第1話 冒険者になりたい! 中
酒場のカウンターでは、騒がしい店内に目を光らせながら、モーリーンがジョッキを磨いていた。
用件や注文があれば客はカウンターにやって来るが、それよりもモーリーンが気にしなければならないのは、酒を飲んでいる客の様子である。
なにせ冒険者の集う店だ。腕に自信のある若者の血の気は、溢れに溢れている。特にこうして時間をもて余し、昼から店にたむろしているような連中は。少し油断すれば、どんな騒ぎが起こるかわかったものではないのだ。
その中にあってリッケルトは、以前からの顔馴染みで、黙っていても特に問題を起こすでもない、手のかからない相手であった。
むしろここ最近では、モーリーンから声をかけなければ、黙ってリュートを弾いて、黙って部屋の引き上げていってしまう、そんな日々が続いていた。
だというのに、今日はどうしたことか。若い冒険者に絡まれていたと思ったら、今度は少女に泣きつかれてたじろいでいる。厄介ごとであれば止めに入ろうかと思ったが、あまり険悪そうではない様子と、普段見ることのないリッケルトの姿が面白く、つい黙って見守るに留めていた。
だから、そのリッケルトが少女を連れてカウンターにやって来たとき、モーリーンはからかいをはらんだ目でじっとそれを観察していた。
そんなモーリーンに、リッケルトは気まずそうに声をかける。
「モーリーン、ちょっといいか?」
「おや、どうしたんだい、てっきりもう引き上げたもんだと思ってたよ……その子は?」
リッケルトは少女を横にならばせると、自分は一歩横に退いた。
「この子はレイリア、ついさっき店に来たばっかりの、冒険者見習いだ。レイリア、この店の主人のモーリーンだ」
「よ、よろしくお願いします!」
「へえ、どうぞご贔屓にね」
少女の手を握りながら、モーリーンはさっとその全身に目を走らせる。
握る手はしっかりとして力強いが、節ばった様子も固さもない。身体は丈夫そうだ。動きやすそうな身なりは、そこいらの町娘とさして変わるものではない。どうやら本当に、冒険者を目指して出てきたばかりのようであった。
「あんた、歳はいくつだい?」
「こ、この間十五歳になったよ」
「武器はその短剣かい?」
「うん、わたしは剣士になりたいんだ!」
受け答えは素直、成人を迎えたばかりで、剣の腕はわからないが若木のようなしなやかさがある。
そしてなにより、その瞳の輝きがモーリーンを惹きつけた。店を出入りしているどの冒険者よりも、強い輝きに思えた。
なるほど、どうしてリッケルトがこの少女を連れてくる気になったのか、わかったような気がした。
「それで、どういう風の吹き回しだい、あんたが新米冒険者を紹介に来るなんて。巨人殺しも泣き落としには弱かったってことかい?」
「別に、そんなんじゃない」
「巨人殺し? 吟遊詩人さんが?」
隣から上がった素っ頓狂な声に顔を向けると、レイリアは目を丸くしてリッケルトを見上げていた。その様子に、モーリーンはおや、と首を傾げる。
「なんだい、あんた知ってて泣きついてたんじゃないのかい」
そして意外そうな顔をしているのは、リッケルトも同じであった。
「本当に歌しか聞いてなかったのか……そういえばまだ名乗ってもいなかったな。俺はリッケルト、まあ、一応元冒険者だ」
「リッケルト……元冒険者……え、じゃあさっきの歌って、巨人殺しってそういうことなの!?」
「昔の話だ」
「すごいすごい! 吟遊詩人さんは吟遊詩人さんじゃなくて、巨人殺しのリッケルトだったんだね!」
「頼むからそう呼ぶのは止めてくれ!」
モーリーンの目の前でそんな風に喚きあう二人は、たった今名前を知り合ったところであるというのに、長年の付き合いでじゃれあっているようにすら見えるようだった。
それがこの少女の人柄のなせる技であるのは疑いようもなかった。
どうやら悪い子ではなさそうだ。モーリーンはそう納得しながら笑い声をあげた。
「あっはははは! いいよあんた、気に入った! ぜひうちで活躍しておくれよ」
「ほ、本当に? ありがとうございます!」
頑張りなよ、とレイリアの朗らかな笑顔を見ながら、矛先をリッケルトに向ける。
