安心感と命の危機
男の一人が乱暴に扉を閉めると二人はトムの前で立ち止まった。
「結構強い酒飲ませたはずなんだけどな。もう目覚ましたのか」
トムは二人を観察した。片方は中肉中背もう片方は何日洗っていないのかわからない艶のない長い髪をした男だった。髪の長い男はトムが見上げているのもあるが身長が高かった。しかしもっと身長が高く顔・スタイル・清潔感全てがパーフェクトな人間を知っているためトムはあまり気後れしなかった。
誘拐されても、自分たちが姿を現しても、ビビる様子のないトムを見て中肉中背の男は舌打ちをするとトムの髪を引っ張り顔を近づけた。こちらも何日歯を磨いていないのか、トムは思わず髪を掴まれた痛みよりも近づいた口からのにおいに顔をゆがめた。
「いいところの坊ちゃんだからもっと弱っちいと思ってたのに、面白くねえな」
「というか小僧お前、縄切ったのか」
ちぎれた縄と自由な両腕。それを隠そうともしないトムに中肉中背の男はそのままトムの髪を上に引っ張り上げた。それにつられるようにトムが立ち上がる。
「生意気なガキには痛い目見させないとな」
男は空いてる手で拳を作った。的はトムのお腹か顔か。痛い目を見ることは確かな状況にトムが魔法を使おうと決めたときだった。
「何か焦げ臭くないか」
髪の長い男の声に構えていた拳とトムの頭を掴んでいた手が解かれた。トムも匂いを嗅いでみるが中肉中背の男の匂いが強すぎたせいで嗅覚が正常に機能しなかった。その代わりに聴覚が仕事をした。パチパチとこの一ヶ月で何度か耳にした、聞き覚えのある音に後ろを振り向けば。
「・・・・・・あ」
木の柱が燃えていた。
トムの視線で男二人も匂いの発生源を見て慌てだした。火は柱を飲み込むようにどんどん大きくなっていく。そして何故か火が届いていないはずの部屋の隅も燃え始めた。男二人は焦って部屋から出て行こうとした。
「何でだ、ドアが開かない」
「早くしろよ!」
中肉中背の男がドアノブを回しながら扉を叩いたり体をぶつけるが、見た目の割にドアは頑丈だった。髪の長い男も冷静さを欠いて「早く開けろ」とずっと騒いでいる。
(この二人は非魔法族か)
一方トムは、部屋の四隅のうち何故か唯一火が付いていない、扉から一番離れた隅で姿勢を低くしながらミラに今まで言われたことを思い出しながら考えていた。
『何か命に関わるようなことが起きても絶対焦らないで、焦りは寿命を縮めると思って』
『それってどんなとき?』
『溺れかけてるとか火事とか、特にトムの場合は一人でいるとき。私か師匠がいるときは心配しなくていいけどあんた一人の時は自分一人だけでも助かることだけ考えてね』
「火事の時は姿勢を低くして口をハンカチで覆う」
パニックにならないように教えてもらったことを小声で反復しながらも頭を必死に回す。
(火事になっても騒ぎにならないってことはここがどこかの建物の中とか男二人の仲間がいるってこともなさそうだな。でももしあの男二人は捨て駒で僕が誘拐されたのは、僕を殺すためだったら)
その考えを思いついたときトムは急に男二人が可哀想に見えてきた。誘拐したのは許せないが彼らは自分の道連れなのだから。火がトムの方にも迫ってきている。
『自分一人だけでも助かることを考えてね』
(自分が助かろうとした行為に便乗した人が助かるならいいよね)
当初の予定通り壁を壊そうと手を構えた時だった。ドアが開いたのだ。蝶番を壊して外側から。ドアは勢いよく、まるで誰かが乱暴に蹴り開けたかのように外れると男二人を巻き込んで床に倒れた。中肉中背の男はドアが開いた際打ち所が悪かったのか気絶し、その下敷きになっている髪の長い男も身動きがとれないようだった。
部屋の外から室内に入ってきた人物は、男二人とドアを踏みつけてトムの前に立ち手を差し伸べた。
「忘れられてるかと思ってたけど、ちゃんと覚えて実践できたみたいだね。トム」
炎となった部屋で彼女の左手首に付いたブレスレットが光る。
「ミラ、助けに来てくれたの。僕てっきり」
「その辺は後で」
ミラはトムの手を掴んで立たせると俵担ぎをした。
「え、ちょ、下ろして」
トムの声が聞こえないかのようにミラは真っ直ぐ出口に向かって歩く。火の手は出口を塞いでいたがミラは何の躊躇もなく火の壁に突っ込んだ。咄嗟にミラの背中にひっついてしまったが、エヴァースの茶化す声で周りを見た。
そこは既に外で、ミラ達と入れ違いでスーツ姿の男が二人小屋に入っていった。小屋の火は沈下していた。
「助けに来てくれてありがとう」
エヴァースもいたが小屋から連れ出してくれたのはミラのため敬語を外してお礼を言う。
「火事はいつの間に消したんですか、あの男達は一体、というかどうやって僕を見つけてくれたの?」
安心した途端疑問が次々と出てきて矢継ぎ早に聞いてしまう。
「その辺は歩きながら説明してあげるよ」
エヴァースに促され三人で歩き出す。今更だがここがどこなのか知らないトムは周りを見回した。様々な重機やコンベアがある大きな工場だった。
「この辺りは工場は今は使われていない。トムがいたのは工場で働いていた人が帰宅をめんどくさがって作った仮眠用の小屋だったんだよ」
