山ごもり
エヴァースが宣言したとおり一日のほとんどを山にこもってトムは生活をしていた。普通に考えて箱入りのお坊ちゃんが寝るときはベットで快適だとしても、山での生活に耐えられるとは思えない。グアムで実戦訓練をしているときは半分屋内、半分屋外だった。しかしこの二ヶ月でトムの順応能力は信じられないほど飛躍していた。
山にこもって二日目の午前中にはすでに山中を楽しんでいた。
「バムベルディは視力低下、ハルハンクは筋力低下、ベッカルームスは腰痛に効く」
教科書を片手にトムは山に生える薬草を集めていた。ほうきの訓練の他に魔法薬学の実験についても学び始めていたトム。この山は学校で使うような量のいるものから、お店で扱われるような希少な薬草も生えているため、教科書越しではわからないどんな場所に生え、触感や匂いを見て感じて学んでいた。
そしてそれを近くで見ているミラとエヴァース。
「トムが集めてるのって調合が難しい上級の薬学な気がするんですけど、しかも希少な物ばかり」
いきなり難しいのを選んで大丈夫だろうかと心配するミラ。いろんな人に山での薬草採取の許可を取っているとはいえ希少な物を遠慮なくむしり取っているトムに戸惑いを隠せない。
「トムは将来老人向けの漢方薬局でも開くのかな」
薬草採取に関しては全く気にしていないエヴァースは楽しそうにトムを見守っていた。
「そんなのんきなこと言ってられないでしょう。楽しんで積極的に学んでくれるのはありがたいですが、冬休みの後はどうするんですか」
「そこは任せておいて、あとは彼次第だよ」
二人でトムを見つめていたからかトムが薬草を持って急いで二人の元に戻ってきた。
「とりあえず挑戦してみたい実験に使う薬草集めましたけど、山の中で実験して大丈夫なんですか」
「いろんな人に許可は取ってあるから、というか明らかに一緒に使わない薬草まであるのはなんで?」
「合わせちゃいけない薬草が何故混ぜちゃいけないのか教科書に書いてないので自分で確かめようと思いまして、一つ心配なのは失敗して爆発とか起こしたら山火事になったりしないかってことです」
「・・・・・・どれだけ大きな爆発起こすつもりなの?」
たしかに実験に失敗はつきものだが山火事を引き起こす失敗とは、トムはどんな結果を想像しているのか。
ミラの先導で山の中を進んでいくと開けた場所に出た。木よりも岩の法が多い場所で大鍋が円にした岩の中心に置いてある。中には水が張られていた。そのほかにすり鉢やまな板と包丁、鍋をかき混ぜる大きな金属製の棒が置いてあった。
「ここなら大丈夫でしょ」
「万が一大事になっても師匠が何とかするからやっちゃっていいよ」
「それって僕のこと信用してるってことだよね。ね、ミラ」
嬉しそうにしつこく迫ればミラはうっとうしそうな表情を向けた。その顔を見て尊敬の念の欠片もないことが感じられた。エヴァースはミラがかまってくれないとわかると拗ねた表情をして大鍋の底に火を付けた。
「薬学については安全面も考えて僕が付く、ほうきの飛行訓練はミラが担当する」
「僕が薬学を勉強している間はミラは何してるの」
「村をぶらついて時間を潰そうと思ってる」
「いいなぁ」と心の声を漏らすトム。その空気を感じ取ったエヴァースはパンッと手を叩くとトムに準備をするよう促した。さきほど手に入れた薬草を地面に並べていき挑戦したい実験内容を伝える。
「とりあえずやってみて」と言われ無言で作業を始める。当たり前だがミラとエヴァースの教え方は全然違った。ミラは一度最初から最後までトムにやらせて、まとめて良いところや悪いところもどう改善すればいいかなど教えてくれるが、エヴァースは基本口は出さずトムが疑問に思ったことやわからないから教えてほしいと言った部分だけ教えている。
勉強や学ぶことが嫌にならないのは面白い楽しいのもあるが教えてもらい方が違うことがトムのモチベーションを上げていた。ずっと同じことをしていては飽きがきてしまう。
「あー今のは入れすぎ」
「今のでも多かったですか」
腰痛に効くベッカルームスの薬草を包丁でみじん切りにして鍋に入れ、筋力低下に効くハルハンクの葉から生える小さな実をすり鉢で潰して出た汁を鍋に入れる直前に「少量でいいんですよね」と確認すると「本当にちょっとだよ」と言われたやってみたが駄目だった。
鍋には一滴しか入れていないのにそれでも多いってどれだけ繊細な作業なんだと、初めての実験が失敗し軽く落ち込んでいると珍しくエヴァースが励ますような声を出した。
「まあまあそんなに落ち込まないの、そもそも初めからこれを選ぶなんてトムはチャレンジ精神旺盛だね。魔法学校でこの実験がうまく出来ないまま卒業する生徒だって多いんだよ。でもトムはハルハンクの汁を入れるところまでは完璧だった」
