにかする。心配するな」
そう言うとフラン様はぐっと眉の間に皺を寄せた。そして足を持ち上げ……
バキッ
1回で壁に大きな穴が開いた。
2回でさらに穴が大きくなった。
3回、4回で人が潜れる大きさになった。
「フ、フラン様……」
「じゃあな。ディーナ、絶対無理するなよ」
そう言って、フラン様は穴を潜って外に出ていき、すぐに姿が見えなくなった。
え、ええ!?じゃあな?
逃げた?わたしたちを置いて?
というか、というか…
「こんなこと出来るんなら、とっくに逃げられたんじゃない!」
思わず叫ぶ。
「なるほど、そういう感想か」
ディーナ様が笑った。
……なんで笑う!?
呆然とフラン様の開いた穴を見ていると、ガラガラと扉が開く大きな音が響いてきて、驚いて飛び上がってしまった。
続くいくつもの荒々しい足音。
「ほら、観客が来たぞ、リリアン。いや、月の姫」
ディーナ様が妙に挑戦的な笑みを浮かべて言った。
✼✼✼
お母様、わたし忘れていたわ。
わたしは最初から月の姫だったってこと。
人攫いに合った時から、わたしの騎士様が来るのを信じて、お行儀よく待っていたわ。
ディーナ様とフラン様のせいで、いつの間にかおかしくなっちゃってたけど。
でも、今こそが月の姫の出番。
フラン様がいないことに気づいた人攫いたちはわたしたちを問い詰めた。
ディーナ様は震えながら、知りません、わかりません、あの方は一人で行ってしまわれました、と答えた。
……月の姫は演技力も必要なのね。
荷台から引き出されて、ぐるぐる縄で巻かれた時、わたしは泣いたり抵抗したりせず、さあ、どうぞ?という気持ちで背筋を伸ばしていた。
見て。わたしの誇り高い姫らしさを!
ディーナ様がこっそりウインクを送ってくれた。
倉庫を出されると、そこは木々に囲まれた一軒家というような所で、怖そうな男たちが何人も立っていた。
いつぶりかしら。昼間の高くて青い空。
ああ、木々が。首都では見ない、ガルシャのものだわ。
わたしたちの縄を引く男の人が叫ぶ。
「アルセイユ夫人が逃げた!まだ近くにいるはずだ、探せ」
アルセイユ夫人というのはフラン様のことらしい。
アルセイユ家って、国内で一番偉くて強いっていう“武のアルセイユ家”のことよね。
フラン様ってばすごい家の方だったのね。
人攫いたちに対峙するように、身なりの整った大柄な男性が4人立っていた。
すぐわかった。
彼らが敵国テルニアの、わたしたちを買おうとしている奴らだって。
縄にぐるぐる巻かれて立たされているわたしたちの前で、人攫いとテルニア人は約束がどうの、お金がどうの、と揉め始めた。
縛られた手が痛かったけど、そんな顔はせず、おしとやかに目を伏せて、男たちの話を聞く。
「今すぐアルセイユのを連れて来れないなら、ガルーシアの娘だけ三千でもらっていく」
「アルセイユはすぐ捕まえて連れてくる。ちょっと待ってくれ。三人で一万、これが約束だ。もしガルーシアの娘だけなら最低六千…」
六千って高いのか安いのか、よくわからない。
わかったのは、テルニア人はディーナ様に興味がないってこと。
……だったら、ディーナ様は離してもらえる?
ディーナ様はお体が弱いんだから早く、離してあげてくれないかしら。
馬車に乗るのも良くないって言われてたのに、こんな風に縛られて立たされてて平気なわけない。
月の姫として動くべきか動かざるべきか…。
しばらくは大人しくしてたけど、一向に話が進まないのを感じて思い切って声を上げた。
「あの!わたしだけでいいなら、ディーナ様を離してあげてください!ディーナ様はお体が悪いんです!」
「あん?うっせえな」
人攫いの男の人に睨まれたけど、ぐっと足に力を入れて、瞼を開けて、訴える。
「わ、わたしは連れてかれてもいいわ。だからっ」
「リリアン、やめなさいっ」
ディーナ様の声が耳に飛び込んできて、え?と思った時、耳元でバチンと音がした。
地面にガンと頭がぶつかり、視界がちかちかと白くなった。
何が起きたかよくわからないまま地面に転がって、縛られたままのディーナ様が走ってくるのを見上げる。
……わたし、殴られた?
「おやめ下さい。抵抗もできない子どもです」
わたしの横に膝をついて、ディーナ様が人攫いに言う。
「あ?庇い合いのお涙頂戴のつもりか?ふざけんな、女!てめえはいらねえってよ。とんだお荷物だ」
怒りをぶつけるように怒鳴った人攫いが、ふと何かに気づいたようたように近づいてきて、ディーナ様の顎を掴んだ。
「……いや、よく見りゃ、てめえずいぶん綺麗な顔してんな。他に使い道があるか」
……この人攫い、ディーナ様の美しさに今気づいたって言うの?目がどうかしてるわ。
ああ、ディーナ様を守りたいのに、縄が邪魔で頭も上がらない。
焦りばかりが頭をぐるぐるして、息が苦しい。
これってわたしが余計なことを言ったせい?
言わなきゃ良かった、言わなきゃ良かった!