エヴァースの説明にトムは納得した。年期があったというのも考えられるがあんなボロい小屋でまともな生活が送れるわけないと。
「僕に感謝してよ、誘拐されたのは予想してたけど魔法使わないでトムのこと追うの大変だったんだから」
(今聞きずてならないことを言われたような気がする)
ミラとエヴァースはトムが誘拐されるのをわかってた。あえて、というかわざと誘拐させた。
「あぶり出しもできたし、ミラに習ったことをトムがしっかり学んで実践できてることがわかって、僕としては一石二鳥だよ。でも一ついただけない」
エヴァースが歩を止めるとつられてトムとミラの歩みも止まる。エヴァースはトムの頭に手を置くと握りつぶすかのように握力を加え始めた。
「あのババア、面倒押しつけやがって」
聞いたことがないエヴァースの低く恨みのこもった声に驚く。それと手を離してもらおうと暴れるが全く離れない。
「痛い、離して下さい!」
「師匠、子供に八つ当たりは大人げないですよ」
ミラの言葉で頭の圧迫がなくなり軽く撫でられた。
「ごめんごめん、ついね。じゃ次に行こっか」
エヴァースが歩き出すとミラとトムも歩き出す。
「次はどこに行くんですか」
「次はアメリカのニューヨーク。言い刺激になると思うよ」
そして三人はそのまま空港へ向かった。トムはまだ行ったことがない場所へ行くのに怖がることをしなくなった。あるのは好奇心だけ。そして誘拐され一人になった後だからわかるミラとエヴァースがいる絶対的な安心感。これからの旅も命の危機もなくきっと楽しく充実したものになる。
トムはそう思っていた。
次の日、トムはミラと共にニューヨークの車道で命の危機を感じながら風を感じていた。
ハワイを離れてニューヨークに着いたと思った瞬間エヴァースは再びトムとミラのそばから消えミラはトムを裏路地に連れて行った。今まで薄暗い場所に二人っきりという経験がないトムはその状況に鼓動が早くなった。
「ミラ、なんでこんなところで二人っきりに」
「はい、これ付けて。早く乗って」
一人で勝手に緊張しているトムにミラが差し出したのはバイク用のヘルメットだった。そして気恥ずかしくて下げていた視線を上げるとミラは大型バイクに乗っていた。
ヘルメットを持ったまま突っ立っているトムをミラは叫ぶように「早く!」と促した。その声にはじかれたように反応したトムはヘルメットを付けてミラの後ろに座った。
バイクの後ろに乗った人が掴むのは前の人の腰。しかしトムはそれが出来ずにいた。今まで密着なんてしたことがないうえ、火事のさい俵担ぎされた時も状況が状況だったために今とは条件が違う。そのうえ今は自分からミラに抱きつく形になる。
心の中で気恥ずかしさと早くしないと怒られるという葛藤が戦っていた。
「私に掴まりたくないならいいけど死ぬよ」
返答する間もなくバイクは急発進した。後ろに引っ張られるような感覚にトムは反射的にミラの腰に手を回し振り落とされないように力を込めた。
景色がどんどん後ろへ流れていく。バイクは裏路地から大通りに出た。ヘルメットとバイクが出すスピードで車のクラクションくらいしか音が拾えない。ミラは車をどんどん追い越していくため「こんなにスピード出して大丈夫かな」とトムが考えていたとき急にスピードが緩んだ。
一定の速度を保つバイクの先には黒塗りの車。トムが前方を見ようと少し体を動かすと黒塗りの車が急にスピードを上げた。それに伴いミラのバイクのスピードも一気に上がる。それはさきほどの比ではなかった。間違いなく警察に目を付けられるスピードだった。
トムはミラが何をしているのかわからないなかただしがみつくことしか出来なかった。車を追い越すさいもギリギリで足が当たらないかヒヤヒヤするし体重移動でバイクが傾くと毎回肝が冷える。
やがて高層ビルの町並みの色が薄くなってきた頃今までスピードを上げて逃げようとしていた。車が黄色信号ギリギリで左折した。ミラは車体を進行方向から九十度左に向けると一気にアクセルを全開にした。トムは後ろから聞こえるクラクションは自分たちに向けたものじゃないと信じたかった。
景色はだんだんのどかになっていきやがて一本道になった。何故カーチェイスをしているのだろうとトムが冷静に考え始めたとき急にミラはハンドルから手を離しトムを掴むとバイクから跳躍した。そして地面に降り立つ間もなくバイクが爆発するのをトムは見た。
前方の車は止まり中から火事が起こった小屋にいたような黒い服を纏った男が四人出てくる。トムが先制攻撃をしようと手を上げたのをミラが遮った。
「トムにはそろそろ見せた方がいいと思って」
諭すような声にトムが手を下げると先にあちらが攻撃を放った。何発もの銃弾ががトムに向かって真っ直ぐ飛んでくる。
(間に合わない)
魔法を発動する間もなく、体を守る態勢にも入れない状態でトムが目をつぶる間もなくて見ていると何かがトムの視界を下から上へ消え銃弾が粉々になった。
何が起こったのかわからないトムは周りを見た。先ほどと違いミラの手には刃物が握られていた。