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閑話 冒険者たちの休日 後

 その夜。


 暴れ大山羊の角亭は、レイリアの部屋にて。


「さ、始めよっか!」


 もうすっかりと夜も更け、宿の誰もが寝静まった頃に、部屋には三人の少女が集まっている。


 夕食も終え、寝巻に身を包み、就寝への身支度も整えた少女たちは、ひとつのベッドの上に集まって腰を下ろしていた。


 枕もとの台に置かれた角灯の火だけが、橙色に室内を照らしている。


「始めるって、いったいなにをするっていうの?」


 袖のないシルクのシャツに、腿までの丈のパンツで、その白く細い手足を無防備に晒したマリシエラが、流れるような金色の髪をかき上げながら、怪訝な表情でレイリアに問う。


「ぅぅ……ね、寝る前に、本読むつもりだったのに……」


 黒く丈の長いロングワンピースに身を包むのは、ラシェルだ。相変わらず杖を抱え、長い黒髪を垂らして打ちひしがれた表情をしている。


「今日はお休みで、みんなで街に出かけたでしょ? それで思い出したんだっ、村の友達と、こっそり夜に集まったときにやってたゲーム!」


 ゆったりとした麻のシャツとパンツを着込んだレイリアは、楽しくて仕方がないのを隠し切れない表情で、三人の真ん中に小さな包みをひとつ置いた。


「なによ、これ」


「なんか……甘い、におい……?」


「ふふふ、実はこっそりお昼に買ってたんだっ」


 レイリアが包みの口を開くと、中から現れたのは、さくさくとした食感の、砂糖と小麦粉とバターをふんだんに使った焼き菓子であった。


 ラシェルがその姿に、戦慄の表情を見せる。


「ゃ、焼き菓子……! そ、そんな、こんな時間に……?」


 深夜にこんな糖と脂をたっぷりと使ったお菓子を食べるなどというのは、いつの時代、どこの世界にあっても、少女たちにとってはこの上ない暴挙であった。


「なによ、もっと早く出せば紅茶の用意もあったでしょうに」


「ぁ、あの……明日じゃ、だめ……?」


 訝しげなマリシエラと、あまりの恐ろしさに唇を震わせるラシェルに、レイリアは不敵な笑みを浮かべながら指を左右に振る。


「ふっふっふ……もちろんただ食べるだけじゃないよ! これからするのは、お菓子か告白ゲーム!」


「お菓子か」


「告白?」


 聞き慣れないゲームの名に、二人は揃って首を傾げながらレイリアを見た。


「そうっ! ルールは簡単だよ。最初に誰かがひとり指名して、なにか聞きたいことを聞くの。それで聞かれた人は、その質問に答えるか、答えないならお菓子をひとつ食べますっ」


