第1話 冒険者になりたい! 後
職人通りに店を構える商人や、工房を構える鍛冶屋や革職人といった職人たちにとって、冒険者という存在は、常日頃から力を借りることの多い身近な存在だ。
街の外はいつだって危険で溢れている。だが、街の中ばかりで商売をすることはできない。街から街への移動や、街の外でしか手に入らない素材、そして時には失せ物探し。
そうした必要性に駆られたとき、脅威と戦う力を持たない自分たちの代わりに危険に立ち向かうことのできる冒険者は、彼らにとってはなくてはならない重要な人材だ。その使い方を誰よりも熟知しているのもまた、商人や職人たちである。
同時に、頻繁に物資や装備の調達が必要になる冒険者は、彼らの上得意にもなる。
商人や職人と冒険者は、持ちつ持たれつの存在であった。
「あ、あの、わたしレイリア! 新しく冒険者になりました!」
「えっと、剣士のレイリアです! なにか困ったことがあったら、私に言って!」
「わたし、新米剣士のレイリアっていうの! 暴れ大山羊の角亭で冒険者をはじめるから、なにかあったら是非教えてね!」
そんな商人たちの店を回って、リッケルトはレイリアを紹介していった。
自分はどんな冒険者なのか、どこで活動するのか、ひとつひとつ必要な情報を挨拶に付け加えてやりながら、リッケルトはレイリアを連れて職人通りを回る。
遠い親戚が冒険者を始めたんだ、よかったら使ってやってくれ、とあたりさわりのない程度に設定を追加しながら。
そうしてリッケルトの思いつく限りの店を回り終えたのは、徐々に日も傾こうとし始める頃になってだった。
「うぅ……さすがに喉がからからだよぉ」
中央広場に設けられた噴水の縁に腰をかけ、がっくりと肩を落としたレイリアに、やりすぎたか、とリッケルトは頭を下げた。
「悪い、いきなりあちこち回りすぎたな。平気か?」
「ううん、ちょっと疲れたけど、大丈夫。それに……」
レイリアはすっと背筋を伸ばし、大きく伸びをする。
「楽しかったかも! 挨拶しているうちに、わたしもこれで冒険者になれるんだーって気もしてきたし!」
「依頼が入ってくれれば、だけどな」
今はまだ見習いだ、と茶々を入れると、いじわる! とレイリアは頬を膨らませた。ころころと表情の変わる少女に、リッケルトの頬は思わずほころんだ。
「けれど、最後の方はもう慣れたもんだったじゃないか。みんなの反応も良かったし」
レイリアを紹介しての手応えは、リッケルトの想像していた以上のものであった。
はじめのうちは声にも表情にも、どこか硬さが抜けず緊張が走っていたレイリアであったが、回数をこなすにつれてそれも解けていき、持ち前の明るさと人懐っこさが表に現れていった。
もともと商人や職人にとって冒険者は、いざという時に頼りになる相手であり、同時に客にもなる相手だ。知った相手の紹介もあればこそ、その挨拶を無碍にする人間は多くはない。
さらには、自分の子供かあるいは孫のような年頃で、新しく冒険者になりましたと挨拶に来た、それもレイリアのように無邪気に懐に入り込んでくるような娘を邪険にできる人間は、そうはいなかった。
挨拶回りの結果は上々と言える。
そう褒めると、レイリアは照れたように頬を掻いた。
「えへへ、そうかな。でもリック、本当に冒険者だったんだね」
「なんだ、疑ってたのか?」
レイリアは首を横に振った。
「そうじゃないけど、どのお店の人も、みんなリックのこと知ってたし」
「そりゃあ、俺が知ってる店を回ってるからだ」
「みんな冒険者としてのリックを知ってたってこと!」
この日回った店の店主は様々だった。男も女もいれば、年かさの商人も、若い職人もいた。中にはドワーフも。その誰もが、リッケルトが冒険者としての付き合いがあった人々であった。
中にはリッケルトに、「ついに復帰するのか?」と声をかけてくるものもあった。それはリッケルトにとって愉快な質問ではなかったが、笑って誤魔化した。
「それにみんな、リックのことを信じてたから。リックはすごい冒険者だったんだなあって」
「十年も続けてれば、誰だってそうなる。レイリアもそうなりたいんだろう?」
レイリアは、うん! と大きく頷いた。
「ねえリックはなんで……」
「うん?」
「……ううん、なんでもない!」
優しいやつだな。笑って首を振るレイリアを見ながら、リッケルトは内心で礼を言った。リッケルトはレイリアの質問を、おおよそ察していた。その上で、優しさに甘えることにした。
レイリアはそれから、少し俯くと、なにか湧いてきたものを噛みしめるような表情をした。
「リック、本当にありがとね」
「なんだ、また改まって」
レイリアが顔を上げた。その瞳が真っ直ぐにリッケルトを見つめる。
「だってわたし、冒険者になるんだー! って街に出てきたけど、本当になにをすればいいのか、全然わかってなかった」
レイリアはまた、そのことを知らされたときの不安を思い出すように、少しだけ目を伏せる。
「だからリックに教えてもらえて、本当に良かった。それにこうして足掛かりまで作ってもらって。本当にありがとう、リック」
全部リックのおかげだよ。
染み入るような声でそう言われ、リッケルトはぎこちなく頬を掻いた。
