第3話 初めての依頼 前
「やっぱりお仕事、なかなか見つからないね」
暴れ大山羊の角亭のテーブルに突っ伏しながら、レイリアはぼやいた。
「私があれだけ躍起になって仕事を探してた理由、少しはわかったかしら」
そのレイリアを冷たく見下ろしながら、マリシエラが言い放つ。
前日の予定通り、リッケルトと別行動をして職人通りを回ったレイリアとマリシエラの成果は、その態度が示す通り、芳しいものではなかった。
マリシエラとパーティを組んだことを報告がてら、リッケルトの紹介を受けた店や工房を順に回ってはみたものの、どの店主も今は依頼するような用件を持ち合わせてはいないか、もう少し実力のある相手に頼みたい、と断られるばかりであった。
「うぅ、駆け出し冒険者が依頼を取るのって簡単じゃないんだね……」
「……でも、評判はいいのよね」
マリシエラの言葉通り、人々の反応は決して悪いものではなかった。
『おやまあレイリアちゃん、仲間ができたのかい。こりゃまたべっぴんさんだね!』
『悪いが、今は頼むようなことがないんだよ。次になにか入用になったらきっと声かけるからね!』
『やあエルフのお嬢さん、レイリアさんのことをどうかよろしく頼むよ!』
通りに店を構える誰のところに行っても、まるで昔からの馴染みの娘と話すかのように、顔をほころばせて明るい声をかけてくる。そしてそれは、マリシエラにも同じように向けられるのだ。
これは、マリシエラが今までどれほど依頼人になり得る相手のところを回っても、一度として見られたことのない反応だった。
それをこの娘は、たった一度挨拶に回っただけで手に入れている。
「いったいどんな魔法を使ったのよ」
「えぇー……? 村の人とするみたいに、普通におしゃべりしただけだよ」
出会ってからの時間の多寡を無視して、人の懐に入り込んでしまう。マリシエラは今更のように、なにか空恐ろしい人物の仲間になってしまったような気さえした。
これでレイリアが実績を積みさえすれば、街中から依頼が殺到するのではないだろうか。そんなことすら考えてしまうほどだ。
とはいえ、今のところ仕事がないことには変わりがない。つまりは収入もない。
レイリアがのろのろと頭を持ち上げる。
「あとはもう、リックが仕事を見つけてきて帰ってきてくれるのを待つしかないかあ……」
そして逆に、どうして会ったばかりの男をそうも信用できるのか、とマリシエラは首を傾げる。
「どうかしら、手ぶらで帰ってきたっておかしくないわよ」
「えぇ!? そんなのダメだよ! 本当にお金なくなっちゃう!」
「そうなったらもう、森で適当に獣でも狩って売るしかないわね」
「そんなあ……」
レイリアはまたテーブルに突っ伏した。
さて、あの男はいつ帰ってくるのかしら。宿の戸口が勢いよく開いて、騒がしい足音が二人のもとにやってきたのは、マリシエラがそう考えたまさにそのときだった。
「戻ったぞ、二人とも!」
がばり、と音を立てそうな勢いでレイリアが身体を起こす。
「リック! おかえりなさい!」
「あら、帰ったのね。その顔は……」
拳を握り、自信に満ちたその表情に、少しだけこの男を信じてもいいかもしれない、とマリシエラは心の奥底で小さく考えた。
「ああ、依頼を取り付けてきたぞ!」
「本当!? なになに、ゴブリン退治!?」
「どこかで狂える精霊でも出たかしら?」
「まあまあそう焦るな、今回の仕事はな……」
◆
翌日、マリシエラはその考えをさっそく取り消すことにした。
「私言ったわよね。冒険者として名を上げるために、立ち止まるつもりはない、って」
燦々と太陽光が降り注ぎ、そよ風の吹き抜ける爽やかな陽気。