金縛りにあったように転がるわたしの前で、顎を掴まれたままディーナ様は突然、ふふふっと笑った。
「ああ、そうだろう。どこに売っても私ほど商品価値の高い女はそうはいない。このように気安く触れない方がいいぞ」
「あ?」
ディーナ様のいつもの男言葉。
違う、もっと怖い迫力のある声。
「離しなさい」
女王陛下が何かを命じる時はこんなかしらというような鋭い声に、人攫いは思わずというように手を引いた。
「…なんだ、この女。急に生意気な」
「お前。私が誰かまだわかっていないのか?」
「は?……お前はルースントン家の夫人だって自分で言ってただろうが」
ディーナ様ははあ、とため息をついた。
「なんと呆れたものだ。それをそのまま信じたのか?」
「なに?」
「貴族女性を狙うなら、国内の貴族家のことくらい頭に入れておけ。ルースントンという土地はあっても家はない」
ディーナ様の声が地面を伝ってビリビリ響く。
なんでこんなにビリビリ震えるのかしら?
まるで声が天から降ってきているよう。
横から別の声が割り込んだ。
「では、お前は誰なんだ?」
テルニア人に問われて、ディーナ様は意味ありげに微笑んだ。
「当ててみなさい、異国の者。私をうまく使えば、国境の守護ガルーシア家よりも、武のアルセイユ家よりも上を動かせるかもしれないぞ。さあ、私は誰だと思う?」
「……」
場がしーんと静まった。
男の人たちみんながディーナ様の言葉に引き寄せられ、惑わされている空気が伝わってくる。
「勿体ぶらず言え」
焦れたようなテルニア人の声にディーナ様が横を見た。
「おや、答え合わせの時間はなさそうだ。
ほら、異国の者、誘拐犯どもも。見てみなさい。木々の向こうを。それからほら、お前たちの仲間の顔を確認してみなさい。ああ、ほらほら。ようやく来たようだな……」
歌うような声に、心臓がドックンドックン跳ねる。
ディーナ様は何を言ってるの?
何が来たっていうの?
息を飲んでディーナ様の言葉の続きを待っていると、遠くからわあ、という何かが聞こえ、地面が揺れた気がした。
後ろから突然、「失礼します」と声が聞こえたと思ったら、体がぐんと持ち上がった。
「なに?なに?きゃああ」
誰かが、わたしを肩に担いで走ってる!
ぐらんぐらんと頭が揺れる。
お腹、お腹苦しい!
「な、なんなのー?降ろしてぇ!ディーナ様ああ」
騒いでも、誰かは止まらない。
揺れる視界の中で、驚いた男たちの顔、顔、そして褐色色のマントが舞った。
そうして運ばれたのが、どのくらいの時間だったのか、よくわからない。
地面に降ろされると、足が立たなくてその場に座り込んでしまった。目が回る。
「大丈夫ですか?ガルーシア令嬢」
優しそうな声が上から降ってきた。
顔を上げると、そこにいたのは20歳代くらいに見える男性。
「あの場は危険でしたので、こちらに運ばせていただきました。驚かれたでしょう。失礼致しました」
彼は丁寧な物言いで説明し、軽く頭を下げた。
見回してみれば、今いるのは少し斜面を登った木々の合間。
荷台のあった倉庫が少し離れたところに見える。
そして、その手前では褐色のマントの騎士たちが人攫いたちを次々捕え、地に倒していくのが見えた。
「あのマントは国境軍!?」
「はい、国境軍の騎士たちが犯罪人たちを捕えております」
「それって…捕り物?」
わたしたちを誘拐した人攫いどもが、正義の騎士たちに捕まろうとしているってことだわ。
そしてわたしはあそこから助けられたってことなの?
男性はわたしの横に膝をつき、縄をくるくると解いてくれた。
やっと体が解放されて力が抜ける。
「……貴方は誰ですか?」
「私は右軍団所属の騎士です。上の命令により、犯罪組織の一員として紛れておりました」
「……騎士様。そうだったんですね」
人攫いの中に騎士様がいたなんて。
じゃあ、じゃあ、この人がわたしの騎士様ってことなの?
じぃとその顔を観察する。
優しげな顔は少し垂れ目で、鼻はぽちゃとしてる。短い黒い髪。
……あんまり見目は麗しくないわ。
「あの、貴方はわたしの騎士様、ですか?」
「はい?なんですって?」
……うん、違うわよね。違うって気がする。
わたしの騎士様はもっと…。
あら?もっと、なんだっけ?
「そうだ!ディーナ様は!?」
「あちらにおいでですよ」
男の人たちが入り乱れる中から、ひとりの男性がこちらへ歩いてやってくる。
その腕の中にまるでお姫様のように大事に抱えられているのは、確かにディーナ様だった。
そっと地面に降ろされたディーナ様はすぐにわたしの横に来て、地面に膝をつくことも厭わず、わたしの殴られた頬を撫で、地面に打ち付けた頭を撫でてくれた。
「リリアン、ああ、無茶をして。痛かったろう」
「……ディーナ様、ディーナ様あ」
痛さなんて今の今まで忘れてたけど、言われて見ると、痛みと怖さが蘇る。
柔らかい胸にギュッと抱きつくと、涙がぽろぽろ溢れた。
ディーナ様の細い手が頭を撫でてくれる。
「おやおや、どうした、月の姫?もう大丈夫、もう助かったんだよ。……そうだ。リリアンの騎士は見つかったか?」
「騎士様なんて、もうどうでもいいんです。ディーナ様あ」
「おやおや」
ディーナ様はクスッと笑い、そのままわたしをギュッと抱きしめてくれた。