「どうかな……レイリアなら、案外自力で道を拓けたかもしれないしな」
「そうかなあ」
それに笑って返してやると、リッケルトはレイリアの隣に腰を下ろし、並んで人いきれを眺めた。
思いがけず、濃い一日になったものだ。
目が覚めたその時は、酷い一日になりそうな予感がしていた。酒場でリュートを弾き終えた頃にそれは、確信になりつつあった。
けれど、すべてが変わったのは、レイリアが現れてからだ。
まさかこうして、見ず知らずの少女を引き連れて、かつて冒険者であった自分の訪れた跡を回ることになろうとは、リッケルトにとって想像もしなかった体験だ。
それは、自分がもう冒険者ではないことを確認して回っているようでもあった。
だが、思っていたほど、悪い一日ではなかった。
「なあ」
不意に、一日を思い返していたリッケルトの中に疑問が湧いて出る。
「最初に俺に声をかけたとき、どうしてあんなに曲をねだったんだ?」
「それは……」
んー、と虚空を見上げながら、レイリアは言葉を選んでいるようであった。
「だって、吟遊詩人さんが歌うのって、わたしの先を行った人たちの冒険譚だもん。もしかしたら、これから冒険者になるわたしの道しるべになるかなって」
「冒険者の道しるべに」
リッケルトにとってそれは、考えもしなかった思い付きであった。
吟遊詩人は英雄譚を奏でる。それは誰かの栄誉を伝え、名声を讃える。あるいは若者の羨望を浴びるかもしれない。
だがそれが、誰かの道しるべになるかもしれないなどとは、想像もしていなかった。
「俺の歌が、いや、俺の経験が誰かの道しるべに、か……」
「うん。だから、わたしが冒険者として活躍出来たら、その時はわたしのことも歌ってね?」
そう告げると、レイリアは立ち上がって、夕陽に照らされながらリッケルトを振り返った。
「わたしね、リック、伝説に名前を残すんだ。リックみたいな吟遊詩人に、世界中で語り継いでもらえるような冒険者になるの!」
その姿があまりにも眩くて。
ああ。リッケルトは納得した。
その笑顔の、その瞳の輝きの、思わず目を細めてしまうほどの眩さの正体が、ようやく判ったのだ。
それは憧れだった。
伝説の英雄に、偉大なる功績に、寝床で伝えられる物語に、ただただ一途に憧れる、その輝き。
そしてそれは、リッケルトの未練の正体でもあった。
志半ばで道を断たれ、巨人殺しのリッケルト以上の存在にはなれないと突き付けられた、その無念。
吟遊詩人に、世界中で語り継がれるような冒険者。かつては自分だって、まさしくそれを目指して躍起になっていた。縁とはこのことだろうか、リッケルト自身、一言一句同じものを目指していたはずだった。それが今では、自分で自分の歌を歌って慰めている。
そろそろ潮時なのはわかっていた。これ以上過去を歌ったところで、もうその頃には戻れないことくらい承知していた。せめても別の戦い方を見つけて、また冒険者に戻れないかとも、考えないわけではなかった。
それでもどうしてか止められずにいた。得意ではあれど、特別執着するほどではなかったリュートを、どうしても手放せなかった。
それはもしかしたら。
自分が吟遊詩人でい続けたのは、この日のためだったのかもしれない。
「なあレイリア」
「うん、なあに?」
「ひとつ取引をしないか?」
胸の中に湧き上がった直感を信じて、リッケルトは提案した。
「取引?」
「俺は、俺の知識を、経験を、レイリアが一人前の冒険者になれるまで、全部伝える。レイリアの道しるべになる」
突然差し出された提案にレイリアは目を丸くし、それから一拍おいてその意味を理解して、慌てて顔の前で手を振った。
「そ、そんなの悪いよ! だってわたし、リックになにも返せるものがない!」
「なに言ってるんだよ、自分で言ってたじゃないか」
わたしのことを歌ってくれ。レイリアはそう言った。
「レイリアの物語を、全部俺に歌わせてくれ。俺がレイリアの専属吟遊詩人になる」
俺の伝説は、もう歌われることはない。だったら俺にできるのは、誰かの伝説を歌うことだけだ。今日まではそれさえ、自分の中のなにかを捨て去るようで、できずにいた。
だけれども。
リッケルトの中で、なにかが変わっていた。
この輝きしか持たない娘を見て、なにかが変わった。この娘が伝説になるのを見届けたい。そして、他ならぬ俺が、それを歌ってやろう。
「俺がレイリアを冒険者にする、レイリアは伝説の物語を俺にくれる。そういう出世払いでどうだ?」
そう持ち掛けられたレイリアはと言えば、なにか信じられないようなものを見るかのように、口をあんぐりと開け、目を大きく見開いてリッケルトを見つめ返していた。
やがて、その瞳の中で、光が瞬いた。
瞳は星を散りばめたようにきらきらと輝きを増し、それはリッケルトが思わず目を細めるほどであった。
そしてレイリアは、何度も何度も頷いた。
「うん……うん! して、わたしを冒険者に! わたしの吟遊詩人になって! わたしは、きっと伝説になるから!」
「よし、取引成立だな」
夕陽を照り返す噴水の水しぶきに包まれながら、二人は固く握手を交わした。
それが、冒険者レイリアの物語の、最初の一ページであった。