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第3話 初めての依頼 中

 木の根元を探ってアセラスを採りながら、しかしリッケルトは、どうにもやり辛さを拭いきれず、首筋を掻いた。


 その原因は、森を進んでいるときから感じていた、あの自分たちのあとをついてくる謎の気配にある。


 気配……否、いまやはっきりと感じるその視線は、どうやらリッケルトを目当てにここまでついてきたようであった。三人で手分けし始めてからというものの、視線は常にリッケルトを狙い続けている。気配はひとつしか感じないので、複数人いるということもない。


 いっそこっちから問い詰めてしまおうか、とも考えた。だが、顔を向けると視線の主は、下手くそに木の陰に身を隠してしまう。そのまま気配の元を探りに行くことはできるが、そこまでするほどのことでもないような気もして、結局リッケルトはいまだに気配を放置したままにしていた。


 なにより彼が腑に落ちなかったのは、その視線をなぜかどこかで感じていたような気がしてならないことであった。


「マリシエラー、そっちはどう?」


「もうこの辺りにはなさそうね。そっちは?」


「こっちももう見つからなさそうかも」


 広場の向こうで、少女たちがそんな話をするのが聞こえる。


 空を見上げると、太陽はもう頂点を指そうとしていた。


 そろそろいい頃合いかもしれないな。リッケルトは立ち上がりながら腰を伸ばす。ちょうどそんなタイミングで、腹の虫が大きな鳴き声を上げた。


「おおい、そろそろ昼食にしよう」


「えっ、もうそんな時間!?」


「どれだけ熱中してたのよ。ほら、行くわよ」


 マリシエラに促され、レイリアたちも集まってくる。


 それぞれが採取したアセラスを合わせると、一袋と半分ほどになった。


「うん、もう十分だろう。昼を食べたら、引き上げるとしよう」


 そう告げると、マリシエラは当然と言わんばかりに頷いた。


「まあ、こんなものでしょうね」


 だがレイリアは、聞こえていたのかいなかったのか、俯いたままなにも返事をしようとしない。リッケルトとマリシエラが目を見合わせ、その顔を覗き込んでも変わらなかった。


「レイリア?」


「……ぃ」


「ちょっと、どうしたのよ」


 マリシエラがその手に肩を置く。すると、レイリアは弾かれたように顔を上げ、突然マリシエラへと抱き着いたのであった。


「ちょ、ちょっとレイリア!?」


「ぃやったあああー!!!」


 歓喜に満ちた叫びが、森の中に轟いた。


「なに、なんなの!」


「やったよマリシエラ、わたしたちやったんだ!」


「なにがよ!」


「わたしたち、初めての依頼を成功させたんだよ!!」


 突然の出来事に唖然として成り行きを見守っていたリッケルトは、まるで大仕事を成し遂げたかのようなレイリアの言葉に、思わず笑いが浮かんでくるのを止めることができなかった。


「たかだか薬草を集めたくらいでそんな大騒ぎするんじゃないわよ!」


「でもでも、これでわたし、正真正銘の冒険者なんだよ!」


 リッケルトは、果たして自分は、冒険者となった初めての仕事でこんなにも歓喜を露わにできていただろうかと、喜びはしゃぐレイリアを輝かしいものを見る目で見つめていた。


 冒険者は若者たちの憧れだ。だがその最初の一歩を、こんなにも感極まって踏み出せるものが、果たしてどれほどいるだろうか。


 あるいは、冒険者になってなお、そのことを覚えていられるものは、果たしてどれほどいるだろうか、と。


 他方マリシエラは、抱き着いてくるレイリアに呆れながら、彼女の放った喜びの言葉が脳裏から離れなくなっていた。


 正真正銘の冒険者。レイリアはそう言った。


 こんな子供の使いのような仕事のために、マリシエラは冒険者になったのではない。この程度の仕事は、マリシエラにはすでに通った道だ。


 だがそれを以て、正真正銘の冒険者になれたと歓喜するレイリアの言葉を、マリシエラはどうしてか切って捨てることが出来なかった。


 水を差して悪いけどな、とリッケルトは笑いながら声をかける。


「冒険はまだ道半ばだぞ、レイリア」


「そ、そうよ、この薬草を届けるまでが仕事なんだから。ここで浮かれてる場合じゃないわよ」


 二人に諭され、レイリアははっと我に返って抱きしめていたマリシエラを解放する。それから、照れくさそうに頬を染めた。


「そ、そうだったね、わたしったらつい嬉しくなっちゃって」


「そんなに喜んでもらえれば、この依頼を持ってきた甲斐もあったってものだ。それじゃあ無事に帰るためにも、まずは腹ごしらえをするとしよう」


 リッケルトの先導で荷物を木陰に移し、その場に腰を下ろして三人は昼食と休憩をとる。


 モーリーンに用意してもらった腸詰肉とパンは、よく味が染みており、空腹を訴える胃にあっという間に吸い込まれていった。レイリアは水筒の水を一気に飲もうとし、一口ずつ飲みなさいとマリシエラに窘められた。