「そりゃあ、依頼に貴賤はないわよ。どんな仕事でもやるつもりよ」
頭上を覆う木々の合間に差す木漏れ日を浴びながら、短い下草をさくさくと踏みしめて歩く森の中。
「でも、こうして組んで最初に受ける依頼が薬草採取って、こんなの子供のお使いじゃない!」
マリシエラ、レイリア、そしてリッケルトの三人が歩くのは、カザディルを出て西にある、ウェンデルの森の中であった。街の西門から出てすぐのところにあり、徒歩で行って帰ってこれる程度の距離しか離れていない。
獣が生息していないわけではないが、人里に近いこともあり、危険度は比較的低い場所でもあった。
そんなどちらかと言えば穏やかな森の中に、マリシエラの声がこだまする。
彼女の言う通り、リッケルトの取ってきた最初の仕事は、この森に自生する薬草の採取であった。
「それもアセラスだなんて、その辺にいくらでも生えてるっていうのに!」
これがもっと危険な山奥にしか自生しない、希少な植物を取って来いと言われるのであれば、マリシエラもまだ奮起できたかもしれない。だが今回依頼されたのは、日常的に傷薬に用いられる、ありふれた薬草だった。
マリシエラは憤懣やるかたないといった表情で、荒々しく森の中を進んで行く。
「この辺りじゃ、アセラスも街の外に出ないと見つからないからな。冒険者入門の定番だよ」
リッケルトは、馴染みだった薬師からこの仕事を請け負ったという。最近傷薬の大きな買い付けがあったらしく、その材料となるアセラスの在庫が少なくなってきたそうだ。
そこでその薬師は、駆け出し向けの仕事を探していたリッケルトに、渡りに船とばかりにこの依頼を差し出した次第である。
「だいたい、駆け出し二人にそんな魔物退治を持ち掛けてくるような依頼人は、こっちから蹴った方がいい。怪しすぎる」
「う、わ、わかってるわよ、そんなこと」
「まあ、せめてあともう一人いれば、ゴブリン退治くらいなら請けてもいいかもしれないけどな」
「そのあても、引きこもりの見習い以前じゃ、怪しいものね……」
マリシエラは肩を落とす。そして、先頭を進むレイリアの背中を見た。
その足取りは軽やかで、一歩踏み出すごとに肩が上下に跳ねているようであった。
「あなたはやたらに楽しそうね」
「え?」
振り向いたレイリアの頬は紅潮して、口元には隠し切れない笑みが浮かんでいる。今誰よりもこの状況を楽しんでいるのがレイリアであることは、誰の目にも明らかだった。
「楽しいよ! だって、これってわたしの冒険者としての初めてのお仕事なんだよ!?」
レイリアは拳を握りこみ、興奮冷めやらぬといった面持ちでずいと乗り出しながら意気込んだ。
「私の伝説が、いよいよ今日これから始まるんだ、って考えたらすごくドキドキするよ!」
そうはしゃぐレイリアは、前日から水筒に水を汲み、モーリーンに昼食を……日帰りの仕事なので日持ちは考えずにパンと腸詰肉だ……を用意してもらい、短剣と手袋を枕元に並べ、準備を万全に整えていた。
そこまではよかった。だが夜はなかなか寝付けなかったのか、今朝は約束の時間ギリギリになって起きてくる有様だ。
まさにお出かけが楽しみで眠れない子供そのものだ、とマリシエラは呆れを通り越して感心すらしてしまった。
「ドキドキするのはいいけれど、昨日みたいにはしゃぎすぎないでよね」
「仕事に向けて入念に準備するのは、冒険者の基本、悪いことじゃないさ。寝坊未遂は減点だけどな」
「もう、それは言わないでよ! リックのいじわる!」
まあ、拍子抜けな仕事に不満を垂れるのは、確かにこの子らしくはないか。
