校長
男は、いや先輩はトムを見下ろして舌打ちをした。
「またお前かよ。鈍くせえな」
先輩は横を通り過ぎる際にトムの肩に強めにぶつかっていった。身長も体格も男に負けているトムは尻餅をついた。すぐに反応したウィリアムは大広間に入ろうとしていた男の腕を掴んだ。
「ちょっと待って下さい!今の態度なんですか、本当に僕たちより年上ですか」
先輩はうっとうしそうに腕を振り払うとウィリアムをギロッと睨み付けた。ウィリアムが大声を出したため辺りには野次馬が集まっている。既に大広間に入っている人たちも首を伸ばして注目していた。
「睨めば僕がビビるとでも?そうやって威張ってる人、僕大嫌いなんですよ」
ウィリアムの言葉に先輩の顔には苛立ちの色が濃くなった。
「トムに謝罪して下さい」
萎縮することなく堂々とした誰かのために行動できるウィリアムがトムの目にはかっこよく輝いて見えた。
先輩はまた舌打ちをするとトムの方へ歩き出した。もっと嫌な性格かと思っていたトムは拍子抜けしてしまった。しかし彼が次にした行動に声を上げることしかできなかった。
ウィリアムの横を通り過ぎた途端、体を回転させ拳を振り上げた。
「ウィル!」
拳が迫ってきてもウィリアムは目をつぶることも腕で守りの体勢に入ることもしなかった。拳が当たる前に大広間前の廊下に冷たいことが響いた。
「何をしているのですか」
その場にいた全員の視線が声の方を向く。そこには門のところにいた背筋真っ直ぐの白髪の女と腰の曲がった老婆がいた。野次馬の中の一人が彼女のことを呼んだ。
「校長先生、副校長先生」
先生かな、ぐらいに考えていたトムは二人がこの学校で一番偉い存在と知り驚いた。そしてトムは未だに尻餅をついていた。野次馬が校長たちの通る道を作り二人がトムのそばに来ると怪訝な顔をされた。
「ウォルサッド、何故床に座り込んでいるのですか」
トムがあわてて立ち上がると校長の声に固まっていた先輩はそばに来て校長に対して弁解を始める。その顔は少し青みが掛かっているようにトムには見えた。
「彼には自分の肩が少し当たってしまい」
「さきほど彼を殴ろうとしたように見えましたが」
校長が指し示したのはウィリアムだ。
「あの、その」
「今までが甘すぎたようですね」
校長が先輩の耳元で何かを言ったすると彼の顔は真っ青になり恐怖の色を浮かべていた。それを気にすることなく校長はパンッと手を叩くと野次馬たちを大広間に入るよう促した。校長はトムとウィリアムを簡易的な列へと背中を押していく。何もしなくても皆黙って校長に注目していた。
「学校に来て数時間で皆さんに嫌な物を見せてしまいごめんなさい。勿論あのような先輩ばかりではありませんし、暴力行為は禁止ですから怖がらずいろんな人と交流して下さい、じゃあ行きましょうか」
校長の後に続いて一年生が大広間に入っていく。中はとても広く正面には長テーブルが置いてあり教職員らしき人たちが座っていた。先輩たちは教職員が使っているテーブルの半分ほどの長さのものが横に二個縦に十個並んでおり、教職員に一番近い二つのテーブルが無人だった。
テーブルの間を歩いて教職員たちの前まで来た校長は振り返り一年生たちに座るよう促した。トムはウィリアムと隣同士で座ろうとすると後ろからを肩を軽く叩かれた。ハーパーとエルフィーがいた。エルフィーは何故かふて腐れていた。
「隣座っても?」
「もちろん」
四人で並んで座ると校長から校則の説明がされた。特に気をつけないと守れないような規則はなく学んで食べて寝て、問題を起こさなければ良いだけの話だった。
「それから学年によってそれぞれ色が決まっています。今年の新入生の色は赤です。その色は卒業まで同じです。そして生徒は学年の色の品を何か一つ身に付けるのが決まりなので皆さんも近日中に、できれば明日までに身につけるように。品物は寮の近くに購買の部屋があるのでそこで買うも良し、持っている物を身につけるもよしです」
もっと長くて興味ない話をされると思っていたが簡潔で最低限の説明しかされなかった。校長の説明が終わりディナーになると大広間の壁に並んでいた食器棚が開きひとりでに浮くとから皿やスプーンにフォークが十個の机に並び始める。
それを新入生はキラキラした目で見ていた。先輩たちが微笑ましそうに後輩を見ていることから彼らにとっては当たり前なのだろうと察する。
食器が並び終わると教職員テーブルの一番端に座っていた男性がゆっくりとしかし大きい音を出して二回手を叩いた。するとさっきまで何もなかった皿の上にたくさんの料理が現れた。