 食事を終えても、三人はすぐには立ち上がらなかった。


 木々の間から差す陽射しと、枝葉の作る木陰、それに時折吹いていくそよ風が、ここまでの道行と薬草探しの疲れを癒してくれるようであった。


 マリシエラが戯れに、その風に語り掛ける。


「精霊たち、いにしえからの友、その姿を見せて」


 するとどうしたことか、マリシエラの差し伸べた手の周りに、小さな光が舞い始めたではないか。レイリアが目を瞬かせていると、それはやがて、青白く澄んだ小さな人のような形をとって、マリシエラの周りを飛び回った。


「す、すごい、魔法?」


「風の精霊、シルフだ。こんなにはっきり姿を見たのは初めてだ」


 マリシエラは、指先でシルフと戯れながら、いたずらげな表情をレイリアに向ける。


「あなたの村に精霊使い(シャーマン)はいなかったの?」


 レイリアは首を横に振る。


「長老は魔法使いだったけど、いつも家に籠ってて魔法を見せてくれたことなんて一度もなかったもん」


 リッケルトは、シルフの姿にまだ目を奪われながら、それを訂正した。


「長老はきっと魔術師(ソーサラー)だな……それにしても、精霊魔法が使えるならそう言ってくれればいいのに」


「あら、私はエルフ、精霊の輩よ? これくらいのこと、誰でもできるわ」


 エルフはみな優秀な精霊使いだって話、本当だったんだな。リッケルトは、物質界にはっきりとその姿を現し、長年の連れ合いのようにマリシエラと触れ合うシルフの姿に、感嘆を禁じ得なかった。


 リッケルトのかつての仲間にも精霊使いはいた。彼女も秀でた精霊使いには違いなかったが、これほど身近に精霊と接する姿を見たことはなかった。彼女はあくまで、技術として精霊魔法を使っていたに過ぎない。


 精霊は、万物の事象を司る自然界の調停者だ。火にも、風にも、光にも、闇にも、精霊は至るところに宿る。だがその姿を見ることができるものは、決して多くはない。


 冒険者として生きてきて、それなりに色々な出来事を経験したつもりでいた。だが、こんなにも身近な存在にも拘らず、これまでずっと目にすることが叶わずにいたとは。


 リッケルトはなぜだか無性に、その心の震えを伝えたくて仕方がなくなった。


 おもむろに背からリュートを外すと、その弦を軽やかに弾く。


 レイリアとマリシエラの視線が集まる。


 ────深き森で孤独を嘆くな。

 ────頬を撫でる風、木々の囁き、喉を潤す雫。

 ────我らが友はそこにいる。

 ────暗き月夜に孤独を嘆くな。

 ────踏みしめる大地、降り注ぐ明かり、包み込む闇。

 ────我らが友は、そこにいる。


 衝動を吐き出して満足し、リッケルトはリュートを下ろした。


 そこに拍手が浴びせられる。全力で手を叩くレイリアに、控えめ小さく手を鳴らすマリシエラだ。


「すてきな歌! もしかして今作ったの?」


「本当に、詩人としての腕は確かなようね……あら」


 気恥ずかしさにリッケルトは頬を掻く。


 こんな風に、演奏をして称賛を浴びるのはいつ以来であろうか。かつて仲間とともに冒険をしていた頃の思い出が去来し、リッケルトの胸が締め付けられそうになる。


 だがこのときの観客は、なにも二人ばかりではなかった。


 目の前をシルフが飛び回り、リッケルトは思わず目を丸くした。


「シルフも気に入ったようだわ。よかったじゃない、精霊のお墨付きよ」


「参ったな……」


「えへへ、なんだか秘密の演奏会みたいだね。もっと聞かせて、わたしたちの吟遊詩人さん!」


 レイリアのおだてに気を良くし、それならもう一曲くらい、と思案しかけたところで、リッケルトは手を止めた。マリシエラもまた腰を浮かし、荷物とともに置いていた弓を手繰り寄せる。