「それにしてもまったく、いい度胸だねリッケルト。今名前を取り交わしたような相手をあたしに紹介しに来るだなんて」
そう言ってやると、リッケルトは苦い汁を飲んだような、ますます気まずそうな顔をした。
「それは勘弁してくれ、俺もわかってるんだ。とりあえず、なにか危険の少ない、駆け出しでもこなせそうな仕事はないかな」
聞かれたモーリーンは、瞳に期待で輝かせるレイリアを見ながら、首を横に振る。冒険者を志す若者が後を絶たない中、そうした依頼の需要は当然ながら高い。新米向けの仕事は、入ったそばから他の冒険者に紹介してしまっているのだ。
「あいにく今すぐにはないね。けどまあ、もしなにか入ったら教えてやるよ」
「やった! ありがとうございます!」
芯から喜びの声を上げて礼を言うレイリアの姿に、モーリーンの中にはなにか懐かしい記憶が蘇るようであった。
「よかったな、レイリア。これで上手く仕事が見つかるのを祈ってるよ」
だが、リッケルトのその言葉は聞き捨てならなかった。
「ちょいと、リッケルト。あんた、これでこの子を放り出すつもりかい?」
「え、いや、放り出すもなにも……」
もう役目は終えたはず、とばかりに心外そうな顔をするリッケルトに、モーリーンは指を突き付けた。
「あんたね、これで都合よく仕事にありつけたからって、こんな右も左もわかっていなさそうな子が、ひとりで冒険者なんてできると思ってるのかい?」
ぐ、とリッケルトは口を噤む。彼自身、それは重々承知しているようであった。それが、モーリーンにはますます気に食わなかった。
「レイリアだっけ? あんたも、これでもうひとりでやっていける自信があるのかい?」
「え、えっと?」
どうなんだい、と迫ると、レイリアは慌てたように首を横に振った。
「ほら見な! いいかいリッケルト、あんたは一度この子に手を差し伸べたんだ。だったら、せめて最初の仕事にありつけるくらいまで、面倒を見てやったらどうだい!」
どうせこの店で一番時間を持て余してるのは、あんたなんだからね!
そう追い打ちをかけてやる。
「そんなこと言われてもな、これ以上俺にどうしろって言うんだ」
「紹介する相手は、あたしだけじゃないだろう」
リッケルトは怪訝そうな表情をしていたが、そう言われてようやく思い当たるところがあったらしく、ああ、とため息を吐いた。
「まったく、自分が冒険者になって最初にしたことも忘れてたのかい」
「わかったよもう! 行くぞレイリア。出かけるから荷物はモーリーンに預けておくんだ」
「え、あ、ま、待ってよ! あの、モーリーンさん、ありがとう!」
大股で店を出ていくリッケルトと、慌ててそれを追うレイリアを見送りながら、モーリーンはやれやれと腕を組んだ。
それにしても、あのリッケルトが新米の紹介か。モーリーンはふむ、と顎に手を当てる。
暴れ大山羊の角亭がこうして繁盛しているのは、かつてリッケルトたちが、この店のお抱え冒険者として名声を上げてきたからだ。当人は今や見る影もないが、そのおかげでこの店を利用する冒険者も、依頼人も後を絶たないのも事実だ。
だが同時に、成り上がりを夢見る冒険者見習いも、ひっきりなしである。
レイリアはまだずいぶんと可愛い例だろう。なかなか仕事にありつけず、昼から酒場で飲んでいるような冒険者くずれになると、始末が悪い。
モーリーンは常々考えていた。そうした冒険者見習いの面倒を見る責任は、店を大きくした立役者にもあるのではないかと。
面白いことになるかもしれない。今頭を悩ませているある問題を思い出しながら、モーリーンは肩を回した。
久しぶりに、やりがいのある仕事を見つけられたような気持だった。
◆
「ねえ待ってリッケルト!」
店を出て通りを歩くリッケルトの背に追いつき、レイリアはその腕を引いた。
「もう、早いよ!」
「ああ、悪い」
強く腕を引かれて、リッケルトは歩調を緩める。そんな二人の周りを人々が行き交っていく。
すれ違う人の大半は人間で、時折立派な髭を持ったずんぐりと小柄なドワーフが混ざっている。そのほとんどが、武器や鎧を身に付けた冒険者であった。