「そう、なんですか・・・・・・頑張ります」
落ち込んではいてもやる気はなくしていないらしく、実際にやってみて注意する点やエヴァースが指摘していない改善点まで教科書の余白に書き込んでいく。
「疑問だったんですけどなんで大鍋なんですか、学校ではもっと小さいのを使うと聞いていたんですけど」
「実験に失敗して爆発しちゃうのは鍋が小さすぎて融合反応の衝撃に耐えられないから、その点鍋が大きいと?」
「衝撃を吸収する?」
「正解!あと単純に大鍋をかき混ぜる絵が見てみたかった」
魔法使い、もっと言えば魔女のイメージは大鍋をかき混ぜながら気味の悪い笑い声を上げている者が多いだろう。それは目の前の男も例外ではなかった。
「今まで見たことなかったんですか」
「ミラは実験しないし、大人になるとそういう職種じゃない限り大鍋なんて触らないしね。それに僕の知り合いの魔法使いって魔法使いの域超えてる奴らばっかだからさ」
魔法使いの域を超えてる魔法使いってなんだろと疑問に思うが他人の友人関係に首を突っ込むのは失礼だと口を閉ざしておく。というか。
「後者のほうが大鍋にした主な理由な気がするのは気のせいですか」
トムの問いにエヴァースは目をギュッとつぶって口角を思いっきり上げた。目の前の人物も魔法使いだったよなと呆れるトムだった。
次の日は周りを背の高い木に囲まれた場所でミラとほうきの訓練だった。
「トムは自転車には乗ったことあるの?」
「いちよう」
「要領はほとんど一緒だよ。背筋伸ばして前見てバランスをとる。習うより慣れろ、ほうきに乗って」
一番の楽しみであったと同時に悩みの種でもあった左手に持つ品にトムは跨がり言われたとおりにしてほうきに魔力を少しずつ流す。すると少しずつ地面から浮き上がり上昇した。満面の笑みを浮かべ喜ぶトムだったが地面から三メートルほどでピタッと動かなくなってしまった。
「あれ全く動かなくなっちゃった」
無理矢理動かそうとして掴んでいる枝や体重を右に左に振ってみるも全く動かない。
「やっぱりもっとランクの低いのにすれば良かったかな」
小声だったためその言葉がミラに届くことはなかった。ミラは離れて見ていたが近くに来ると、ほうきを見てからトムを見上げた。
「トムはほうきに対して何か不安や悩みがあるから動かないんだと思うよ」
「不安や悩み・・・・・・確かに、ミラの言うとおりだ」
「忘れろとも考えるなとも言わないから、今はいったん頭の隅に置いておいて飛びたい、それだけ考えて」
ほうきを軽く握って深呼吸をする。
(ほうきについての悩みは今考えても何も出来ない、今は早く乗れるようになって学校に戻って少しでも早くエルフィーと話したい)
ゆっくり瞼を開け意識を集中させる。再びほうきは上昇を始めた、しかしトムはまた喜んだりせず、ずっと真剣な表情をしていた。そのままそばの木のてっぺんまで到達するとそのまま降りてきた。
(ほうきというよりエレベーターみたい)
見ていてミラは思ったが本人は真剣に取り組んでいるため口にはしない。トムがほうきから降りるとそのまま地面に座り込んだ。
「ほうきって思ってた以上に疲れるね」
「最初はいろんなことに注意しなきゃいけないからな、でも慣れれば苦じゃなくなるけど。トムはもうちょっと頑張んないとね」
「え、どうして」
「種類は別としてランクが高いからだよ。高ければ高いほど魔力を使う、初心者でいきなり高ランクのほうきを使う人は少ないから知らなかったと思うけど、普通どんどんランクを上げていくうえで魔力の消費になれるものなんだよ」
気力も魔力もすっからかんになってしまったためほうきの訓練はお開きになった。
宿までの帰り道二人並んで歩いていたがミラは心ここにあらずだった。
(今だけ頭の隅に置いておけとは言ったけどまさか本当にできるとは思わなかった、大人でも不安や悩みを一時的でも考えないように切り替えるのは大変なのに。何て精神力なんだろう)
今までの旅でも感じていたがトムは普通の魔法使いの坊ちゃんとは何かが違う。しかしその違いがなんなのかはミラにはわからなかった。
「何、僕の顔になにか付いてる?」
視線はトムに向いていたが考え事をして返事が出来なかった。
(師匠は本当にただ彼の面倒をあの人から請け負っただけなんだろうか。トムを使って何かしようとしているわけ・・・・・・ないか、あの無神経で何も考えてなさそうな師匠のことだし)
考え込んでいるかと思えばガックリと肩を落とし呆れた表情をした。
「だから何」
ミラが何を考えているのかわからないトムは直接きいてしまうがミラは何も答えず前を向いた。悶々(もんもん)とした気持ちのままトムはミラへの質問を諦めた。