 意気揚々と説明するレイリアに、マリシエラは白い目を向ける。


「人間ってどうしてそう、しょうのないことを思いつくのかしら」


「で、でも……ちょっと面白そう、かも……?」


 一方でラシェルは、先ほどよりもいくらか興味をひかれた目をしていた。元来彼女は、知りたがりであったのだ。


「どうかな? やってみない?」


 そわそわと子供のままのように、レイリアは誘った。


「まあ、別にいいけれど。明日どうなっても知らないわよ」


「ラ、ラシェルはそんなに秘密もない、はず……!」


 今ここに、少女たちの秘密の夜会が始まるのであった。


「じゃあさっそくやるよ。まずは、わたしからね!」


 レイリアは意気込んで、二人の顔を見比べる。そして、勢いよく人差し指をマリシエラに向けた。


「マリシエラ! ずっと気になってたんだけど、マリシエラって今何歳なのっ?」


「百七十二歳よ」


「ぇぇ……」


 あっさりと答えたマリシエラに、レイリアが心底がっかりした表情を見せる。


「なによ、その顔は」


「ううん、なんでも……でもそれって、若いの? お年寄りなの?」


 エルフの生涯に明るくないレイリアは疑問符を浮かべる。それに答えたのは、ラシェルだった。


「た、たぶんかなり若い……よね……?」


「そうね。リンデンでもまだ若芽のうちよ」


「エルフっていくつまで生きるの?」


「さあ? 長老がたがいくつかなんて、私でもわからないわ」


 答えてから、マリシエラはそっと目を伏せた。


「それに……」


「?」


「エルフだって、殺されれば死ぬもの」


 その言葉になにか含むものを覚え、レイリアは思わず問い続けようとするが、マリシエラが顔を上げる方が早かった。


「それで、私は答えたわよ。次はどうするの?」


「あ、うんっ。そうしたら、質問された人が、次の人を指名して質問するの」


「あなたたちに質問、ね……」


 マリシエラは二人の間で目線を行き来させ、それをラシェルに定めた。


「じゃあ、ラシェル」


「ひゃぅ……はぃ……」


 ラシェルはびくりと肩を跳ね上げ、フードを被ろうとして、寝巻にはそれがないことに気付いた。


「質問よ。あなた、どうしてリッケルトを詩人さんって呼ぶのかしら。いつまでも名前を覚えられないわけでもないでしょう?」


「ぁ、ぇ、う……そ、それは……」


 問われたラシェルは、おろおろと視線をさまよわせる。焼き菓子とマリシエラを交互に見比べ、それからレイリアを見る。レイリアは、好奇心を存分に湛えた目でラシェルを見ていた。


 逃げ場はなかった。


 ラシェルの手が焼き菓子に伸びる。


「あら、ラシェルに秘密はないんじゃなかったかしら」


 手が止まった。


「ぃ、いじわる……やっぱりマリシエラは、ラ、ラシェルのことがきらいなんだ……」


「ちょっと、なんでそうなるのよ」


 からかうようであったマリシエラの目が、怪訝なものに変わる。


「だ、だって、よくラシェルのこと、怒鳴るし……」


「それはあなたが、いつもおどおどして、気の弱さから先走った行動を取るからよ。もっと背筋を伸ばしなさいって何度も言ってるでしょう」


 マリシエラは眦をつり上げた。


「ちょ、ちょっと落ち着いて」


 語気を鋭くしたマリシエラを、レイリアが慌てて止めに入るが、マリシエラの目線は鋭いままだった。


 睨みつけられ、ラシェルは俯いていく。


「落ち着いてるわよ。だいたいね、ラシェル……それで誤魔化せると思ってるのかしら?」


 ラシェルは固まった。


「……ぅぐ」


「甘いわね。レイリアならともかく、私がそんな手に引っかかるわけないでしょう」


「えっ? えっ?」


 戸惑いながら二人を交互に見て、レイリアはラシェルの拗ねたような表情にようやく気が付いた。


「……いけると思ったのに」


「えぇーっ! だめ、ずるはなし! っていうかわたしならともかくってなに!?」


「ほら、観念しなさいラシェル。話したくないなら食べればいいじゃないの」


 恨みがましげな視線をマリシエラに向け、ラシェルは結局、焼き菓子に手を伸ばすのをやめた。


 それから、いつにもましてぼそぼそと、注意しなければ聞き逃してしまうような声で、ラシェルは話し始める。


「……ラ、ラシェルがこの宿に来て、まだ外に出る勇気が出なかったとき……へ、部屋の外から、歌が……吟遊詩人の歌が聞こえてきてるのに気づいて……」


「それって、もしかして」


「きょ、巨人退治の歌……それが、子供の頃に聞いたお話みたいで、ず、ずっと聞いてたんだけど……」


 その歌は、毎日のように聞こえてきた。四人の冒険者が、白鷲山脈で幅を利かせる巨人を退治しに行く冒険譚。幼い頃に村で読み聞かせてもらった、本の中の出来事のようで、ラシェルはそれに、郷愁と安心感と、そして物語に憧れた、幼心を思い出していた。