その間を抜けながら、元冒険者の吟遊詩人と、冒険者見習いの少女は歩みを進めた。
「ねえ、これからどこに行くの?」
「どこって、職人通りだよ」
職人通り……? と首を傾げるレイリアに、ああ、とリッケルトは頷いた。
「そうか、カザディルに来るのも初めてなのか」
「うん、馬車に乗せてもらった商人さんに、冒険者の店がどこにあるか教えてもらって、あの通りを歩いていたらあなたのリュートが聞こえたんだ」
なるほど、レイリアは本当に、街に着いてそのまま暴れ大山羊の角亭にやってきたらしい。
それならばと、リッケルトは話しはじめる。
「少しカザディルについても教えておくか」
そう前置きして、リッケルトは手で通りを示しながら話し始めた。
「今歩いてるここが宿屋通り。その名の通り、宿や酒場が軒を連ねてる。ほとんどが仕事の仲介をしてる冒険者の店だから、街で一番冒険者の多い通りでもある」
レイリアは後ろを振り返りながら、ふんふんと頷いて返す。
「それから通りを東に抜けたところが中央広場。市場もあそこに出る。で、今俺たちが向かってるのが、その向こうにある職人通り。鍛冶屋や革職人の工房に、商店が並ぶ通りだ」
「なるほどー……?」
カザディルは白鷲山脈の断崖を背にした、カザムダリアの都だ。領主たる王の居城をその最奥に構えた城下町でもある。広場を中央に東西に貫く目抜き通りには、街で暮らしていくのに必要な施設がおおよそ揃っている。
「それで、広場を南に行けば街の外門、北に行けば……」
宿屋通りを抜け、中央広場に歩み出たリッケルトが、腕と身体全体で北を指す。
中央広場から続く大通りのその最奥。白亜の大理石で築き上げられた見るも壮麗な王城がそびえている。
「わぁぁ……! あれがカザムダリアの王城、ダンシングフレイム!」
「そう、五人の灰祓いのひとり、建国の王、"二つ星の"ワイマールが打ち建てた城だ」
それは、カザムダリアの誰もが知っているおとぎ話。かつて世界を暗黒の脅威から救い、そしてこの地に国を作り上げた英雄の伝説。
その昔、世界に破滅をもたらす暗黒の軍勢がいた。およそ生きとし生けるすべてのものに牙を剥いた暗黒の軍勢は、この西方大陸の各地で猛威を振るい、大地を血で穢していった。
人間と、ドワーフと、そしてエルフとを問わず、暗黒の軍勢は平和を望む人々を蹂躙していった。
その首魁たるは、邪なる力を振るう魔なる王。灰色王と、そのものは名乗った。
暗黒の軍勢に、そして灰色王に数多の勇士たちが立ち向かい、力及ばずその命を散らしていく。
光ある時代はもはや終わりかと思われたころ、ついに灰色王の打倒を成し遂げる英雄たちが現れる。のちに灰祓いと呼ばれる、五人の大英雄である。
その内のひとりこそ、灰色王を打ち破ったのち、荒れ地であった平原地帯にカザムダリアを建国することになる"二つ星の"ワイマールであった。
遡ること二百年余り昔の話である。
灰色王との戦いに明け暮れた暗黒の時代の終わりは、同時に、世界に残された脅威や謎に立ち向かうものたちの時代……すなわち、今日まで続く冒険の時代の幕開けでもあった。
今もなお、子供たちの寝物語に歌い継がれる灰祓いと、同時にこの地に伝わるもうひとつのワイマールの伝説は、若者たちの永遠の憧れだ。それ故、この国はそんな英雄譚を夢見たものたちの集まる、冒険者の国となったのだ。
「現王たるブレナン陛下も、冒険者に対して開放的な方だ。揺ぎ無き功績を上げたものは、王立騎士団への登用や、爵位を授けることも辞さないとさ」
それを成し遂げたものは、寡聞にして知らないけどな。そう締めくくり、リッケルトはきっとそんな成り上がりを夢見てきたのであろう少女に目を向ける。
「爵位かあ……わたしの目標とは違うけど、それもすごいね!」
レイリアの反応は、思いの外に淡白なものであった。おや、とリッケルトは首を傾げる。どうやらこの少女には、なにかもっと別の目指すべきところがあるようであった。
「北にはほかになにがあるの?」
「え、ああ、あとは神殿だな」
「そっか、神殿もあるんだっ!」
世界の創造主たる神々を祀る神殿は、一定以上の規模の街であれば共通して設けられる施設のひとつだ。そうでなくても、人々の暮らす場所には多かれ少なかれ聖職者が駐在していることが多い。