主食だけじゃなくサラダやスープ、カップケーキやクッキー、デザートもあった。
「さ、いただきましょう」
校長の一言で大広間にいる全員が食事に手を伸ばし始める。
トムも最初に一番近くにあったスープを自分の受け皿によそい口を付け始める。
先輩たちは談笑しながら食事をしていたが一年生たちは緊張からくる空腹でしばらく無言でお腹を満たしていたが少しするとテーブルのあちこちで会話が始まった。トムもハーパーに声をかけた。
「エルとの図書館デートはどうだった?」
いたずら心で「デート」何て言ったがトムはすぐにその単語を出したことを後悔した。ハーパーがうんざりした表情を浮かべて、面倒くさい、という心の声が聞こえてくるような目をしたから。
「何で二人っきりにしたの?」
「楽しくなかったの?」
「私ジャンルを問わず本が好きなの。だから収蔵数が多い学校の図書館を楽しみしてたのに」
そこでいったん区切るとエルフィーに聞こえないようにするためかトムに身を寄せた。
「図書室に行く前から、本見て楽しい?行って何するの?とか、校庭見に行こうよ。はやくほうき乗りたいよねー。そういえば結局ハーパーはどのほうきを買ったの?とか自分の意見ばっかりだしうるさいし、一人で回るって言ったら、女の子一人は危ないよ、とか言われるし」
その時を思い出したのか口調が荒く語尾が強く刺々しくなっていく。トムもエルフィーの奔放さにどうしようかと思っていた。これからの付き合いを控えた方が良いのか、家に関わることだから交流を続けた方が良いのか。
トムが俯いているとウィリアムが心配そうにのぞき込んでいた。
「大丈夫?」
「考え事してただけ、心配しないで」
その後は両隣のウィリアムとハーパーと話していると食事もなくなっていき食器が立てる音や咀嚼音は聞こえなくなった。
校長から「各自寮に戻って明後日の授業に向けて準備するように」との言葉と共に生徒たちは席を立ち大広間から出て行く。
席が横一列だった四人はそのまま並んで歩く。
「ハーパー、トムとばかりじゃなく僕とも話そうよ」
「昼間ずっとしゃべっていたのにまだ足りないの」
エルフィーがハーパーにそういう気持ちを向けているのをトムは気づいていたし、そのわかりやすすぎる態度にウィリアムも気づいた。好きな人への猛烈なアピールは空回りしている。
ハーパーは面倒、うるさいという表情を隠すことも止めていた。それに気づいているのか気づいていてやっているのか。どちらにしろトムとウィリアムはエルフィーの図太さに凄いと思う反面ひいていた。
階段を上って男女の部屋への廊下を分かれるまでその状況は続いた。談話室に入るとエルフィーはさっさと近くのソファに座り込んだ。
「トムは明日どうするんだ?」
エルフィーはウィリアムに一度も視線を向けていない、それは現在進行形でもあった。わざとやっているというよりウィリアムが存在しないかのような態度。
明日一年生は一日自由なためトムもそれは考えていた。たださきほどのハーパーの話を聞いてトムはエルフィーと回りたくないと思っていた。しかし一人で回ると言ったら今度は誘われるかもしれないし、一緒に回る約束をした友達がいるわけでもない。
トムが何か言わなければと焦って口を開く前に助け船が現れた。
「トムが良ければ一緒に回らないかい?まだまだ話したりないし、君は意中の子でも誘えばいい」
トムのそばで話を聞いていたウィリアムだった。ウィリアムが一歩前に出るとエルフィーは一気に不機嫌になった。
「僕お前と話してるんじゃないんだけど」
「あんまり自分勝手だと女の子にも嫌われるよ」
ソファから立ち上がり正面からにらみ合う二人に談話室内の視線が集まる。
「人によって態度を変えるのもどうかと思うけど」
「お前みたいな奴にどうこう言われたくないんだけど」
「僕が君に比べて身分が低いってことを言いたいの?」
「違う。お前みたいな出来損ないに」
エルフィーは一拍おくと嘲るような笑みを浮かべて口を開いた。
「道具がないと何にもできない魔術師なんかに偉そうにされるのがいやだって話。ディナーの前に一回談話室に戻ってきたときトムのほうきが気になって部屋に入ったら魔術師必修授業の教科書と金の指輪が置いてあった」
魔術師という言葉を強調して言ったエルフィーは勝ち誇った笑みを浮かべている。しかしエルフィーとトム以外の面々はポカーンとしていた。おそらく魔術師を軽蔑する人間を初めて見たのだろう。確かに魔術師を軽蔑する魔法使いや魔女はいる。
しかしそれは格式のある家のごく一部の者だけ。今この場には何故ウィリアムが魔術師だと馬鹿にされているのか理解できていない人がほとんどだろう。