 誰がそれを歌っているのか知りたい。そう思いはじめた頃。


 しかし、毎日聞こえていた吟遊詩人の歌が、ある日聞こえてこなくなった。


 次の日にはまた演奏してくれるかと思ったが、その日も歌は聞こえてこなかった。


「だ、だから、様子が知りたくなって……」


 部屋を出たラシェルが見たのは、歌と同じ声で話す吟遊詩人と、一緒にいる二人の少女だった。


「それが、ラシェルが部屋を出てきた理由だったんだっ!」


 レイリアが爛々と目を輝かせて身を乗り出し、ラシェルは顔を真っ赤にして俯いた。


「だ、だから……し、詩人さんは、ラシェルにとって、ずっと詩人さんだったから……」


「それで詩人さん、ってわけね」


 マリシエラが括ると、ラシェルは膝を抱えて、いっそう縮こまってしまう。


「じゃあ、ラシェルはずっとリックのファンだったんだ……うー、ちょっとずるいっ!」


「ぇ、ず、ずるい……?」


 思いがけない言葉にラシェルは顔を上げた。


「だって、わたしはまだリックの巨人退治の話、一回しか聞かせてもらってないのに!」


「それを言うなら、私はまだ一回も聞いてないわ。今度聞いてみようかしら」


「わたしもわたしも! そうだ、他の冒険の話も聞いてみようよ! リックはいろいろ教えてくれるけど、自分の冒険の話はあんまりしてくれないし」


「ラ、ラシェルも知りたい……!」


「じゃあ決まりだねっ!」


 自分のいないところで勝手に進んで行く計画に、宿のどこかで吟遊詩人がくしゃみをした。


「つ、次はラシェル……ぇ、と、マリシエラ」


 ラシェルはやや逡巡して、マリシエラに顔を向ける。


「あら、なにかしら」


「マ、マリシエラはどうして、冒険者を目指したの……?」


 絞り出すようにして、ラシェルは問うた。


「あっ、それわたしも知りたい!」


 レイリアが好奇心に任せて顔をマリシエラに近づける。


「……」


 マリシエラは二人の顔を見比べる。どちらの瞳も、期待に輝いている。


 マリシエラは口を開けた。


「あぁーっ!」


「そ、そんな……!」


 そして迷わず、焼き菓子を口に放り込んだ。


「ど、どうして……ずるい……」


 愕然として呟くラシェルに、マリシエラは澄ましたまま顔を背ける。さくさくと焼き菓子を噛み砕き、唖然とする二人の前でゆっくりと味わって、それを飲み込んだ。


「ずるくないわ、そういう決まりでしょう? この焼き菓子、悪くないわね」


「そんなっ! マリシエラ、わかってるの!? こんな時間に食べたら……」


 戦慄するレイリア。マリシエラは、憮然とした表情を向けた。


「残念ながら、私はエルフだもの。そんな簡単に肉が付いたりしないわ」


「なんてずるい……!」


「これが……種族格差……」


 レイリアとラシェルは、言い知れぬ敗北感に打ちひしがれ、両手をベッドについて項垂れた。


 そんな姿を見ながらマリシエラは、レイリアの身体をじっと見つめた。薄手の寝巻の上衣は、その下にあるものに力強く押し上げられている。


「それに、あなたみたいなのを見てると、私ももう少しくらい肉があってもって思うのよね……」


 マリシエラは二人に聞こえないように、そっと呟いた。


 二人がどうにか絶望から立ち直るまで待って、マリシエラはレイリアを指さした。


「それじゃあ、また私ね。同じ質問よ、レイリア。どうして冒険者を目指したの?」


 その質問に、ラシェルが疑問を覚えた。


「ぇ、と……で、伝説に名を残すため、じゃ……?」


 だが、マリシエラはそれに首を振る。


「それは冒険者としての大望でしょう。それを抱くことになったきっかけがあるんじゃないかしら?」


「うー……」


 そう言って自分を見つめてくるマリシエラに、レイリアは唸りながら目線を泳がせた。


 きっかけはあった。だが、それをつぶさに語るのは、どうしても気恥ずかしいものがある。


 レイリアの手が焼き菓子に伸びる。引っ込める。もう一度伸ばして……結局手を引いた。


「うん、まあ……きっかけはあったよ」


 レイリアは頬を掻き、目をそらしながら答える。


「昔ね、わたしの住んでた村の近くに、ゴブリンが巣を作ったことがあったんだ」


 それはちょうど、先日レイリアたちが訪れたザラムの村での出来事に近い事件であった。


 レイリアの出身地であるミナーカの村は、開村からこちら事件らしい事件も起こらず、狩人や村の男衆が害獣駆除を行うことがあった程度の、平和でのどかな農村であった。


 カザディルという大きな街にほど近いこともあって、自警団と言えるようなものもなく、村には戦士と呼べる人間はいなかった。子供たちの間で剣術ごっこや冒険者ごっこは廃れなかったが、成長すればそれを見守る側になり、畑を耕したり家畜の世話に精を出すようになるのが自然の成り行きであった。