じゃれあう二人を見ながら、マリシエラはそう気持ちを改めた。
ならば自分も、不平を漏らすのはここまでにしておこう。この少女になにかを感じて組むと決めたのは、自分なのだから。
「はいはい、騒ぐのはそこら辺にしてちょうだい。もうそろそろ森の奥に入るわよ」
それに、これはただの子供のおつかいではない。冒険者の仕事なのだ。この森にも、多くはないとはいえ、決して危険がないわけではない。不用意に進んで行けば、どんな獣に出くわすか分かったものではないのだ。
マリシエラは、レイリアに代わって先頭に立った。
冒険者にはそれぞれ役割がある。レンジャーたるマリシエラは、パーティの進む先の危険を察知し、いち早くそれを知らせる役目を持っている。それを疎かにするつもりは微塵もなかった。
「レイリア、こっちに」
リッケルトも心得たもので、レイリアを制し先頭から一定の距離を取って進んで行く。
レイリアは、なにかを切り替えたように雰囲気の引き締まった二人に、思わず息を飲む。
これが冒険者なんだ。
目指すべき姿を目の前にして、レイリアの心は震えていた。握った拳に、先ほどとは違う意味が宿っていた。
その一挙一動を決して見逃すまいと、レイリアは二人の姿を目に焼き付けていく。
そこからの歩みは、先ほどまでの和やかさとは一転して、静かなものとなった。
マリシエラもリッケルトも、さほど緊張を覚えているわけではない。ただそれが冒険者として、あるいは森に生きてきたものの当然のたしなみとして、口を噤んで周囲を警戒して進んでいく。レイリアだけが、その空気に気圧されて、心臓を高鳴らせていた。
進む先で何かが動いたかと思えば、闖入者に目を丸くしたウサギが、慌てて逃げていった。
あるいは頭上では、鳥たちの囀りが絶えず枝葉の合間に響き渡っている。
動物たちにとっては平和そのものの森だ。だがそれが、人間にとっても安全とは限らない。
不意に、マリシエラが足を止め、その場にしゃがみ込んだ。地面に手を添え、なにかを検めるように周囲に目を凝らす。
その様子にレイリアが首を傾げていると、マリシエラが二人を手で招いた。
「なにかいそうか?」
近づいてリッケルトが尋ねると、マリシエラは振り返りもせずに答える。
「荒猪ね。まだ新しい足跡よ」
「えっ、近くにいるの?」
レイリアが恐る恐るその足跡を覗き込んだ。
狼や野犬など、人里近くでも出現する危険な獣は多数いるが、ワイルドボアもまた、そんな身近な危険の中のひとつであった。
小さな馬ほどもの大きさのあるワイルドボアは、草食動物の持つ注意深さを暴力で上書きし、目に付く動くものにはひたすら突進を繰り返すという、危険極まりない性質を手に入れた野生の猪だ。一対一では狼すら逃げ出す猪突猛進ぶりで、特に成長した個体は、熊をも相手にできると言われている。
その気になれば民家の扉も突き破る、森の暴れん坊だ。
「まだ若い一匹だと思うけれど……面倒ね、私たちの行く先に進んでる」
「んー……若いワイルドボアか」
リッケルトは顎に手を当てて考える。
そんなワイルドボアは危険だが、決して相手にできない生き物ではない。いかんせん行動は単調で、真っ直ぐ突っ込んでくる以外には脳のない相手だ。群れた狼の方がよほど危険である。
一般人には脅威でも、手練れの冒険者であれば、かつてのリッケルトほどでもあれば、ひとりで難なく戦える程度の相手だ。
では今回はどうか。リッケルトは二人の顔を見た。
「なによ、引き返すなんて言わないわよね?」
マリシエラは憮然とした表情で見返してくる。森のレンジャーであるマリシエラは、戦い方も心得ているだろう。
ではレイリアは?