「え、え?」


 観客は、まだ他にもいたのだ。


 茂みががさりと音を立て、ずんぐりとした影が姿を現した。


 リッケルトの胸ほどまでもありそうな背丈。口の端から反り返った牙。毛皮はごわごわと頑丈そうで、たてがみはふさふさとたなびいている。がっちりとした四つ足で地面を踏みしめ、ひしゃげた鼻を荒々しく鳴らしている。


荒猪(ワイルドボア)!」


 マリシエラが叫ぶ。


 森の暴れん坊がそこにいた。


「う、うそ!」


 レイリアが慌てて立ち上がる。


「くそ、失敗した」


 演奏に夢中になりすぎていた。こんなに接近されるまで気付かないとは。一年も前線を離れて勘が鈍り切っている。


 リッケルトは臍を噛む思いで、どうするべきか頭を巡らせる。


「やるわよレイリア! あなたが攻撃を引き付けて!」


「う、うん!」


 どうやって二人を逃がすべきか。一瞬リッケルトの脳裏に浮かんだ迷いを、少女たちの声がかき消した。


 そうだ、何を勘違いしているんだ。これは彼女たちの冒険だ。


 ならば自分のするべきことはひとつしかない。彼女たちがどうするのかを、見届けることだ。


 リッケルトは慎重にあとずさり、全体を俯瞰できる位置を取る。


 ワイルドボアの唸りが響く。猪は、少女たちを敵と見定めた。


 火蓋を切って落としたのは、マリシエラだった。弧を描くようにワイルドボアの周囲を駆けながら、素早くつがえた矢を二本、続けざまにその背に射かけていく。


 だが、矢はワイルドボアの分厚い毛皮に突き刺さるに留まり、獣に致命傷を負わせるには至らない。マリシエラもそれは承知の上であった。矢を射かけても立ち止まることなく、すぐに位置を変える。


 ワイルドボアも、矢を射られて無視できるほど愚鈍ではない。突き立てられた矢の痛みに唸りながら、下手人を探して頭を巡らせる。


 攻撃を引き付けて。ワイルドボアの動きを見たレイリアは、その言葉の意味を瞬間的に理解した。この場面で自分が何をすべきなのかを。


 レイリアは腰の短剣を鞘から引き抜き、それを頭上で振り回す。


「こらー! この暴れん坊! お前の相手はわたしだよ!」


 その大声に、ワイルドボアの頭が向いた。鼻息も荒く、両の瞳がレイリアを睨みつける。その身体が低く沈み込んだ。


 来る。


 リッケルトの言葉通りの動きに、レイリアもまた腰を落とした。


 猛烈な勢いで、ワイルドボアが発射される!


 転がる岩のような傍若無人さで、下草を踏み荒らし、枝葉を蹴散らしながらワイルドボアの巨体がレイリアに迫る。


 だがレイリアは、その動きを完全に見切っていた。


 村の中で負け知らずと豪語するだけのことはあるというべきか。レイリアはぎりぎりまで引き付けて横跳びに突進を回避すると、振り向きざまに短剣でワイルドボアの横腹を切りつけた!


「このぉ!」


 手痛い一撃にワイルドボアが嘶く。


「シルフよ、力を貸して!」


 その隙を見逃すマリシエラではない。エルフの呼び声に呼応した精霊たちが、つがえられた矢に風の力を纏わせる。


 そして放たれた矢は、先ほどよりも深く、鋭く、ワイルドボアの身体を貫いた!


 ────ぼおおぉぉぉぉぉぉ!


 ワイルドボアが激痛に吠え叫ぶ。だが、まだ倒れはしない。屈辱に身体を震わせ、怒りで地団駄を踏む。ぶすんぶすんといっそう鼻息を荒げる。


「もう、どれだけ頑丈なの!」


「文句言ってないで構えなさい!」


 またもワイルドボアの身体が沈み込む。


 まずい。レイリアは失敗を悟った。


 ワイルドボアの瞳は、レイリアを見てはいない。


 猪は、先ほどから執拗に矢を射かけてくる、憎き妖精族を、決して逃がすまいと睨みつけていた。


 小山のようなその巨体が、再び放たれる!


「させない!」


 咄嗟にレイリアは、目の前を過ぎ去ろうとするワイルドボアの背中に飛びつき、その毛皮に短剣を深々と突き立てた!