 レイリアが五歳になった頃、そんなミナーカに大事件が起こる。


 村の外でゴブリンの姿が頻繁にみられるようになったのだ。


 すぐさま村人たちは、対策を練ろうとした。


 だがそんな折、たまたま村に立ち寄った冒険者の一行がいた。彼らは冒険を終え、馬車で街に帰る途中であったという。


 村人は冒険者たちに縋った。戦う力のない村人に代わって、ゴブリンを追い払ってくれと。


 冒険者たちは、一夜の宿と食事だけを引き換えに、それを引き受けた。


 レイリアは、その成り行きをこっそりと見ていた。


「それでわたし、その人たちがどうやって戦うんだろうって、どうしても気になってこっそりついていっちゃったんだ」


「その頃からレイリアはレイリア、ってわけね……」


「か、変わってない……」


「も、もう! そういうのはいいから!」


 ゴブリンたちは、村からさほど離れていない断崖の壁に穴を掘って棲み処としていた。


 そこでレイリアは見た。ゴブリンを相手に勇敢に戦う冒険者たちの姿を。剣や、斧や、短剣を振るう戦士たち。戦場となった洞穴の前には風が舞っていた。


 見る間にゴブリンは、冒険者たちに蹴散らされていく。


「でも、実はゴブリンは巣穴の外にもう一匹いたの。そのゴブリンはわたしを襲おうとしたんだ」


 ゴブリンが振るうこん棒が、幼いレイリアに迫ろうとしていた。


 だがそれが振り下ろされる寸前、ゴブリンの頭が飛んでいった。


 見上げるとそこには、剣を振りぬいた冒険者のうちのひとりの姿があった。


「その剣士さんは、わたしを怒るでもなく、抱きかかえて村に連れて帰ってくれた」


 ゴブリンを退治し終えた一行は、レイリアを連れて村に引き返していく。


 その道中、剣士はレイリアにこんな話をした。


「俺たちは、これから冒険者としてどんどん活躍して、有名になって、そして伝説に残る英雄になるんだ、って」


 その言葉が、レイリアの記憶に鮮烈に刻みついて、それ以来ひと時も忘れることはなかった。


「もう顔も思い出せないんだけど、その言葉だけはずっと覚えてるの。わたしもそうなりたい、って思ったことも」


 それが、レイリアの夢の始まりであった。


 過去を懐かしみながら、ずっと胸の内にしまい込んでいた大切な宝箱を慈しむような、そんな心地で話し終えたレイリアは、二人の視線が暖かく集まっていることに気付いた。


 それが無性に恥ずかしくて、レイリアは身体ごとそっぽを向く。


「こ、これで全部だよっ! わたしが冒険者を目指した理由っ!」


 マリシエラがくつくつと笑った。


「それがあなたにとっての憧れの英雄だった、ってわけね」


「ワ、ワイマール王に興味がない、はず……」


「別に興味がないなんていってないもんっ!」


 振り返ったレイリアの顔は、真っ赤に染まっていた。


 それをまた笑いながら、マリシエラは訊ねた。


「それで、その英雄ご一行はその後どんな活躍をしているの?」


 するとレイリアは、先ほどまでとは一転して、どこか寂しそうな笑みを浮かべて振り返った。


「それが、わからないんだ」


「わからない?」


「わたしは名前を聞かなかったし、その人たちもすぐに出発しちゃってるから、どこの誰なのか、誰も知らなかったんだ。一晩泊めたのは村長さんだったけれど、村長さんもそれから少しして病気で亡くなっちゃったし」


「そう……なの……?」


「うん、でも」


 心配そうに見つめるラシェルに、レイリアは笑いながら拳を握って見せた。


「わたしの夢は変わらないよっ! あの剣士さんが言ってたみたいに、わたしも伝説に名前を刻む! もしかしたら、それで向こうがわたしに気付いてくれるかもしれないしっ!」


 別に会えなくても構わない。ただ、その志に惹かれた少女がひとり、自分もそれを成し遂げた、と伝わればそれで十分だと、レイリアはそう思っていた。


「なるほどね」


 話を聞き終えて、マリシエラはひとつ頷いた。


「あなたがどうしてそんな猪娘に育ったのか、少しわかった気がするわ」


「なんで今のでそうなるのーっ!?」


「ラ、ラシェルもちょっと、わかるかも……」


「もうっ、もーっ! つ、次はわたしの番だからね!」


 少女たちの夜は、どこまでも姦しく更けていく……。

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