「お前の故郷には、神官はいなかったのか?」
「大ババ様が司祭さまだったよ! 大ババ様の家がそのまま教会みたいになってたけど」
「なら、そのうち一度は礼拝に行くといい。きっと驚くぞ」
「はーいっ! えへへ、楽しみだなあ」
レイリアは手を上げながら、子供のような返事をする。それから、しみじみと頷いた。
「でも本当に大きな街! わたしの村なんて、見回せばみんなの家がどこにあるかわかるし、お店なんて一件しかなかったもん」
「なあレイリア、今までどんな暮らしをしてたんだ?」
「え? わたしの村のこと?」
歩きながら、リッケルトはふと湧いた疑問をレイリアに投げかけた。
「ああ、ミナーカだったか」
どこかで聞いた覚えのある名前だったが、それを思い出より前にレイリアが明るく話し始めた。
「なんにもない小さな村だよ。昔ゴブリンが出たことがあるくらいで、それ以外はずっと平和! 平和が特産品!」
そう笑うレイリアに、だろうな、とリッケルトは頷いた。
そんなところで育ってもいなければ、こうも無邪気に知り合ったばかりの男についてきたりはしないだろう。あんまりに無防備なレイリアの振る舞いに、リッケルトはそう結論付けた。
「その代わりに畑や農場がすごく大きくて……って違うよ!」
自慢の故郷を思い返していたレイリアは、はっと気づいたように目を見開いた。
「そうじゃなくて、これからなにをするの?」
「なにって、そりゃ」
どこかそわそわとした様子のレイリアに、リッケルトは怪訝な表情で答える。
「さっきと同じだよ、通りの店を回ってレイリアを紹介するんだ」
「そうかな、って思ったけど……でも、いいの?」
望んでいた以上に展開していく話に、レイリアは恐る恐るリッケルトの顔を仰ぎ見た。
「だってモーリーンさんに紹介してもらっただけでもわたし……」
なにをいまさら、とリッケルトはため息を吐いて返した。
「モーリーンに俺が言われたの、聞いていただろう? 紹介できる先は他にもある。それに、時間を持て余してるのも確かだし」
リッケルトは、肩にかけたリュートを直しながらそう答え、歩き続けた。
中央広場を東へ進んで行く。すれ違う人々に、街着の市民たちが増えてくる。
「もうこれ以上は必要ないっていうなら、俺は別に構わないけど」
「ううん! 紹介してほしい!」
それならそれで、もう俺も引き上げるだけだ、と皮肉を込めたリッケルトに、レイリアはどこまでも素直に返してくる。これは敵いそうにないな、とリッケルトは苦笑を浮かべた。
「でも、なんか悪いなって」
「別に、乗り掛かった舟だし、これで仕事が見つからなかったら俺も寝覚めが悪い。だったら可能性は広げておいたもんだろう」
「うん……あの、ごめんね、迷惑かけて」
そう返してくるレイリアの表情は、決して明るくはない。所在なさげで、覇気が感じられなかった。
先ほどまでの元気さをすっかり見失って、項垂れてしまったようなレイリアの様子に、リッケルトは眉をしかめて頭を掻きむしった。
これは、俺がよくなかったな、と。
「あー、なんだその、悪いレイリア」
「え、な、なにが?」
「いや、別にレイリアの紹介をするのを嫌がってるわけじゃないんだ」
リッケルトはまくしたてた。自分でも言い訳がましいな、と思いながら。
「ただ、今まであんまりこういう経験がなかったんだ。だから、自分でもどうしたらいいかよくわからなくてさ」
「う、うん」
「だから、迷惑とかは気にしないでくれ」
「うん……ありがとう、リッケルト!」
急な謝罪に戸惑いながら、それでもレイリアは笑って返した。まだ少し強張ってるなと思いながら、リッケルトも無理に笑って見せた。
「まあそれに、最初に俺のところに来た時くらい、無遠慮で能天気な方が印象もいいからな」
「えーっ!? なにそれひどいよリック!」
急な憎まれ口に、頬を膨らませるレイリア。そのくらい表情が変わる方が、こいつらしい。まだほんの数刻の付き合いでも、リッケルトにはそう思えたのだった。
そうして二人は、職人通りへと足を進めていった。