 ────ぼおおぉぉぉお!


 突き刺さった短剣に少女の体重が乗って傷を抉られようものなら、さしものワイルドボアも堪ったものではなかった。


 背にしがみついたレイリアを振り払おうと、跳ねまわり身体を振り、無造作に暴れまわりはじめる。


「うわわわわわわわわ!」


「ちょっと、レイリア! 離れなさい!」


「む、無理だよー!」


 レイリアがしがみついていては、マリシエラも矢を射かけることはできない。だがレイリアも、下手に離れようものならワイルドボアに踏みつぶされかねなかった。


 荒れ馬のように暴れていた猪は、突如動きを変え、目標もなく森の中を滅茶苦茶に走り回り始めた。レイリアをその背に乗せたまま。


「ひゃあああああ!」


 とにかく痛みを振り払おうとする、闇雲な突進だった。いつどこに激突するか分かったものではない。


 リッケルトは思わず立ち上がった。


「レイリア、合図で手を離せ!」


「で、でも!」


「いいから!」


 リッケルトはワイルドボアの進行方向に向かって走る。そして無軌道な暴走猪とのすれ違いざま。


「今だ!」


 レイリアは吟遊詩人の声を信じて、手を離した。


 少女の身体が猪を離れ、宙に置き去りにされる。


 リッケルトが走る。


「おおおぉ!」


 半ば飛び込むように、リッケルトが落ちてくるレイリアの身体を受け止めた。


「間に合った……」


「あ、ありがとう、リック……」


 だが安堵するのも束の間。


「危ない!!」


 マリシエラの叫びが聞こえた。


 顔を上げる。


 方向転換したワイルドボアが、真っ直ぐ二人に向かって突っ込んでくる。


 避けられない。


 咄嗟にリッケルトは、レイリアに覆いかぶさった。激痛の予感に固く目を瞑る。


 だがいくら待てども、衝撃はやってこなかった。


「か、壁……」


 唖然としたレイリアの呟きが聞こえた。


 恐る恐る振り返ると、どうしたことかワイルドボアは、強かに頭部を殴りつけられたかのように、ふらふらと覚束ない足取りでそこにいた。


 なにかがある。


 リッケルトは目を凝らす。まるで光が滲んでいるようであった。硬い質量を持った半透明のなにかが、そこにそびえているかのように見えた。


 呆然としながら、しかしリッケルトにはそれに見覚えがあった。


「まさか、≪守りの壁(プロテクト)≫の魔法? でも、誰が」


 がさり、と。


 新たな足音は、二人の背後から聞こえてきた。


 振り返ると、そこにいたのは、ひとりの少女であった。


 年の頃はレイリアよりもいくらか上であろうか。長く伸ばした黒い髪、弱気にへこたらせた眉、切れ長の瞳に涙をにじませている。身にはフードのついた深紅のローブを纏い、震える手で長い杖をワイルドボアに向けて突き出している。


 リッケルトには、その身なりに覚えがあった。


 魔術師(ソーサラー)だ。


 だが少女自身には、ひとつも見覚えがなかった。


「は、早く……! そんなに、もたない……!」


 少女の震える声に、はっとしてリッケルトは振り返る。


 ワイルドボアが頭を振り、我を取り戻そうとしていた。


 レイリアが慌てて立ち上がろうとするが、決着はそれよりも早く着いた。


 突如として上空から降り注いだ無数の矢が、ワイルドボアの身体を地に射止めるように突き立ったのだ。


 これに耐え得るほど、ワイルドボアに体力は残っていなかった。どさりと音を立てながら、森の暴れん坊の身体が大地に横たわる。


 それきり、荒い鼻息のひとつも、この猪から発せられることはなかった。


 森の広場に、静けさが戻った。


「それで、いったいどういうことなのか、説明してもらえるかしら」


 音も立てずリッケルトたちに近寄りながら、マリシエラが不審に満ちた声をかける。


 リッケルトたちの頭上を越えるように矢を放ったのは、もちろんマリシエラであった。その手にはまだ、油断なく弓矢が構えられている。


 だがその疑問に、二人のどちらも答えることはできなかった。


「いや、俺にもどういうことだか……」


「あ、あの、どちらさまかなーって……」


 リッケルトの、レイリアの、マリシエラの視線が、新たに現れた魔術師の少女に向けられる。


「あぅぅ……」


 窮地を救った当の本人は、一斉に注目を集め、杖を固く握って縮こまった。

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