ブロンド髪の少年
イギリスの首都ロンドン。そこから少し離れた森林豊かな庭がある一軒の館。記念館か歴史の遺産かなどと勘違いしてしまいそうなほど広い館の一室。
キングサイズのベッドに一人眠っていた。掛け布団を頭までかぶり胎児のように丸まっているのが薄い布団の上からわかる。規則的に上下する布団に安らかな寝息。
部屋のドアを誰かがノックした。布団をかぶっていた人物はピクッと反応するとゆっくりした動作で起き上がった。起きてそうそう、ゴロゴロする目やにと戦い、半目になっているブロンド髪の少年。
ノックに対する返事をする前にドアが開けられた。入ってきたのは少年と同じブロンド髪を持つ男性だった。
「トム、もう起きなさい」
トムは寝ぼけた眼を向ける。声をかけたのはユース・ウォルサッド。ベッドの上で寝ぼけている少年、トム・ウォルサッドの父だ。髪はきっちり整えられ、服もどこに行っても恥ずかしくない高そうなスーツを着ている。黒い手袋や革靴も高そうな物と一目でわかる。
「父さん、おはよう」
トムが爆睡していたのが簡単に予想付いたユースは小さくため息をついた。
「楽しみで寝れなくて次の日に寝坊なんて」
父親の言葉に今まで眠そうにしていたトムの意識がはっきり目覚めた。
「父さんそんなんじゃないよ、僕はもうそんな子供じゃない」
子供っぽいなんて思われたくないトムは必死に言葉を並べた。トムの異議にユースの片眉が上がった。
「ただ昨日遅くまで、借して貰ってた、父さんが昔使ってた教科書を読んで予習してただけだから」
トムがチラッと机を見たためそれにつられるように机に視線を向ける。何冊もの付箋や書き込みがびっしりある教科書と文字がびっしり埋まったノートが机の上に広げたまま放置されている。同じように付箋がいくつも教科書の上や横から飛び出ているものが数冊積み重なっている。
トムの枕元にも寝る直前まで読んでいたであろう教科書が開いた状態で、見開きのページがくしゃくしゃになっていた。昨夜、トムは枕に教科書を立てかけるようにして固定し、自身は肘を立ててうつ伏せに、教科書を上からのぞき込むように寝落ちしてしまった。破れたり涎は付いていないものの借り物を枕にして、そのうえ借りたとき以上にボロボロにしてしまったら気分の良いものじゃない。父の視線に気づいたトムは慌ててくしゃくしゃになったページを手で伸ばす。
「ごめんなさい」
朝から怒られるのかと気落ちした。目を見ていた視線が下がっていく。
「何かに一生懸命取り組むことは良いことだ。お前の父親である私がそれを褒めることはあっても、何故怒る必要がある」
トムの顔と視線が上がり、嬉しそうな表情をする。それが移ったかのようにユースも顔に優しい笑みを浮かべるとトムの肩にそっと手を置きがっしり、しかし痛くない握力を込めた。
「さ、早く準備しなさい。今日は忙しくなるぞ」
今日一日かかるであろう買い物を想像してワクワクと、はやる気持ちを感じ、ユースが手を離した途端ベッドから飛び降り洋服ダンスを開ける。
「ああ、そうだ」
ズボンを選んでいると部屋から出ようとしていたユースの声に振り返る。
「日頃頑張っているご褒美と入学祝いに好きなものを買おうか。向こうに着くまでに考えておきなさい」
扉が閉まる音を合図に再びトムの着替えが再開された。その表情は、今日は人生最高の日だと言っているようだった。
歯磨き洗顔、寝癖が付いてボサボサだった髪を整え終え、リビングに行けばユースは既に朝食を食べ終えておりブラックコーヒーを飲みながら新聞を飲んでいた。テーブルにはユースが読んでいる物とは別の、もう一つの新聞が置いてある。「金貨よりもグリフォンが高値」「ほうき 新入生限定で新作販売」などの見出しが見え絵が動いている。
「お早うございます、坊ちゃま」
キッチンから出てきたのは召使いのローラ・スードリア。年は70を過ぎているがキビキビ働いている。彼女の祖母の代からウォルサッド家に仕えている。
トムは明るい声で挨拶してくれたローラには一瞥くれるだけでそのままユースの正面の席に着く。ローラもそれがいつも通りだと感じるだけで笑顔を崩すことも怒ることもしない。サラダ、トースト、カリカリベーコンにスクランブルエッグ。並べられた料理を好きな順番で口に運んでいく。トムが食事を始めるのを見届けるとローラはキッチンに引っ込んでいった。
サラダを口に運んでいるときふと視線を上げると「アフリカ人の15歳の少年、ロシア人の12歳の少女が行方不明」という記事がトムの目に入った。朝から物騒な記事だが自分には関係ないとすぐに関心をなくす。それどころか最高の気分が台無しになったと行方不明になった年の近い2人を心の中で責めた。