見ればレイリアは、握った拳を震わせている。
「この先で遭遇するかもしれないけど、平気かレイリア?」
リッケルトを見返すその顔は、頬に朱が差し、眉は強気に吊り上げられていた。
「大丈夫だよ、リック。わたし、戦えるから」
リッケルトは頷いた。それでこそ駆け出し冒険者だ。
「よし、その意気だ。ワイルドボアは真っ直ぐにしか突進できないし、突進の前には必ず溜めを作る。相手をよく見れば避けられるからな」
「うん、任せて! それにわたし、去年まで剣術ごっこで、村の男の子の誰にも負けたことないんだから!」
それは頼もしい、とリッケルトは笑った。この年頃の少年といえば、力自慢もいれば加減を知らないものもいただろう。それに負けなしというからには、レイリアの身体能力は侮れないものがありそうであった。
マリシエラは薄く笑いを浮かべた。
「村の男の子よりも、あなたの方が猪っぽかったんじゃないの?」
「ちょっとそれどういう意味ー!?」
「あら、身一つで村を飛び出してきたっていう猪娘さんは誰だったかしら」
「もう、知らない!」
ぷりぷりと怒って先に進んでしまうレイリアを、あえてマリシエラは止めなかった。そしてリッケルトも。二人にはもうひとつ、懸念事項があったからだ。
「リッケルト、気付いてる?」
そっとリッケルトに近づくと、マリシエラは少し背伸びをして耳打ちした。前に進むレイリアに聞こえないように。
リッケルトも囁きでそれに返した。
「ずっと誰かついてきてるな。俺もさっき気付いた」
「すっかり気を抜いてたわ、下手したら街からいたかもしれない。心当たりはないの?」
リッケルトは首を横に振る。
「いや、なにも。危険な相手ではなさそうだけれど」
「そうね、敵意もないし、気配の消し方も知らないようならね」
だが正体の知れない相手に後をつけられるというのは、間違っても愉快な心地ではない。後ろを極力見ないようにしながら、隠密のずさんな追跡者の気配を探る。相手は木と藪の後ろに隠れ、そっとこちらを窺っているようであった。
「とりあえず、マリシエラはこのまま先頭を頼む。後ろは俺が、なにかあったらすぐに報せる」
「ええ」
二人は小走りでレイリアの背中に追いつくと、未だにむくれる少女をなだめながら隊形を取り直した。
それから、何事か起こるわけでもなく、順調に森の奥へと歩を進めていくことになった。
◆
前方から差す明るさに従って木々の間を抜けて歩み出ると、三人は森の中の開けた空間へとたどり着いた。その周辺だけ木立がなく、大きく見える空からは、陽の光が遮られることなく降り注いでいる。
「この辺りかしら」
マリシエラが足を止め、リッケルトもそれに追いついて頷いた。
「ああ、アセラスを探すならここだな」
三人は広場の中心に荷物を置く。
「それじゃあ……レイリア、アセラスの探し方はわかるか?」
リッケルトが尋ねると、レイリアは口を尖らせた。
「もう、それくらい知ってるよ!」
レイリアは周囲を見回すと、踵を返し広場の縁に根を下ろした木に向かって駆け出す。
アセラスは背が低く葉も細かい、さして目立つことのない薬草だ。大きな木の根元に群生し、小さな白い花を咲かせている。加えて風通しがよく、適度な水気と陽光の差す場所を好んでいる。
アセラスが生えている木はよく育つと言われ、条件に見合う場所で、ひと際枝ぶりのよい大きな木が目印となる。
ちょうどレイリアが目を付けたような、枝葉のよく茂った木がそのいい例であった。
「ほら、見つけたよ!」
すぐにレイリアは喜色に満ちた声を上げ、そのひと房を短剣で切り取ると、全力で駆け戻ってきて手の中のものを掲げて見せた。
リッケルトが確認すれば、それは確かにアセラスのひと房に違いなかった。
「お見事! それじゃあ、約束はこの袋一杯分だ。けど、それ以上に持って来たらその分上乗せしてもらう約束を取り付けてるから、見つけられるだけ見つけよう」
そう言ってリッケルトは、受け取ったアセラスを革袋に入れる。
「よーし! どんどん見つけるよ!」
「勢い余って根まで取るんじゃないわよ」
「わかってる、任せてよ!」
そうして三人は、手分けしてアセラス採りを始めるのであった。