サラダを食べ終え次はトーストを口にする。食事をしながらじっと新聞を見ていたためユースはすぐトムが何に注目しているかわかった。開いていた新聞を閉じ見出しのページを見る。既に目を通していたんだろう。目が記事の文を追うことなくユースは悲しそうな表情を浮かべた。
「物騒な事件だ。トム、お前もこれからは気をつけるんだぞ」
「父さんさっきも言ったじゃないか、僕はもう子供じゃない。もし誰かが襲ってきたら返り討ちにして痛い目をみせてやる」
トムは胸を張って自慢気に言ったがそれとは逆にユースは弱々しい声を出した。
「そうだな、確かに誰が来ても返り討ちにされるかもな」
ユースの言葉はトムの耳には届かなかった。
「明日からは強くなるための学びの日々だからな」
「頑張って、優等生になって父さんみたいになるよ」
子供にこんなことを言われて嬉しくない親はいないだろう。ユースは笑顔を浮かべると、トムが食べ終わったのを確認して机に新聞を置くと席を立った。
「じゃ、行こうか」
席を立つと皿を片付けることはせず真っ直ぐ玄関に向かう。壁に取り付けてある鏡でさっと身なりを確認する。
「学校からの手紙はちゃんと持っているな」
「もちろん」
トムはポケットから赤い封蝋がされていた手紙を取り出して見せた。
「お二人ともお気を付けて行ってらっしゃいませ」
ローラが笑顔で見送るがまたしてもトムはまるでローラがそこにいないかのように何の返事もせず外に出た。
平日の午前と言うことで駅は多くの人でごった返していた。子供にとって夏休みでも大人は働きに出る時間。トムは人の波に流されないようにしながら父の背中を追うだけで精一杯だった。がその波もすぐに終わった。人の波がホームか改札に向かうのに対して二人は駅の従業員しか使わない細い通路を歩き出したからだ。通路に入ってすぐ黒と黄色の紐が一本横に引いてあるだけの「関係者以外立ち入り禁止」の看板が目に入る。
トムは先に紐の下をくぐりと紐を持ち上げた。その下をユースが通る。10歳のトムはともかく大人のユースには紐の下を通り抜けるのはいささか窮屈だ。この先は使われなくなった地下鉄のホームへと続いている。
トムが紐を下ろし先を行こうとすると、自分たちが来た方向から声をかけられた。駅員に見つかったかと驚いたトムは振り返って声をかけてきた人が駅員の制服を着ていないことに安堵した。
「君も魔法学校の生徒かい」
声をかけてきたのは黒髪で、筋肉が付いているのか心配になるくらいガリガリの少年だった。トムよりも頭一つ分背が高いのに自分よりも軽そうなことがよりトムを心配にさせた。肉が付けば健康的なイケメンになりそうだなと勝手に考えていると少年の後ろから更に声が掛かった。
「何しているんだエル、早く通りなさい」
男性にしては少し高めの声。エルと呼ばれた少年の身長を更に伸ばしアスリート並の筋肉を付けさせたような男性が来た。トムは彼の父親だと察した。彼はエルの影に隠れていたためトムがいることに近くに来るまで気がつかなかった。
「こんにちは、君も新入生かい?」
「はい、あ、どうぞ」
再び紐を持ち上げると黒髪親子はくぐってトムにお礼を言った。数歩先で待っていたユースが戻ってきて父親の方に挨拶した。
「初めまして、そちらもこれから買い物ですか」
「そうなんです。普段は世界中を飛び回っているのでロンドンの影道を見つけるのは苦労しました」
「宜しければ案内しますよ」
新入生の父親同士、話しながら歩き出したため自然と息子二人もその後ろを歩き出す。最初に話しかけたのはトムの方だった。
「僕はトム・ウォルサッド」
「僕はエルフィー・フェレメレン、エルと呼んでくれてかまわない。新入生同士仲良くしよう」
いたずらっ子のような偉そうな笑みを口元に浮かべ手を出されたためトムは固く握手する。それが何を意味するか暗黙の了解にも等しいものがあった。ウォルサッドもフェレメレンもその界隈では名家と言われる家系であるため、二人はお互いの名前を聞いたとき驚いたが声を掛けられたのがお互いで良かったと思っていた。優れた選ばれし家の者同士仲良くしようという共通認識。友達と言うより同士という言葉が当てはまる二人だ。
通路の突き当たりには幅のある階段があり四人は降りていく。下まで降りると階段横の通路を通る。階段下にはしばらく使われていないであろう埃をかぶった掃除用具が置いてあった。
「ここが入り口です」
ユースが指し示したのは蛍光灯の明かりも届いていない階段でできた影の部分。トムは早くその影の先に行きたくて仕方がなかった。この場にトム一人だけなら走って飛び込んでいただろう。
「確かにこれなら間違って非魔法族が迷い込むこともなさそうですな」
ユース、エルフィーの父親、エルフィー、トムの順番で壁に当たるとぶつかることなく影に入っていった。